スペール・エ・ノッタン~イングリッシュローズの先駆け【花の女王バラを紐解く】

19世紀ヨーロッパにおいて有力なバラのナーセリーだった「スペール・エ・ノッタン」。現代、人気を誇るイングリッシュローズの先駆け的存在でもあった「スペール・エ・ノッタン」の設立から、残された名花の数々について、ローズアドバイザーの田中敏夫さんに解説していただきます。
目次
「スペール・エ・ノッタン」の設立
スペール・エ・ノッタンは小さな大公国ルクセンブルクに所在していたナーセリーでした。
西にベルギー、東にドイツ、南にフランス。ルクセンブルクは3つの国に囲まれ、以前はもっと広かったようですが、現在は、南北82km、東西57kmしかない小国、神奈川県ほどの広さです。
1855年、ピエール・ノッタン(Pierre Notting:1825-1895)とジャン・スペール(Jean Soupert:1834-1910)が、2人の名を冠したナーセリー、スペール・エ・ノッタン(英名ではスペール・アンド・ノッティング)を設立しました。翌々年の1857年、ジャン・スペールはピエール・ノッタンの妹アン・マリー・ノッタンと結婚し、2人は義兄弟となりました。
80年で200を超えるバラを発表
2人は事前にかなり協力して準備を進めていたものと想像されます。すぐに数多くの新品種を市場へ提供するようになりました。やがて名声がヨーロッパ中に知られるようになり、ナーセリーは繁栄しました。
設立者の2人が亡くなったのちは、スペールの息子であるジャン・ピエール、ピエール・アルフォンスおよびジャン・コンスタンの3人が継承し、ナーセリーは1935年まで、80年の長きに渡って続きました。
現在ナーセリーは残っていませんが、ルクセンブルク要塞からほど遠からぬ市内北西地区に、新ゴシック風煉瓦造りの瀟洒な社屋が残されています。
育種・公表された200を超える品種は、ケンティフォリア、ティーローズ、HP、HT、ポリアンサなど。オールドローズからモダンローズにまたがる広がりがあります。
多くの品種は、花弁が密集するケンティフォリアに似た大輪花、たおやかなシュラブといった特徴があります。返り咲きする品種も数多く、2人の最終的なコンセプトは、「オールドローズの美しさを、返り咲きするモダンローズとして実現する」というものだったといえると思います。
イングリッシュローズの先駆け的存在
じつは、このコンセプトは、デビッド・オースチン氏により生み出されたイングリッシュローズのコンセプトと同じです。スペール・エ・ノッタンは、ある意味ではイングリッシュローズの先駆けであったといってもいいのではないでしょうか。
1856年、2人が最初に公表したのは3品種、ラ・ノブレス、トゥール・ド・マラコフ、デュク・ド・コンスタンティンでした。
ラ・ノブレス(La Noblesse)- 1856年

モダン・ローズに劣らないほどの大輪花、花弁が密集する花形。
花色はミディアムピンク、花弁裏は淡い色合いになります。時にかなり濃いピンクが花弁の縁などに出ることがあります。
交配親は分かっていませんが、花形、樹形からケンティフォリアへクラス分けされています。春の一季咲きです。
ラ・ノブレス(La Noblesse)は貴族という意味です。同時に公表された他の2品種が帝政下のロシアと関連があるため、この品種もロシアの貴人に捧げられたのかもしれないという解説もあります(“Russian roses from Luxembourg-Preservation of the historical heritage of Luxembourg roses” by Y. Arbatskaya, K. Vikhlyaev)。
トゥール・ド・マラコフ(Tour de Malakoff)- 1856年
花色はくすみのある藤色。開花後、色が深くなり、ヴァイオレットに近づきます。‘タフタ・ローズ’と別名で呼ばれることがあるほど、薄く繊細な花弁は、ほかに似た品種を見つけることが難しいと思います。
小さなトゲが特徴的な赤褐色の株肌、非常に柔らかな枝ぶり、樹高180~250cmのシュラブとなります。
1855年、ロシアとヨーロッパ連合軍により熾烈な戦闘が行われたクリミア戦争。セヴァストポリ要塞の一角、要塞防御のかなめとされていたマラコフ砲台は、ロシア軍が保持していましたが、ヨーロッパ軍が攻略し、激しい攻防戦の末陥落しました。両軍それぞれ10万を超える死傷者が出た激しい戦闘でした。この品種は戦勝を記念した命名と思われます。
レフ・トルストイは、青年将校としてセヴァストポリでの戦闘に加わっていました。2年後には戦闘の悲惨さを伝える『セヴァストポリ物語』を執筆することとなります。
ラ・シレーヌ(La Sirène)- 1867年

カップ型、ロゼット咲きの花形。
モーヴ(藤色、ARS)として登録されていますが、深いピンクとなることが多い花色です。
シレーヌ(セイレーンとも、以下セイレーン)は、ホメーロスによる叙事詩『オデュッセイア』に登場する半身女性、半身鳥または魚の魔物。妖しい歌声で船乗りを惑わせ、船を岩礁へ導き、座礁させて殺すといわれていました。
トロイ戦争からの帰国の途にあったオデュッセウスは、セイレーンという乙女の顔、鳥の身体をした魔物が近くを航行する船乗りたちを歌によって引き寄せ、虜にするという噂を耳にします。そこでオデュッセウスは、その歌声が果たして伝え聞いた通りなのかどうか確かめることにしました。
船乗りたちには耳に栓をするように命じ、自らは体をマストに縛り付けてセイレーンの出没する海域に入りました。すると、多くのセイレーンが現れ歌声で魅了しようとします。歌声を聴いてしまったオデュッセウスは惑い狂い、マストを折るほどに猛りたって海に飛び込もうとしますが、船員たちに取り押さえられて危うく難を逃れることができました。
このセイレーンは、英語のサイレンの語源となったことでも知られています。

ウジェンヌ・フュースト(Eugène Fürst)- 1875年

大輪、深いカップ型、ロゼット咲きとなる花形。
花色はクリムゾン、花弁裏がわずかに薄くなることが多いようです。
丸みのある深い色合いのくすんだ葉色、先がちょっぴり尖って、愛らしい葉です。枝は細めですが、硬く、花をしっかりと支えます。
ダークレッドのハイブリッド・パーペチュアル、‘バロン・ド・ボンステッタン(Baron de Bonstetten)’を交配親の一つとして育種され、1875年に公表されました。
ドイツの『Frauendorfer Blätter(田園夫人新聞)』の編集者ウジェンヌ・フュースト(Eugène Fürst)へ捧げられました。『田園夫人新聞』は、ミュンヘンの地方官僚でかつ農場経営者であった父、ヨハンが発行していたものですが、父の死後1844年からウジェンヌが編集を継承するようになったものでした。雑誌ではスペール・エ・ノッタンの育種品種を取り上げ、好意的な評を記載していたようです。
また、1897年にルヴェルション氏により公表された‘バロン・ジロ・デュラン’は、ダークレッドの花弁の外縁が白く縁取りされたようになる珍しい品種で人気があります。この‘ウジェンヌ・フュースト’の枝変わり種ではないかと見られています。

ディレクトール・コンスタン・ベルナール(Directeur Constant Bernard)- 1886年

40を超える花弁が密集する厚みのあるロゼット咲き、または丸弁咲き、熟成すると花弁が折れ返ります。
深いピンクに染まっていたつぼみは、開花すると温かみを感じさせるライトピンクとなります。花弁縁には不定形にフリルが生じ、そこへつぼみの時の深いピンクが残り、縁取りのようになることもあります。
ミディアムピンクのHP‘アベル・グラン(Abel Grand)’と、ライト・イエローのティーローズ、‘マドマーゼル・アデール・ジュガン(Melle. Adèle Jougant)’との交配により育種されました。
花形は‘アベル・グラン’によく似ています、花色は交配親の性質を足して2で割ったような色合いです。
返り咲きする、出始めのHTの一つですが、花と樹形から受ける印象はHP、いかにもオールドローズ風です。HTではなく、HPにクラス分けしたほうが適切ではないかと感じています。
コンスタン・ベルナールはベルギー農業省の局長でした。この品種の公表年、1886年に死去しています。彼を偲んで命名されたのだと思います。
クロティルド・スペール(Clothilde Soupert)- 1889年
1889年に育種・公表され、父親であるジャン・スペールが娘クロチルドにちなんで命名しました。
フランス、リヨンのギヨ農場で育種されたポリアンサ、‘ミニョネット(Mignonette)’と、‘マダム・ダメツィ(Mme Damaizin)’との交配により生み出されたと記録されています。
可愛らしい花姿から、‘マダム・ムロン・デュ・テ(Mme. Merlon du Thé:“お茶とメロン夫人”)’と呼ばれることもあります。
現在、国内で流通している‘粉粧楼(Fen Zhang Lou)’は、近年、中国からもたらされたものです。宋の時代に育種されたチャイナローズの一つと伝えられているとのことですが、以前より’クロティルド・スペール’との著しい類似がたびたび指摘され、今日では、おそらくヨーロッパから中国へ入り、そこで中国名がつけられ、日本へ渡来したのではないかと見られています。

また、以前の記事『花の女王バラを紐解く「ティーローズの誕生」』の中で、‘ロサ・インディカ・マジョール(Rosa indica major)’は中国名‘フン・チュアン・ロー(粉妝樓;Fun Jwan Lo)’だろうといわれていること、したがって本当の‘粉粧楼’はこの‘インディカ・マジョール’ではないかと感じていることを指摘させていただきました。
レーヌ・マルグリート・ディタリ(Reine Marguerite d’Italie)- 1904年

35弁ほどの乱れがちなカップ型となる花形。外縁の花弁が大きく開き、花心に近い花弁は密集したままであることが多く、畑のキャベツを極小化して紅色に染めたような印象を受けます。
花色はクリムゾン、熟成すると蒼みを帯びてパープルに近い花色となります。
大きなトゲ、硬めの枝ぶり、返り咲きする性質が強い高性のHTです。小さい樹形だという記述もありますが、観察している限りではかなり高性のシュラブとなっています。そのためクライマーとされることもたびたび。
1904年に公表されました。クリムゾンのHP、‘バロ・ナタニエル・ド・ロトシルト(Baron Nathaniel de Rothschild)’と、クリームの花弁縁にピンクがのる覆輪のティーローズ、‘プランセス・ド・バッサラバ・ド・ブラコヴァン(Princesse de Bassaraba de Brancovan)’との交配によると記録されています。
マダム・スゴン・ヴベール(Mme. Segond Weber)- 1907年

25弁から35弁ほどのダブル咲き、熟成すると花弁が折れ返り、典型的なHTの性質を示します。しかし、高芯咲きとは言い難い丸みを帯びた花形になります。花弁一枚一枚に厚みがあり、全体にふくよかな印象を受けます。開花直前のつぼみの美しさは格別です。
ミディアムピンクの花色、わずかにオレンジが差してサーモンピンクといってよい花色となることも。
全体に斑模様が出たり、基部に錆色が入ったような深みのある色合いとなることもあります。ティーローズ系の強い香り。中型のブッシュとなります。
この品種の印象は不思議なものです。
花色も花形も、葉の色や樹形にも特に目立った特徴があるわけではないのですが、とんがり気味のつぼみ、開花したてのよく整った花、熟成して花弁の並びに少し乱れが出た花、病弱でしおれがちな幅広で深い色合いの小葉、ちぢこまっているかのような樹形、それら全体から、はかなげな雰囲気を醸し出しているのではないでしょうか。
完璧なバラだとはいえませんが、私にとっては永遠のバラです。この品種を生み出してくれたスペール・エ・ノッタンに賛辞のかぎりを尽くしたいと思います。
ライトピンクのHT、‘アントワーヌ・リヴォワール(Antoine Rivoire)’とピンク・ブレンドのティーローズ、‘スヴェニール・ド・ヴィクトル・ユーゴー( Souv. De Victor Hugo)’との交配によるものです。
Credit
写真&文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたい思いから、2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。
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