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「ピエール・ド・ロンサール」【松本路子のバラの名前・出会いの物語】

「ピエール・ド・ロンサール」【松本路子のバラの名前・出会いの物語】

バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、バルコニーで28年育てているつるバラ‘ピエール・ド・ロンサール’の名の由来であるフランスの詩人と詩集、晩年を過ごした館と庭園、そして花の魅力までをご紹介します。

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28年前、バラとの出会い

バラ‘ピエール・ド・ロンサール’
2020年5月、我が家のバルコニーで咲いた‘ピエール・ド・ロンサール’。鉢植えなので、たくさんの花は付けないが、毎年けなげに開花し、返り咲く。

‘ピエール・ド・ロンサール(Pierre de Ronsard)’が我が家にやってきたのは28年前のこと。ルーフバルコニーのある部屋に移り住んで、最初に求めた10本のバラ苗のうちの一つだった。当時、花弁の多いクラシカルなつるバラは希少で、私はその色と姿に魅了された。

バラが60鉢に増え、マンションのルーフバルコニーでのバラ栽培は珍しかったのだろう。新聞や雑誌に取材されることも多く、その都度好きなバラとして‘ピエール・ド・ロンサール’の名前を挙げていた。

バラ‘ピエール・ド・ロンサール’
バルコニー東面のフェンスに咲く‘ピエール・ド・ロンサール’と‘ポールズ・ヒマラヤン・ムスク’。

名前の由来は不明だったが、ある時バルコニーを訪れたパリ在住の友人によって明かされた。16世紀フランスの「愛とバラの詩人」だという。それから詩集を探したが、なかなか巡り会えず、私にとってその人物は長く霧の中に在った。

詩集を紐解く

ロンサール詩集
1985年に青土社から出版された、高田勇訳のロンサール詩集表紙。

何年か経ち、別の友人が詩集の翻訳者である高田勇氏を紹介してくれて、全詩集に触れることができた。詩集の1篇「カッサンドルへのオード」は、フランス人が「バラ」と聞くと思い浮かべる詩だという。

可愛いひとよ、見に行こう、

今朝、あけぼのの陽を浴びて

深紅の衣を解いた薔薇の花、

その紅の衣の襞(ひだ)も

あなたに似た色艶も

失わなかったか、今宵いま。

ああ、ごらん、これほど束の間に、

可愛いひとよ、薔薇は大地に

ああ、ああ、その美しさを散らしてしまった。

おお、何と無慈悲な「自然」よ、

この花の命さえ

朝から夕べまでとは。

さあ、可愛いひとよ、

私の言葉を信ずるなら、

あなたの齢(よわい)が花の盛りに匂う間に、

摘めよ、摘め、あなたの青春(はる)を、

この花のように、老いて

あなたの美も曇るから。

『ロンサール詩集』(高田勇訳、青土社刊)

ロンサールの詩の中で、バラは恋人の美しさと生への讃歌、人の命のはかなさへの無常観、そうしたものの象徴として詠われている。当時、ヨーロッパにあったバラは野生種で、開花から1、2日で散ってしまうものだった。その短い花の命がさまざまな思いを呼び起こしたのだろう。

ロンサールの館への旅

ロンサールが暮らした僧院の館
ロンサールが20年間暮らした僧院の館。15世紀の建物が今も残る。

フランス、ロワール地方を旅した友人が、その地にロンサールが晩年を過ごした僧院がある、との情報をもたらしてくれた。ただそれだけの手がかりしかなかったが、私は2006年6月、詩人の姿を求めてロワール地方のトゥールという町を訪ねた。

ロンサールの居室
ロンサールの居室。館の外観は修復されたが、室内は当時のままだという。

僧院はサン・コーム小修道院という名前で、駅から車で10分ほどの場所にあった。12世紀に建てられた石造りの建物などが点在し、その周囲に端正に整えられた庭が配されている。ロンサールは領地を所有する院長として、1565年から亡くなるまでの20年間をここで過ごし、いくつかの詩集を生み出している。

ロンサールの居室
居室の一角にはロンサールの胸像が置かれていた。

驚いたことに、彼が暮らしていた15世紀に建てられた館が現存していた。部屋の内部は当時のままだという。私はしばらくの間、部屋の中にたたずんでいた。窓から見えるツゲの木は樹齢400年を超えるという。ロンサールもまた同じ風景を見ていたのだろう。

ロンサールが暮らした僧院の館
敷地内に残る第二次世界大戦で破壊された教会堂。廃墟に咲くバラには、また別の趣が感じられる。

出かけるまでは廃墟のままの僧院では、と危惧していたが、その心配に反して、たくさんのバラが私を迎えてくれた。苗木は250種、数千本を数え、‘ピエール・ド・ロンサール’もそこかしこに見られた。

ロンサールの庭園

「アンドルーエ・デュ・セルソーの庭園」
建築家の名前を冠する「アンドルーエ・デュ・セルソーの庭園」。背後に見えるのは12世紀に建てられた僧院の食堂。

庭園は9つに分けられ、それぞれに名前が付いていた。ロンサールの館の前には白の‘アイスバーグ’、ピンクの‘ボニカ’が咲く「ローズ・ガーデン」、教会堂の裏手にはロンサールのソネット(14行詩)を作曲した「フランシス・プーランクの庭」、香りのバラを集めた「香りの庭」、イタリアから運ばれたつる棚をアーチに設えた「ビロードの庭園」、糸杉の樹の下にラベンダーが広がる「回廊の庭園」といった風に。‘ピエール・ド・ロンサール’の淡いピンクに合わせて、白やピンクのバラ、クレマチスやデルフィニウムの青が絶妙に配され、色彩のハーモニーが奏でられていた。

バラ‘ピエール・ド・ロンサール’
僧院のロンサールの館近くに咲くバラ‘ピエール・ド・ロンサール’。

こうした庭はルネッサンス様式を取り入れているが、1990年代に整備されたものだ。例外は「野菜・果樹園」で、中世のままの姿で残されていた。当時の僧園の庭は実用的なものがほとんどで、バラも薬草の一つとして野菜園に植えられていた。ロンサールはそうした野菜園とは別に館の裏庭でバラを育てていたという。そこはまさに彼の「秘密の花園」で、詩作する場であったに違いない。

詩人の生涯

ロンサールの胸像
ロンサールの居室にある胸像。頭部にバラの枝のレリーフが施されている。

ピエール・ド・ロンサール(Pierre de Ronsard 1524-1585)は、トゥールにほど近い村の貴族の家に生まれた。その姓は「燃えるいばら」(ronce ard)を意味し、野バラはロンサール家の紋章でもあった。12歳で小姓として宮廷に入ったが、熱病で耳が不自由になり、19歳で剃髪し僧として身を立てることになった。

その生涯に何度も自らの詩を出版していて、詩作は多岐にわたったが、やはり「愛とバラの詩人」の印象が強い。カッサンドルのほか、数人の女性に愛の詩を捧げているが、そうした恋は実ることがあったのだろうか?

当時、詩には曲が付けられ、宮廷などで歌われたので、そのような甘美な詩と曲に心を動かされた女性がいたと信じたい気もする。いずれにしても妻帯を許されない僧職であったがゆえに、女性たちは彼の詩作のミューズであったことは確かだ。

ロンサールの墓標

サン・コーム小修道院の、朽ちたままの建物が残る教会堂の近くで「ロンサール、ここに眠る」と刻印された墓標を見つけた。長い間その場所が不明だったが、1933年に発見され、新たに墓石が作られたという。

ロンサールは「咲き匂うどの花よりもバラの芳香を愛する」と詠っている。その墓のあたり一面にバラの香りが漂っていた。

ロンサール
ロンサールは死後何年かで忘れられた存在となったが、19世紀後半に「フランス近代詩の父」として再評価がなされた。1985年に国際ロンサール学会による没後400年記念祭で、世界各地の研究者による研究発表や展示会が開かれた。

バラ ‘ピエール・ド・ロンサール’

バラ‘ピエール・ド・ロンサール’
‘ピエール・ド・ロンサール’のつぼみ。

花の中心がピンクで、外に向かい徐々に淡くなり、外弁が白色になる。花径10~12cm、花弁は70枚を数える。深いカップ咲きからロゼット咲きに移行する。つる性で樹高2~3m。直立性なので、フェンスなどにも設えやすい。

バラ‘ピエール・ド・ロンサール’
‘ピエール・ド・ロンサール’と‘ブラン・ピエール・ド・ロンサール’、‘ルージュ・ピエール・ド・ロンサール’の3種が競演するスクリーン仕立てのバルコニー。

1986年にフランス、メイアン社のマリー・ルイーズ・メイアンによって作出、発表される。2006年に世界中で愛されるバラに与えられる栄誉、バラの殿堂入りを果たす。

英語圏ではフランス語の名前が難しいとされ、‘エデン・ローズ’という名前で取り扱われることがある。そのため別種の‘エデン・ローズ’という木立ち性のバラと混同されることがある。

バラ‘ブラン・ピエール・ド・ロンサール’
‘ブラン・ピエール・ド・ロンサール’2005年フランス、メイアン作出。

枝変わりに、ほぼ同じ性質を持つ白色の‘ブラン・ピエール・ド・ロンサール’、四季咲き性が強いなど、性質の違う赤色の‘ルージュ・ピエール・ド・ロンサール’などがある。

バラ‘ルージュ・ピエール・ド・ロンサール’
‘ルージュ・ピエール・ド・ロンサール’2002年フランス、メイアン作出。

ロンサールの時代のバラと違い、つぼみから開花にしたがい花姿を変化させ、花の命も10日ほど長らえる。ロンサールがこれらのバラを見たら、どんなふうに詠うだろうか。

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