‘プロスペリティ’や‘コーネリア’、‘バレリーナ’など、今も愛されているハイブリッド・ムスクの新品種を次々と世に送り出したイギリスのジョセフ・ペンバートンと、協力者であるベントール夫妻。彼が育種した数々の名花と彼の人生を、ローズアドバイザーの田中敏夫さんに解説していただきます。今井秀治カメラマンによる美しい写真とともにお楽しみください。

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バラ愛好家で牧師の父を持つジョセフ・ジュニア

ヘイヴァーリング・アット・バウワー(Havering-atte-Bower)は、英国ロンドンの東北郊外、エセックス州にある地方名です。

ここに、大きな筒のような珍しい形の3階建ての館があり、円形であることからラウンド・ハウスと呼ばれていました。この館に付属して3エーカー(12,000㎡ほど)におよぶ広い庭園があり、その一画にバラ園を併設していました。

ラウンド・ハウス
‘ラウンド・ハウス’ [free materials of Klliergeia]
バラを育てていたのは地域教会の牧師であったジョセフ・ペンバートン・シニアでした。彼は生涯アマチュアでしたが、熱心なバラ愛好家として毎年のようにロンドンのクリスタル・パレスで催されていたバラ展に出かけていました。

1852年長男が誕生し、同名のジョセフ(ジュニア)と命名されました。このジュニアが今回の主人公です。

ジョセフ・H.ペンバートン・ジュニア
‘ジョセフ・H.ペンバートン・ジュニア’ Photo/[CC BY-NC-SA 3.0 via. Rose Biblio]
ジョセフ・ジュニアも牧師になるための教育を受け、1880年、父の期待通り地域教会の牧師となりました。

ジョセフ・ジュニア(以降はジョセフと表記)は幼少の時からバラに興味をいだいて父を助け、12歳の頃には父からバラの枝接ぎ方法を教わったと後に語っています。

父亡き後、次々とバラ展で受賞を重ねる

1874年、父が死去すると、バラ園はジョセフと5歳年少の妹フローレンスの手にゆだねられました。

また、同年、ジョセフは出品したバラ展で銀賞を得たことにより、さらにバラ栽培に熱中するようになりました。しかし、賞は新品種が対象になっていたのではなく、既存品種の切り花を展示したものでした。

1876年には、英国バラ協会(the National Rose Society)が設立され、ジョセフと妹フローレンスは会員となりました。

1877年、協会主催の第1回バラ展が開催されました。切り花部門のコンペティションに参加するつもりであったジョセフはなんと締め切りに遅れてしまうという失態を犯しました。なんとしてでも参加しようともくろむジョセフは係員の制止を振り切り、用意したバラをコンペティション会場に勝手に展示しました。その強引さに関係者も最後には折れて、参加を特別に認めました。このコンペでもジョセフは銀賞を獲得しました。

1909年、ディーン・ホール賞(Dean Hall Award)を受賞。ディーン・ホールは英国バラ協会創立時の第一代会長で、当時、英国におけるバラ愛好家の集まりでは中心的な人物でした。

1911年、英国バラ協会、第2代会長に就任。

1913年、長年の協力者である妹フローレンス、庭園のヘッド・ガーデナー、ジョン・ベントール(John Bentall)および熟練したガーデナーであるベントール夫人(Ann Bentall)のサポートのもと、新品種の育種に取りかかりました。この時、ジョセフは60歳を過ぎていました。

60歳を過ぎて育種した新品種2種

1913年、ジョセフはドイツのペーター・ランベルトが1904年に育種・公表したシュラブ、‘トリーア(Trier)’を交配親(種親)として、2つの新品種を公表しました。

それは、‘ダナエ(Danaë)’と‘ムーンライト(Moonlight)’です。

ダナエ(Danaë)

ダナエ
‘ダナエ’  Photo/今井秀治

ダナエの花色はアプリコット気味のライト・イエロー、開花後、色抜けしクリーム色へと変化します。

ダナエは、ギリシャ神話に登場する女性です。孫に殺されるという不吉な予言にまどわされた父は、娘ダナエを幽閉してしまいます。結婚して娘に男児が生まれることをさまたげるためでした。

しかし、美しいダナエを天空から垣間見て魅せられた主神ゼウスは、黄金の雨となって彼女のもとを訪れました。ダナエは身ごもり、やがて息子を生みました。ペルセウスと名付けられた息子は膂力に満ちた英雄になります。

ダナエは息子とともに、父のもとから逃れます。成長したペルセウスは多くの冒険譚の主人公となります。見る者すべてを石に化すと言われた魔女メドゥーサを退治し、魔女の首を盾につけていたことで知られています。

ムーンライト(Moonlight)

‘ムーンライト’
‘ムーンライト’ Photo/今井秀治

‘ムーンライト’の花色も‘ダナエ’と似ていて、クリームまたはライト・イエロー。両品種とも交配親である‘トリーア’とよく似たシュラブ樹形でした。

ハイブリッド・ムスクという新しい系列

ジョセフは当初、これらの品種をハイブリッド・ティーと呼んでいましたが、1917年、英国バラ協会の事務局長であったコートニー・ページがハイブリッド・ムスクという名称を用い、これが当を得た命名であったため、多くの人々に受け入れられ、また、ジョセフ自らも、ハイブリッド・ムスクという名称を用いるようになりました。

こうして、軌道に乗るかに見えたジョセフの活動は第一次大戦による混乱のため中断してしまいます。ジョセフがチーフ・ガーデナー、ジョン・ベントールに宛てた手紙が残されています。

1917年5月10日、

親愛なるベントール氏へ、

 

お手紙ありがとう…

(ご承知のとおり、開戦間近という政治状況のため)今年のRHS(Royal Horticultural Society:英国王立園芸協会)の展示会は開催されない…

夫人(アン・ベントール)から聞いたと思うが、フランスからクリスマス前にブライヤ・ローズの種とラクサの台木を手に入れることにしている…

夫人にはおおいに助けられている。彼女のサポートがなければ、私は何もできないだろう…

1917年8月7日、

親愛なるベントール氏へ、

 

6月24日付の手紙ありがとう…

来年のバラは白花がスプレー咲きになるパックス(Pax)だ…

わたしはこのバラの未来は(明るい方向へ)開け、多くの人の庭を飾ることになると確信している…

しかし(戦時ゆえに)、今年、多くの注文があるとは思われないが、たぶん、この困難を我々は克服できるだろう…

ジョセフ・ペンバートンとジョン・ベントール
‘ジョセフ・ペンバートン(左)とジョン・ベントール’ Photo/[free materials of Klliergeia]

ジョセフが世に送り続けた新しいハイブリッド・ムスク

戦時の困難を耐え忍んだジョセフは、休戦協定が締結されると早速バラの育種・公表を再開しました。

この再開された年の1918年から死去する1926年まで、ジョセフ・ペンバートン名義の優れたハイブリッド・ムスクは次々と市場へ提供されました。

パクス(Pax) – 1918年

‘パクス’
‘パクス’ Photo/[CC BY-NC-SA 3.0 via. Wikipedia]
セミ・ダブル、平咲きで花色はクリーミー・ホワイト。花心のイエローの雄しべとのコントラストが見事です。樹高240〜300cmとなる、高性のシュラブです。

‘トリーア(Trier)’と、ディープ・イエローのHT、‘サンバースト(Sunburst)’の交配により生み出されました。

‘パクス’は、ローマ神話に登場する女神です。紀元前1世紀のローマで、養父シーザーの暗殺後、ローマの平和を築き、その後帝政を敷いたアウグストゥスが、平和の象徴(”パクス・ローマ”)として祭壇を設けたことが広く知られています。

プロスペリティ(Prosperity) – 1919年

‘プロスペリティ’
‘プロスペリティ’ Photo/今井秀治

ブラッシュ・カラーの美しいポリアンサ、‘マリー・ジャンヌ(Marie Jeanne)’と、ライト・イエローのティー・ローズ、‘ペルル・ド・ジャルダン(Perle des Jardins)’との交配により育種されたといわれています。

小さめで明るい色合いの半照り葉となりますが、これはパープル・シェイド気味のつや消し葉となる品種が多いハイブリッド・ムスクの中では例外的なものです。

この‘プロスペリティ’登場以降、ジョセフ・ペンバートン名義で公表されるハイブリッド・ムスクは、淡い色合いの中輪花、柔らかな枝ぶりの半日陰にもよく耐える強健性のあるシュラブという特徴が定着し、次々と美しい品種が生み出されてゆきました。

フランチェスカ(Francesca) – 1922年

‘フランチェスカ’
‘フランチェスカ’ Photo/田中敏夫

ティー・ローズのような尖り気味のつぼみは、セミ・ダブル、乱れ気味のカップ型の花となります。開花時は色濃くイエローが出ることもありますが、すぐに退色して、全体的にクリーム色、中心部が少し色濃くなる花色へと変化します。

比較的高性のシュラブで、枝は細めなので、小さめのクライマーとして扱うことも可能です。

ライト・イエローのハイブリッド・ムスク、‘ダナエ(Danae)’と、深いイエローのHT、‘サンブルスト(Sunburst)’との交配により育種されたと記録されています。優雅な花と、バランスのとれた樹形、ジョセフ・ペンバートンの傑作の一つです。

ヌル・マハル(Nur Mahal) – 1923年

‘ヌル・マハル’
‘ヌル・マハル’ Photo/今井秀治

セミ・ダブル、春の開花時には枝を覆い尽くすほどの豪華な房咲きとなります。

ミディアム・レッドとして登録された花色ですが、白いノッチが入ったり、また、ディープ・ピンクの色合いになることもあります。樹高は、250〜350cmほどの枝を伸ばすシュラブ。

ダーク・レッドのHT、‘シャトー・ド・クロ・ヴーニョ(Château de Clos Vougeot)’を交配親の一つとして育種されました。

ジャック・ハークネスの著作『Makers of Heavenly Roses”(天園バラの育種家達)』(1985)によると、命名は育種したペンバートンが当時読了したペルシャ王女の伝記から採られたとのこと。インドの王へ嫁いだペルシャ王女は、王の統治をよく支え、後にヌルマハル(”宮殿の光”)と讃えられたことにちなむと解説されています。

ペネロープ(ペネロぺ/ペネロピー/Penelope)  – 1924年

‘ペネロープ’
‘ペネロープ’ Photo/今井秀治

セミ・ダブル、平咲きの花が房咲きとなります。

小さな強い赤味を帯びたつぼみは開花すると明るいピーチ・ピンクに。そして、次第に退色してクリーミー・ホワイトへと変わります。

強くはありませんが甘く香ります。バラの香りの中でもエキゾチックなものとして知られているミルラ香の典型的なものだといわれています。

樹高120〜180cmの横張り性で、強いボリュームのあるシュラブとなります。

淡いピンクのHT、‘オフェーリア(Ophelia)’を交配親の一つとして育種されました。

ペネロープと求婚者たち’
‘ペネロープと求婚者たち’ Paint/ John William Waterhouse, 1912 [Public Domain via. Wikipedia Commons]
品種名の「ペネロープ」とは、はギリシャの雄大な叙事詩『オデュッセイア』に登場する英雄オデュッセウスの妻です。貞淑で賢い妻として知られていました。夫のオデュッセウスはトロイ戦争が終結した後、故国イタカへすぐに戻ることはせず、20年間も乞食姿で各地を放浪することになりました。彼が不在の間、賢く美しいペネロープには多くの求婚者が現れました。

ペネロープは、義父であるオデュッセウスの老父のための装束を織り上げた後、どの求婚者たちに応えるかを決めるために、織り上げるまで待つように伝えます。しかし、1日で織り上げた布を毎夜そっとほぐしてしまい、3年の間、それを続けていました。

このようにして、求婚者たちの求めを長く拒んできましたが、とうとう抗いきれなくなってしまい、結婚相手を決める条件を出しました。それは、強弓として知られていた夫オデュッセウスの弓を引くことができる者ということでした。しかし、先を争って試みたものの、求婚者たちは誰一人としてその弓を引くことはできませんでした。

しかし、1人の乞食がその強弓を手にすると、次々と矢を放ち、求婚者たちを残らず射殺してしまいました。乞食とは、密かに帰国していたオデュッセウス本人だったのです。

コーネリア(Cornelia) – 1925年

‘コーネリア'
‘コーネリア’ Photo/今井秀治

3cm径ほどの丸弁咲きの花が、ひしめきあうような絢爛たる房咲きとなります。

淡いピンクに杏色を混ぜたような色合い。完全に混じり合わずに、花弁のあちらこちらにピンクとアプリコットがそれぞれ顔を出すといった繊細な色合いです。

トゲの少ない、柔らかな枝振り、ハイブリッド・ムスクの品種は大株になることが少ないのですが、このコーネリアは樹高350〜500cmになるランブラーです。

優れた耐病性を示し、半日陰にも耐え、好環境のもとでは、頻繁に返り咲くという、”完璧”な品種の一つです。交配親は不明です。

ジョセフ・ペンバートンの手による最高傑作といってよいのではないでしょうか。

ロビン・フッド(Robin Hood) – 1927年

‘ロビン・フッド’
‘ロビン・フッド’ Photo/田中敏夫

小輪、セミ・ダブルまたはシングル、平咲きの花が寄り集うような房咲きとなります。花色は鮮やかな赤、時に淡い色合いが出てピンク気味になるなど変化があります。

細く柔らかな枝ぶり。樹高180〜250cmのシュラブとなります。

ジョセフの死後、妹フローレンスにより1927年に公表されました。鮮やかな赤のポリアンサ、‘ミス・エディス・カヴェール(Miss Edith Cavell)’を交配親の一つとしています。もう一方の交配親は分かっていません。

よく結実するためか、交配親として頻繁に用いられ、‘アイスバーグ’、‘モーツアルト’、‘ウィルヘルム(別名:スカイロケット)’など多くの名花の交配親となりました。

名称の「ロビン・フッド」については改めて説明するまでもないかと思いますが、イギリス中部、ノッティンガム州のシャーロッドの森に棲んでいた義賊です。弓の名手として知られていました。

ウォルター・スコットの小説『アイヴァンフォー』にも登場し、また、ローズマリー・サトクリフの『ロビン・フッド物語』などでまとめられた楽しい物語は、幾度となく映画化され、そのたびに観客を楽しませてくれます。

フェリシア(Felicia) – 1928年

‘フェリシア’
‘フェリシア’ Photo/今井秀治

中輪、ルーズな丸弁咲きとなる花形。明るいピンク、わずかにライラックを混ぜたような、また、サーモンも加わって暖かみを感じさせる、微妙な色合いとなる花色。

柔らかな枝ぶりで樹高120〜180cmのシュラブとなります。

ジョセフは1926年に死去したことをすでに触れました。このフェリシアは、妹フローレンスとガーデナーであったベントール夫妻により公表されたものです。あるいは、実際にはベントールが育種したものを、売行きを期待して高名なジョセフ・ペンバートンが育種した品種として公表したのかもしれません。

ジョセフの後を受けて、ナーセリーを運営していたフローレンスは1930年に死去しました。ジョセフも妹、フローレンスも、共に独身のまま他界したため、館と庭園は親族の手に渡りました。

冒頭でご紹介したラウンド・ハウスは今でもエセックス州にありますが、個人邸(ペンバートン家との姻戚関係はないとのこと)のため公開はされていません。

ベントール夫妻は、ハウスから2.5kmほど離れた場所に新たに農場を開き、ジョセフの遺志を継いで育種を続けました。

ザ・フェアリー(The Fairy) – 1932年

‘ザ・フェアリー’
‘ザ・フェアリー’ Photo/田中敏夫

小輪、ポンポン咲きの花形。競い合うような房咲きとなります。花色は、ラベンダー・シェイド気味の明るいピンク。

樹高60〜90cmほどのコンパクトなブッシュで、地を這うように枝を伸ばす横張り性です。

オレンジ・レッドのポリアンサ、‘ポール・クランペル(Paul Crampel)’と、オレンジ・ピンクのランブラー、‘レディ・ゲイ(Lady Gay)’との交配で生まれました。

ピンクのポリアンサの最高傑作との評価は、公表後90年近くになってもなお揺るぎないものに思えます。

バレリーナ(Ballerina) – 1937年

‘バレリーナ’
‘バレリーナ’ Photo/今井秀治

小輪、シングル、平咲きの花が競い合うような房咲きとなります。

明るいピンクの花色の中心が白く抜け、ゴールデン・イエローの雄しべがアクセントとなって清楚な雰囲気を醸し出します。

細めで柔らかな枝ぶり、毎年切り詰めて小さめの樹形で管理することも可能ですが、強剪定をせず、大株のシュラブとして仕立てることも可能です。

多少の日陰でも花を咲かせる強健種です。これまた、小輪のシュラブとして、傑作中の傑作。

バフ・ビューティ(Buff Beauty) – 1939年

‘バフ・ビューティ’
‘バフ・ビューティ’ Photo/今井秀治

大輪、花弁が密集する丸弁咲きの花形となります。

花色はイエローの度合いが濃いアプリコット。中心部が濃く染まり、はかなげな、しかし、息を呑むほどの美しさです。

深い葉色。柔らかな枝ぶり、樹高250〜350cmの大型のシュラブとなりますが、クライマーとして、小さめのアーチや、フェンスに誘引するとも可能で、むしろそのほうが、この品種の美しさを引き立てるのではないでしょうか。

イエローのノワゼット、‘ウィリアム・アレン・リチャードソン(William Allen Richardson)’と、無名の実生種との交配から育種されたといわれています。

このバフ・ビューティはジョセフが作出したまま公表されず、長い間埋もれていたものが彼の死後紹介されたのだとする解説もあります。しかし、これほど美しい品種を公表しないということは信じがたいことです。

ともに、優れた育種家であったジョンとアンが、ジョセフが作り上げたハイブリッド・ムスクの系列に沿った品種として新たに作出したと見るべきと思います。

ハイブリッド・ムスクの頂点にある品種であるばかりではなく、イエロー・アプリコットのランブラーとしても、未だにこの品種を凌駕する品種は現れていないと言ってもいいのではないでしょうか。

1941年にはアンが死去、残された夫ジョンも1948年に死去しました。農場は息子、ジャック(Jack)に引き継がれましたが、1985年に閉鎖されました。

Credit

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたい思いから、2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/田中敏夫、今井秀治

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