埼玉県川越市は、今や国内外から年間780万人が訪れる一大観光地──。蔵造りの町並みが続き、江戸時代さながらの情緒が漂う市中心部の一番街は、連日たくさんの人でにぎわっています。一方、市の南部には総面積約200万㎡の広大な森があります。林床に四季折々の植物が生い茂り、樹上では野鳥たちが鳴き交わす大きな森。かつての武蔵野の面影を残すこの森をこよなく愛し、散歩を日課とする二方満里子さん。遠くへ出かけなくても、身近な自然の中には心躍る発見がいっぱいあるようです。

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ウワミズザクラ(上溝桜)

ウワミズサクラ

森のこずえに淡い薄緑色のベールがかかる。空の光は、強さを増す。鳥のさえずりが、あちこちで聞こえる。森の芽吹きが始まったのだ。

始まったかと思うと、アッという間に緑は濃さを増していく。明るい萌黄色、強いエメラルドグリーン、憂いをおびた浅葱色、縹色(はなだいろ)、あらゆる緑が森を彩る。

山桜

緑に顔を染めて歩いていると、薄紅色の花びらが散り敷いているのに気づく。山桜だ。高い所で咲いているので、散り始めるまでは、あまり気づかない。

こうして、散ってしまってから、その存在に気づくのは、山桜に申し訳ない気がする。

山桜は、花と葉が一緒に出てくるものが多い。新芽から展開しかけた若い葉の色には、赤みを帯びた緑、黄緑、赤紫、褐色などがある。花弁の薄紅色と、葉色の取り合わせの妙を楽しむ、山桜ファンも少なくない。

来年は、ぜひ、フィギュアスケート観戦の時に使うオペラグラスを持参して、山桜を観察しようと思う。

ウワミズサクラ

森のはずれに、大きなウワミズザクラの木がある。初めてその花を見たときは、サクラの花とはとうてい思えなかった。白い小さな花が、ブラシのようにかたまって咲いていたからである。樹に標識がとりつけてあって、名前が分かったときは、びっくりした。桜の仲間だったのだ。

ウワミズザクラは、八重桜も咲き終わった晩春に花開き、8月頃に実をつける。若い実を塩漬けにしたものは、杏仁香(アンニンゴ)と呼ばれる。また、黒く熟した実を漬けた果実酒は、不老不死の薬とされた。なんだか、めでたい樹なのだ。

古代、この材の上面に溝を掘り、亀甲を焼いて吉凶の占いに使ったことから、上溝桜(ウワミズザクラ)の名前がつけられた。

今、現在、私たちは新型コロナウイルス感染症の世界的な流行に悩まされている。感染者がジリジリと増え、閉塞感が社会を重苦しく包んでいる。

ウワミズザクラの幹に触れながら、「コロナウイルス流行の早期終息」の占いを下してください、と密かに祈った。

ナズナとシロイヌナズナ

シロイヌナズナ

ウワミズザクラの樹の前には、野原と市民農園が広がっている。

この野原に、ナズナによく似た花が群生しているのに気づいた。白い4片のアブラナ科独特の小さな花が、茎の先に集まってついている。

ナズナであれば、この花穂は、4月から7月にかけて、ぐんぐん伸びながら、下から上に次々に花を咲かせていく。そして、花が終わると、ハート形の種子ができる。この種子が、いわゆるペンペンである。子供の頃、ペンペン草で遊んだ人は多いと思う。

しかし、今見ている花には、ハート形の種子、つまりペンペンがない。花の下から、2cmくらいの棒状の茎のようなものが、たくさん突き出ている。よく見ると、花の中心からも出ている。そこで、この棒状の突起物は、種子だと分かった。

ナズナではないとすると、何だろう? 調べていくうちに、「シロイヌナズナ」という植物名が浮かんできた。特徴は似ている。

「シロイヌナズナ」は、モデル植物として有名だそうだ。持っている遺伝子数が少なく、また、世代交代が非常に早いことから、古くから遺伝子の実験に利用されてきた。さらに、2000年に、高等植物として最初に全ゲノムの解読が終了した。今や、遺伝学や分子生物学の分野での実験の「スター」となったのである。被子植物を代表する「シロイヌナズナ」と、コケ植物、シダ植物、裸子植物を比較することで、植物の進化の過程が、分子生物学のレベルで解明できるかもしれない。それを考えると、ワクワクする。

でも、もしかしたら、これは「タネツケバナ」かもしれない。タネツケバナは、1月7日の七草粥に、ナズナに代わって登場することもある、食べられる野草である。今、どちらであるかを同定する知識が、私には残念ながらない。

「タネツケバナ」なら、古来から若菜摘みを楽しんできた、栄養豊富な野草。「シロイヌナズナ」なら、有名なモデル植物。

どっちにしても、春の野の植物観察は楽しい。

ドングリの芽吹き

ドングリの芽吹き

さて、秋から冬にかけて、大地に落ちたドングリたちは、どうなったであろうか。大半は、落ち葉の下に深くもぐりこんでしまっていた。落ち葉の上にソフトランディングしたものは、陽を浴びて昼寝を楽しんでいるかに見えた。

春の初めのある日、しゃがんで、じっとドングリを観察した。すると、硬い殻を割って、先のほうから細い根を出し、地中を目指しているドングリがいるではないか! 気がつけば、あっちにも、こっちにも。

私は、ドングリのいわゆる袴がとれて、そこから根が出ると予想していたが、違っていた。ドングリの先から根が出たのである。それでは、芽はどのように出るのだろうか。

毎週1回、散歩の度に見に行ったが、芽はなかなか出なかった。

落ち葉の下にもぐりこんでいたドングリたちの中には、もう10cm近くも芽が伸びて、双葉を展開しているものもあった。

根が出ているのを確認したドングリにも、1カ月経った頃、ようやく芽が出てきた。

根が出てきたところと同じ場所から、ちっちゃな芽を出したのである。ドングリの先から、一方は大地を目指し、一方は大空を目指す。旅立ちの時だ。いつか大木になって、ドングリをたわわに実らすように、祈らずにはいられない。

スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)

スプリング・エフェメラル

ナラ、コナラ、ブナなどの落葉樹を主体とするこの森では、芽吹きが始まっても、しばらくは明るい春の陽光が林床に十分届く。梢を見て、緑のグラデーションを楽しみ、足元を見て、すみれが咲いているのに気づく。

この森に咲いているのは、たいてい「たちつぼすみれ」だ。薄い紫色の小さな花弁、小人が踊っているように反り返った花姿。そして、冬から晩春まで咲き続ける、園芸種のビオラやパンジーとは異なり、あっという間に姿を消してしまう。

森に咲くすみれは、「春の妖精」のような存在だ。少なくとも、私にとっては。

英語に、「Spring ephemeral(スプリング・エフェメラル)」という魅惑的な響きを持つ言葉がある。この言葉を知ったのは、つい最近のこと。

「春のはかないもの」とか、「春の短い命」とか、「春の妖精」とかに翻訳されている。しかし、すみれは「スプリング・エフェメラル」の仲間には入っていないようだ。

「スプリング・エフェメラル」とは、次のように定義されている。

落葉した広葉樹林に春の陽光が差し込んでくるのを、じっと林床の下で待ち、春先に花を咲かせる。そして、夏までの間に光合成を行って地下の栄養貯蔵器官(根や球根)、種子に栄養分を蓄える。その後は、地上部は枯れて姿を消し、春まで地下茎や球根の形で過ごすという、ライフスタイルを持っている。

草丈は、5cmから10cmと小さいが、大きく鮮やかな色の花が多い。昆虫によって、受粉が行われるため、派手な色をまとっているのだ。

すみれは、種子が弾け飛んで増えるので、スプリング・エフェメラルではない。

代表的なスプリング・エフェメラルは、

①ユリ科     カタクリ、ヒメニラ、バイモ類

②キンポウゲ科  イチリンソウ、ニリンソウ、キクザイチゲ、セツブンソウ、フクジュソウ

③ケシ科     エゾエンゴサク、ムラサキケマン、ジロボウエンゴサク

など。中でも典型的な植物は、カタクリである。

カタクリ群生地
北海道・突哨山のカタクリ群生地。photo/HaradaHideo

しかし、この森では、カタクリは見たことがない。北海道のカタクリとエゾエンゴサクの風景は写真で見て一度見て見たいものだとずっと思っている。また、東京都清瀬市には、空堀川に面した北向きの斜面に、カタクリの群生地がある。友達に誘われて見に行った時、東京にこんな見事なカタクリの花が咲いているなんて、とびっくりした。清瀬市は、空堀川周辺を緑地保存地域として、大切に保護している。

私が散歩する川越の森も、清瀬市も、武蔵野の一部である。ここ、川越の森にカタクリが咲いていても不思議ではない。しかし、現実には咲いていない。咲かない理由があるとしたら、何だろうか。

考えられる理由の一つは、林床に笹が目立つこと。もう一つは、落ち葉が厚く散り敷いていることである。この2点は、人の適切な手入れがされていないことを示している。笹を刈り取ったり、落ち葉をかき集めたりしないと森は荒れてしまう。このような状態では、カタクリは芽吹くことができないのである。

さらに、森の近くには川が流れておらず、やや乾燥していることも関係しているかもしれない。

昔の文書を調べて、かつて、ここにカタクリの群生地があったか、なかったか、それだけでも知りたいものだ。

ムラサキケマン

この森のスプリング・エフェメラルといえば、ムラサキケマンである。森の中の陽の当たらない場所に、渋い紫色の花がひっそり咲いている。よく見るので、希少価値が感じられない。ちょっと残念な植物になっている。ムラサキケマンの白花のバージョンがある、ということが分かったので、これからは、もっと熱心に観察してみよう。

キンラン、ギンラン

キンラン、ギンラン
左)キンラン、右)ギンラン。photo/alpsdake(CC BY-SA 3.0)

森の新緑がだんだん濃くなり始めた頃、金色のキンランの花が咲く。新緑の葉をきらめかせながら、林床に差し込む木漏れ日は、森を舞台とするスポットライトのようだ。そのスポットライトを浴びて、キンランは花を咲かせる。まるで、どこにスポットライトが当たるかを、あらかじめ知っていたかのように、一本、また一本と咲き出す。その様子は、金色の衣装をつけた小さなバレエダンサーが、春の発表会をしているようだ。

白い花のギンランも、この森で、同時期に見ることができる。ギンランのほうが草丈が低く、白い花と若草色の葉が、キリッとした端正な草姿を見せる。大きな樹の下に5、6本群れて咲いているのを見かけたことがある。キンランより、やや日陰を好むようだ。

キンランもギンランも、ラン科キンラン属の和ラン。以前はよく見られた、ありふれた花の一種だったが、1990年代頃から急に数を減らした。原因は、雑木林の手入れ不足、宅地開発、野生ランブームに便乗した乱獲。

このため、1997年にキンランは、絶滅危惧二類に指定された。

キンランは、複雑なシステムを持つ菌従属栄養植物である。コナラなどの樹木、その樹に共生する外菌根菌、キンラン、この三者の共生関係がなければ、キンランは生きていけない。黄金に輝くキンランの花の可愛らしさに、そっと触れても、決して引き抜いてはならないのだ。

ヒトリシズカとフタリシズカ

ヒトリシズカ
ヒトリシズカ。photo/alpsdake(CC BY-SA 4.0)

「ヒトリシズカ」も「フタリシズカ」も、まず、植物図鑑でその草姿と植物名を知った。ヒトリシズカは1本の花穂、フタリシズカは2本の花穂を持つ。楚々とした白い花と、ちょっと変わった心惹かれる名前に、早く実物を見たいと思った。が、なかなかその機会に恵まれないうちに、時は過ぎていった。そのうち、「ヒトリ」も「フタリ」も忘れてしまった。

散歩の途中、何気なく視線をほの暗い木立の下に投げた時、そこに「フタリシズカ」があった。小さな白い花をつけた、2、3cmの花穂が2本、大きな葉が2枚双生している茎の先に、咲き出していた。思いがけない出会いだった。「シズカはここにいるよ」と語りかけているようだった。

フタリシズカ
フタリシズカ。photo/alpsdake(CC BY-SA 4.0)

「フタリシズカ」の名前は、能の演目「二人静」からきている。「静」は源義経の恋人「静御前」。静御前は、白い衣装で舞を舞う男装の美女。能の「二人静」は、静御前とその亡霊の二人が、舞を舞って、現世で味わった悩み、苦しみ、悲しみを慰め、浄化するというストーリーだ。

目の当たりにする「フタリシズカ」の花の穂(花序)は2本。1本は、「静御前」、もう1本は「亡霊」ということだろうか。

暗い木立の下に咲くフタリシズカは、確かに幽玄そのものだった。

Credit

写真&文/二方満里子(ふたかたまりこ)
早稲田大学文学部国文科卒業。CM制作会社勤務、専業主婦を経て、現在は日本語学校教師。主に東南アジアや中国からの語学研修生に日本語を教えている。趣味はガーデニング、植物観察、フィギュアスケート観戦。

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