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おっとりノラとお転婆ナンシー~ガーデンデザイナーの母とプラントハンターの娘【花の女王バラを紐解く】

おっとりノラとお転婆ナンシー~ガーデンデザイナーの母とプラントハンターの娘【花の女王バラを紐解く】

20世紀のイギリスで、女性の園芸家として活躍したノラ・リンゼーと、その娘ナンシー・リンゼー。それぞれガーデンデザイナーとプラントハンターとして名を馳せた2人の生涯と、ナンシーが発見した美しい品種について、ローズアドバイザーの田中敏夫さんに解説していただきます。今井秀治カメラマンによる美しい写真とともにお楽しみください。

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植物史に名を残す母娘

女性のガーデンデザイナーというと、ガートルード・ジェキル(Gertrude Jekyll:1843-1932)や、シシングハースト庭園をつくり上げたヴィタ・サックヴィル=ウェスト(Vita Sackville-West:1892-1962)が有名ですが、今回ご紹介するのはノラ・リンゼー(Norah Lindsay:1873–1948)と娘ナンシー(Nancy Lindsay:1896-1973)の2人です。

ノラ・リンゼーはガーデンデザイナーとして、そして、娘のナンシーはプラントハンターとして名を馳せました。

才能豊かなガーデンデザイナー
ノラ・リンゼー

ノラ・リンゼー
‘ノラ・リンゼー’ Painting by George Frederic Wats – Sotheby’s, circa 1891 [Public Domain via. Wikipedia Commons]
ノラは英軍将校であった父親がインド南部高原のウダカマンダラムに駐屯しているときに生まれました。

家族とともに母国英国へ帰国したノラは、1896年、22歳のとき、ハリー・リンゼー卿(Harry Lindsay)と結婚しました。そのお祝いとして、夫妻はオックスフォードシャーにあるサットン・コートニー・マナー(Sutton Courtenay Manor)を譲り受けました。そこで彼女は自らガーデニングに精を出し、知識と経験を積み重ね、後年ガーデンデザイナーとして自活することになります。

彼女の庭づくりは、ガートルード・ジェキルの影響を強く受けたもので、宿根草を主体としてロマンチックな風情を追求したものでしたが、先達についたのではなく、独学であったようです。

ノラは、エレガントで機知に富み、斬新で鋭い美的センスの持ち主で、その美しさとウィットに富んだ会話により多くの賛美者を集めていました。

後に海軍大臣、さらに首相として2度の大戦に大きな功績を残したウィンストン・チャーチル、アメリカに渡り『風とともに去りぬ』のヒロインとして大成功し、女優として不朽の地位を得ることになるヴィヴィアン・リー、アメリカの上流社会を描写した作家、イーデス・ウォールトンなどとの交友もありました。

ノラは多方面にわたる趣味がありましたが、特にガーデニングについて深い知識と斬新な感覚を持っていました。1924年、51歳の頃、離婚して生活費の工面に窮したとき、このガーデニングの経験と深い知識を生かして、ガーデンデザイナーとして才能を開花させることになりました。

それまでの豊かな交際歴をつてに、多くのマナー・ハウスのガーデン・デザインを手掛けました。今日でも、ナショナル・トラストが管理するイングランド東部、ノーフォーク州のブリックリング・ホール(Blickling Hall)の庭園は、彼女のデザインを忠実に維持しています。

ブリックリング・ホール
ブリックリング・ホール(Blickling Hall) Photo/ Philip Halling, [CC BY-SA 2.0 via. Wikipedia Commons]

ノラのガーデンスタイル

ノラがガートルード・ジェキルから強く影響を受けていたことには、すでに触れました。花色、葉色の色彩の違いによるグラデーションやコントラストをデザインに取り入れ、人工による直線的な造形と樹木や草花がかもし出す穏やかな曲線とのハーモニーを演出し、散策する者に豊饒でありながら和やかな印象を与える庭園づくりに成功しました。

バラに関しては、大輪、ビビッドな色合いで柔らかな枝ぶりのシュラブまたはクライマーを特に好み、宿根草との組み合わせに工夫を凝らしました。

彼女が好んで使った品種には、次のようなものがあります。

  • ‘モリー・シャーマン・クロフォード(Molly-Sharman-Crawford)’/白花のティーローズ
  • ‘クリストファー・ストーン(Christopher Stone)’/赤花のHT
  • ‘ヴィル・ド・パリ(Ville de Paris)’/イエローのHT
  • ‘フォークストーン(Folkestone)’/赤花のフロリバンダ
  • ‘ベティー・アップリチャード(Betty Uprichard)’/ピンクのHT

彼女のこだわりは、たとえば、壁面を覆う時にアイビーを用いるのは好まず、淡いイエローに花咲くハニーサックル‘ハリアナ’(Lonicera ‘Halliana’)などで覆い、そこへ白、レモン、オレンジのバラを散らすといったエレガントな手法を取ったことなどに表れていると思います。

ハニーサックル
ハニーサックル‘ハリアナ’ Irina Sokolovskaya/Shutterstock.com

ノラは『理想の庭(Garden Idyll)』という著書の準備をしていて、バラの配置などのアイデアをまとめていたようですが、著書は残念ながら公刊されずに終わり、原稿も見つかっていません。1948年に死去し、享年76歳でした(Allyson Hayward, “The roses of Norah and NancyLindsay”, 2010)。

ピンクのシングル咲きHTクライマー、‘スヴェニール・ド・ノラ・リンゼー’( “ノラ・リンゼーの思い出”、Souvenir de Norah Lindsay)というノラにちなんで命名された花も、残念ながら失われてしまったのでしょう。現在は見ることができず、育種者も分かっていません。

強気なプラントハンター
ナンシー・リンゼー

ノラ・リンゼーの娘ナンシーは、サットンの館で生まれました。一家の一人娘として何不自由ない少女時代を送り、母親ノラの園芸への関わりに強い影響を受けました。しかし、ヒドコート・マナーのオーナーであり、母娘2人と親交のあったローレンス・ジョンストンの影響があったのか、ガーデン・デザインにではなく、当時の英国では見ることのできない、エキゾチックな植物の収集にのめりこむようになり、プラントハンターとして世界各地を旅するようになりました。

美しく、ウィットに富む知的な母親を持つということは、娘にとって大きな負担となったのかもしれません。ナンシーは長ずると、自分の考えに固執し、意見を妥協することなく他人に強い、人の好意につけこむ、嘘をついて惑わすという、ちょっと困った女性になってしまいました。

上で触れたヒドコート・マナーはロンドン郊外、現在でももっとも人気のあるガーデンの一つです。アメリカ国籍ながらフランス育ち、英国空軍の少佐であったという、はなはだ変わった経歴の持ち主であるローレンス・ジョンストンが所有していた庭園でした。作庭にあたってはノラのサポートを受けていたこともあり、ジョンストンには、ゆくゆくノラに譲渡する意図があったようですが、ノラが死去してしまったため、英国のナショナル・トラストへ寄贈されることになりました。

ヒドコート・マナー
ヒドコート・マナーは、こちらの記事でもご紹介しています。
イングリッシュガーデン旅案内【英国】ヒドコート
英国の名園巡り、プランツマンの情熱が生んだ名園「ヒドコート」

ナショナル・トラストとしてどのように庭園を維持・管理するかプランが検討されましたが、この会合に参加していたのがナンシーでした。

母ノラの功績を意識してでしょうか、かなり強気な発言を繰り返し、メンバーの1人であったグラハム・トーマスとしばしば衝突しました。

ジョンストンは自身で海外の辺境へ出向き、稀少で新奇な植物のコレクションに努めたりしていましたので、ナンシーは世界中を旅するプラントハンターとして、ジョンストンの植物探しを代理する者だという自負があったのでしょう。ナンシーは自身を「ローレンス・ジョンストンの目」と称していました。社交嫌いのジョンストンのことです。はねっ返りのナンシーとの相性は悪かったでしょうが、案外園芸植物における嗜好は同じような傾向があったのかもしれません。

ナンシーは母親ノラの死後、サットンの館を他人へ売却してしまいましたが、庭園の一画にナーサリーを設け、中東などで収集したバラを栽培・販売していました。

絵画や文学にも造詣が深く、ロマンチックで夢見る少女のような一面もありました。それは敬愛していたサックヴィル=ウェストへの手紙や、グラハム・トーマスへの抗議文から読み取ることができます。

生涯伴侶を得ることはなく、1973年、死去しました。享年77歳でした。

残された財産により、オックスフォード大学に「ナンシー・リンゼー記念基金」が創設され、今日でも園芸関連の研究の助成金として運営されています(”The Roses of Norah & Nancy Lindsay”- ”Rosa Mundi”, vol.24, 2010)。

“お転婆”ナンシーは、育種家としての活動はありませんでした。しかし、プラントハンターとして発見したバラ(ファウンド・ローズ)には、次のようなものがあります。

ロズ・ド・レシュ(Rose de Rescht)- 1940年以前

バラ'ロズ・ド・レシュ’
‘ロズ・ド・レシュ’ Photo/田中敏夫

‘ロズ・ド・レシュ’は、ナンシーが、ペルシャの古い都市、レシュのとある庭園で発見したとして1940年頃に公表した品種です。そのことにより、「ロズ・ド・レシュ(”レシュのバラ”)」と名付けられました。
ダマスク・パーペチュアル(ポートランド)にクラス分けされることが多いことは以前の説明の通りです。

しかし、この品種についての不可解な点をグラハム・トーマスが指摘したこと、またアメリカのポール・バーデンは、この品種は1920年にはアメリカで育成されていたのではないかと述べ、さらに1912年に出版されたエレン・ウィルモットの著作の中で、ペルシャにGul e Reschti (”Rose de Resht”)が存在すると書かれていることは、『ダマスク・パーペチュアル~ヨーロッパで生まれた返り咲き種』で解説しました。

卵形の形よい葉。深い色合いの花。華やかな、しかし、静かな気品に満ちた品種です。どんな経緯があるにせよ、この品種を再び世に紹介したナンシーに感謝するべきでしょう。

グロワール・ド・ギラン(Gloire de Guilan)- 1949年以前

‘グロワール・ド・ギラン’
‘グロワール・ド・ギラン’ Photo/Rudolf, Rose Biblio [CC BY-NC-SA 3.0]
ナンシーがイラン北部、カスピ海沿岸のギランで発見したダマスクです。中輪、ピンク、小皿を重ねたような多弁の花、高性のシュラブとなります。

現地ではバラ香油の原料として利用されていたようです。

ベル・アムール(Belle Amour)- 1940年に発見

バラ‘ベル・アムール’
‘ベル・アムール’ Photo/今井秀治

花色は明るいピンク。熟成すると淡いピンクへ退色したり、ストライプなどが生じることがあります。

「ベル・アムール(”美しい愛”)」というロマンチックな名前を授けられました。1940年にナンシーがフランス、ノルマンディー地方、エルボーフの修道院で発見したとされています。

グラハム・トーマスは、残された株をノーフォークのコテッジで見たと著作の中で語っています。そして、サーモン気味のピンクという花色は、オールド・ローズの中ではきわめて稀であるので、その由来について深い洞察を行っています。

ミルラ香という、オールド・ローズとしては珍しい香りと、このサーモン・ピンクの花色という性質を併せ持つ品種はオールド・ローズの中では例外的なもので、それに該当するのはわずか、ロサ・アルヴェンシス・スプレンデンス(R. arvensis splendens)があるだけだという指摘です(”Graham Stuart Thomas Rose Book”)。

ロサ・アルヴェンシス・スプレンデンスは原種ではなく園芸種ですが、原種の性質を色濃く継いでいる、いわゆる”原種交配種”です。シングルの白花を咲かせる原種ロサ・アルベンシスとは著しく異なっています。

ロズ・ディヴェール(Rose d’Hivers)- 1949年以前

バラ‘ロズ・ディヴェール’
‘ロズ・ディヴェール’ Photo/今井秀治

「おそらく、(ダマスクと)アルバの交配種、細枝の小ぶりなシュラブ。小さいが完璧な花形、大きな外輪はほとんど白になる…」とグラハム・トーマスは記述しています。”冬のバラ”と仏語で命名されたこの品種は、当時トーマスがアドバイザーとしてサポートしていたヒリング・ナーセリーから市場へ提供されていました。

これを知ったナンシーが激怒してトーマスへ送った手紙が残されています。

「わたしの大切な‘ロズ・ディヴェール’があなたのナーセリーから販売されているのを知って呆然としています。わたしはこのバラを(イランの)ギラン高原の原野で命をかけて手に入れたのですから…このバラはわたしの心の拠りどころであり、わたしだけが生息地を知っている、わたしだけの愛玩する特別のバラなのですから…」

このバラはナンシーが遠征資金を得ていた英国自然博物館からトーマスへ提供されたものでした。ナンシーの気持ちは分からないでもないですが、いわれのないクレームにトーマスはさぞ立腹しただろうと想像します(Allyson Hayward, “The Roses of Norah and Nancy Lindsay”, article of Rosa Mundi, 2009)。

Credit

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズ・アドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたいという思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春より、「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズ・アドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/田中敏夫、今井秀治

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