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[ROSE LABO通信 Vol.1]夢を持てない少女が“食べられるバラ”農園の若き経営者になるまで

[ROSE LABO通信 Vol.1]夢を持てない少女が“食べられるバラ”農園の若き経営者になるまで

食用の花“エディブルフラワー”の中でも、バラに着目し、“食べられるバラ”の栽培から、バラを使った食品やコスメの販売までを行うのがROSE LABO株式会社。この会社を2015年に立ち上げたのは、若き女性経営者でした。本連載では、ROSE LABO代表取締役の田中綾華さんに、“食べられるバラ”を育てる上でのエピソードや、バラに込める思い、食べられるバラの魅力などをご紹介していただきます。第一回目は、田中さんご自身とROSE LABOの自己紹介です。

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ROSE LABOがエディブルローズに込める思い

私たちROSE LABOは、2015年より埼玉県深谷市で“食べられるバラ”の栽培を行っています。飲食店に花びらを納品したり、また、自社の食べられるバラを加工したローズティーやローズジャムなどの食品、石鹸や化粧水などを百貨店やセレクトショップで販売している会社です。

「食べられるバラを通して世界中の人を美しく、健康に、幸せに」

この思いを込めて、毎日丁寧に自分たちの手でバラを育てています。

今回は、私がこの会社を立ち上げるに至った経緯や、バラ栽培にかける思いについてお話ししたいと思います。

ROSE LABOが育てたバラ

“バラ好きの起業家”だった曾祖母の影響を受けて…

実は私の家族に農家はいません。私に影響を与えたのは、バラ好きだった曾祖母です。

私の曾祖母は起業家で、鞄や靴の製造販売を行いながら、一人で7人の子どもを育て上げた、とてもパワフルな女性でした。常に明るく、オシャレで、“自分”を持っていて、カッコよくて…。座右の銘は「自分の人生は自分が主役」!

そんな曾祖母のパワーの源がバラだったのです。凛としたバラのルックスから、「薔薇が側にあると強く、美しくなれる」と私に教えてくれました。その言葉の影響と、曾祖母への憧れから、私も幼少期からバラが大好きでした。

でも私は曾祖母とは全く違い、個性や“自分”というものを持っておらず、口癖は「なんでもいい」…。特技や趣味も持たずに成長し、将来の夢や目標もないまま大学へ進学。そこで出会った同級生は、みんな夢や目標をしっかり持っていて、キラキラと輝く彼女たちを横目に、大学生活では常に劣等感を抱いていました。

「このままで私の人生は幸せなのだろうか?」

「今後の人生はどうやって設計すればよいのだろう」

そんな人生の悩みを抱えていた大学1年のある日、母とリビングルームで他愛もない会話をしている中で、「食べられるバラがある」ということを耳にしました。私にとって幼少時代から身近にあったバラだからこそ、とても衝撃を受けたのを覚えています。

「そもそも、誰がバラを食べられないと決めつけたんだろう」

それは自分が生きてきた中で得た経験や知識から生まれた“固定観念”だということに気が付き、その固定観念を消してみることにしました。

同時に、“バラが食べられる”ということに無限の可能性を感じ、「昔から好きだったバラを、しかも“食べられるバラ”を、自分の手で育てたい」と、生まれて初めて自分の夢ができたのです。

1秒でも早く農業の世界へ! と大学を中退

「一度きりの人生、思いっきり楽しもう!」「憧れの曾祖母に近付けるかもしれない」とワクワクする気持ちと同時に湧いてきたのが、とてつもない焦りでした。

農業は、技術や経験がそのまま作物の品質に直結するとても難しい世界で、深い知識と経験が必要だということは分かっていました。

でも自分は、親族にも農家はいないサラリーマン家系の生まれ。東京で育ったので、農家の知り合いもいません。

農業学校で学ばれた方や農家に生まれた方に相当出遅れている、という焦りや不安と戦いながら、「1秒でも早く農業の世界に飛び込まなくては!」と覚悟が決まりました。夢や目標もなくダラダラと過ごしていた毎日との決別です!

思い立ったら、自分でも驚くほどの突破力と行動力が発揮され、20歳で大学を中退。世間体を気にしたり、「せめて卒業してからでも」という声もありましたが、私は、「やりたい」と思ったその時が、最高のパフォーマンスを発揮できる時だと信じていましたので、行動に移しました。今でも、あの時期、直感に従って大学中退の決断をしてよかったと思っています。

常に心のどこかで、「バラ好きな曾祖母が見守ってくれている」という謎の自信があったのも事実です。

大学中退後、頼れるツテもなかったので、バラ農家を自分でネットで検索。やっと見つけた“食べられるバラ”を栽培している農家に泊まり込みで修行に入りました。

そこで基本的なバラ栽培のノウハウや、虫や病気の予防方法などを約1年間かけて勉強させていただき、独立したのが2015年。22歳の時でした。

バラの栽培 農園 ハウス

22歳での挫折、学びを経て…

独立できたのはよかったのですが、その時育て始めたバラたちは日に日に元気がなくなり、最終的にほとんど全てのバラを枯らしてしまいました。たった1年ほど修行をしただけで、私は「立派なバラ農家になれた」と少し天狗になっていたのだと思います。農業の世界や生物を扱うことは想像以上に奥深く、私はまだまだ勉強不足・経験不足でした。今思い返しても本当に悔しくて、バラに対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。

バラが枯れてしまった大きな原因は、肥料と灌水回数・量のバランスでした。でもその当時は原因が分からなかったので、毎日「どうしよう」と悩みながらも、朝は栽培をし、日中は都内へ営業に…。とにかく少しでも咲いてくれているバラをお客さまのもとに届けないと生活できない、と必死です。

経費はかさんで毎月赤字が続き、当時のメンバーに内緒で、夜は居酒屋でアルバイトをし、翌月の支払いに充てていくような日々でした。

体にも心にも余裕がないまま半年が過ぎた頃、ふと立ち止まって、「根本的にバラを咲かせないとずっとこのままだ…」とやっと気付いたのです。そして、アグリイノベーション大学校という週末に農業の座学や実習を学べるスクールに通い、ここでやっとバラが咲かなかった原因や、どうしたら咲くのかなどの知識や技術を学ぶことができました。

今、私の農園ではたくさんのバラが元気に咲いています。

ROSE LABO バラの栽培の様子

余ったバラを生かしてあげたい…たどり着いた商品化の道

バラが元気に咲いてくれたのは本当に嬉しかったのですが、当時は“食用花”の認知がまだまだ少なくて、取り扱いをしてくれる店舗がなかなか見つからず、バラが大量に余ってしまう状況に。でも、自分の手で毎日愛情を込めて育てたバラを捨てることはもちろんできず、家に持ち帰っていました。

「どうしたらこの子(バラ)たちの命を永らえさせてあげられるのだろうか…」。そう考えながら毎日を過ごしていました。

その時、バラを使用したジャムをメンバーに作ってあげたことがきっかけで、バラを加工食品に生かしたらいいのだと気づいたのです。

思い立ったら得意の行動力が再び発揮され、都内のあらゆる店舗に何度も足を運び、食品の流行やパッケージのデザイン、原材料などを研究。そうして、「食べて美しく」をコンセプトとしたバラの加工食品を開発し、商品化が実現しました。白砂糖の代わりに甜菜糖を使用したり、着色料は使わないなど、試行錯誤を重ねたうえで完成した製品です。また「見てワクワクする」という女性ならではの率直な感情も大切にしたいと思い、大きな花びらをそのままたっぷり入れるなど、こだわりと思いを詰め込みました。

現在は百貨店などのギフトカタログや、三越伊勢丹新宿店地下2階ビューティアポセカリーにて常設販売を行っています。ぜひ手にとってみてくださいね。

ROSE LABOのバラジャム

今回は、私の生い立ちや、なぜ食べられるバラを育て始めたのか、どんな思いで育てているのかなどをお話しさせていただきました。

次回は食べられるバラの魅力についてご紹介したいなと考えておりますので、目を通していただけると嬉しいです!

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Credit

ROSE LABO 代表 田中綾華さん

文/田中 綾華(たなか あやか)

ROSE LABO株式会社代表取締役。

農林水産省農林女子プロジェクトメンバー。世界56カ国から世界一の学生起業家を決めるGSEA2016日本代表。SNB女性起業家賞受賞。埼玉県深谷市にある約1,000坪(約3,000平方メートル)のビニールハウスで、無農薬の“食べられるバラ”を栽培している。栄養も摂りながら、五感で楽しめる加工食品やコスメなど、オリジナル商品の生産・販売も行う。

https://www.roselabo.com

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