埼玉県川越市は、いまや国内外から年間780万人もが訪れる一大観光地──。蔵造りの町並みが続き、江戸時代さながらの情緒が漂う市中心部の一番街は、連日たくさんの人でにぎわっています。一方、市の南部には総面積約200万㎡の広大な森があります。林床に四季折々の植物が生い茂り、樹上では野鳥たちが鳴き交わす大きな森。かつての武蔵野の面影を残すこの森をこよなく愛し、散歩を日課とする二方満里子さんに、夏の森の様子をレポートしていただきました。
目次
オニユリとヤマユリ
私はひそかな期待を抱いて、梅雨明けの森に急いだ。
見たかったのは、ユリの花──。
それは梅雨の頃はまだつぼみで、うっすらとオレンジ色を帯びて、ふくらんでいた。いつ開花するのだろう? そう思いながら、この1週間ほど待ち続けていたのだ。
そのユリが、今日は咲いている。鮮やかな、濃いオレンジ色の花弁をクルリと反り返らせ、その花弁に星のように散っている濃紫色の斑点が「私はオニユリ!」と主張している。長いめしべと、それに寄り添う6本のおしべが、今年の盛夏の訪れを高らかに告げている。
やっぱり! やっぱり、オニユリだった……。
胸の中で一人、そうつぶやきながら、私はこの森で初めてオニユリのつぼみを発見したときのことを思い返していた。
森への散歩のとき、いつもは「出口」として使っている場所から入ってみると、そこにこれまでは気づかなかった花のつぼみがあるのを見つけた。1m以上は伸びた茎の頭頂に、小さいつぼみが5〜6個集まり、それが白い綿毛のようなものをまとっている。葉はすらりとした笹状の細葉で、互生している。
ユリに違いない。葉の付け根に茶色の小さな数珠球のようなもの、いわゆる「ムカゴ」をつけているので、もしかしたらオニユリかもしれない。
それにしても、綿毛をまとった花のつぼみなど、見たことがない。
生まれたての赤ん坊のような、可愛いつぼみに感動してしばし眺めていると、ユリは1本ではなく、さほど大きくはないけれど、ちょっとした群落をなしていることに気づいた。
この群落に花が咲いたら、どんなに見事だろう。オニユリだったらオレンジ色、違う種類だったら純白の花が咲くのだろうか?
つぼみの前でいろいろと想像し、私はその時だけの、花が咲くまでの幸せな時間を過ごした。
最初の開花を確認してからも何度も森に散歩に出かけ、オニユリの観察を続けた。するとオニユリは次々に咲き進むにつれて、光の射すほうへと倒れていった。まるで太陽神を恋して懸命に手を差しのべる神話の中の乙女のように。あるいはチベット仏教の信者が一歩進むごとに身体を大地に投げ出して祈る五体投地のように……。
このように光の射すほうへ、射すほうへと倒れていくのは、次世代の子孫、つまりムカゴを少しでもよい環境で生育させようというオニユリの戦略なのだろうか?
オニユリは種をつけない。ムカゴが地に落ちて増える。まだ花をつけない、細く丈の低い幼い個体にも、そのムカゴがついている。
地に落ちて全部が発芽するわけではないのだろうけれど、繁殖率はかなりいいに違いない。
けれど、それでは花はどんな役割を果たしているのだろうか? くっきりした色と形を持ち、「夏を告げるファンファーレ」のような存在感のある花。
日本名「オニユリ」、英名では花弁に斑点があることから「タイガー・リリー」と呼ばれる花は、中心部に立派なおしべとめしべを持っている。それなのに繁殖をムカゴたちに任せているのだとしたら、いったい花は何のためにあるのだろう?
つい、幼稚園児か小学生のように「それはなぜ? これは何?」と答えの見つからない質問をしたがるのが私の悪い癖。たぶん、オニユリの花とムカゴの不思議な関係は、進化の過程の微妙な事情でそうなっているのだろうし、今も進化は続いているのかもしれない。
この森で私が見たかったもう一つのユリは「ヤマユリ」。
こちらは森の奥深くで、ひっそりと咲いていた。たった1輪、甘い香りを漂わせながら微笑んでいる森の貴婦人。来年はお友だちと2人、3人と連れだって咲きますように。今年の花が最後の貴婦人だったなんてことには絶対になりませんように。
そんな願いを込めて見つめていると、いつまでも花の前から動くことができない。
というのも、ここにはじつは以前から「やまゆり」という立札が2本あって、少なくとも数本のヤマユリが咲いていたはずなのだ。なのに、今は1輪だけ。
どうやらユリには同じ土壌を嫌うという性質があるようで、いつの間にか消えてしまったり、別の場所に移動してしまったりするらしい。
今咲いているこの1輪も、もしかしたらいつか消えてしまう日が来るのかもしれない。もし、そんなことになったら、私がこっそり、ここにヤマユリの球根を植えちゃおうかしら……。
もちろん、それは絶対にやってはいけないこと。だけど、もしここにヤマユリが咲かなくなってしまったら、やっぱり寂しいなあ……。
そんなことを思いながら、馥郁とした高貴な香りと、純白の中に薄い黄色の線、点々と散らばる斑点など、変化に富んだ大きくて豪華な花姿を、私は時間をかけてゆっくりと愛でた。
木漏れ日と水引草
夏の太陽が木々の梢に降り注ぐと、森の中は光と影のドラマチックな舞台へと一変する。
キラキラ光って、主役に躍り出るのは水引草。細い茎に、小さな赤い花をつける地味な植物だけれど、木漏れ日を浴びている楚々とした姿は、まさに夏の森のヒロインだ。
森の上を風が吹き渡っていき、木漏れ日がゆらゆらと揺れる。すると、今度は白い花の銀水引が主役に。森の中では小さな花たちがそんなふうに光と影に彩られながら、生き生きと輝いている。
ヌスビトハギの小さなピンク色の花も咲いている。秋になると独特な形をした種をつけ、人や動物にくっついて移動し、生育領域を広げようとする植物だ。
おや、こちらにはツリガネニンジンが咲いている。
ツリガネニンジンは日当たりのよい所を好むので、この森にはないだろうと思っていた。けれど、ひょろひょろと頼りなげに伸びたのが2本、木漏れ日の下で花をつけている。
その可愛らしいベル形の水色の花を見て、うれしくなってしまう。私は揺すればほんとに音が鳴りそうなベル形の花が大好きなのだ。
森の木々は自然に枯れたり、台風で吹き倒されたりと、生育状況が常に少しずつ変わっている。周囲が開けてこの場所に陽射しが届くようになれば、ツリガネニンジンはもっと咲くかもしれない。
蝉の声、鳥のさえずり
雨が降っているときは森の中は無音。傘をさして散歩していると、なんだか重苦しくて、まるで海の底にいるような気分にすらなるほどだ。
けれど、今、梅雨明けの森は蝉の声と小鳥たちのさえずりでいっぱい。真夏の到来を喜ぶ生きものたちの大騒ぎが始まっている。
ミンミン蝉は一日中、ミーン、ミーンと鳴いているけれど、カナカナは朝と夕方に鳴くだけ。私が行った時は朝の8時頃だった。カナカナという声がして、一瞬間があり、またカナカナという声。数匹が鳴き交わしているように聞こえる。蝉たちの夏の短い恋──。
小径の途中にある案内板によれば、この森では12種ほどの野鳥に出合えるという。夏はキジバト、ヒヨドリ、メジロ、ホオジロ、ウグイス、カワラヒワ、ビンズイ、シジュウカラ、アオゲラ。
確かに、今、この時期はキジバトの「デデッポー」という低い鳴き声をよく聞くし、シジュウカラの「ツツピー、ツツピー、ジュクジュク」という声も耳にする。
私は植物好きなので、どちらかというと、いつも下ばかり見て歩いている。だから、高い木の枝に止まっていたり、飛んでいる鳥の姿を目にすることはめったにない。けれど、これから鳥や虫の声にも関心を向けてみようと思う。この森には、変化に富んだ美しい自然の音楽が溢れているのだから。
タカサゴユリ
毎日毎日暑くて、森にたどり着く前に倒れてしまいそうなので、1週間ほど、散歩に行くのを止めていた。が、今日はこれから雨が降るので、気温はあまり上がらないという天気予報。念のため傘を持って、行ってみることにした。
森に入る前の道路沿いに、幅5mくらいの草原がある。時々刈り込まれていて、草原好きの私をがっかりさせる。その草原の中に、白いユリ状の花を見つけた。
近づいてみると、葉が細くて尖っている。「タカサゴユリ」ではないかと思った。しかし、タカサゴユリなら花弁の外側に少し凹んだ紫色の線が入っているはず。その特徴が見られない。
高さは1mほど。「テッポウユリ」にとても似ているけれど、テッポウユリが咲くのは6〜7月だから、これはやはりタカサゴユリか、あるいはその交雑種の「新テッポウユリ」かもしれない。
タカサゴユリは台湾原産で、雑草のような繁殖力を持つといわれている。そのためか、抜き取りが奨励されている。けれども、花が美しいので、誰も抜き取らない。もちろん私だって、抜き取らない。何しろ、緑の草原にすっと背を伸ばして立っているその姿が、とても魅力的なのだ。
帰化植物には厳しく対処しなければならない場合もあるけれど、自然に入ってきたものや園芸用として導入したものにまで、むごい仕打ちをするのは、人間のあまりにも勝手すぎるやり方だ。
どういう経緯で咲くようになったユリであろうと、その清楚な花は文句なしに美しい。旧約聖書にも、こう書かれている。
「かのソロモン王の栄華も、野に咲く1本のユリに及ばない」
たとえタカサゴユリがどんなに邪魔者扱いされても、私だけはいつまでもタカサゴユリの味方でいたいと思う。
葛(くず)
旺盛な繁殖力を誇るつる植物といえば、葛(くず)である。この夏、私がよく散歩に行く森も、入り口と出口が葛で覆われ始めている。
私のお目当ては、その葛の花。もうそろそろ咲き出す頃だと見当をつけて行ってみると、やはり咲いていた。濃いピンクの花が空を見上げるように咲いている。近寄ってよく見ると、意外に繊細な形をしていて、なかなか美しい。
葛は万葉の昔から「秋の七草」の一つ。根は葛根湯として薬用に、また葛粉にして食用に使われてきた。
つるも煮て水にさらし、繊維を取って葛布を織ることができる。古代の日本では主に庶民の衣服に用いられたという。葛は山野にいくらでも繁茂していたから、古代の人たちはずいぶん重宝したに違いない。
とはいえ、葛布を織るには大変面倒な工程を経なければならず、今日では静岡県の掛川市で細々とつくられているだけだという。
自然の素材を使った工芸品は、年月が経てば経つほど風合いがよくなる。葛布もそうらしい。と聞くと、一度見てみたい、使ってみたいという思いが強くなるけれど、果たしてお目にかかれる日が来るかどうか。
葛には猛烈な繁殖力には似合わない美しい花が咲くからか、ロマンチックな物語もつくられている。例えば、人形浄瑠璃や歌舞伎で上演される「葛の葉」だ。話のあらすじをちょっとご紹介しておこう。
信太(しのだ)の森に棲む狐が、人間の男に命を助けられる。「葛の葉」と名乗って女の姿となった狐と男は恋に落ち、一緒に暮らし始める。やがて童子丸という可愛い子をさずかるが、ふとしたことから狐の化身だということが露見し、葛の葉は泣く泣く信太の森に帰っていく。そしてその時、童子丸に「恋しくば、信太の森を訪れよ」と言い残す。
伝説では、この童子丸が長じて、平安時代の有名な陰陽師・安倍晴明になったのだという。もちろん、あくまでも伝説ではあるけれど、稲荷大明神の化身である狐と、いかにも霊力がありそうな葛の力が合体すれば、本邦随一の陰陽師が生まれそうではある。
ちなみに、私の趣味の一つはフィギュアスケート観戦。羽生結弦選手が平昌五輪(08年)で「SEIMEI」を演じ、金メダルを獲得したときは我を忘れて興奮してしまったという思い出がある。羽生選手は平昌に出発する前、京都の晴明神社に参拝したのだという。
さて、私は森の出口に茂っている葛から、葉っぱと花を数個いただいて、家に帰った。途中、突然の激しい雨に打たれて、傘を持っていったにもかかわらず、びしょ濡れに。これって、もしかしたら葛の花を頂戴した「祟り」だったりして……。
それはともかく、せっかく森からもらってきた葛の花なので、ただ萎れさせてしまうのはもったいないと思い、夕食のときに天ぷらにしていただいた。美味しいといっていいのかどうか、それは何とも不思議な味の天ぷらだった。
Credit
二方満里子(ふたかたまりこ)
早稲田大学文学部国文科卒業。CM制作会社勤務、専業主婦を経て、現在は日本語学校教師。主に東南アジアや中国からの語学研修生に日本語を教えている。趣味はガーデニング、植物観察、フィギュアスケート観戦。
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