100年間も戦争を!? と、思わず首をかしげたくなりますが、そんなに長く続いた戦争が本当にあったのです。そして、その長い長い戦争がようやく終わった後に起きたのが、赤いバラと白いバラの戦い。こちらは、およそ30年間も続きました。いったい、何をめぐっての戦いだったのか? 歴史の彼方へ、ちょっと時間旅行をしてみましょう。
目次
百年戦争
百年間も戦い続けたのは、イングランドとフランス──。
両国はフランドル地方(現在の北フランスからオランダ、ベルギーにかけての地域)の羊毛の交易権や領土と王位などをめぐって、14世紀から15世紀にかけて断続的に戦争を続けました。この戦争は「百年戦争」と呼ばれています。
が、実際には何と、116年間も続いたのです。
ヘンリー6世の発病
百年戦争は15世紀の中頃になるとフランスが次第に優勢となり、イングランド軍はしばしば大敗を喫するようになります。
1449年10月には、フランスにおけるイングランド領だったノルマンディー地方の都ルーアンが陥落。その4年後には、フランス南西部ガスコーニュ地方の戦いでイングランドはフランスに破れました。
すると、当時イングランド王の座にあったヘンリー6世が、敗戦の報せを聞いたショックから神経性の発作を起こし、精神を病むようになってしまいました。
「バラ戦争」の始まり
王が統治能力を失ったことにより、イングランド宮廷は混乱。いち早く実権を握ろうとしたのは、ヘンリー6世の妃マルグリット(英名マーガレット)でした。
しかし、彼女はフランス王家出身の「外国人」。しかも、何かと前に出すぎる性格だったため、イングランド宮廷では全く人望がありませんでした。
そんな中、急速に発言力を増し、宮廷内で強い影響力をもつようになったのが有力貴族の一人、ヨーク公爵でした。
こうしてヘンリー6世と王妃マルグリットが属するランカスター家とヨーク公爵家の激しい権力闘争が始まり、やがてそれは内戦へと発展します。
この内戦は、ランカスター家が赤いバラを、ヨーク家が白いバラを紋章としていたため、「バラ戦争」と呼ばれています。
ランカスター家の赤いバラ
ランカスター家が紋章としていた赤いバラ。それは、現在でもオールドローズの人気品種の一つとなっている「ロサ・ガリカ・オフィキナリス」です。
深紅の半八重咲きの花が何とも優美で美しく、甘い芳香があるのも魅力的。
「ガリカ」とはラテン語で「フランスの」という意味、「オフィキナリス」とは「薬用の」という意味で、13世紀頃からフランスで薬用として大量に栽培されました。
ヨーク家の白いバラ
一方、ヨーク家が紋章としていた白いバラとは「ロサ・アルバ」のことで、「アルバ」とはラテン語で「白い」という意味。非常に古くから栽培されてきたこのバラからは数々の白バラが作出され、アルバ系という一つの大きな系統を形成することになりました。
芳香バラとして名高いダマスク・ローズとロサ・カニーナという一重の可愛らしいオールドローズの自然交雑種といわれ、ダマスク系の甘い香りがあるのが特徴。ヨーク家の庭園では、このバラがたくさん栽培されていたのかもしれません。
ヨーク王朝の誕生
さて、両家の間で始まったバラ戦争ですが、当初から優勢で、ランカスター王家を圧倒していたヨーク家。1460年の7月には、ノーサンプトンの戦いでヘンリー6世を捕虜にしてしまいます。その翌年、ヨーク家の頭領エドワードが「エドワード4世」としてイングランド王に即位しました。
その後、エドワード4世は貴族たちに反旗を翻され、フランスへの亡命を余儀なくされますが、1471年にイングランドに帰国。すぐさま権力を掌握すると、ヘンリー6世を処刑してしまいました。かくしてランカスター王家は断絶し、ヨーク王朝が誕生したのです。
エドワード4世の急死
エドワード4世は長身の偉丈夫で、なかなかのイケメン。ヨーロッパ中の王侯貴族の女性たちの憧れの的でした。ところが、彼は身分の低い階級の子持ちの未亡人と恋に落ち、極秘のうちに結婚。イングランドの人々を失望させました。
そして1483年3月、エドワード4世は若い頃からの暴飲暴食が祟って病に倒れ、この世を去りました。そこで幼い王子が「エドワード5世」として即位。亡くなったエドワード4世の弟グロスター公爵がエドワード5世をサポートすることになりました。
リチャード3世の即位
グロスター公爵が少年王エドワード5世を補佐するようになると、王の母親である皇太后エリザベスとグロスター公爵が対立。熾烈な権力闘争が始まりました。そんな中、イングランド議会は身分の低い階級出身の母親エリザベスから生まれた少年王の王位継承権を疑問視するようになり、1483年6月、ついに廃位を決議。エドワード5世は弟の王子とともにロンドン塔に幽閉されてしまいました。そして新たにグロスター公爵が「リチャード3世」としてイングランド王に即位しました。
ヨーク王朝の断絶
リチャード3世は即位すると、自分に敵対する貴族を追放したり、時には情け容赦なく処刑したりしました。そのため、多くの貴族の恨みと反感を買ってしまいます。イングランドがいささか不穏なそんな状況にあったときに登場するのが、リッチモンド伯爵ヘンリー・テューダーです。彼はランカスター王家の血を受け継いでおり、王家の再興を夢見ていました。フランスに亡命し、各地を転々としていたヘンリー・テューダーは、1485年8月、ついに挙兵。ウェールズに上陸して兵を進め、イングランド中部のボズワースでリチャード3世軍と激突しました。
その戦いのさなか、リチャード3世に不信を抱き、嫌悪していた貴族たちは次々に王を裏切り、戦線を離脱していきました。形勢が不利になる中、リチャード3世は勇猛果敢に戦いましたが、結局、ボズワースで戦死しました。かくして白いバラ「ロサ・アルバ」を紋章としていたヨーク家は滅亡したのです。
テューダー王朝の誕生
ボズワースの戦いから2カ月後の1485年10月、リッチモンド伯爵ヘンリー・テューダーが「ヘンリー7世」としてイングランド王に即位しました。テューダー王朝の誕生でした。
ヘンリー7世は、1486年1月、ヨーク家の王だったエドワード4世の長女エリザベスと結婚。
両家の紋章である赤いバラと白いバラを組み合わせた「テューダー家のバラ」という新しい紋章をつくり、ここに30年間続いたバラ戦争はようやく終結したのです。
Credit
文/岡崎英生(文筆家・園芸家)
早稲田大学文学部フランス文学科卒業。編集者から漫画の原作者、文筆家へ。1996年より長野県松本市内四賀地区にあるクラインガルテン(滞在型市民農園)に通い、この地域に古くから伝わる有機栽培法を学びながら畑づくりを楽しむ。ラベンダーにも造詣が深く、著書に『芳香の大地 ラベンダーと北海道』(ラベンダークラブ刊)、訳書に『ラベンダーとラバンジン』(クリスティアーヌ・ムニエ著、フレグランスジャーナル社刊)など。
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