イタリアに生まれ、生涯を通じて植物などの自然やさまざまなものを観察しながら作品に遺した芸術家のレオナルド・ダ・ヴィンチ。2019年に、没後500年の節目の年を迎えました。そんなダ・ヴィンチの代表作の一つである名画『モナ・リザ』が、フランス・ルーヴル美術館に収蔵されるまでの経緯を、バラ文化と育成方法研究家で「日本ローズライフコーディネーター協会」の代表を務める元木はるみさんに教えていただきます。

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フランス・ルーヴル美術館に展示される『モナ・リザ』の謎

モナリザ
S-F/Shutterstock.com

世界屈指の美術館であるフランスのルーヴル美術館、その目玉でもある名画『モナ・リザ』。

イタリアの芸術家であるレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci/1452-1519)が描いたことで知られる、あまりにも有名なその『モナ・リザ』ですが、なぜ、イタリア・ルネサンス期の代表的な芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチに描かれた作品が、フランスのルーヴル美術館にあるのでしょうか?

今回は、その理由や、ダ・ヴィンチと縁あるフランスのロワール地方アンボワーズにある「クロ・リュセ城(Chateau du Clos Luce)」の庭園に咲くバラをご紹介します。

ロワール地方・アンボワーズの「クロ・リュセ城」

 クロ・リュセ城
クロ・リュセ城。

この城は、12世紀に建てられた基礎の上に、国王ルイ11世の見習いコックから国王の側近にまで出世したエチエンヌ・ルルーが城主となり、城砦として1471年に建設されました。15世紀の建物の特徴であるバラ色のレンガと石灰岩でできています。1490年には、シャルル8世の所有地となり、以後約200年にわたってフランス国王の居住城、または別荘として使用されました。

 クロ・リュセ城

「クロ・リュセ」の名は、15世紀末に、シャルル8世の妻で、幼い子どもを亡くして悲嘆にくれるアンヌ・ド・ブルターニュのためにつくられた礼拝堂に描かれたフレスコ画『光の聖母』に由来するのではないか、と考えられています。

クロ・リュセ城にやって来たレオナルド・ダ・ヴィンチ

フランソワ1世
フランソワ1世。

フランソワ1世は、姉のマルグリット・ド・ナヴァルと、クロ・リュセ城で幼少期を過ごしました。そして、フランソワ1世は、すぐ近くのアンボワーズ城に居を構えると、当時のイタリア・ルネサンスの文化や芸術をフランスに取り入れようと、レオナルド・ダ・ヴィンチを、クロ・リュセ城に呼び寄せました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチ Jakub Krechowicz/Shutterstock.com

その時、ダ・ヴィンチは64歳。1516年の秋、ロバにまたがり、弟子数人とともにアルプス山脈を越えて、アンボワーズの街にやって来たといわれています。

その際、ダ・ヴィンチは、3枚の絵を皮の肩掛けカバンに入れて持ってきました。

それは、『洗礼者聖ヨハネ』、『聖母子と聖アンナ』、そして、『モナ・リザ』の3枚です。

「洗礼者ヨハネ」と「聖母子と聖アンナ」

天を指さし、イエスがこれからやって来ることを示唆する『洗礼者聖ヨハネ』の絵は、クロ・リュセで完成させ、『聖母子と聖アンナ』(聖アンナは、マリアの母)の絵は、未完成となりましたが生涯筆を入れ続けました。そして、別名『ラ・ジョコンダ』といわれる『モナ・リザ』の絵は、フィレンツェのフランチェスコ・デル・ジョコンドに嫁いだリザ・ゲラルディニを描いたとするバザーリの記述に由来し『モナ・リザ』と呼ばれますが、さまざまな諸説があります(モナは婦人の意)。

モナリザ
muratart/Shutterstock.com

『モナ・リザ』の絵は、フランソワ1世によって1万2000フランで買い取られ、1805年以来、パリのルーヴル美術館に所蔵されて現在に至っています。1911年に一度盗難にあいましたが、1913年の暮れには幸いなことに返却されました。

日本でも1974年(昭和49)4月20日から6月10日まで、東京国立博物館にて特別展示され、大反響を呼びました。

晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチとフランソワ1世

レオナルドダヴィンチ
Hunter Bliss Images/Shutterstock.com

ダ・ヴィンチは、67歳でフランソワ1世が立ち会う中で亡くなったといわれています。「クロ・リュセ城」は、ダ・ヴィンチが亡くなるまでの3年間を過ごした終の住処となりました。

アンボワーズ城 
アンボワーズ城 Kiev.Victor/Shutterstock.com

クロ・リュセ城とフランソワ1世の居城であるアンボワーズ城は、わずか400mしか離れておらず、ダ・ヴィンチのベッドのある寝室の窓から、アンボワーズ城が眺められ、また、いつでもすぐに相談できるように、地下通路で繋がっていたともいわれています。

画家、技師、建築家、植物学者、哲学者、舞踏会の演出家として活躍したダ・ヴィンチと、その技能や知識を得たかったフランソワ1世との親密な間柄を垣間見ることができます。

クロ・リュセ城の中庭のバラ

クロ・リュセ城の中庭のバラ

クロ・リュセ城の中庭には真紅のバラがたくさん植えられていました。

品種名は‘スーリール・ドゥ・モナ・リザ’。

スーリール・ドゥ・モナ・リザ’

フロリバンダの‘スーリール・ドゥ・モナ・リザ’は、2008年にメイアン社が作出したバラで、名の意味は「モナ・リザの微笑み」です。

‘スーリール・ドゥ・モナ・リザ’

私が訪れた2019年の6月下旬、中庭には、たくさんの「モナ・リザの微笑み」が溢れていました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの庭園

レオナルド・ダ・ヴィンチの庭園
yvon52/Shutterstock.com

中庭の下方には窪地があり、その窪地には、ダ・ヴィンチがデッサンやクロッキーを行った、植物に覆われた庭園があります。現在では、ダ・ヴィンチの発明品のオブジェが所々に配置され、見学できるようになっていますが、ロワールの湿地帯特有の沼地生態系が自然のまま保護されていました。

レオナルドダヴィンチの庭園

生涯を通じて、植物等の自然やさまざまなものを観察しながら作品に遺したといわれるダ・ヴィンチは、2019年に没後500年を迎えました。

クロ・リュセ城を訪れた時の、中庭に溢れる「モナ・リザの微笑み」が、とても印象的でした。

Credit


写真&文/元木はるみ
神奈川の庭でバラを育てながら、バラ文化と育成方法の研究を続ける。「日本ローズライフコーディネーター協会」代表。近著に『アフターガーデニングを楽しむバラ庭づくり』(家の光協会刊)、『ときめく薔薇図鑑』(山と渓谷社)著、『ちいさな手のひら事典 バラ』(グラフィック社)監修など。TBSテレビ「マツコの知らない世界」で「美しく優雅~バラの世界」を紹介。
http://roseherb.exblog.jp
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