現代も愛される‘グルス・アン・テプリッツ’や‘ジプシー・ボーイ’などのバラはどうやって作られたのでしょうか。それは、世界各地で抗争が勃発した波乱の時代、ボヘミア王国(現チェコ)に生まれ、生涯アマチュアを通したバラの育種家、ルドルフ・ゲシュヴィントの活動によります。1909年まで発表され今も残るゲシュヴィント作出のバラについて、ローズアドバイザーの田中敏夫さんに解説していただきます。

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現チェコ出身のバラの育種家

これからお話しする、ルドルフ・ゲシュヴィント(Rudolf Geschwind)は1829年、ボヘミア王国(現チェコ)のテプリツに生まれました。

テプリツ
“テプリツ-1870年” [Public Domain via. Wikipedia Commons]
プラハの大学で2年間鉱業と林業について学んだ後、さらにバンスカー・シュチャヴニツァで鉱山学を修学。そして、学業を終えた後はハンガリー王国の森林管理局官吏として、イタリア、ウクライナ、ハンガリーなどで職務に励みました。1872年からはスロバキアのクルピーナに居を定め、同地の森林監督官となり、1910年同地で没しました。

そんな彼は、職務のかたわらバラの育種に熱心に取り組み、生涯アマチュアを通しましたが、時代をリードするバラ育種家として数多い品種を世に送り出したのです。

1863年、『バラの交配および育種法(Die Hybridation und Samlingszucht der Rosen)』というドイツ語で書かれた本を公刊しました。ゲシュヴィントはこの著作の中で遺伝学に基づいた系統的なバラ育種を提唱しました。

こうした育種法はドイツ語で書かれたものとしては初めてのものであり、後のドイツにおけるバラ育種に大きな影響を与えたといわれています。

ゲシュヴィントが作出したバラの行方

1910年の死去の際、6,000株ほどの無名の実生種が残されていたといわれています。

この膨大なコレクションは当時ヨーロッパ最大のバラ園、ドルナ・クルパ(Dolna Krupa)に贈られました。

ドルナ・クルパはバラ伯爵として名高いマリー・アンリエッタ・ショテック(Marie Henriette Chotek:1863-1946)所有のバラ園でした。伯爵は庭園の一画にゲシュヴィントが育種した品種の特別区画を設け、保全を図りました。1920年代中ごろ、ショテック伯爵は2,400種ほどの品種はゲシュヴィント育種のものであると述べています。

しかし、ドルナ・クルパのバラ園は、伯爵の懸命な努力にも関わらず、1930年代から第二次大戦にかけて荒廃し、バラのコレクションも失われてしまいました。

それでも今日、140を超えるゲシュヴィント育種の品種を見ることができますが、それはショテック伯爵の献身的な努力により保全され、後にザンガーハウゼンなどのバラ園に移されたことによります。

品種の同定にはオーストリア在住のゲシュヴィント研究家、エーリッヒ・ウンムント氏(Herr. Erich Unmurth)の努力に負うこと大です。

※以上の記事の情報はウンムルト氏による論説“Rudolf Geschwind”(http://www.ruususeura.fi/a-suomi/artikkelit/Unmuth/geschwind-1.html)に多くを負っています。

ゲシュヴィントが育種に使った3つのバラ

ゲシュヴィントは3つの品種を基に育種を始めました。

  1. 耐寒性に定評のある原種ハマナス
  2. 北米に自生する強健な原種ロサ・セティゲラ
  3. J. P. ヴィベールが残した赤花ランブラー、‘ド・ラ・グリフェレ’

の3つです。

ハマナス(R. rugosa

ハマナス
ハマナス Photo/田中敏夫

東シベリア、樺太、北朝鮮、北海道、千葉以北の太平洋岸、島根以北の日本海岸など、東北アジアの海岸地域の砂段丘などに自生しています。実生による繁殖に加え、地下茎の伸張により旺盛に繁殖します。そのため現在ではヨーロッパ、米国の海岸段丘などでピンピネリフォリアなどの在来種を駆逐する侵入外来種として駆除の対象となっています。

1775年から翌年までオランダ商館付きの医師として来日したスウェーデンの植物学者、ツンベルグ(Carl Peter Thunberg)は、短期間の滞在でしたが、多くの植物を集めて日本より持ち帰り、1784年刊行の『日本植物誌/Flora Japonica』(シーボルトにも同じタイトルの書籍-1835~1870分冊-がありますが異なる書籍です)を刊行しました。ハマナスもこの著作の中で紹介されました。

ロサ・セティゲラ(Rosa setigera

ロサ・セティゲラ
ロサ・セティゲラ Photo/田中敏夫

北米大陸東部、北はカナダ、オンタリオ州から米国フロリダ州まで、ロッキー山脈から東部一帯の主に草原に自生しています。バラ科の中で唯一雌雄異体であることで知られています。雄株は開花しますが結実しません。

乾燥にもよく耐える強健さから、プレーリー・ローズとも呼ばれますが、特徴のある3枚葉がキイチゴと似ているころから、キイチゴ葉バラ(Bramble leaved Rose)と呼ばれることも多い原種です。

1785年、植物採集のため北米大陸に渡ったフランスの植物学者アンドレ・ミショー(André Michaux :1746-1802)により発見されました(公表は1810年)。

ド・ラ・グリフェレ(De la Grifferaie)

ド・ラ・グリフェレ
‘ド・ラ・グリフェレ’ Photo/今井秀治

中輪、30弁前後、波打った花弁を詰め込んだような、丸弁咲きまたは平型の花形となります。

開花時、深いクリムゾンであった花色は、熟成するにしたがい急速に退色し、ピンクへと変化します。中にはほとんど白に近くなるものもあります。新しいクリムゾンの花と、退色したピンクの花がグラデーションの効果を生み、また、花自体にもストライプや斑模様が出るなど、めまぐるしく変化する花色です。

卵形の、深い緑のつや消し葉、トゲの少ない、細いけれど硬めの枝ぶり。シュートの発生の多い、樹高250〜350cmの高性のシュラブとなります。樹形や花つきなどから、ノイバラ交配種(Hyburid Multiflora)へクラス分けされていますが、その一方で、くすんだような深い葉色、茶の小さなトゲなど、ガリカに似通った形質が見られます。もともと、ノイバラ交配系にはディープ・ピンクなどの深い花色が見られないため、後、ノイバラ系赤花品種の交配親として多く使用されました。

1845年、フランスの名育種家、J.P. ヴィベール(Jean Pierre Vibert)により育種・公表されたというのが通説です。

交配親の詳細は不明ですが、ノイバラ(R. multiflora)とガリカの性質をあわせ持つ、不思議な品種として知られています。その強健な性質から、一時期、庭植えバラ育成の台木として使用されていたこともありました。

ゲシュヴィントはこれらの3品種と、当時流通していたHPやHTとを交配し、耐寒性のある強健種を育種しました。森林監督官を生業としていたからでしょうか、ゲシュヴィントが残した品種の多くに深い森が持つ神秘性を感じます。

ゲシュヴィントが生きた時代

師匠や先達の下で学んだこともなく、また、結局、後継する者もありませんでした。ゲシュヴィントは孤高のバラ育種家と呼ばれるにふさわしい人物です。

ゲシュヴィントが生きた時代は、列強による植民地獲得競争により、世界各地で抗争が勃発した波乱の時代でした。

ドイツ統一をもくろむプロイセン王国では、名高い鉄血宰相ビスマルクが1867年、オーストリア帝国との戦い(普墺戦争)に勝利し、1870年にはナポレオン3世治下のフランスとの戦争(普仏戦争)にも勝利して、1871年には念願であったドイツ帝国を打ち立てました。

フランスは普仏戦争に敗れ、パリを占領されたばかりではなく、ヴェルサイユにおいてプロイセン王ウィルヘルム2世がドイツ帝国皇帝に即位するという屈辱を味わいました。

オーストリアはプロイセンに敗れたものの、ハンガリー王国との統一に成功し、オーストリア=ハンガリー皇国の樹立を成し遂げていました。

一方、英国はこのようなドイツ帝国の政治・経済上の発展に対抗するために、インドやアフリカにおいてますます植民地支配を推し進めました。

ヴェルサイユ宮殿でのドイツ帝国成立宣言
“ヴェルサイユ宮殿でのドイツ帝国成立宣言” by Anton Alexander von Werner [Public Domain via. Wikipedia Commons]
ゲシュヴィントもボヘミア王国に生まれ、ハンガリー王国で学び、ハンガリー王国が後にオーストリアと連合したことにより、オーストリア=ハンガリー帝国でも働き場所を得るなど、支配権がめまぐるしく移り変わる地域に生きたのでした。

比較的入手容易なゲシュヴィントが残した品種をご紹介しましょう。

ゲシュヴィンツ・ノードランドローズ No.1(Geschwinds Nordlandrose I)-1884年

ゲシュヴィンツ・ノードランドローズ No.1’
‘ゲシュヴィンツ・ノードランドローズ No.1’ Photo/田中敏夫

中輪、厚みのある丸弁咲き。

グレイッシュな、しかし明るい色調のつや消し葉、樹高250〜350㎝、釣竿のように枝が真っ直ぐに伸びるクライマーとなります。

‘ド・ラ・グリフェレ’とHPかブルボンなどの不明種との交配により生み出されたといわれています。

耐寒性の強い品種です。よく結実する性質があり、ヨーロッパ北部の厳しい冬に耐えられるクライマーの育種に情熱を傾けていたゲシュヴィントは、この品種を交配親として品種改良に努めました。

この品種が「ナンバー1」と呼ばれるのは、じつは「ナンバー2」もあるからです。

No.2はゲシュヴィントが育種したものではなく、彼の死後、バラを管理していたドルナ・クルパバラ園で枝変わり種として生じたものです。No.1からずっと遅れて1927年ころ公表されました。オリジナルより多弁になった品種です。

ゲシュビンツ・オルデン(Geschwind’s Orden)-1885年

‘ゲシュビンツ・オルデン’
‘ゲシュビンツ・オルデン’ Photo/田中敏夫

中輪、浅いカップ型、ロゼット咲きの花形。

ラベンダー・シェイド気味のストロング・ピンクとなる花色、外縁部は浅い色に色抜けし非常に優雅です。幅狭、しかし、かなり大きめの明るい色合いのつや消し葉、樹高350〜500cmとなるランブラーです。

‘ド・ラ・グリフェレ’とハマナスを交配親として育種されたのではないかといわれていますが、定説とはなっておらず、由来は不明のままです。

クライマー/ランブラーに関して、古典的な著作となっている『つるバラ(Clibming Roses)』の著者であるG.A.スティーブンス氏は、「この国(アメリカ)ではあまり知られておらず、大事だとも思われない」と記述しています。スティーブンスはおそらくあまり状態のよくない株を観察したのではないでしょうか。この品種は間違いなく、ゲシュヴィントの傑作の一つです。オルデンとは勲章(ドイツ語)という意味です。

エアインネルンク・アン・ブロット(Erinnerung an Brod)-1886年

‘エアインネルンク・アン・ブロット’
‘エアインネルンク・アン・ブロット’ Photo/田中敏夫

中輪、60弁を超えるような、多弁。ダリアに似た、小さな花弁が密集した丸弁咲きの花形となります。しばしば、緑目が花心に生じます。

クリムゾンの花色、熟成するに従い、次第にパープルの色合いが濃くなっていきます。

細めで柔らかな枝ぶり、樹高180〜250cmとなります。シュラブとして登録されていますが、小さめのクライマーとして低いフェンスなどへ誘引するほうがよいように感じます。

交配親は不明でしたが、原種ロサ・セティゲラと藤色のHP、‘ジェニー・ド・シャトーブリアン(Génie de Châteaubriand)’との交配から生み出されてという説(エーリッヒ・ウンムース氏)が出されています。しかし、未だ確定的なものではないようです。また、グラハム・トーマス氏はロサ・セティゲラとの交配は間違いではないかと考えていたようです(”Graham Stuart Thomas Rose Book”)。

エアインネルンク・アン・ブロッドとは「ブロッドの思い出」という意。現在のセビリア、コスボの山間にブロッドという村があります。ゲシュヴィントは森林管理官として東欧各国を歴訪していました。公務としてブロッドを訪れたことがあるのかもしれません。

メテオール (Meteor) -1887年

‘メテオール’
‘メテオール’ Photo/田中敏夫

中輪、ルーズなカップ型、または丸弁咲きの花形となります。

開花当初はクリムゾン、熟成すると濃厚なディープ・ピンクとなる花色です。

葉先が尖った、楕円形。縁に銅色が出る、深い色合の照り葉、樹高250〜350cm高さへ達する、大きめのシュラブ、あるいは、小さめのランブラーとなる樹形です。ノワゼットにクラス分けされています。

1887年、育種・公開されました。もともと赤い花色のノワゼットは非常に稀なため、ノワゼットではないとする研究者もいるようですが、育種した本人である、ゲシュヴィントはこれをノワゼットとして認識していたようです。しかし、交配親はとうとう明かされませんでした(ド・ラ・グリフェレ系?)。

メテオールは流れ星という意味です。

マリー・デュルマール(Marie Dermar)-1889年

‘マリー・デュルマール’
‘マリー・デュルマール’ Photo/田中敏夫

中輪、カップ型の花形、房咲きとなることが多い品種です。

ホワイト、または、わずかにレモン色を加えたようなアイボリー・ホワイトとなる花色。

明るい、卵形のつや消し葉、柔らかい、しかしトゲの多い枝ぶり、樹高250〜350cmのシュラブとなります。小さめのランブラーとしてもよい柔らかな枝ぶりです。

1889年、育種・公表されました。ホワイトあるいはブラッシュ・ピンクの花、ブルボン、‘ルイーズ・ダルゾン(Louise d’Arzens)’の実生から生み出されたといわれています。この品種もノワゼットにクラス分けされています。

ノワゼットとしては例外的に耐寒性があることが知られています。また、英国の庭園史およびバラ研究家であるクエスト=リットソン氏は、まっすぐに伸びる紅色の新芽の様子から、ヨーロッパに自生する原種で、耐寒性で知られているロサ・アルベンシス(R. arvensis)が系統親の中にあるのではないかという見解を述べています(Charles Quest- Ritson, “Climbing Roses of the World”)。

アンナ・シャルザッハ(Anna Scharsach)-1890年

‘アンナ・シャルザッハ’
‘アンナ・シャルザッハ’ Photo/田中敏夫

中輪、30〜50弁ほどのボリュームのあるロゼット咲きの花形。

渋みを加えたような落ち着いた印象のミディアム・ピンクの花色、全体にかすれたように色抜けすることもあります。

深緑、丸く大きめの葉、樹高120〜180cm高さのシュラブとなります。

1890年に育種・公表されました。交配親については長く不明とされていましたが、ウンムルト氏によると、

種親:鮮やかなピンクのHP、‘バロネ・アドルフ・ロトシルト(Baron A. de Rothschild)’
花粉:淡いピンクのブルボン、‘マダム・ロリオール・ド・バルニ(Mme. Lauriol de Barny)’

との交配により育種されたとのことです。

ニンフェ・エーゲリア(Nymphe Egeria)-1893年

‘ニンフェ・エーゲリア’
‘ニンフェ・エーゲリア’ Photo/田中敏夫

中輪、丸弁咲きの花が春いっせいに開花し、房咲きとなります。

開花時、鮮やかなピンクであった花色は熟成すると色抜けし、明るいピンクとなります。

樹高400〜500cmの柔らかな枝ぶりのランブラーとなります。

1893年育種・公表されました。交配親は不明です。

ノイバラ交配種へクラス分けされていますが、原種ロサ・カニナ(R. canina)といずれかのブルボン種との交配ではないかという説もあります(Charles Quest- Ritson, “Climbing Roses of the World”)。

エーゲリアはローマ神話に現れる泉の妖精です。ローマ帝国、2代王ヌマ・ポンピリウスに、軍神マールスのお告げを伝えたとされています。

ヌマに教えを伝えるエーゲリア。
ヌマに教えを伝えるエーゲリア。 [Public Domain via. Wikipedia Commons]

グルス・アン・テプリッツ(Gruss an Teplitz)-1897年

‘グルス・アン・テプリツ’
‘グルス・アン・テプリッツ’ Photo/今井秀治

大輪、オープン・カップ型となる花形。

花色はクリムゾン、少し渋みの入った落ち着いた色合いです。

幅広で大きな、グレーイッシュで蒼みを帯びた深い色合の半照り葉、樹高120〜180cmの立ち性のシュラブとなります。

1897年、育種・公表されました。ゲシュヴィントの故郷、テプリツにちなんで命名されました。

交配親が不明で、また多くのクラスにまたがった性質があり、クラス分けが難しい品種です。

ハイブリッド・チャイナとされるのが一般的ですが、葉色や樹形などは、ブルボンの名花‘マダム・イザク・ペレール’などに似た面もあるためブルボンとする説もあります。

ゲシュヴィントの育種品種として、もっとも出回っているものです。

ゲジュヴィンツ・ショーンステ(Geschwinds Schönste)-1900年

‘ゲジュヴィンツ・ショーンステ’
‘ゲジュヴィンツ・ショーンステ’ Photo/田中敏夫

中輪、オープン・カップ型の花が数輪ほどの房咲きとなります。

バイオレットの色合いが濃いクリムゾンの花色。

楕円形、縁のノコ目が強めに出る、深い色合いの照り葉、樹高250〜360cmのランブラーです。

1900年に育種されましたがすぐには公表されず、1930年になってショテック伯爵により公表されました。

ノイバラ系のランブラーとしてクラス分けされています。赤いランブラー、‘ターナーズ・クリムゾン・ランブラー(Turner’s Crimson Rambler)’と、先に述べた‘グルス・アン・テプリッツ’との交配ではないかと見るむきもあります(Charles Quest- Ritson, “Climbing Roses of the World”)。

しかし、葉や枝の様子からは‘クリムゾン・ランブラー’の影響を感じ取ることはできません。また、ゲシュヴィントが‘クリムゾン・ランブラー’を交配に使用していたという記録も見当たりませんので、クエスト・リットソン氏の説には少し無理があるように感じます。

オイゲン・E・マルリット(Eugene E. Marlitt)-1900年

‘オイゲン・E・マルリット’
‘オイゲン・E・マルリット’ Photo/田中敏夫

大輪、カップ型、ロゼット咲き、または花弁が密集した丸弁咲きの花形。

花色はクリムゾン。マジェンタ気味の赤というのでしょうか、ピンクの色合いが濃い赤となります。

春、まっすぐに伸びた枝は優雅にアーチングして、その枝先に数輪の花が房咲きとなります。

葉先がピンとはねた楕円形の、深い色合いの照り葉、樹高120〜180cmのシュラブとなります。

1900年、育種・公表されました。交配親は不明です。

19世紀、ドイツで人気のあった大衆小説家、E・マルリットにちなんで命名されたと思われます。

E・マルリットの著作は、台頭するブルジョアジーの視点から、貴族主義を鋭く批判する作品、『帝国伯爵令嬢ギーゼラ』、『荒野のプリンセス』、『商業顧問官の家』などが代表的なものだということですが、翻訳はされていないようです。

アメリカで‘マギー(Maggie)’という名前で流通しているブルボン・ローズは、1980年に再発見されたバラだとされていますが、次第にこの‘オイゲン・E・マルリット’そのものではないかという解釈が受け入れられつつあるようです(ウンムルト氏)。

また、中国の古い由来のバラとされて国内で流通しているチャイナ・ローズ、‘紫燕飛舞(Zi Yan Fe Wu)’とも酷似しており、じつはこれも‘オイゲン・E・マルリット’ではないかともいわれています。真相の解明が待たれるところです。

ジプシー・ボーイ(ツィゴイナークナーベ)(Gipsy Boy;Zigeunerknabe)-1909年

ジプシー・ボーイ
‘ジプシー・ボーイ-別名、ツィゴイナークナーベ’ Photo/今井秀治

大輪、花弁が密集する丸弁咲き。数輪ほどの房咲き。

カーマイン/バーガンディまたは深いクリムゾン、熟成するとパープルの色合いが濃く出ることもあります。

縁に銅色が色濃く出ることが多い、非常に深い色合いのつや消し葉、樹高120〜180cmの硬い枝ぶりの、横張りするシュラブとなります。濃い葉色とがっちりとまとまりがある樹形が愛でられ、庭づくりにもよく利用されます。

「私の庭で、最も繁茂している品種の一つ…」とグラハム・トーマス氏より賛辞を送られています(“The Graham Stuart Thomas Rose Book”)。

ゲシュヴィントが育種し、ドイツのペーター・ランベルトによって1909年に公表されました。

ノイバラ系のランブラー、‘ルッセリアーナ(Russelliana)’の実生から育種されたのではないかと見られています。本来は‘ツィゴイナークナーベ(Zigeunerknabe)’と呼ばれるべきですが、その英訳の「ジプシー・ボーイ」という品種名のほうが広く知られています。

アスタ・フォン・パルパート(Asta von Parpart)-1909年

アスタ・フォン・パルパート
‘アスタ・フォン・パルパート’ Photo/田中敏夫

小さなボール状の丸いつぼみは、開花すると、中輪、浅いカップ型となります。花弁が密集し、しばしばロゼット咲きとなる花形です。3〜7輪ほどの小さな房咲きとなります。

モーヴ(藤色)として登録されていますが、クリムゾンまたはディープ・ピンクの花色。花弁の縁が淡く色抜けすることが多く、花形の美しさを際立たせます。

この品種の一番の特徴は、ブルーイッシュ・グリーンの葉色です。この例のない葉色がいったいどこからやってきたのか、ゲシュヴィント自身も語らなかったようです。

この品種も1909年にペーター・ランベルトにより公表されました。20世紀初頭、ゲシュヴィントは当時ヨーロッパ有数のバラ農場であったランベルトを通じて品種を公開していました。

‘ド・ラ・グリフェレ’と、ブルボン、あるいは、いずれかのハイブリッド・パーペチュアルとの交配により育種されたと見なされていますが、詳細は不明です。

アスタ・フォン・パルパート(Asta Selma Alice von Parpart)は1851年、西プロシア・ドルポーシュ(Dorporsch:現在のDorposz Chełmiński、ポーランド )生まれの貴婦人と伝えられています。

広く植栽されているわけではないのですが、「最も愛でるべき品種のひとつだ…」(Charles Quest Riston, “Climbing Roses of the World”)とまで評された品種です。

Credit

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたい思いから、2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/田中敏夫、今井秀治

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