埼玉県川越市は、今や国内外から年間780万人が訪れる一大観光地──。蔵造りの町並みが続き、江戸時代さながらの情緒が漂う市中心部の一番街は、連日たくさんの人でにぎわっています。一方、市の南部には総面積約200万㎡の広大な森があります。林床に四季折々の植物が生い茂り、樹上では野鳥たちが鳴き交わす大きな森。かつての武蔵野の面影を残すこの森をこよなく愛し、散歩を日課とする二方満里子さん。冬の森で、思いがけない出合いがたくさんあったようです。

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思索する樹々たち

武蔵野の森

冬の初めのよく晴れた日、森へ行ってみた。森の入り口を被い、猛々しく茂っていた葛は、すっかり枯れていた。低く地面に倒れ伏した枯れた蔓の重なり。夏の凄まじいまでのエネルギーは、いったいどこに消えてしまったのか。茶色く枯れた蔓を手にとると、過ぎた時間があっけないほど短いものだったことが実感できる。

けれども、葛は簡単には抜根できない。強く太い根を地に縦横に張りめぐらしている。春には、必ず芽吹いてくるだろう。

武蔵野の森

森へ入る。森は落葉し始めたばかり。落ち葉が薄く敷き詰められた散策路に、チラチラ木漏れ日が躍る。足元で落ち葉がカサカサ鳴る。

見上げると、まだ緑が残る木と、黄色や赤茶色に葉色を変容させた木が混在している。森の中は不思議な明るさにみちていて、今が秋なのか、春なのか、一瞬分からなくなってしまう。

この森には、楢の木を中心に、山桜、松、杉などがある。それぞれの木が、それぞれの時間をゆっくり思索しながら、冬を迎える。

ゴンズイとガマズミ

「ゴンズイ」と「ガマズミ」は、秋から冬にかけて森の縁を飾る小さな赤い実をつける低木である。それにしても、どちらもずいぶん変な植物名だ。

ゴンズイ

まず、「ゴンズイ」。ミツバウツギ科に属し、真っ赤な果実が熟すと中から黒い種子が飛び出すので、大変目立つ。植物図鑑で、その名前と姿を知っていれば、見かけたときにすぐ分かる。

「ゴンズイ」の名称は、魚のゴンズイに由来するという説が有力だ。魚のゴンズイはナマズ目の海水魚。毒があるために食べられない。つまり、役立たず。

植物のゴンズイは、樹皮が魚のゴンズイに似ている上に、材質がもろくて木材として利用できないので、やはり役立たず。「役立たず」という共通の性質が、植物と魚を結びつけたわけだ。

しかし、植物のゴンズイには、散歩する人の目を楽しませるという立派な役割がある。そして、魚のゴンズイも、うまく毒を除去すれば、なかなか美味だそうである。

こうした可哀想な、または気の毒な、残念な名前の植物は、ほかにもいっぱいある。いわく、「ヘクソカズラ」「ママコノシリヌグイ」「オオイヌノフグリ」など。それに比べると、「ゴンズイ」は響きが堂々としていて、何より一度覚えてしまうと忘れられないので、まあ、よしとしよう。

ガマズミ

「ガマズミ」は、庭木としてよく栽培されるオオデマリやサンゴジュと同種の落葉小低木。カエルの「ガマ」とは縁もゆかりもない。真っ赤な宝石のような小粒の実をたわわにつける。そして、その実は果実酒に利用できる。秋の夕日を閉じ込めたような透き通った果実酒は、なんとも魅力的。一房もらって、作りたい気もするけれど、散歩道で見かけるガマズミは、みんなのもの。やはり、見るだけにしておこう。

リンドウ(竜胆)

竜胆

「リンドウに出合えるだろうか?」。

そんなときめきを抱えて小径を行く。晩秋の森を散歩するときの、ひそかな楽しみの一つだ。

かつては、この森で腕に抱えられるほどのリンドウを採ることができたと、昔からの住人に聞いたことがある。その頃には、野ウサギが跳びはねる姿も見られたという。

野ウサギにはさすがに出合ったことがないけれど、リンドウは以前確かに咲いているのを見た。だが、最近は目にすることがない。

今年こそは、見たい。あの青紫の花を。

リンドウは東京・品川育ちの私にとって、秋のお彼岸のお墓参りに持参する花束に必ず入っている花だった。その頃はありふれた花だと思っていたが、長じて高原散歩を趣味とするようになってからは、秋の空にすっと伸びるリンドウは格別な花になった。とりわけ、流れる霧の中から幻のように青紫色の姿を現すときのリンドウには、神秘的なものすら感じるようになった。

だが今日は、散歩道を歩きながら枯れ草混じりの草叢に目をこらしたけれど、見つからない。私は意を決して、あたりに誰もいないのを確かめると、草叢の中に入って行った。ゆっくり歩きながら進んで行くと、秋の陽を集めたような、ぽっかりと明るい空間に出た。そこに小さなリンドウが咲いていた。

10cmあまりの草丈。優しい空色を帯びた花。神秘的というよりは、可憐な花。昔なじみの友達に会ったような思いがこみあげてきた。

「こんにちは。おひさしぶり。来年も会いに来るからね」

そっと声をかけて、その場を離れた。草叢に入り込んだせいで、ズボンにヌスビトハギのイガイガをびっしりとつけて……。

ヌスビトハギ

おじさんの話

この森では、散歩している人にはめったに出会わない。たまに会うのは「健康のために歩いています」という一生懸命モードで、まっすぐ前を向いて一心不乱に歩いている人。「こんにちは」と声をかけると、かなり無愛想な「こんにちは」という返事が返ってくる。紅葉していく樹々、梢をゆらす風の音、小鳥たちのさえずりなどには、あまり関心がないらしい。

しかし、今日、小学生が使うような昆虫採集用の網を手にして森の縁をぶらついている年配の男の人に出会った。そこは北側が少し開けていて、春から夏にかけては見渡す限り無数のヒメジョオンが花を咲かせていた場所だ。

「スズメバチがいるんだよ、この辺には」

近づいていくと、その人は気さくな感じで話しかけてきた。

「ほら、今、一匹ブーンと低く飛んで、森に入って行ったでしょ。あそこに巣があるんだよ。だから、この辺の薮に入り込んじゃダメだよ」

リンドウを探して私が草叢に入って行くのを見ていたのだろうか? そう私は思った。

「今年は暖かいから、まだスズメバチがいるんだね。まあ、もうすぐいなくなるだろうけど。でも、女王蜂はここからまた別の場所に飛んで行って、そこで冬眠をして、来年の春にまた卵を産むんだよ」

スズメバチのことに、ずいぶん詳しい人だった。

けれども、詳しいのはそれだけではなかった。

「この森には舞茸が生えるんだ。この間、見つけて採ったよ。いやー、でかかったね。直売所で700円くらいはするやつだった。うん、美味かったよ。何しろ天然物だからね」

男の人はそう言って、少し笑った。

私もこの森でたくさんキノコを見かけるけれど、舞茸なんて、もちろん見たことがない。そもそも食べられるキノコには出合ったことがなく、ある時、採ったキノコを手に持って歩いていたら、それを見かけた近くの農家の人に「あー、それはダメダメ! 食べられないよ。私が捨ててあげるから、こっちに貸しなさい」と言われて、捨てられてしまった。

ふと、男の人に「舞茸はどこに生えているんですか?」と聞いてみようと思ったけれど、やめた。教えてくれるはずがない。山菜やキノコの生える場所は、誰にとっても自分だけの大切な秘密なのだ。

とにかく、面白いおじさんだった。きっと、この森のことを知り尽くしているのだろう。森を散歩していて、知らない人と立ち話をしたのは今日が初めてだ。

冬の蛾

フユシャク

森の中には、細い木がまばらに生えていて、よく日の射す場所がある。今日も、そういう場所にさしかかり、小春日和の暖かさを楽しみながら歩いていた。

その時、ヒラヒラ動く小さな影が目の端に飛び込んできた。

何だろう? そう思って足を止め、周りを見回してみると、何ということだろう。ヒラヒラ動くものは、一つやふたつではない。10、20、30、いや何百という数の小さな生き物が、私の目の前の空間を舞っている。

淡い色の、光のかけらのような生き物だ。それが少しも動きを止めることなく、飛び続けている。そしてその生き物は、大地を覆う枯れ葉と語らうように、あるいは大地そのものと囁き交わすように、ヒラヒラ、ヒラヒラ、低く低く飛んでいる。

なんとも、不思議な光景。

魔法にかけられたように、私はしばしそこに立ち尽くした。

そのうち、何としてもこの生き物の正体を知りたいという思いがこみ上げてきた。私は1匹に狙いを定めると、1分あまり、その動きを追った。すると、それはあまり大きくは移動せずに、限られた狭い空間だけをヒラヒラしているのが分かった。

しかし、ずっと飛び続けていて、何かに止まるということがない。どこかに止まってほしい。どこに止まるだろう?

私と、その小さな生き物の根比べ──。

とうとう、それは枯れ葉の上に羽根を広げて止まった。大きさ1.5cmくらいの蝶か、もしくは蛾。驚くほど、枯れ葉の色に似ている。目で追跡していなければ、きっと枯れ葉に紛れて見失ってしまうだろう。

止まって羽根を休めているのを確かめてから、そっと手を伸ばすと、造作なく捕まえることができた。たまたま持っていたポリ袋の中に放し、家にお連れすることにした。ガラス瓶に入れて、何日か観察してみようと思ったのだ。

まず、「冬の蝶」でネット検索してみた。ヒットしない。成虫で冬を越す蝶も存在するが、形、色が違う。そこで、「冬の蛾」で再び検索。すると、ぴったり特徴が一致するものが見つかった。

「フユシャク」──。

チョウ目シャクガ科に属する昆虫。名前はフユシャクだが、冬の寒さに耐えて越冬するのではなく、冬に生殖活動をするのだという。つまり私が見たのは、相手を求めて婚活中のフユシャクの大軍団だったのだ。

フユシャクは体は小さいけれど、大きな謎を秘めた昆虫だ。オスとメスは形が全く異なっていて、メスには羽根がないのだ。だから、メスは空中を飛べない。飛べないのに、どうやってオスと出会うのだろう?

じつは、メスは地表近くの枯れ葉の上などに待機していて、フェロモンを出し、オスを呼び寄せている。オスはそれを手がかりに、メスを見つけるのだ。

なるほど。オスのフユシャクが低く、大地と囁き交わすように飛んでいたのは、メスに呼び寄せられていたからなのだ。

そして、春。誕生した彼らの子どもたちは、柔らかい植物の若芽を食べて成長するのだという。

冬に活動する理由は、肉食の昆虫などが冬眠して、天敵が少ないから。そしてフユシャクの成虫は、冬にはほとんどえさを食べずに繁殖活動に専念し、子孫を残すのだという。

残念ながら、メスのフユシャクはどうしても見つけることができなかった。しかし、私の「森のビックリ」に、また一つ大きなエピソードが加わった。

万両、千両、十両

十両

梅雨が終わろうとする頃、ほの暗い森の道沿いに、10cmから15cmの草丈の分厚い照り葉の群落を見つけたことがある。薄いピンク色の可愛い花が下向きに咲き、赤い実がひとつ残っていた。

「ヤブコウジ」だった。別名「十両」。森の中の林床に普通に自生しているが、日本庭園の根締めにもよく利用される。

冬の散歩では、赤い実の群落に出合うのを楽しみにしていたが、思ったほどには実はつけていない。森の中は、やはり日照が足りないのかもしれない。

森の少し奥に、高さ30cmほどの「十両」によく似た低木を見つけた。樹々が伐採されて、よく陽が差し込むようになった場所にあった。樹高が低いし、さくらんぼのように下向きに垂れている実の様子が、十両とそっくりだ。

しかし、よく見ると、葉の縁が波打っている。十両の葉は鋸歯状で、ギザギザと尖っている。これは「十両」ではなくて、もっとお高い植物、つまり「万両」だ。

この森に「十両」も「万両」もあるなんて、何と目出たいことか。けれども、私にとってうれしいのは、同じヤブコウジ科でも、十両と万両にはっきりとした違いがあるのが分かったことだった。

お相撲さんは十両で成績がいいと、幕内に昇進する。でも、植物の世界では、「十両」が「万両」に出世することは決してないのだ。

ちなみに、正月の生け花によく使われる「千両」は、ヤブコウジ科ではなく、「センリョウ科」。実のつき方も上向き、ヤブコウジ科とは違う。

我が家の庭には、小鳥が運んできたセンリョウがあり、いつの間にか成長し、実をつけるようになった。

「十両」、「千両」、「万両」。それぞれ違った味わいがあり、どれも素敵な和の植物だと思うけれど、私は「十両」の可愛い姿が一番好きだ。名前も、控えめでいい。

Credit

写真&文/二方満里子(ふたかたまりこ)
早稲田大学文学部国文科卒業。CM制作会社勤務、専業主婦を経て、現在は日本語学校教師。主に東南アジアや中国からの語学研修生に日本語を教えている。趣味はガーデニング、植物観察、フィギュアスケート観戦。

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