古くからある、春一季咲きのダマスク。そのグループの中でも、秋にも開花する例外的なバラ「オータム・ダマスク」から長い時間をかけて育種された「ダマスク・パーペチュアル」の品種群と、取り違えの疑惑がある品種について、ローズアドバイザーの田中敏夫さんに解説していただきます。今井秀治カメラマンによる‘コント・ド・シャンボール’や‘ジャック・カルティエ’など、美しい写真とともにお楽しみください。

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ダマスク・パーペチュアルの人気品種

前回『ダマスク・パーペチュアル~ヨーロッパで生まれた返り咲き種~その1』では、ダマスク・パーペチュアルの始まりから発展、また、揺れ動く原因などについてお話ししました。今回は、その続きを解説します。

ダマスク・パーペチュアルの中で人気を二分しているのが、‘コント・ド・シャンボール’と‘ジャック・カルティエ’です。

コント・ド・シャンボール(Comte de Chambord) – 1858年以前

‘コント・ド・シャンボール’
‘コント・ド・シャンボール’ Photo/今井秀治

カップ型、いかにもオールドローズらしい、花弁が密集したクォーター咲きとなります。

ミディアム・ピンク、花心が色濃く染まります。ダマスク系の強い香り。

美しい花形、鮮烈なダマスク香、細めだけれども硬く直立する樹形など、ダマスク・パーペチュアルの典型的な特徴を示し、最高レベルにある品種だと思います。

フランスのロベール・エ・モロー(Robert et Moreau)により、ピンクのハイブリッド・パーペチュアル(HP)‘バロネ・プレヴォ(Baronne Prévost)’と、ダマスク・パーペチュアルの‘ダッチェス・オブ・ポートランド(Duchess of Portland)’との交配により生み出されたというのが通説でした。

交配親の一つ、‘バロネ・プレヴォ’も、じつに美しい品種です。

‘コント・ド・シャンボール’は、花色、花形、香りばかりではなく、葉色、樹形など多くを‘バロネ・プレヴォ’から受け継いでおり、赤花を咲かせる‘ダッチェス・オブ・ポートランド’の特徴はあまり見いだすことはできません。

‘バロネ・プレヴォ’
‘コント・ド・シャンボール’の交配親の一つ‘バロネ・プレヴォ’ – 1841年 Photo/田中敏夫

王政復古派のシンボル的人物、シャンボール伯爵

シャンボール伯爵(Henri Charles Ferdinand Marie Dieudonne d’Artois, Comte de Chambord:1820-1883)は、復古王政時のフランス王シャルル10世の孫にあたります。王政、共和制とめまぐるしく変転する19世紀フランス政界にあって、ブルボン家の家督を嗣ぐ者として王政復古派のシンボルに祭り上げられた人物ですが、この品種が捧げられた時はフランス国内にはおらず、亡命中でした。

アンリ・ダルトワ、コント・ド・シャンボール
‘アンリ・ダルトワ、コント・ド・シャンボール(Henri d’Artois’, Comte de Chambord)の肖像’ Painting/ Adeodato Malatesta before1890 [Public Domain via. Wikipedia Commons]
後のことになりますが、1870年、皇帝ナポレオン3世は宰相ビスマルクが率いるプロシアとの間で行われた普仏戦争において、自ら出陣した戦闘の結果、捕虜となってしまうなど屈辱的な敗北を喫し、同年、退位を余儀なくされました。

1871年、ナポレオン3世が英国へ亡命した後、1873年にはシャンボール伯爵は王政復古派にかつがれ、王位へ就く寸前までゆくことになります。

王として議会へ導き入れられ、議員たちからも賛同の拍手をもって迎えられました。しかし、フランス革命の象徴である三色旗(青=自由、白=平等、赤=博愛)の承認を求められたことに対し、白色旗(ブルボン家の白百合の紋章)に固執し、承認を拒絶したことから議員の失望を買い、最終的には王位へ就くことはありませんでした。

シャンボール伯には嫡子がなく、1883年、彼が死去したことにより、ついにブルボン家は絶えました。これにより、王政復古派のもくろみはその根拠を失いました。

これより以前、1879年、ナポレオン3世の嫡子、ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト(ナポレオン4世)が戦死し、ナポレオンの血統による政権復活をもくろんでいたボナパルティストたちの希望も潰えてしまいました。

フランスを独裁的に支配していた王統ブルボンとナポレオンの血統はともに潰え、フランスはそれから後、今日にいたるまで共和制のもとにあります。

じつは、‘コント・ド・シャンボール’には、品種取り違え疑惑があります。現在‘コント・ド・シャンボール’という品種名で流通しているものは、本当は1858年にアメリカのダニエル・ボール(Daniel Boll)が育種・公表した‘マダム・ボール(Mme. Boll)’ではないかという疑惑です。疑惑は年々深まり、今日では“間違い”と考えるほうが主流となっています。

次の画像は、‘マダム・ボール’という品種名で流通しているものです。

‘マダム・ボール’
‘マダム・ボール’ Photo/田中敏夫

ジャック・カルティエ(Jacques Cartier) – 1868年

‘ジャック・カルティエ’ 
‘ジャック・カルティエ’ Photo/今井秀治

‘ジャック・カルティエ’はとりわけ人気のある品種ですが、これまた取り違え疑惑が濃厚な品種です。

ダマスク・パーペチュアルの中で、‘コント・ド・シャンボール(Comte de Chambord)’とともに、最も美しいと評価される品種です。淡い、しかし鮮やかなピンクの花色。周辺部が色落ちして、ピンク・ブレンドのような印象になることもあります。

1868年、フランスのモロー=ロベール(Moreau-Robert)により公表されました。

ちなみに、モロー=ロベールは、‘コント・ド・シャンボール’を育種したとされるロベール・エ・モローの後継者ではありますが、別の人物です。

このナーセリーは、フランスのバラ育種の黎明期に活躍したデズメが創立し、J.P.ヴィベールが大きく発展させ、ロベールがそれを引き継ぎました。そして後に若いモローが加わり、ロベール・エ・モローと名称を変更。この2人の跡を受けたのがモロー=ロベールです。モロー=ロベールは、おそらく先代同士が姻戚関係になったことから、両家の名称を受け継いだのだと思います。モロー=ロベールは2人の連名ではなく、1人の育種家です。

フランスの航海家ジャック・カルティエ

品種名となったジャック・カルティエ(Jacques Cartier:1491-1557)は、16世紀に活躍したフランスの航海家です。北米大陸のセント・ローレンス河流域を中心とした3度にわたる航海・探検で知られています。今日国名となった”Canada”は、カルティエが先住民の居住地をさして用いていた単語だといわれています。

‘ジャック・カルティエ肖像画’
‘ジャック・カルティエ肖像画’ Painted/Théophile Hamel, circa1844 [Public Domain via. Wikipedia Commons]
この品種については、以前より取り違え疑惑がささやかれていました。

1868年にフランスのモロー=ロベールにより公表された‘ジャック・カルティエ’はすでに失われてしまい、現在流通している品種は、‘マルチェサ・ボッセーラ(Marchesa Boccela)’そのものだろうという主張です。

‘マルチェサ・ボッセーラ’は、1842年にジャン・デスプレ(Jean Desprez)により公表されたHPです。ダマスク・パーペチュアルではありません。

次の画像は、‘マルチェサ・ボッセーラ’として国内で流通しているものです。

‘マルチェサ・ボッセーラ’
‘マルチェサ・ボッセーラ’ Photo/田中敏夫

敬愛する研究家グラハム・トーマスは異論を承知していながら、ダマスクに似た花形、花色、香り、明るいつや消し葉などの特徴から「私はジャック・カルティエが正しい名前ではないかと確信したい…」と希望的な感想を述べています(“Graham Thomas Rose Book”, 1994)。

‘コント・ド・シャンボール’の品種名疑惑とあわせ、クラスを代表する2つの品種がじつはダマスク・パーペチュアルではなく、HPだとしたら、クラスの存在そのものが危ういものになってしまうかもしれません。トーマス氏の述懐に深く共鳴します。

マリー・ド・サン・ジャン(Marie de St. Jean) – 1869年

‘マリー・ド・サン・ジャン’
‘マリー・ド・サン・ジャン’ Photo/Rudolf [CC BY-NC-SA 3.0 via. Rose-Biblio]
今度はHPからダマスク・パーペチュアルへクラス変更された品種‘マリー・ド・サン・ジャン’についてです。

つぼみに濃いピンクが出て、開花してもそのまま残ったり、あるいは全体に淡いピンクとなったり、また純白になったりと、花色に変化があります。

フランスのフレデリック・ダメツィン(Frédéric Damaizin)が1869年に公表した品種です。ダメツィン自身はHPと判断したようですが、アメリカのフィリップ・ロビンソン(Phillip Robinson)などが「ダマスク・パーペチュアルとするのが適切だろう」と評しています。確かに、明るいつや消し葉、株肌に生じる大小のトゲ、開き気味の花形などは、ダマスク・パーペチュアルに特徴的なものです。

ロズ・ド・レシュ(Rose de Rescht) – 1900年以前

‘ロズ・ド・レシュ’
‘ロズ・ド・レシュ’ Photo/田中敏夫

最後は、再発見されたダマスク・パーペチュアルとして市場へ提供されたものの、どうも由来が不確かな品種‘ロズ・ド・レシュ’です。

開花時の花色は濃いピンクですが、次第にグレーが加わって暗色となり、落ち着いた印象のクリムゾンとなります。強いダマスク系の香り。元来、返り咲きするのがダマスク・パーペチュアルの性質ですが、この品種はとりわけ返り咲きする性質が強いのが特徴です。

この品種は、イギリスのナンシー・リンゼー(Nancy Lindsay)によって、ペルシャの古い都市レシュ(現在はイラン)の庭園で収集したとし、‘ロズ・ ド・レシュ(レシュのバラ)’と命名のうえ、1940年に公表されました。

レシュ(ラシュト;Rasht)は、イランの首都テヘランから北西に200kmほどの、カスピ海に面する都市です。温暖な気候から、イラン国内ではリゾート地となっているようです。

しかし、不可解なことがあります。グラハム・トーマスは、この品種について、

「…多分、ダマスクに入れるべきだろう…ブレンド・ディカーソンが1989年の『ガーデン・ジャーナル』で提言した通り、これが本来のロズ・ド・ロワなのではないかと思われる」とコメントするだけで、彼の著作の中では、一つの品種として独立した項を設けていないのです。

じつは、ナンシーとグラハム・トーマスは、ローレンス・ジョンストンが所有するヒドコート・マナーの庭園管理に関わる意見に行き違いがあって、わだかまりがありました。ナンシーはとても面白い女性でした。その人となりは、機会があればご紹介したいと思います。

また、アメリカのポール・バーデンは近年公表した記述の中で、「この品種は1920年にはアメリカで育成されていたことが確認された」こと、また、1912年に出版されたエレン・ウィルモットの著作の中で、「ペルシャにGul e Reschti (”Rose de Resht”)が存在すると記述されている」ことを指摘しています。この品種がヨーロッパに紹介されたのは、ナンシーが市場に提供する以前であったことは事実のようです。

卵形の形よい葉。深い色合いの花。華やかな、しかし、静かな気品に満ちた品種です。どんな経緯があるにせよ、この品種を再び世に紹介したナンシーに感謝するべきでしょう。

Credit

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズ・アドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたい思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春より、「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズ・アドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/田中敏夫、今井秀治 

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