バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによるバラと人をつなぐフォトエッセイ。フランスの名園、モネの庭をつくった画家、クロード・モネの名を冠した美しいバラとの出合い、そして、モネの家と庭に訪ねたエピソードをご紹介します。

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モネの家でのTVロケ

ジャンヌ・モロー
印象派を特集したテレビ番組に出演中のジャンヌ・モロー。

フランス、パリ北西部の村ジヴェルニーにあるクロード・モネ(Claude Monet 1840-1926)の家を最初に訪ねたのは、1985年のことだった。当時、パリ滞在中だった私は、友人が関係していた日本のテレビ番組のスチール写真の撮影を依頼され、ロケ隊に同行していた。

「印象派」を特集する美術番組で、フランス各地の印象派の画家にゆかりの地を訪ねる企画は、興味深いものだった。ナレーションを担当していた女優のジャンヌ・モローがロケ地で絵画や画家について語る、という画期的な内容。特に記憶に残っているのは、女優自らがナレーションを手直しする姿だ。その場で感じたことを自らの言葉で語ろうとする真摯な姿勢に、大女優の心意気を垣間見た。

ジヴェルニーではモネに扮したフランスの男性俳優が庭を散策し、その映像にジャンヌ・モローの声が重なる。一瞬、モネの時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。

バガテル公園のバラ園

バガテル公園

それからずいぶんと月日が流れ、2000年代になり、私は世界各地の庭園を訪ねる機会が多くなっていた。特にバラに興味を抱いて、パリのバガテル公園には何度か立ち寄っている。パリ16区ブローニュの森に位置するバガテル公園では季節ごとにさまざま植物を楽しむことができるが、その一角にあるバラ園はバラの育種家や愛好家にとって憧れの場所ともいうべきところだ。

ここでは毎年6月、バラの新品種の国際コンクールが行われる。審査の対象となるバラは2年前から植えられているので、世界中から集まったまだ世に出ていない花を100種類以上一望できる。私が最初に訪れた時、ちょうどコンクールの審査の日で、審査員たちが熱心に一つひとつの花を見てまわっている光景に出くわした。

バラ‘クロード・モネ'
雨に濡れて咲くバラ‘クロード・モネ’。

バガテル公園で出合った初めてのバラの中で特に私の心を捕えたのは、‘クロード・モネ’という名前のバラ。ピンクにオレンジイエローの絞りの淡いグラデーションが何とも優美な花姿だった。それはまさにモネの家の庭で見た花々の色彩を彷彿とさせるものだった。

我が家のバラ‘クロード・モネ’

バラ‘クロード・モネ’

バガテル公園で‘クロード・モネ’に出会って数年後、日本でもその苗が手に入ると知り、早速取り寄せた。晩秋に裸苗を注文し、私好みにブレンドした鉢土に植え付けると、翌春見事な花を咲かせてくれた。

毎年訪れる常連の花見客たちは一様にその花に眼を見張った。60鉢あるバラの中でも新入りのそのバラが特に目立っていたのだ。さらに名前を聞いて、アート好きな客人が喜んだのは言うまでもない。

ジヴェルニー再訪

モネの家

数年前の9月、モネの家を再び訪れた。拙著『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』の続編が企画されてのことだった。撮影が許可されたのは、モネの家が休館日の月曜日。パリからの日帰り旅だった。サン=ラザール駅で、最寄り駅のヴェルノンまでの列車の切符を求めると、「今日はモネの家は休館日だよ」と窓口の係員が教えてくれた。他人のことにはめったに口を出さないフランス人には珍しい親切さ。それだけモネの家を訪ねる日本人が多いということだろう。

モネの家と庭園
モネの家と庭園の絵地図。水の庭には花の庭から⑨のトンネルを通って至る。

モネは1883年に、パリの北西80kmに位置し、セーヌ川支流のエプト川に近いジヴェルニーに居を構え、亡くなるまでの歳月を過ごした。最初は借りていた土地や家を1890年に購入すると、果樹園や菜園だった場所に庭をつくり始めた。家や庭園はモネのもう一つの作品といわれるほど、その完成に生涯をかけている。

家や庭園はモネの死後遺族によって芸術アカデミーに寄贈されたが、長い間荒れたままだった。1970年代に屋敷や庭園の修復がなされ、画家が暮らしていた当時の趣を再現、1980年よりクロード・モネ財団の管理のもと、一般公開されている。

モネの家

モネの家

2階建ての家の外観はピンクの漆喰で塗装され、階段やドア、窓枠は深い緑色に彩られている。私の2度目の旅は、前回ゆっくり見ることができなかった、屋敷の内部から始まった。

モネの家

1階の部屋の中でも目を引くのは、ダイニングルームだ。モネはこの部屋の壁や天井、窓、家具などすべてを淡い黄色と、濃い黄色の色調で統一させた。中央に置かれた食卓も黄色で、ここでは15人ほどの会食者を迎えたという。壁には無数の浮世絵が飾られていた。

モネの家

台所は青と白の陶製タイル、銅製の台所用具、石造りの流しなど、モネが食事を楽しんだ様子が彷彿とさせられる。この家を訪れた多くの人が、そこでの食事の素晴らしさを書き残している。

モネの家

2階にあるモネの寝室には18世紀に作られた寄木造りの机と箪笥、そしてベッドが置かれている。モネの存命中は、そこにルノアールやロダンなど友人たちの作品が数多く飾られていたという。

モネの家

寝室の窓からは庭が一望できる。モネはここから俯瞰してキャンバスに絵を描くように植栽の計画を立てたのだろう。窓から真下を見下ろすと、そこには‘マーメイド’という名前のバラが咲いていた。‘マーメイド’はモネが愛したバラとして知られているが、5弁の一重の花びらは上を向いて花開く。1階と2階の間の壁面に咲く花は、下からも上からも眺めることができるように設えてあるのだ。

バラ‘マーメイド’
モネの家の2階の窓から見た‘マーメイド’。主に東南アジアに分布する野生バラ、カカヤンバラの栽培品種とされる。

花の庭園「クロ・ノルマン」

クロ・ノルマン

家の正面からまっすぐに伸びる中央のアレー(小路)を囲むようにいくつもの花壇がつくられている。クロ・ノルマン(ノルマンディーの囲いの庭)と呼ばれる花の庭。9,175㎡の面積のその庭は、モネ自らが設計し、土を耕している。当初は家族総出で庭づくりに勤しんだ。植栽はフランスやイギリスで自らが選んだもので構成され、牡丹やユリなどは友人を介し日本からも取り寄せている。

撮影に訪れたのは休館日だったので、数人の庭師たちが、花苗の植え替えをしていた。

その作業の様子を見ながら、人影が少ない庭を終日探索できたのは、貴重な体験だった。

モネの庭

庭に植えられた植物の種類は数えられないほど多彩だ。私が再訪した9月は、中でもさまざまな花姿のダリアが見られ、夏の名残りのバラも咲いていた。庭は植栽の場であると同時に、モネにとっては光と色彩のシンフォニーであり、また絵画のインスピレーションの場でもあった。

モネの死から約50年後に庭を忠実に復元するのには、子ども時代にそこに滞在した人々、植物の納入業者、働いていた庭師などから集められた情報から、そして驚くことに写真の存在があったという。モネは写真の創生期、いち早くその発明品に興味を抱き、自分の庭を写した写真を数多く残している。

水の庭園

モネの庭

モネの庭で忘れてならないのが、水の庭園。1983年に花の庭から線路を挟んだ向かいの土地を新たに手に入れたモネは、そこにエプト川の分流リュ川から水を引き、池をつくった。池は最終的に全長60m、最大幅20mの大きさになり、水面で花を咲かせる睡蓮をはじめとして、周囲にはしだれ柳やポプラの木などさまざまな植栽がなされた。

モネの庭

日本の太鼓橋を思わせる橋がつくられ「日本の橋」と呼ばれた。薄紫と白色の藤の花が橋の棚の上を被い、背後に竹林のある風景は、まさに浮世絵の世界。当時のジャポニズム(1867年のパリ万博をきっかけに生まれた日本ブーム)が庭園にも反映されている。

水の庭園はモネにとって、絵画のモチーフの宝庫であった。初期のころは池を巡る風景を多く描いたが、やがて関心は睡蓮に特化し、代表作ともいえる睡蓮の連作が生まれた。睡蓮の開花は5月末から9月まで。その4カ月ほどは戸外での写生の日々で、それからアトリエで仕上げにかかったという。

モネの庭

私が訪ねた時、一面に咲く睡蓮は見られなかったが、いくつかの花が咲いていた。モネは次のような言葉を残している。「私は自分の庭にある睡蓮の素晴らしさに気付くのに時間がかかった。睡蓮は楽しむために植えたもので、絵に描こうなどとは思ってもいなかった。ある日突然、私は自分の池の素晴らしさを発見した。私はパレットを手にした。その時以来、他のものを題材にすることはほとんどなくなった」(クロード・モネ財団刊の小冊子より)。

オランジュリー美術館の睡蓮

オランジュリー美術館

ジヴェルニーから戻って数日後、私は改めてモネの睡蓮に向き合いたくて、パリのチュイルリー公園にあるオランジュリー美術館を訪ねた。美術館は元チュイルリー宮殿のオレンジ温室だったところで、今は印象派の画家の作品を多く集めた美術館になっている。ここも印象派のテレビ番組のロケで訪れた場所の一つだった。

モネは30年間、睡蓮を描き続け、生涯で約300点の作品を残している。晩年は横6m、縦2mの装飾的な大作などを手掛けた。オランジュリー美術館にはモネ・ギャラリーがあり、そうした大作を収めるために楕円形の2つの展示室が作られ、モネによってフランスに寄贈された作品が各部屋に4点ずつ配置されている。

オランジュリー美術館のモネの作品

最初「水の庭」の風景を描いていたモネが、やがて睡蓮をモチーフに描き始め、最終的には空と花影が反射する水面だけがキャンバスに現れるようになっていく。その過程が空気感とともにリアルに感じられる展示室。自然光が差し込む部屋でベンチに座って睡蓮の大装飾画と対峙していると、身も心も浄化されるような不思議な感覚にとらわれる。モネの庭で見た現実の水面もまた脳裏に揺らめくのだ。

バラ‘クロード・モネ‘と画家シリーズ

バラ‘クロード・モネ’
個々の花によって色合いや絞りが変わる様が楽しめる。我が家のバラ‘クロード・モネ’。

バラ‘クロード・モネ’は、フランスのデルバール社で2011年に作出された比較的新しい品種だ。木立ち性で、樹高は1~1.2mほどの中型シュラブ。鉢植えにも適している。ロゼット咲きで花径8~10cmの中大輪花。四季咲きでよく返り咲く。ピンクとオレンジイエローの絞りのグラデ―ションの色合いが花開くごとに変化して、次第に淡い色となり水彩画のよう。香りも楽しめる。なお同じ名前のバラで、花も似ている品種がアメリカのJ&P社から出ている。

バラ‘モーリス・ユトリロ’
ローズ・ド・ペーントゥルシリーズの一つ‘モーリス・ユトリロ’。

フランス中部、オーベルニュ地方にあるデルバール社は、1954年よりバラの育種に力を入れ、現在は3代目のデルバール氏が代表を務めている。デルバールのバラはフランスらしい華やかさと香りが特徴で、中でもローズ・ド・ペーントゥル(Les Rose de Peintres)という画家シリーズが知られている。ほとんどが多色の絞りのバラで、画家のパレットを覗きこんだような艶やかさ。オルセー美術館の館長に印象派の絵のようだと言われたのがきっかけで、このバラのシリーズが誕生したのだという。

バラ‘エドガー・ドガ’
‘エドガー・ドガ’。

クロード・モネ以外にもエドガー・ドガ、アルフレッド・シスレー、ポール・ゴーギャン、モーリス・ユトリロ、ポール・セザンヌ、アンリ・マティス、マルク・シャガール、エドゥアール・マネなど、画家たちへのオマージュとしてバラにその名が捧げられている。

バラ‘ポール・ゴーギャン’
‘ポール・ゴーギャン’。

Information

モネの家と庭園(クロード・モネ財団)

84,rue Claude Monet 27620 Giverny France

電話+33(0)2 32 51 28 21  contact@fondation-monet.com

www.fondation-monet.com

開館:2020年は4月1日から11月1日まで。9時半~18時(最終入場17時半)。月曜休館

入場料:大人€9.50、 学生・12~7歳 €5.50、7歳以下 無料

アクセス:パリのサン=ラザール(Saint-Lazare)駅からルーアン(Rouen)行の列車で、約45分。ヴェルノン(Vernon)駅下車。列車到着の15分後にジヴェルニー行きのシャトルバスが発車。

*2020年5月時点で、団体客の受付は停止中。個人客は人数制限にて受付。(順次状況をご確認ください)

Credit

写真&文/松本路子
写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-20年現在は、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。

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