バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによるバラと人をつなぐフォトエッセイ。バルコニーで育てているバラ‘マリー・アントワネット’や‘プチ・トリアノン’そして、フランス、ヴェルサイユ宮殿内の一般公開されている離宮「プチ・トリアノン」など、マリー・アントワネットゆかりの地を訪ねた旅についてご紹介します。

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バラとの出合い

マリー・アントワネット

十数年前、我が家のバルコニーに‘マリー・アントワネット’というバラがやってきた。友人から誕生日祝いに贈られた苗で、以来、毎年クリーム色の、華やかだが、どこか清楚な印象の花姿を見せてくれる。

何年か経つと、私にとって遠い存在だったフランス王妃マリー・アントワネットのことが気になり始めた。彼女が愛したベルサイユ宮殿の離宮、プチ・トリアノンについて知るにつれ、離宮とその庭を訪れてみたいと思うようになった。

バラ‘マリー・アントワネット’
我が家のバルコニーに咲くバラ‘マリー・アントワネット’。

アントワネットについては、凶作続きで食料が手に入らない国民に「パンがなければ、お菓子を食べればいいのよ」と言い放ったという逸話が、長い間伝えられてきた。だが今では、それはフランス革命時、諸悪の根源が彼女にあるかのように流布された噂の一つだったことが判明している。近年フランス革命についての再検証がなされ、アントワネットの人物像についても捉え直しが進んでいる。

フランス王妃マリー・アントワネット

マリー・アントワネット(Marie-Antoinette 1755-1793)はオーストリア、ウィーンのシェーンブルン宮殿で生まれた。母はハプスブルク家の女帝マリア・テレジア。テレジアの15番目の子どもである。

かなり前、旅の途中にシェーンブルン宮殿を訪れたことのある私は、愛らしい少女の肖像画に魅せられた。後に思い起こすと、それがアントワネットだった。

14歳でフランス王太子ルイ・オーギュストとの結婚のためパリへ。1774年、ルイ15世の突然の死によって夫がフランス国王になり、アントワネットは王妃となった。この時国王19歳。王妃は18歳。2人の結婚に悲劇的なものがあるとしたら、当時のヨーロッパで対立する二大勢力のハプスブルク家とフランスのブルボン家との政略結婚であったこと、そして若くして絶対的ともいえる権力を手中にしたことだろう。

プチ・トリアノン
アントワネットが愛したベルサイユ宮殿の離宮プチ・トリアノン。建築家アンジュ・ジャック=ガブリエルが設計したロココ様式の最高峰の建物といわれる。

アントワネットはフランス宮廷の形式や儀礼を重んずる古いしきたりを嫌い、宮殿に自己流のやり方を導入し始めた。さらに退屈から逃れんがために、次第に享楽に明け暮れる日々を送る。彼女にとって夫のルイ16世は伴侶として物足りない存在だった。

離宮のマリー・アントワネットの寝室
離宮のアントワネットの寝室。窓からイングリッシュガーデンと愛の神殿を望むことができる。当時はクッションにもたれて寝たので、ベッドは意外なほど小さい。
アントワネットの劇場
アントワネットが離宮の庭に建てた劇場内部。250席の会場で本格的な劇公演が行われ、また「貴族一座」を作り自らも舞台に立った。

1789年、大凶作に端を発した民衆の不満が高まり、それを利用して権力を得ようとする者たちが加わったフランス革命が勃発。ベルサイユ宮殿は暴徒によって襲撃された。国王は王権を停止されて4年後に処刑され、アントワネットも革命広場(現コンコルド広場)で断頭台の露と消えた。37年の短い生涯であった。

バラ‘マリー・アントワネット’

バラ’マリー・アントワネット’

バラの‘マリー・アントワネット’は、2003年にドイツのタンタウ社によって作出され、王妃に捧げられた。フロリバンダ系の四季咲きで、繰り返し花開く。アイボリーがかった淡いクリーム色の花を一房に4~5輪付け、ときには折り紙細工のように端正に花びらを重ねる姿が見られる。

樹形は半横張り性で、樹高は1m〜1.5mほど。枝は比較的細く、曲線を描くように伸びてゆく。スパイシーな香りをほのかに放つのがゆかしい。

プチ・トリアノンを訪ねての旅

プチ・トリアノン
プチ・トリアノンの建物を背景に、庭に咲くバラ‘プチ・トリアノン’。

ベルサイユ宮殿の北テラスから園内を巡るミニトレインに乗って20 分ほど行くと、離宮プチ・トリアノンに至る。アントワネットは馬車で10分ほどの道のりをしばしば歩いて通ったという。

離宮はもともとルイ15世が愛妾ポンパドゥール夫人のために建てたもので、周囲にはフランス式庭園が広がり、植物園を有していた。ルイ16世は即位後、この館を「花の好きなあなたに贈りましょう」と妻のアントワネットに捧げている。

プチ・トリアノン

離宮に着いた私は、館内を見るよりもまず庭に出てみた。アントワネットが最も心を砕いたのが庭園づくりだったからだ。植物園にあった植物を全て王立園(現パリ植物園)に移し、そこに自然に近い形のイギリス式庭園をつくり出した。

彼女が最初に手掛けた人工の小川に沿って歩くと、その先の小島に丸屋根を頂く12本のコリント式柱を配した建物が見えた。中央にキューピッドの彫像が立つギリシャ風の建物は「愛の神殿」と名付けられている。アントワネットは小島にバラを植えていた。バラの香りの中で、愛する人とのひとときを過ごしたと伝えられている。

愛の神殿
大理石のコリント式柱に囲まれ、中央にキューピッド像が建つ愛の神殿。

さらに小道を行くと、湖のほとりの小高い丘に八角形のパビリオンの優雅な姿が現れる。ベルヴェデーレと呼ばれる音楽堂で、彼女のお気に入りの場所だった。夏のラウンジともいわれ、窓を開け放ち、野外のリビングルームとして使用していた。

プチ・トリアノン
古代ローマ風に作られたベルヴェデーレと呼ばれたパビリオン。周りにスフィンクス像が配されている。アントワネットはこの周辺を「プチ・スイス」と名付けていた。

王妃の村里

王妃の村里
王妃の村里。人工の池のほとりに立つマールボロ塔から釣り糸を垂らして遊んだという。

イギリス式庭園の奥まったところにあるのが「ル・アモー・ド・ラ・レーヌ」(王妃の村里)と呼ばれる村落だ。中央につくられた池にはハスの花が浮かび、白鳥が遊んでいた。この池を囲むようにノルマンディー地方の田舎家を模した12軒の茅葺屋根の家が並んでいる。そのうちの1軒が「王妃の家」で、アントワネットはここで田舎暮らしを体験していた。

ベルサイユ宮殿の敷地内に突然現れる村落の風景。きらびやかな宮殿との落差にしばし唖然とさせられる。この村里が完成したのはフランスが大凶作に見舞われた頃だ。そのさなかに巨額の建設費が投じられたことと、こうした村落を必要とした王妃の心の空洞、そのどちらも痛ましいと思えた。

王妃の肖像

プチ・トリアノンの館内に入ると、1階のレセプションルームで3人の子どもが踊っている絵に出くわした。そのうちの一人がアントワネットだという。彼女とその母との手紙のやり取り『マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』(岩波書店刊)を読むと、テレジアがその絵を送るために部屋の寸法を尋ねるくだりが出てくる。

バラ‘マリア・テレジア’。
アントワネットの母であるハプスブルク家の女帝に捧げられたバラ‘マリア・テレジア’。2003年、ドイツのタンタウ社作出。

アントワネットとテレジアは、テレジアが亡くなるまで11年間にわたり毎月手紙を交わしていた。フランス王妃であると同時に、ハプスブルク家の娘であることを常に意識させられていたのだ。アントワネットにとって、離宮はベルサイユ宮殿にあって、ウィーンの宮殿での少女時代を呼び覚ます場所だったのかも知れない。

マリー・アントワネット

館の2階に向かうと、すぐ右手の部屋の壁によく知られたアントワネットの肖像画が掛けられていて、等身大のその肖像の迫力に一瞬ドキリとさせられた。手にはバラの花を持ち、背景にも庭園のバラが描かれている。当時あったバラ‘ロサ・ケンティフォリア’だろうか。たくさんの花弁が重なる優美な姿だ。そして気品と自信にあふれた肖像は、彼女を大輪のバラのように見せている。

女性画家エリザベート=ルィーズ・ヴィジェ=ルブランがこの絵を描いた時、アントワネットは28歳。長い間恵まれなかった子どもを授かり、また生涯でただひとり愛したといわれるフェルセン伯爵に見守られていた時期。彼女にとっての幸せの瞬間が、そこに永遠に写し止められている。

バラ‘プチ・トリアノン’

バラ‘プチ・トリアノン’
一つの茎にたくさんの花を付けるバラ‘プチ・トリアノン’。アントワネットの肖像画に描かれたバラを再現したもの。

プチ・トリアノンと名付けられたバラは、ベルサイユ宮殿の庭園長とメイアン社との親交から、2006年にフランスのメイアンによって作出された。離宮に掲げられたアントワネットの肖像画の中の淡いピンクのバラをイメージしたものだという。我が家では、‘マリー・アントワネット’と並んで、このバラが咲いている。

フロリバンダの四季咲きで、1本の茎に5~6輪のつぼみを付ける。花弁はロココ調に波打ち繊細な印象だが、開ききると牡丹の花のように艶やかな様相を見せる。樹形は直立性で、高さは1〜1.2m、花径は10〜13cmほどの大輪だ。

ベルサイユのバラ

‘ベルサイユのバラ’
2012年メイアン社によって作出された‘ベルサイユのバラ’。ビロードのような光沢を持つ深紅の艶やかな花姿。

オーストリアの伝記作家シュテファン・ツヴァイクは、その著『マリー・アントワネット』(中野京子訳、角川文庫)の中で「不幸になって初めて、自分が何者か、本当にわかるのです」という彼女の言葉を紹介している。私には革命の嵐の中で、フランス王妃としての自分を真に自覚した、という意味に受け取れた。

ハプスブルク家の娘は、その地位を否定された時に、初めてフランス王妃であることの誇りを胸に抱いたのではないだろうか。37歳の若さで断頭台の露と消えたことで、歴史上もっとも名を残した王妃となった。その名前を冠したバラとともに、人々の記憶の中に「ベルサイユのバラ」は咲き続けている。

Information

Petit Trianon(プチ・トリアノン)

Place d’Armes 78000 Versaille France
Phone +33 (0)1 30 83 78 00

RER lineC  Versaille Chateau Rive Gauche 下車(パリ市内から約40分)
駅からベルサイユ宮殿まで徒歩約10分。
プチ・トリアノンまでは宮殿北テラスからミニトレインで約20分(徒歩30分)

開館:12:00~18:30(11~3月は17:30まで)
*最終入館は閉館の30分前まで。チケットオフィスは40分前にクローズ。
月曜、祝日休館

入場料:ベルサイユ宮殿+トリアノン 20 €
トリアノンのみ 12€
18歳未満 無料
庭園見学は無料(イベントのない時)
ミニトレイン:8€

Credit

写真&文/松本路子
写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-19年現在は、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。

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