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「ガートルード・ジーキル」【松本路子のバラの名前・出会いの物語】

「ガートルード・ジーキル」【松本路子のバラの名前・出会いの物語】

バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、イングリッシュガーデンの基礎を作り、女性庭園デザイナーとして名高いガートルード・ジーキル(Gertrude Jekyll)に由来する2種の美しいバラと人物像をご紹介します。

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ベルギー、ヘックス城の庭園にて

バラ‘ガートルード・ジーキル’
ヘックス城の、バラの庭と野菜園が一体化したベジタブル・ガーデンにて。城主のデュルセル伯爵とバラ‘ガートルード・ジーキル’。

初めてバラ‘ガートルード・ジーキル’に出合ったのは20年近く前、ベルギーのヘックス城の庭園を訪れた時だった。ヘックス城のバラは、原種やオールドローズが中心で、近代バラは珍しかった。案内してくれた城主のデュルセル伯爵は、私がそのバラを見ていると「偉大なる庭園デザイナーに敬意を表して、その名前のバラを植えてあるのだ」と教えてくれた。

バラ‘ガートルード・ジーキル’
ヘックス城で出合ったバラ‘ガートルード・ジーキル’。1mほどの樹高に整えられていた。

その後、ウィリアム・モリスの庭に関する著書を紐解くと、ガートルード・ジーキルという人物が立ち現れてきた。モリスは生活と芸術の調和を目指すアーツ・アンド・クラフツ運動の中から、庭園デザインの原則を生み出した。それを実践したのがジーキルだといわれている。モリスやジーキルの庭への熱情に思いを馳せること、それはイングリッシュガーデンの源流を辿る旅でもあった。

「ウィリアム・モリス」【松本路子のバラの名前・出会いの物語】

ガートルード・ジーキルの仕事と生涯

ガートルード・ジーキルの伝記
イギリスで出版されたサリー・フェスティングによる伝記本の表紙(1993年、ペンギンブックス刊)

ガートルード・ジーキル (Gartrude Jekylle 1843-1932) は1843年にロンドンの名家に生まれた。5歳の時、家族とともにサリー州に移り住み、生涯のほとんどをその地で過ごしている。画家としてスタートしたが、モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に共鳴し、美術工芸に興味を抱いた。家具の装飾彫刻、金属細工、テキスタイルデザインなどに携わり、刺繍作品を作っていたが、視力が低下したこともあって、幼い頃から好きだったガーデニング、中でも庭園デザインの道に進むことを決めた。

ジーキルのおもな功績は、ガーデニングが芸術であることを主張し、英国文化の一つに組み入れたこと、自邸の建設にあたり建築家と造園家のコラボレーションを実現させ、その後、建物と一体化させた庭園を数多く作り出したこと、ウィリアム・ロビンソンの園芸誌などに記事を寄稿し、15冊の著書を出版したこと、などが挙げられる。

庭に関する著作とともに、2,000に上る庭園プランニング、400もの庭園設計を行い、現在のイングリッシュガーデンの基礎を作り上げた。

花の庭のための色彩計画

『ジーキルの美しい庭 花の庭の色彩設計』
2008年に出版された日本語版『ジーキルの美しい庭 花の庭の色彩設計』(土屋昌子訳、平凡社刊)の表紙。

ジーキルの代表的な著書『花の庭のための色彩計画』(Colour Schemes for the Flower Garden、日本語タイトル『ジーキルの美しい庭 花の庭の色彩設計』) は1914年に出版され、イギリスでベストセラーとなった。植物の色彩を重視した作庭手法を「カラースキム理論」として展開している。当時まだ一般に普及していなかったカメラを使い自ら撮影した85枚の写真、豊富な設計図とともに、自邸ムンステッド・ウッドの森や庭の植栽、色彩の配置を四季にわたり詳細に記述しているのに驚かされる。

『花の庭のための色彩計画』以前の著書リストには『森と庭』『家と庭』『ウォール・ガーデンとウォーター・ガーデン』『イギリスの庭のためのユリ』『イギリスの庭のためのバラ』と、興味深いタイトルが並んでいる。残念なことに、それらはまだわが国で翻訳出版されていない。

ムンステッド・ウッドの邸宅

イングリッシュローズの‘ムンステッド・ウッド’
印象的な黒赤紫色の中輪花、イングリッシュローズの‘ムンステッド・ウッド’。

ジーキルに関連したバラに‘ムンステッド・ウッド(Munstead Wood)’ がある。サリー州、ギルフォードに近いゴドルミングにジーキルが建てた家と庭の名前を冠したバラだ。

ジーキルは1897年に、母親と暮らしていた家の近くに土地を購入。建築家のエドウィン・ラッチェンスに設計を依頼し、家を建て始めた。2年の歳月を費やして完成した建物は、地元産の建築素材を用い、職人の手仕事を生かしたアーツ・アンド・クラフツスタイルの邸宅で、彼女は残りの人生35年をそこで過ごし、すべての著作を生み出した。

ムンステッド・ウッドの庭

ムンステッド・ウッドの庭
植物の背丈や色彩の配置が綿密に計画され、なお自然なたたずまいを醸し出すムンステッド・ウッドの庭。Photo:Sarah, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

ムンステッド・ウッドは6ヘクタール(6万㎡)にわたる三角形の敷地で、そのうちの東側4ヘクタールは森となっていて、西側にはキッチンガーデン、果樹園、育苗園が配されている。森に隣接した中央部に邸宅が建てられ、その周辺に14カ所の独立した庭がつくられた。

庭は「春の庭」「6月の庭」「秘密の庭」「タンク(池)の庭」「プリムローズ(プリムラ)の庭」などと名付けられ、それぞれ植栽や趣が異なっている。

最も力を入れていたのが「メインボーダー」と呼ばれる一角。長さ61mの壁に沿った幅4.2mの土地に、月桂樹などの常緑の低木が植えられている。その緑を背景にして、宿根草や春播き一年草が幾重にも連なり、花や葉を繁らせる。植物の色彩の配置を考え、全体を一枚の絵のように眺められること、それがジーキルの意図したボーダーで、今では一般的になっているイギリスのコテージ・ガーデンスタイルの始まりであった。

ジーキルは常時12人ほどいた庭師たちとともに、庭だけでなく、森の中も自らの手で植栽を作り上げている。ムンステッド・ウッドは理想の森、庭を求める彼女のいわば壮大な実験場であった。そこでの成果がイングリッシュガーデンのバイブルともいえる著作に集約されている。

復元される庭園

ムンステッド・ウッドはジーキル亡き後人手に渡り、その敷地は3分の2ほどに縮小されたが、邸宅は今も残されている。庭園は近年、彼女の時代の面影を再現すべく整えられ、その一部が公開されている。

ヒドコート・マナー・ガーデン
コッツウォルズ地方にアメリカ人のローレンス・ジョンストンが40年の歳月をかけてつくり上げた、コテージ・ガーデンスタイルのヒドコート・マナー・ガーデン。

ジーキルの影響を受けてつくられた庭に、グロスター州のヒドコート・マナー・ガーデン、ケント州のシシングハースト城ガーデンなどがある。いずれも一般公開されて、人気の場所だ。またサマセット州のヘスタークーム・ガーデンやハンプシャー州のアプトン・グレイのように、ジーキルの残したデザインの図面をもとに、当時の植栽が忠実に復元された庭園も存在している。

ヘスタークーム・ガーデン
建築家ラッチェンスの建物とともに、ジーキルがつくった庭園が、図面をもとにほぼ当時のままに再現された、ヘスタークーム・ガーデン。Christian Mueller/Shutterstock.com

ガートルード・ジーキルという一人の女性が、19世紀末から20世紀初頭の時代に、生涯をかけて生み出した庭園スタイルが再評価されるのは嬉しい限りだ。あらためてジーキルの足跡を辿る旅に出たいと願っている。

バラ‘ガートルード・ジーキル’

バラ‘ガートルード・ジーキル’

濃いローズ色の、花径10cmにもなる大輪のロゼット咲きの花を付ける、1986年デビッド・オースチン作出のバラ。樹形は半直立性。シュラブとしても、小型のつるバラとしても仕立てられる。

ダマスク系の強い香りを放ち、イギリスではローズエキス抽出用とされる。イングリッシュローズの中でも育てやすい品種といわれる。

バラ‘ムンステッド・ウッド’

バラ‘ムンステッド・ウッド’

ベルベットの光沢をもつ黒赤紫色のバラで、3~5輪の房咲きになり、カップ咲きからロゼット咲きに変化する。樹高1m前後で、樹形は半横張り性。

デビッド・オースチンが作出し、2007年ロンドンのチェルシ―・フラワーショーで披露された。オースチン社の香りの専門家は「ブラックベリーとブルーベリー、さらにすももの香り」と表している。

イギリスだけでなく、世界中の庭園を愛する人々にとって、ジーキルと彼女の庭の名前を冠した2つのバラは、特別な思いをもって迎え入れられ、各地でたくさんの花を咲かせている。

Information

Munstead Wood

住所:Heath Lane Godalming Surry England GU7 1UN

メール:contact@munsteadwood.org.uk

HP:www.munsteadwood.org.uk

ガーデンツアー:一人£10 (メールによる予約制)

*2020年12月現在閉庭中で、今後の予定は未定

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