都会のマンションの最上階、25㎡のバルコニーがある住まいに移って、今年で28年。自らバラで埋め尽くされる場所へと変えたのは、写真家の松本路子さん。「開花や果物の収穫の瞬間のときめき、苦も楽も彩りとなる折々の庭仕事」を綴る松本さんのガーデン・ストーリー。今回は、バルコニーに咲いたバラの花びらを材料にした新しい試み「バラの酵母パン」ができるまでをご紹介します。

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バラの宴から

バラの酵母のカンパーニュ

数日前に、東久留米市のパン屋、「プチ・フール」の宮沢ロミさんからパンが届いた。バラの酵母で焼き上げたカンパーニュ! ほのかにバラの香りとほろ苦い花びらの味がする、まさにバラのパンだ。

バラ‘レイニー・ブルー’
2020年5月のバルコニーから。バラ‘レイニー・ブルー’。

花びらから作った酵母でパンを焼く話を知ったのは、昨年のこと。バラの宴がきっかけだった。毎年5月のバラの最盛期に、気の置けない友人たちとバラの宴と称する花見の会を催している。客人たちには1、2輪のバラの花を持ち帰っていただいているのだが、その花びらを使って宮沢さんがパンを焼いたという。

今年のバラのバルコニー

バルコニーのバラ
2020年5月のバルコニーから。白バラは‘つるアイスバーグ’と‘淡雪’、右手は‘ノヴァーリス’、‘マダム・エルンスト・カルヴァー’、‘コレット’など。

今年(2020年)のバラの季節は残念なことに、コロナ禍のためワインや料理を持ち寄っておしゃべりを楽しむ会は実行できない状況だった。皮肉なことに、バラは例年になく見事に咲き誇り、お披露目できないことに、眺めて出るのはため息ばかり。そんな時思いついたのが、バラのジャムを作ること。

‘スピリット・オブ・フリーダム’の花びら
パン酵母のためのバラの花びら。‘スピリット・オブ・フリーダム’の花から。*

散る間際の花びらを集めてバラ風呂にすることはあっても、咲き始めの花びらを摘むのは初めてのことだった。我が家のバルコニーのバラは、28年間農薬を使用していないので、食することが可能だ。スズメやホオジロなどの小鳥が、鉢皿に溜まった水を飲みに来るので、安全は彼らが保障してくれている。

バラの花を送る

バラの花
1本ずつ包装して送ったバラ。無事に届いてひと安心。*

ジャムを作っている時、宮沢さんのパン作りの話が頭をよぎり、花を届けることを思いついた。宅配便で切り花を送るのは初めてのことで、花びらの状態が心配だったが、何とか無事に到着したという。箱を開けたとたんにバラの香りが広がったという、うれしい報告だった。

バラの酵母
瓶の中で発酵中のバラの花びら。*

それからしばらくして、花を発酵させている写真が届いた。瓶の中の花びらはガラス越しにきらめいて見えた。さらに、焼き上がったパンが到来したという顚末だ。

「プチ・フール」事始め

宮沢ロミさんがパンを焼き始めたのは30代の頃だった。ワーカーズコレクティブで、10人の仲間たちとのパン作りからスタートし、5年後の1990年に独立。

自宅を改装したパン屋、「プチ・フール」の店先で販売するほか、保育園の給食や自然食料品店に卸している。そもそもパン作りに向かったのは、安心な素材を使った、手作りのパンを子供たちに届けたいとの思いからだった。

東久留米の小麦畑から

東久留米の小麦畑
東久留米市、秋田緑花農園の小麦畑風景。

東京の多摩地区東部に位置する東久留米市には、何代も続く農家が点在している。そこでは江戸時代に作られていた柳久保小麦が15軒の農家によって復元され、また秋田緑花農園では、広大な畑で農薬不使用の小麦が栽培されている。

宮沢さんがパン作りに用いるのは、そうした地元の小麦畑から収穫された小麦の粉がほとんどだ。苗の成長を見守り、ときには収穫を共にしながら得た小麦粉は、まさに安心の食材といえるだろう。

花びらからのパン作り

バラの酵母作り
花びらが多く香りのよいバラ‘スピリット・オブ・フリーダム’を中心に、‘コレット’、‘ボレロ’、‘クロード・モネ’などを送った。*

バラの花びらから酵母を作る過程の話は、とても興味深い。まずは煮沸した瓶に花びらとミネラルウォーターを入れ、洗糖(精製されていない砂糖)を加える。1週間ほど時折かき混ぜながら発酵を待ち、泡が出始めた頃に冷蔵庫へ。冷蔵庫で3、4日寝かせてできるのが液体の酵母で、パン生地にその酵母を加え、発酵させて成形し、再び発酵させ、それから窯で焼き上げる。

発酵中のパン
生地を成形した後、発酵させているパン。*

簡単なように思えるが、加える水や糖分の量、発酵の温度など、試行錯誤の末に見いだしたレシピだ。また生きた酵母は少しずつ変化していくので、その状態を見極める必要がある。

パンを焼く
発酵したパン生地を窯の中でじっくりと焼き上げる。*

バラの酵母は果物などを発酵させた酵母より、一見すると弱そうに見える。だが、パンにする段階では底力の強さを感じるという。バラは古来薬用として栽培されていた歴史があるので、花の持つ生命力が酵母の強さになって現れるのかもしれない。

バラのクロワッサンが店先に並んだ

バラの酵母で焼いたパン

カンパーニュが届いてほどなくして、今度はクロワッサン、雑穀パン、パンドリーナなどが到来した。まだまだパン作りの試行錯誤は続いているらしい。クロワッサンは花びらの苦みがバターでやや薄らぎ、口当たりがソフトになって、ほのかにバラの味がする。

バラ‘アイスバーグ’
5月のバルコニーから。バラ‘アイスバーグ’。四季咲きなので、夏も少しずつ花をつけ、また10 ~11月に秋バラが楽しめる。

店先に並べられたクロワッサンは好評で、「幼い子どもが口にくわえてずっと離さなかった」と宮沢さんが弾んだ声で教えてくれた。秋バラが咲いたらまた花を送る約束をしている。来春のバラの宴では、客人たちにバラのパンを供すことができるかもしれない。バラ栽培の楽しみが、また一つ増えたようだ。

Information

プチ・フール

住所:東京都東久留米市中央町4-2-18

電話:042-474-0139

オープン:月、金、土、日曜日、10~17時、

アクセス:西武池袋線ひばりヶ丘駅より田無行きバス、イオンモール下車(都立六仙公園すぐそば)

Credit

写真&文/松本路子
写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-20年現在は、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。
noteでWebマガジン始めました。https://note.com/mmatsumoto0128

写真協力/宮沢ロミ(*)

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