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森への散歩 武蔵野の森の愉しい小径11

森への散歩 武蔵野の森の愉しい小径11

埼玉県川越市は、今や国内外から年間780万人が訪れる一大観光地──。蔵造りの町並みが続き、江戸時代さながらの情緒が漂う市中心部の一番街は、連日たくさんの人でにぎわっています。一方、市の南部には総面積約200万㎡の広大な森があります。林床に四季折々の植物が生い茂り、樹上では野鳥たちが鳴き交わす大きな森。かつての武蔵野の面影を残すこの森をこよなく愛し、散歩を日課とする二方満里子さん。森に咲く野の花をご紹介します。

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シラヤマギクとヨメナ

シラヤマギク

森の中を歩いていると、少し前までシラヤマギクの花を見かけた。白い6片前後の花びらを持つ小さな花をまばらにつける、本当に目立たない野菊だ。1本だけ生えていれば、他の植物に紛れて気づかないかもしれない。

樹が少なくて比較的明るい空間があると、十数本のシラヤマギクがまとまって生えていることも。そんな場所では、シラヤマギクの白い花が少し寂しい秋の空気をまとっている。そして、日本の秋を代表する野菊としての存在感を示しているようにも感じられる。

植物写真家で『日本の野菊』という本の著者である「いがりまさし」は、シラヤマギクについてこんなふうに述べている。

「シラヤマギクは地味だが、マツムシソウやアキノキリンソウなど他の秋の野草と共に群れ咲く姿はなかなかのもの」

しかし、高原ではない武蔵野の森の中には、地味なシラヤマギクを引き立ててくれるマツムシソウもアキノキリンソウもない。

やっぱり、シラヤマギクは地味で目立たない。

「なぜこんなに地味な花なの⁉」

シラヤマギクに代わって、創造主に文句の一つも言ってあげたいくらいだ。

創造主は何と答えるだろうか。

「地味は滋味に通ずる。あなたのよさは分かる人にだけ分かればいい。それにやたらに折り取る人間もいないから、絶滅危惧種にはならない。安全だよ」

と、お答えになるだろうか。

ヨメナ

シラヤマギクの花が終わる頃、森縁ではヨメナが盛りを迎える。ヨメナは薄紫の優しげな美しい花だ。シオンも薄紫色だが、陽光を好むため花弁の弁質はしっかりしている。半日陰の場所に生育するヨメナの花弁は薄く柔らかい。そのためか、ヨメナには素朴で若く美しい女の人というイメージがあり、「嫁菜」という字が当てられている。この花を見ると、唱歌の一節が浮かんでくる。

遠い山から吹いてくる

小寒い風にゆれながら

けだかく きよく におう花

きれいな野菊 うすむらさきよ (文部省唱歌「野菊」より)

この唱歌は3番まであるが、いずれも最後は「うすむらさきよ」で結んでいる。

薄紫は日本人にとって特別な感懐を抱かせる色なのだろう。

明治の歌人であり、小説家でもあった伊藤左千夫の小説に『野菊の墓』がある。15歳の少年「政夫」と、「野菊のような人」といわれた2歳年上の従姉「民子」との淡い恋と悲しい結末。何度も映画化されるほど有名な小説である。が、もし野菊が薄紫色をしていなかったらあの小説は生まれていなかったと、私は密かに思っている。

セイタカアワダチソウ

セイタカアワダチソウ

春の頃、ナズナやタネツケバナで白い絨毯のように覆われていた森の隣の草地が突然耕され、黒々とした土が現れた時はびっくりした。しばらくは黒い土が見えていたが、誰かが野菜を植えるでもなく、放置されていた。やがて、さまざまな植物(雑草ともいう)が生い茂るようになった。真夏の太陽とスコールのように降る雨に育まれて、名前が分からない草たちがぐんぐん育っていった。去年はヒメジョオンの白い花が風に揺れてきれいだったなあ。今年はやたら伸びていくけど、花がない。散歩でそこを通るたびに残念な気がした。ところがある日、その背の高い草の先端が淡く黄色みを帯びていることに気づいた。「セイタカアワダチソウ」じゃないか? 草むらの中に踏み込んで確かめると、確かにセイタカアワダチソウの群落だった!

セイタカアワダチソウ

陽光を浴びて一斉に開花し、武蔵野を黄金色に染め上げたその花に、ミツバチをはじめたくさんの小さな虫たちが群がってきた。セイタカアワダチソウは冬を迎える前のミツバチにとって、大切な蜜源だそうだ。この見事な光景を前にして、私は少し複雑な思いを抱かざるを得なかった。

というのは、セイタカアワダチソウは明治時代に日本に持ち込まれ、昭和の初めには帰化している。そして、その旺盛な繁殖力ゆえに、現在日本の侵略的外来種ワースト100に選ばれているからである。

セイタカアワダチソウは北アメリカ原産。ゴールデンロッドと呼ばれ、カナダ、アメリカ、メキシコ北部の至る所に生えている。種子だけでなく、地下茎を伸ばしてよく増える多年生草木。アレロパシーを持っている。アレロパシーとは、周囲の植物の生育を抑制する化学物質である。切り花用の観賞植物として導入されたセイタカアワダチソウが、空き地や河原、休耕田などに大繁殖し始めたのは、昭和40年代以降。減反政策によって休耕田が増えたことも一因といわれている。セイタカアワダチソウの天敵となる虫や蛾、病原菌が、当時日本には存在しなかった。そしてアレロパシー効果で、競合する日本の植物、ススキを猛烈な勢いで駆逐してしまったのである。

河原で繰り広げられた、セイタカアワダチソウとススキの仁義なき闘い!

風だけが、ススキの悲痛な気持ちを知っている。

しかし、セイタカアワダチソウの一人勝ちは長くは続かなかった。天敵の虫や病原菌が日本に侵入したのである。また、自らのアレロパシー効果により種子の発芽率が抑えられて、以前のような大繁殖が少なくなっているようである。

私が利用する鉄道線路の土手には、ススキが白い穂を揺らしているところもあれば、セイタカアワダチソウが黄金色の花を誇らかに咲かせているところもある。

このまま仲良く共存するのか、まだまだ目が離せない。

ヌスビトハギとヤブマメ

ヌスビトハギ

米粒をピンク色に染めたような小さなヌスビトハギの花が群れ咲く様子は、本当に可愛い。以前は種子の形から「ヌスビトハギ」という名前がついたと思っていた。

けれども、いつになく遠くまで散歩の足を伸ばした時、あふれるように花をつけたヌスビトハギの群れに出会った。まるでピンクのキラキラ光るビーズを無数に縫い付けた薄絹を秋の野においたよう! それから、考えが変わった。この名前は、種子の形から来たのではない。花の様子から来ている。あまりに可憐で小さな花のような姫を盗み出して野に隠したので、「ヌスビトハギ」という名前がつけられたのだと確信している。

ヤブマメ

そのヌスビトハギに絡む、つる性のマメ科の花を発見した。ヌスビトハギの花よりずっと大きく、白い花弁の先端は濃い紫色を帯びている。可憐というより、か細いが大人っぽい雰囲気をもつ、ちょっと色っぽい花だ。あたりをよく見ると、笹に絡んだりイネ科の雑草に絡みついたりして、点々と花をつけていた。調べてみると、「ヤブマメ」だった。マメ科、ヤブマメ属。日本全土の林辺に自生しているそうだ。花は10日ほどで見えなくなったと思ったら、1.5cmほどのサヤエンドウそっくりの実をつけた。中には黒い種子が入っていて、熟すと弾け飛んで新天地を目指す。また、地下茎があって地中に大きな豆を一つつけ、来年の芽出しまでじっと待つそうだ。つまり、二重の戦略で環境の変化に備えているのだ。種子か、地中の豆か、どちらかは必ず生き抜いてくれるだろう。ヤブマメの花のしたたかな色っぽさの理由が分かる気がした。

コウヤボウキ

コウヤボウキ

コウヤボウキという変わった名前の秋に咲く植物がある。図鑑で知ってはいたが、見るのは初めてである。散歩の途中で出会った実物の花は、じつに古風で雅やかだった。細くしなやかに枝垂れる枝先に一つ、また一つと白い花をうつむきに咲かせている。花弁は細長く八方に伸び、先がくるりとカールしている。花の中心部は淡いとき色。小さな花なのに、いつまでも眺めていたい気分になる。この花の醸し出す柔らかくて心地よい雰囲気にずっと浸っていたいのだ。コウヤボウキはキク科、コウヤボウキ属の植物。高野山でこの植物の固くて細い茎を束ねて箒の材料としたことから、「コウヤボウキ」の名前がある。奈良時代の宮中で、正月初音の日に天皇が田を耕し、皇后が蚕室を清掃して、その年の豊穣を祈る儀式があった。この時に使われるのが「コウヤボウキ」である。宝玉を飾り付けた箒は玉箒といわれ、東大寺の正倉院に保存されている。

こんなコウヤボウキの故事来歴を知るにつけても、この花のどこか懐かしいゆかしさがさらに強く薫ってくるようだ。毎年秋になると、奈良では正倉院の御物展が開催される。玉箒が出展された際には、ぜひ観に行きたいものだ。

落葉するヤマザクラ

山桜の落葉

森の中で、スポットライトを浴びているかのように周囲より明るく見える所がある。地面には黄色く色づいた葉が散り敷いている。ヤマザクラの落葉だ。枝を透かして空が少し大きく見える。ヤマザクラは森の木々に先駆けて紅葉する。森の冬支度がゆっくり始まった。

Credit

写真&文/二方満里子(ふたかたまりこ)
早稲田大学文学部国文科卒業。CM制作会社勤務、専業主婦を経て、現在は日本語学校教師。主に東南アジアや中国からの語学研修生に日本語を教えている。趣味はガーデニング、植物観察、フィギュアスケート観戦。

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