バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによるバラと人をつなぐフォトエッセイ。イギリスの劇作家で詩人のウィリアム・シェイクスピアと、その名を冠したバラ‘ウィリアム・シェイクスピア2000’、そしてイギリスの生家を訪ねた旅などをご紹介します。
映画「シェイクスピアの庭」

イギリス映画「シェイクスピアの庭」を見た。16世紀から17世紀にかけて活躍した、劇作家、詩人のウィリアム・シェイクスピアを題材にした映画だ。49歳の若さで断筆し、ロンドンからイギリス中央部にある故郷の町に帰り、庭をつくり始める主人公。

11歳で夭折した息子ハムネットを悼み、彼に捧げる庭だが、そこからさまざまな物語が展開してゆく。シェイクスピアの晩年の人生、そして光あふれる庭の光景が印象的な映画だ。
シェイクスピア劇体験

シェイクスピアの故郷、ストラトフォード・アポン・エイボンには、過去2度ほど訪れている。最初は雑誌の仕事で、俳優のジェレミー・アイアンズの撮影に出かけた。映画俳優として世界的に知られる彼だが、本国ではシェイクスピア劇を演じる舞台俳優としての評価が高い。
ロイヤル・シェイクスピア劇場の舞台に出演中のアイアンズを楽屋で撮影した後、彼の招待で「冬物語」「リチャード3世」を見ることができた。それは私にとって初めてのシェイクスピア体験ともいうべきもので、強く印象に残っている。

劇場のショップで『シェイクスピアの花々』という小冊子を手に入れ、それらが集められている庭に興味を抱いた。シェイクスピアの生家、妻のアン・ハサウェイの実家を訪ねたが、残念なことに季節は冬。劇場の脇を流れるエイボン河も凍るほどの寒さで、庭は一面の冬景色だった。
シェイクスピアの生家を訪ねて

それから何年か経ってから、初夏のストラトフォード・アポン・エイボンを再訪した。我が家のバルコニーで‘ウィリアム・シェイクスピア2000’というバラが咲くようになって、バラの名前に興味を抱いた私は、イギリスでの心残りが思い出され、その地を再訪することにしたのだ。

町にはシェイクスピアゆかりの家が5戸あり、一般公開されていた。数日滞在した私は一つひとつを見て歩いた。生家は町の中心部から歩いて数分のヘンリー・ストリートに位置している。オーク材と漆喰の壁でできた、ハーフティンバー様式の建物で、シェイクスピアが生まれた16世紀から変わらぬ姿で残されている。家の内部を見学した後、建物の裏手に回り庭に出た。散策する人は少なく、広大な庭を満喫することができた。

シェイクスピアの戯曲には、約170種類の植物が登場するという。それらが登場人物の人間模様を彩る比ゆ的な存在で、重要な役割を果たしている。『ハムレット』の中で、愛するハムレットに父親を殺され、さらに裏切られて、狂っていくオフィーリアがハムレットに花を渡しながら「ローズマリーは思い出のために」(私を忘れないで)、「パンジーは物思うしるし」(思慮深くあって)と言葉を投げかけていく。そして現王、王妃には皮肉を込めた花ことばの植物を、といった具合だ(文中英訳・松本)。

生家の庭には、そうした植物たちが植えられていて、古い建物とのコントラストが美しい。バラは当時の原種が中心だが、例外的にイングリッシュローズの‘ウィリアム・シェイクスピア2000’が咲くコーナーもあった。
アン・ハサウェイの家

生家の庭とともに忘れられないのが、妻の実家「アン・ハサウェイズ・コテージ」。町から1.6kmほど離れたショッタリー村にあるこの家は、アンが結婚するまで暮らしていたところだ。大部分は15世紀半ばの建物で、一部が17世紀に増築されている。300年にわたりハサウェイの一族が住んでいたので、室内の家具も、16世紀から19世紀まで家族が使用していたものが残っている。
茅葺屋根の家とヴィクトリア時代のコテージ・ガーデンの典型ともいえる庭の風情に魅せられ、町に滞在中に3度ほど足を運んだ。庭の横手に果樹園があり、その先に古きイングランドの田園風景が広がる。そこは、シェイクスピアが描く自然描写そのもののように思えた。
シェイクスピア劇中のバラ

シェイクスピアの劇中に描かれた植物の中でも、バラの登場回数はとりわけ多く、全作品の中で70回から100回といわれている。バラはじつに効果的に使われており、特に知られているのが、『ロメオとジュリエット』のバルコニーの一場面。ロメオが宿敵の家の息子であることを嘆くセリフである。
「私の敵はあなたの名前。名前に何の意味があるの。私たちがバラと呼んでいる名前を変えても、その花の甘い香りに変わりはないわ」
ジュリエットの嘆きにもかかわらず、バラはバラとして存在する。2人の運命を予告する象徴として、バラが使われている。

また『真夏の夜の夢』では、妖精の女王ティターニャが森の中で眠るシーンで、ムスクローズやエグランティーヌがその寝床を天蓋のように覆っている。いずれも当時イギリスにあった原種で、強い香りのバラだ。『リチャード3世』の中では、幼な子2人の唇を4枚のバラの花びらに例え、夏の日差しの中で口づけをするシーンが際立っている。
※上記記載のエグランティーヌは、現在私たちが知るイングリッシュローズの‘エグランティーヌ(エグランタイン)’とは別のバラ。
イングリッシュ・ガーデンへの影響

シェイクスピアの豊富な植物の知識は、どこから得られたのだろうか。くしくも16世紀に、ジョン・ジェラードの『植物とその歴史』、ジョン・パーキンソンの『地上の楽園』と、イギリス植物学の2大著書といわれる本が出版されている。ストラトフォード・アポン・エイボンの自然の中で育ったシェイクスピアが植物に興味を抱き、こうした出版物から知識を得たとは考えられないだろうか。
シェイクスピア劇は、当時の庶民にとっての娯楽だった。劇中で頻繁に登場するバラ、スミレ、カーネーション、桜草、アイリス、ユリ、水仙、ハニーサックルなどの花々、ローズマリーやラヴェンダーなどのハーブ類。これらは今も人気の植物たちだ。イギリスで現在のような園芸が始まったのは15世紀からだといわれている。それまで植物は、薬用か食用として栽培されていた。
シェイクスピアの劇が、植物たちを専門書から解き放ち、劇を見る人々にその魅力を伝えたとしたら、彼がイギリス園芸の発展に大きな役割を果たした、といえるのではないだろうか。
バラの名前

今もニューヨークのセントラルパークをはじめとして、世界各地に「シェイクスピア・ガーデン」がつくられている。そしてバラの名前にも、シェイクスピアゆかりのものが多い。

我が家のバルコニーでは‘ウィリアム・シェイクスピア2000’のほか、‘スイート・ジュリエット’(『ロメオとジュリエット』から)、‘セプタード・アイル’(『リチャード2世』から)が長年咲き続けている。そのほか、バラ園でよく見かけるのが、‘オフィーリア’(『ハムレット』から)、‘フォールスタッフ’(『ウインザーの陽気な女房たち』から)、‘オセロ’(『オセロ』から)、‘ジェントル・ハーマイヤー’(『冬物語』から)など。こうしたバラを愛でながら、シェイクスピアの時代に思いを馳せるのも楽しいひとときだ。

Information
ストラトフォード・アポン・エイボン(Stratford-upon-Avon)へのアクセス。
ロンドンのメルリボーン(Marylebone)駅から列車で約2時間15分。ストラト・フォード・アポン駅下車、生家へは駅から徒歩で約10分。
Shakespeare’s Birthplace & Shakespeare Centre(生家)
Henley street Stratford –upon-Avon
Warwickshire CV37 6QW U.K.
電話44(0)1789 204 016
入場料 大人£18、子ども£12
https://www.shakespeare.org.uk (日本語あり)
※2020年3月現在、コロナウィルスの影響のため閉鎖中。HPのご案内を参照してください。
Credit
写真&文/松本路子
写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-20年現在は、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。
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