花の女王と称されるバラは、世界中で愛されている植物の一大グループです。数多くの魅力的な品種にはそれぞれ、誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。「バラをもっと深く知り、多くの人に伝えたい」と数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りします。今井秀治カメラマンの美しいバラの写真とともにお楽しみください。

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ダマスクローズの起源を探る

ダマスクローズは名称からすぐに想像されるとおり、中東のダマスカス(現在のシリア)からヨーロッパにもたらされたとされています。

ヨーロッパにおいて植物誌などの文献に記述されるようになったのは、16世紀になってからのようです。下は、フランドルの植物学者マティアス・デ・ロベル(Mathias de l’Obel)の著作『園芸種および野生植物の歴史(Plantarum seu Stripium Historia)』(1597年刊)にロサ・ダマスケナ(Rosa Damascena)として記載された例です(左側)。

”Plantarum seu Stripium Historia” 1597 by Mathias de l’Obel [Public Domain via. Wikipedia Commons]
11世紀以降、十字軍の時代、騎士や僧侶たちは故国への帰途、数多くの財宝や文化財を持ち帰りました。そのなかに、アロマオイル生産のもととなるダマスクローズも持ち帰ったと伝えられています。

しかし、実際にはそれよりもはるかに古い時代、紀元前のローマ、あるいはエジプトなどでは、王侯・貴族たちの宴席でバラの花弁が大量に利用されていたことが分かっています。ただ、いったい、いつごろヨーロッパへもたらされたのかは不明で、おとぎ話のはじまりのように、「ずっとずっと昔のこと…」とするしかありません。

ダマスクローズの逸話

ダマスクローズにちなんだと思われる逸話をご紹介しましょう。

祖母や母を後ろ盾に14歳でローマ皇帝となったヘリオガバルス(在位218-222)は宗教や政治秩序の破壊、性的倒錯など、奢侈と放縦の限りを尽くし、ローマ史上最悪の暴君と評されています。

有名な逸話としてしばしば引用されているのは、宴会場の天井に天幕を張って大量のバラの花弁を隠しておき、宴たけなわのときに天幕を切って落下させ、招待客が窒息死するのを見て楽しんだ…とされていることです。

“The Roses of Heliogabalus” by Alma-Tadema, 1888, [Public Domain via. Wikipedia Commons]
この逸話が本当にあったことなのかどうかは不明です。しかし、エジプト女王クレオパトラがシーザーやアントニウスとの饗宴の席をバラの花弁で飾りたてたと伝えられているなど、バラの花弁の馥郁たる香りは紀元前から楽しまれてきました。

果たして、これらのバラは、今日主にアロマオイルの原料とされているダマスクであったのか、それともダマスクよりも古い由来とされるガリカであったのかは、解き明かされず謎のままです。

ダマスクは原種ではありません。ヨーロッパへやって来た最初から園芸種でした。もっとも古いのではないかとされるサマーダマスクは、学名ではロサ・クロス・ダマスケナ(R. x damascena)と表記されます。“x”(クロス)は「交雑種」を意味しています。

ダマスクローズの起源、現代の新説

ロサ・クロス・ダマスケナ Photo/今井秀治

ロサ・ダマスケナは春のみの一季咲きです。

実は秋にも咲くタイプもあります。そのため一般的には、春一季咲きのものをサマーダマスク(Summer Damask)、秋にも咲くものはオータムダマスク(Autumn Damask)と呼ばれています。

2つの品種は花色、花形、樹形などに大きな違いはありません。実施されたDNA検査でも、同じ染色体だという結果だったそうです。同じ染色体なのに、なぜ春の一季咲きと返り咲きと性質が違うのか不思議ですね。

ヨーロッパには、ムスクローズ(ロサ・モスカータ)と呼ばれるバラがありました。原種ではありません。寒冷地での生育は思わしくないことなどから、いつの時代かは分かりませんが、中東からもたらされたのだろうと言われています。

そして、ダマスクローズはガリカと、このムスクローズの自然交配により生じたとする説が、最近までの一般的な理解でした。

この説を覆す新説が、日本の研究家によって発表されたのは2000年のことでした。岩田光氏(湧永製薬)、加藤恒雄氏(広島県立大学)および大野乾氏(Beckman Research Institute of the City of Hope, USA)の3氏により発表された『ダマスクローズの3つの起源(Triparental origin of Damask roses)』がそれです。

ロサ・モスカータ(R. moschata)-ムスクローズ Photo/田中敏夫
ロサ・フェドッケンコアナ(R. fedtschenkoana) Photo/田中敏夫

この論文の中では、DNA検査の結果、ガリカ、ロサ・モスカータ(ムスクローズ)とともにロサ・フェドッケンコアナ(Rosa fedtschenkoana)がダマスクの誕生に深く関わっていたということが報告されたのです。

この学術論文は、バラ研究者の間でセンセーショナルな驚きをもって迎えられました。バラおよび庭園史の研究で名高い、英国のクエスト・リットソン氏は、ただちにフェデツケンコアーナとダマスクの間には、何ら共通点は見られないと反論しました。しかし、時間が経過するにつれ、この新説は科学的な分析結果を根拠とする、信頼される説として受け入れられつつあるといっていいでしょう。

香り高いムスクローズは古くから知られていますが、フェドッケンコアナの知名度は低いと思われます。

花色はホワイト。シングル咲きの大輪花。秋に実るローズヒップは、オレンジ・レッド、小さなトゲに覆われた尖り気味のミニトマトのような形になります。春の開花後、冬季までちらほらと返り咲きする性質があることで知られています。また、グレーがかった明るい色調のつや消し葉は、多くの原種のなかでも非常に特異なものです。

1871年頃、ロシアのプラント・ハンターであったフェデツチェンコ夫妻(Fedetsuchenko, Alexei& Olga)によって発見され、夫人のオルガにちなんで命名されました( Roger Phillips & Martyn Rix, “The Ultimate Guide To Roses”, 2004)。

では続いて、古い由来とされているダマスクをいくつかご紹介しましょう。

古い由来のダマスク3種

カザンリック(Kazanlik)

カザンリック Photo/今井秀治

大輪、35弁ほどの丸弁咲きの花。花色は濃淡が出る明るいピンク、鮮烈な香りが何よりも印象的です。バラの香りとして典型的なものにあげられる、ダマスク香を楽しむには最適の品種です。中型のシュラブ、明るく、しかし、くすみの入った葉色はダマスクローズの典型的な特徴です。

1850年頃、その時代に中東で栽培されていたものが持ち帰られ、ドイツのドクター・ディーク(Dr. Dieck)により公表されたという説もありますが、一般的には、古い時代に中東からもたらされたものとみなされています。

その鮮烈な香りゆえ、ブルガリア中部のカザンリュック(Kazanluk)近在で、アロマオイルの原料として大規模に栽培されていることから、カザンリックと呼ばれるようになりました。また、ハンガリーの他の地域やトルコなどでも、この品種、あるいは、近似した品種がアロマオイル採取の目的で栽培されているようです。

それらを総称して、”トリジンティペターラ(Trigintipetala:”30枚花弁花”)と呼んだらどうかと提案する研究者がありますが、適切な提言だと思います(Roger Phillips & Martyn Rix “Best Rose Guide”, 2004)。

セルシアナ(Celsiana)

セルシアナ Photo/今井秀治

中輪、はじめはカップ型、やがて花弁がおおらかに開き平咲きとなります。開花直後はライト・ピンク、やがて花色は次第に色褪せ、白に近くなります。

耐寒性、耐病性ともにすぐれ、多くのバラ愛好家にダマスクの美点をすべて備えたすぐれた品種と評されています。アルバに品種分けされているアメリア(Amelia)とよく似ています。他人の空似の好例です。

非常に古い時代にオランダで育種されたとみられていますが、フランスの園芸研究家であったセル(Jacues Martin Cels)が世に紹介したため、セルのバラ、Celsianaと呼ばれることになりました。

マリ-ルイーズ(Marie Louise)

マリ-ルイーズ  Photo/今井秀治

花の特徴は、ロゼッタ咲き、花色は少しくすみ(灰)の入った深みのあるピンク。

1811年頃、パリ、ティレリー宮の庭師で、マダム・アルディの育種で知られているウジェンヌ・アルディ(Eugene Hardy)により育種・公表されました。交配親は不明で、花形からケンティフォリアとされることもありますが、葉や樹形にはダマスクの特徴が濃厚で、一般的にはダマスクにクラス分けされることが多いようです。

小、中輪の花が多いオールドローズの中にあって、比較的大きな花形となる美しい品種として知られています。”ア・フルール・ギガンテスク”(A Fleurs Gigantesques:”巨大花”)と呼ばれることもあるほどです。

ダマスクローズの名花、マリ-ルイーズ

“Portrait of Empress Marie Louise” by François Gérard, [Public Domain via. Wikipedia Commons])
マリー・ルイーズ(Marie Louise:1791-1847)は、ナポレオン・ボナパルトがジョゼフィーヌと離婚した後、皇妃として迎えたオーストリア皇帝フランツ1世の娘、ハプスブルク家の王女です。フランス革命の渦中でギロチン刑に処せられたマリー・アントワネットは大叔母にあたります。

ハプスブルク家が皇帝として君臨するオーストリアは、ナポレオン率いるフランス軍に何度も蹂躙(じゅうりん)されたことなどから、マリー・ルイーズは、ナポレオンを忌み嫌っていました。

一方ナポレオンはジョゼフィーヌとの間に子ができないため、自分の生殖能力には欠陥があるのでないかと悩んでいたのですが(ジョゼフィーヌには前夫との間に2子があった)、愛人との間に私生児が誕生したことにより自信を回復し、名家の娘との間に子をもうけて、皇帝たる自分の子孫を残したいと思うようになりました。

そこでナポレオンは低い家格に生まれたジョゼフィーヌと離縁し、オーストリア・ハンガリーを支配する皇家のプリンセスであるマリー・ルイーズと婚儀を結ぶことにしました。この結婚は政略結婚そのものでした。婚儀が定められたとき、マリーは泣き暮らしたと伝えられています。しかし、結婚直後は、ナポレオンがマリー・ルイーズに穏やかに接したことなどから、フランスでの生活は平穏であり嫡子ナポレオン2世にも恵まれました。

しかし、無敵のナポレオンもロシア遠征で致命的な敗北を喫するなどして、敵対する同盟軍に追われるようになり退位を余儀なくされます。マリーはナポレオンがエルバ島へ流刑となった後はウィーンへ戻り、ナイベルグ伯と密通して娘を産むなどナポレオンとは疎遠になってしまいました。ナポレオンが流刑地エルバ島を脱出し、パリへ向かっているという知らせを聞いたときには仰天して、「またヨーロッパの平和が危険にさらされる」と言ったと伝えられています。

政略結婚であったにせよ、また、密通などにはかなり寛容な当時の時代風潮があったにせよ、英雄ナポレオンン・ボナパルトの不実な妻という悪名を後々まで残すことになってしまったのは、ある意味では気の毒なことだといえるかもしれません。

ダマスクローズの頂点にあるといってよいすぐれた品種ですが、皮肉なことにこの品種は、ジョゼフィーヌがマルメゾン館の庭園に集めたバラ品種の一つだといわれています。育種当時は、ベル・フラマンド(Belle Flamande)など別名称だったようですが、時代が下るにつれ、マリ-ルイーズという名がもっとも一般的になりました。

Credit

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたい思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスしている。

写真/今井秀治

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