オールドローズの雰囲気をまとい、四季咲き性を備えたバラが60年ほど前に誕生しました。それは、多くの人を虜にしているブランドバラの一つ「イングリッシュローズ」。英国で生まれたイングリッシュローズの中から、各品種の名の由来について、ローズアドバイザーの田中敏夫さんに解説していただきます。今井秀治カメラマンによる美しい写真とともにお楽しみください。
目次
イングリッシュローズの生みの親
英連邦王国(UK)の国花はバラです。古い時代から今日まで国を象徴する花として親しまれています。
英国シュロップシャー出身のデビッド・オースチン氏は20代からバラ育種に取り組み、1961年に最初のイングリッシュローズである‘コンスタンス・スプライ(Constance Spry)’を公表、1969年にデビッド・オースチン・ロージズ社を設立し、今日の成功をかち得ました。
このことは、『優美で香り高いバラ「イングリッシュローズ」を生んだデビッド・オースチン・ロージズ社の歴史Vol.1&Vol.2』の記事でも紹介されていますので、読まれた方も多いと思います。
オースチン氏の考えは、「古いバラの花形に現代バラの花色と返り咲きする性質を併せ持つ品種群を生み出す」ということでした。こうして、イングリッシュローズ(ER)が生み出されました。
2018年12月、オースチン氏は92歳で生涯を終えました。
バラの命名の背景を探る
オースチン氏は文学への造詣が深く、バラの命名には、作家、書名、作品の登場人物などにちなんでいる品種が数多くあることは、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
今回取り上げるのは、シェイクスピアの戯曲や詩にちなんだ品種です。
なかには流通が少なく、入手が難しくなった品種も見受けられますが、バラ園などで出合うこともあると思います。育種者オースチン氏が命名の際に込めた思いを想像することもバラを観賞する楽しみの一つです。
史劇にちなんで命名されたバラ‘セプタード・アイル’
シェイクスピアの戯曲は史劇、悲劇、喜劇に分けられ、その他にソネットなどの詩もあります。
まずは、史劇にちなんで命名されたバラをご紹介しましょう。
14世紀から15世紀、イングランドでは“薔薇戦争”など、王位をめぐって血で血を洗う争いが繰り広げられていました。
シェイクスピアは、
- 『ジョン王』(在位:1199-1216)
- 『リチャード2世』(在位:1377-1399)
- 『ヘンリー4世(1部、2部)』(在位:1399-1413)
- 『ヘンリー5世』(在位:1413-1422)
- 『ヘンリー6世(1部、2部、3部)』(在位:1422-1461および1470-1471)
- 『リチャード3世』(在位:1483-1485)
- 『ヘンリー8世』(在位:1509-1547)
などの史劇を残しています。
‘セプタード・アイル(Scepter’d Isle)’は 『リチャード2世』にちなんで命名されました。
花色はライト・サーモン・ピンク。柔らかく落ち着いた雰囲気です。花には、ミルラ系の強い香り。
赤褐色の新芽は幅広で、大きなつや消し葉となります。フックした鋭いトゲ、天を指すようにまっすぐに伸びる枝ぶり、高性、立ち性のシュラブです。
ピンクのER‘ワイフ・オブ・バース(the Wife of Bath)’と、淡いピンクでカップ咲きのER‘ヘリテージ(Heritage)’との交配により育種されました。
‘ワイフ・オブ・バース’からは柔らかな花色と強い香りを、‘ヘリテージ’からは樹形を引き継いだという印象を受けます。
『リチャード2世』第2幕、第1場 。
病のため死の床にある王族の一人ジョン・オブ・ゴーントは、気まぐれで利己的な王リチャード2世の行動の非を責め、翻弄されるイングランドの状況を嘆きます。
王たちが統べる、この気高い島/ This royal throne of kings, this scepter’d isle
軍神マルスの居ます気高い大地/This earth of majesty, this seat of Mars
…
そしてゴーントは登場したリチャード2世に向かい、
あなたはイングランドの地主の一人にすぎない、王ではない/Landlord of England art thou now, not king
と叫びます。
命名は、イングランドを礼賛する名高いこの台詞“気高い島(scepter’d Isle)”にちなむものです。
リチャード2世はシェイクスピアの史劇でも描写されたとおり、王権神授説を根拠に、有力貴族や民衆の意向を省みることなく恣意的に政策を変え、暗愚な王として後の時代にまで悪名を残しました。ジョン・オブ・ゴーントの息子で王の従弟であるボリンブルックは、父の死後、領地を没収され亡命を余儀なくされますが、やがて帰国し、叛乱を起こして王を廃位に追い込み、自らヘンリー4世として王位に就きました。
ヘンリー5世の放蕩仲間の名を持つ‘フォルスタッフ’
『ヘンリー4世(1部、2部)』には、ボリンブルック(ヘンリー4世)の息子で、後にヘンリー5世として即位するハル王子が登場しますが、ハル王子の放蕩仲間がフォルスタッフです。
フォルスタッフは架空の人物ですが、人をだましたり、すかしたり、相手の弱点をつかむと恐喝したり、シェイクスピアの戯曲に登場する、最も世間じみた、したがって最も身近に感じられる人物です。
色欲、金銭欲、名声に対する執着など、シェイクスピアの人間を見つめる洞察力を見事に体現した愛すべき悪漢です。
劇中では、フォルスタッフは王位に就いたヘンリー5世により追放されてしまい、続編である『ヘンリー5世』では、失意のうちに病死したことが告げられています。しかし、劇の公表当時からフォルスタッフの人気は高く、喜劇『ウィンザーの愉快な女房たち』に再び登場することになりました。
深みのあるクリムゾン・レッド、成熟するとパープルの色が加わり、凄みを感じることもあります。花は強い香り。HTのような大きな葉を展開し、直立性の大株となります。
フォルスタッフとその怪しい取り巻きが集うのが、居酒屋ボアーズ・ヘッド(“イノシシの首”)亭。この居酒屋の女主人などの役で『ヘンリー4世(1部、2部)』、『ヘンリー5世』、『ウィンザーの陽気な女房たち』に登場する怪しげな女性が、ミストレス・クィックリーです。
居酒屋の女主人‘ミストレス・クィックリー(Mistress Quickly)’
乱れ気味な丸弁咲き。花色はミディアム・ピンク、中心部が色濃く染まります。株姿は、細い枝が繁茂する小型のブッシュ。
淡いピンクのノワゼット、‘ブラッシュ・ノワゼット(Blush Noisette)’と、ライト・ピンクのハマナス交配種、‘マーティン・フロビシャー(Martin Frobisher)’との交配により生み出されました。
花は‘ブラッシュ・ノワゼット’と‘マーティン・フロビシャー’をちょうど足して2で割ったような印象です。樹形は‘フロビシャー’に似た印象を受けます。花も樹形も野趣に富んでいて、イングリッシュローズの中では異色のものだといってよいでしょう。
史劇から悲劇に舞台を移しましょう。
最も愛される悲劇のヒロインの名を持つ‘スィート・ジュリエット’
シェイクスピアの四大悲劇と呼ばれるのは、『ハムレット』『オセロ』『マクベス』『リア王』ですが、最も愛されている悲劇は、おそらく『ロミオとジュリエット』でしょう。
‘スィート・ジュリエット(Sweet Juliet)’は、この悲劇 のヒロイン、ジュリエットにちなんで命名されました。
浅いカップ型の花が数輪の“連れ”咲きとなります。花色はピーチの色合いの入った、ソフトで気品のあるアプリコット。軽い香りです。
丸みを帯びた例外的なほど大きなつや消し葉。細く柔らかな枝ぶりのシュラブとなります。やわらかい枝ぶりのため、大輪の花はほとんどうつむきかげんに開花します。
イエローのER‘グラハム・トーマス(Graham Thomas)’とピンク・アプリコットのER‘アドマイヤード・ミランダ(Admired Miranda)’を交配親として育種され、1989年に公表されました。
第2幕、第2場。キャプレット家の庭園において、有名なせりふ、
ああ、ロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?/O Romeo, Romeo! Wherefore art thou Romeo?
お父様にそむいて、名前を捨てて!/Deny thy father, and refuse thy name
の後、続いて、
モンタギューって、なに? 手でも足でもない/What’s Montague? It is nor hand, nor foot,
腕でも顔でも/Nor arm, nor face, nor any other part
人間のどんな部分でもない/Belonging to a man
だから、別の名前を/O! be some other name:
名前ってなに? バラと呼んでいるけれど/What’s in a name? that which we call a rose
別の名前で呼んでみても、甘い香りに変わりはないわ/By any other name would smell as sweet
と、バラにたとえてロミオへの切ない想いを述べます。
ジュリエットは、ロミオに”スィート”と呼びかけ、また、ロミオも恋に酔いしれた気持ちを、しばしば”スィート”と表現します。甘く切ない場面を鮮やかによみがえらせる品種名です。
著名な悲劇『オセロ』にちなんだ品種
‘オセロ(Othello)’は、もちろん主人公、ムーア人将軍オセロにちなんだ命名です。
クォーター咲き、カップ型の大輪花。深い赤紫の花は花弁の縁が明るく彩られて、アクセントとなっています。フルーティな強香。硬めで太い枝ぶりです。
オレンジ・ピンクのER‘リリアン・オースチン(Lilian Austin)’とダーク・レッドのER‘ザ・スクワイア(The Squire)’との交配により育種され、1986年、公表されました。
オセロは、剛直だが誠実な軍人として人々の信頼を集めています。美しい妻、デズデモーナをこよなく愛していますが、オセロの成功をねたむ奸臣イアーゴーは、デズデモーナの不倫の疑いをオセロへ繰り返しほのめかします。一笑に付していたオセロでしたが、次第にデズデモーナの貞操を疑うようになってゆきます。
軍人オセロの美しい妻の名を冠したバラ‘デズデモーナ(Desdemona)’
第2幕、第5場。寝室にいるデズデモーナのもとへ嫉妬の焔に燃えるオセロが入ってきます。
あの女は死なねばならない、さもなければ、もっと多くの男が裏切られることになる/Yet she must die, else she’ll betray more men
灯を消せ、あの女の命の灯もだ/Put out the light, and then put out the light
…
オセロはデズデモーナに詰め寄ります
オセロ「犯した罪を考えろ/Think on thy sins」
デズデモーナ「ああ、思い当たるのはあなたをとても愛したことだけ/They are loves I bear to you」
オセロ「そうだ、それゆえにおまえは死ぬのだ/Ay, and for that thou diest」
首を絞められ瀕死のデズデモーナのもとへ、イアーゴーの妻エミリアが夫の姦計を明かしに駆けつけてきますが、
エミリア「おお、なんてこと、誰がいったい?/O, who hath done this deed?」
デズデモーナ「誰でもないの、私が仕出かしたこと。さようなら/Nobody; I myself. Farewell
主人へよろしくって言ってね、ああ、さようなら!/Commend me to my kind lord: O, farewell!」
死に臨んでもなお、デズデモーナは、夫オセロは犯人ではないと言葉を残します。
フォーマルなカップ型となる花形です。
花色はクリーミィ・ホワイト、わずかにピンクが刷いたように入ることも。ミルラとフルーツ香をミックスした強い香り。小さめ、横張りになる性質が強いシュラブとなります。
死に瀕してもなお、夫を愛する妻デズデモーナにふさわしい、清冽な香り高い品種です。‘オセロ’の公表から30年近く経った、2015年に公表されました。
ご紹介した‘オセロ’は、ときに“マクベス(Macbeth)”という別の名前で販売されることもあるようです。
『マクベス』に登場する城の名を冠した‘グラミス・キャッスル(Glamis Castle)’
『マクベス』もよく上演される悲劇です。犯した罪への悔悟、復讐されることの恐怖など、今日的な主題が好まれているのではないかと思います。
第1幕、第3場。雷鳴とどろく荒野、マクベスの前に3人の魔女が現れます。
魔女1「万歳、マクベス、グラミスの領主!/All hail, Macbeth! hail to thee, thane of Glamis!」
魔女2「万歳、コードアの領主マクベス!/All hail, Macbeth, hail to thee, thane of Cawdor!」
魔女3「万歳、マクベス、おまえはいずれ王になる/All hail, Macbeth, thou shalt be king hereafter!」
3人の魔女がマクベスの未来を預言します。さらに、夫人にもそそのかされた将軍マクベスは、主君ダンカン王を殺害し、スコットランドの王位に就きます。
第4幕、第1場。犯した罪への後悔にさいなまれるマクベスは、かつて預言を聞いた3人の魔女のもとに行きます。魔女とともに3人の亡霊が現れ、預言します。
亡霊1「マクベス、マクベス、マクベス!…マクダフに気をつけろ/Macbeth! Macbeth! Macbeth! … beware Macduff」
亡霊2「マクベス、マクベス、マクベス!…女が産み落とした者はだれもマクベスを傷つけることはない/ Macbeth! Macbeth! Macbeth! …for none of woman born Shall harm Macbeth」
亡霊3「マクベス、マクベス、マクベス!…大バーナムの森がダンシネーンの丘に寄せて来ないかぎり、マクベスが敗れることはない/Macbeth! Macbeth! Macbeth! …Macbeth shall never vanquish’d be until Great Birnam wood to high Dunsinane hill Shall come against him」
決して現実には起こりえないと思われる預言を聞き、マクベスは安堵します。しかし、妻子をマクベスに殺害され復讐心に燃えるマクダフはマクベスと対峙し(預言1)、兵に命じたのは、駐屯する大バーナムの森の木枝を切って偽装することでした。大バーナムの森はマクベスが陣取るダンシネーンの丘へ攻め寄せてきたのです(預言3)。そして、マルカムは帝王切開によって誕生したのでした(預言2)。預言が的中し、うろたえるマクベス…
マクベスの居城がグラミス城です。城の名がつけられた品種があります。
フォーマルで閉じ気味のカップ型となる花形。
花色はわずかにクリームが入った白、アイボリー・ホワイト。シーズンを通して返り咲きする多花性で知られています。ミルラ系の強い香り。
丸みを帯びた深い色合いの半照り葉。鋭いトゲが特徴的で、細く柔らかな枝ぶりのブッシュとなります。
イエローのER‘グラハム・トーマス(Graham Thomas)’と、ピンクのER‘メアリー・ローズ(Mary Rose)’との交配により育種されたとされていますが、両親との類似が見いだせない不思議な品種です。1992年に公表されました。
悲劇『ハムレット』にちなんだ品種‘オフェーリア(Ophelia)’
残念ながら、イングリッシュローズには有名な悲劇『ハムレット』にちなんだ品種はありません。
しかし、ERではありませんが、ハムレットの恋人オフェーリアにちなんだHTがあります。
1912年に英国のウィリアム・ポール農場により公表されましたが、育種はそれ以前にフランスでなされたようです。
香り高い、剣弁高芯咲きの上品でエレガントな印象を持つ花は、多くの愛好家に称賛され、公表当時から今日まで変わらぬ人気を勝ち得ています。
王子ハムレットにより父を殺害され、見捨てられたオフェーリアは狂気にとらわれてしまいます。
第4幕、第7場。城内の部屋にいる敵役である王クロ―ディアスとレアティーズの前に、ハムレットの母で王妃ガートルードが現れ、悲劇を告げます。
小川のほとりに生えた柳があり/There is a willow grows aslant a brook,
流れの上に灰色の葉を映しています/That shows his hoar leaves in the glassy stream;
…
オフェーリアはその柳の枝から小川に落ちたことが伝えられます。
彼女のスカートは広がり/Her clothes spread wide;
人魚のようにしばらく浮いていましたが/And, mermaid-like, awhile they bore her up:
…
やがて、かわいそうな乙女の歌はとだえ/Pull’d the poor wretch from her melodious lay
川底の泥に沈み死んでしまいました/To muddy death
この場面は、劇中では単に彼女が溺死したことが告げられるだけですが、多くの文学者、画家の想像力を刺激し、小説や絵画の題材となりました。機会があればご紹介したいと思います。
なお、あまり流通していませんが、‘オフェーリア’からの枝変わり品種で‘ハムレット(Hamlett)’と命名されたHTもあります。悲劇とそれにちなんだERは、このくらいにして、次回は喜劇の登場人物にちなんだERをご紹介したいと思います。
Credit
文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズ・アドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたいという思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春より、「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズ・アドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。
写真/田中敏夫、今井秀治
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