花の女王と称されるバラは、世界中で愛されている植物の一大グループです。数多くの魅力的な品種には、それぞれ誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。「バラをもっと深く知り、多くの人に伝えたい」と数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りします。今井秀治カメラマンの美しいバラの写真とともにお楽しみください。
目次
ロサ・ガリカの命名
18世紀末頃のヨーロッパ。王侯貴族など富裕層に愛されたバラは、爽やかなピンクのケンティフォリアでした。しかし、最初の庭植えバラはケンティフォリアではなくガリカでした。ケンティフォリアは、ガリカなどの園芸種から後に生み出されたものなのです。
ガリカは園芸種の一つとして13世紀に中東からヨーロッパへ持ち帰られたということは広く知られています。しかし、その園芸種が中東においていつ頃から存在していたのかは分かっていません。
ロサ・ガリカ(Rosa gallica)が学名として正式に登録されたのは、到来からずいぶん経過してから、1753年、植物分類学の父、リンネによってでした。
花は赤、またはピンク。赤銅色の新芽は成熟すると深緑のつや消し葉となります。表皮のザラッとした感触が特徴的。ほかに、茶褐色の小突起のようなトゲが密生する、細めではあるものの固めの枝ぶり、高さ120〜180㎝ほどの枝が密生するブッシュというのが一般的な特徴です。
命名は、現在のフランス中西部に土着していたケルト系の民族であるガリア(Gallia)に由来します。
リンネのもとへ届けられたサンプルがフランスからのものであったこと、また、近代になってから主にガリア人たちが暮らしていた、フランス・プロバン地方で栽培されていたため、ガリアのバラ、ガリカと命名されたものと思われます。
野生種は、一説にはフランス東部からイタリア、バルカン半島およびコーカサス地方にかけて自生しているといわれていますが、現在は発見されることが稀で、見つかったとしても、果たしてそれが本物の野生種なのか、それとも八重咲きの園芸種から先祖返りしてシングル咲きとなったのか、どちらとも判断できないというのが現状です。
ガリカは本来フランスに由来するのではないというのが、現在のおおかたの理解になっています。
紀元前に遡るほどの古い時代から、香油製造の原料としてのダマスクやガリカが栽培されていたことは分かっていますが、それがそのまま、18世紀の終わり、つまりフランスにおいて観賞用の園芸種としてバラ栽培が盛んになった時代につながっているかといえば、それは違う、そこには大きなギャップ、断絶があったという印象を私は抱いています。
園芸バラは18世紀末頃からフランスで盛んになりましたが、実はフランドル地方(現在のオランダ、ベルギー地域)からやってきました。それは、以下の事実から明らかです。
静物画に描かれたバラとは
17世紀、フランドルでは花の静物画の黄金時代を迎えていました。
女性画家、マリア・ファン・オーステルウィック(Maria van Oosterwijk:1630-1693)やラッヘル・ライス(Rachel Ruysch: 1664-1750)が活躍した時代、彼女たちが残した作品のなかに描かれているバラは、ケンティフォリアです。おそらく富裕層しか観賞することができなかったそれらの貴重な花が、18世紀に入ってからフランスへと渡って一般化していったものと思われます。
つまり、18世紀から主にフランスで始まる観賞用の園芸種としてのバラは、ガリカではなくケンティフォリアが主流であった。ガリカはそうしたケンティフォリアの隆盛の陰で、赤色バラの親品種として交配の系統へと流れ込んでいったのではないか、そんなふうに私は感じています。
ロサ・ガリカがもたらしたバラへの影響
画像は現在、ガリカの原種として流通しているものです。
実は、リンネが保有していたロサ・ガリカの標本が「リンネ・コレクション(652.26)」として残され、英国のリンネ協会に保管されています(「ロサ・ガリカ」;“LINN 652.26 Rosa gallica (Herb Linn), http://linnean-online.org/4815/ )。それは、ここで紹介しているシングル咲きのものではなく、ダブル咲きのものでした。残されている標本がリンネが命名のときに使用したものかどうかは確定できませんが、標本は当時もっともよく見られたロサ・オフィキナーリスではないかと思われます。
しかし、以上に述べたことは、ガリカの重要性を損ねるものではありません。
ガリカは、古い起源とされている他のオールド・ローズ、ダマスク、アルバ、ケンティフォリア、モスより以前に存在し、それらすべての品種の誕生に関わったとみなされています。
そうした意味では、オールド・ローズばかりではなく、多くのモダン・ローズにおいてもその系列を辿ってゆくと、どこかでガリカとの交配が行われている例が多いといえるのではないでしょうか。人類が得た最初の園芸バラ、それは、ストロング・ピンクや赤い花を咲かせるガリカだったのです。
18世紀以前からヨーロッパで栽培されていたバラ
以下、いくつかご紹介する品種は、18世紀以前からヨーロッパで栽培されていたと思われるものです。
ロサ・ガリカ・オフィキナーリスは、すでに『花の女王バラを紐解く「オールドローズとモダンローズ」』で取り上げましたので、詳細はそちらをご参照ください。そのオフォフィキナーリスから枝変わりにより生じたとされる赤白のストライプ咲きとなる品種があります。ロサ・ムンディ(Rosa Mundi)です。
ロサ・ムンディ(Rosa Mundi)
オフィキナーリスとともに原種として分類されることもあるほど、古くから知られた品種ですが、花色以外はオフィキナーリスとよく似ていることから、枝変わり種と見なされています。
命名はイングランドの王ヘンリー2世(治世1133-1189)の愛人であったロザムンド・クリフォード(Rosamund Clifford:1150-1176)に由来するという説がもっともよく知られています。絵画などの題材とされる魅惑的な物語をご紹介しましょう。
12世紀、フランス南部(現在のボルドーなど)のアキテーヌ公国を領地としていたギヨーム10世の娘アリエノール(Alienor)は、フランス王ルイ7世と結婚しフランス王妃となったものの、後、離婚してしまいます。しかし、アリエノールはアキテーヌ公国の継承者として1147年の第2回十字軍への参戦を決めるなど絶大な権力をふるっていました。
1152年には、イングランド王ヘンリー1世と王位をめぐり争っていたアンリ(ヘンリーのフランス読み。フランス生まれ)と再婚。アンリはやがて政争を制し、イングランド王ヘンリー2世と名乗ることとなりました。しかし、2人は次第に不仲になり、今度はそれぞれが領有する広大な公国などを巡って、2人の間に生まれた息子たちを巻き込んだ、長い政争が始まることとなりました。
ロザムンドはイングランド、クリフォード城主の娘で、”麗しのロザムンド(Rosamond:”世界のバラ”-ラテン語)”、あるいは”この世のバラ(Rose of the world)”と呼ばれた絶世の美女でした。
ヘンリー2世とアリエノールが争いを繰り返していたさなか、”麗しのロザムンド”はヘンリー2世の愛人となりました。王妃アリエノールは激しい嫉妬に身を焦がします。
王妃の嫉妬を恐れたヘンリー2世は、周囲に迷路をめぐらした城塞へロザムンドをかくまいます。怒りに燃えた王妃アリエノールは、密かにイングランドへ入国し城内への道を探しますが、なかなか見つけることができませんでした。
しかし倦むことなく探し続けていたある日、1本の細い糸が延々と続いているのを見つけます。実はこれは、ヘンリー2世が城を出ることができないロザムンドをなぐさめるために与えた刺繍糸がほつれ、ロザムンドの部屋から城外へと続いていたものでした。
その糸をたどってロザムンドのもとへたどり着いた王妃アリエノールは、「ナイフか、毒入りワインか」とロザムンドに迫ります。おぞましい流血を恐れたロザムンドは、毒をあおって死ぬことを選び、若い命を落としました。
森の奥深く、迷路によって囲まれ容易に近づくことができない城、そこにはバラのように美しい女性が住んでいるというロマンティックなイメージは、多くの芸術家にインスピレーションを与え、絵画や詩文などが残されました。
ヘンリー2世もアリエノールも、またロザムンドも実在の人物です。しかし、アリエノールはヘンリー2世の死去まで、15年間の長きにわたり牢獄へ閉じ込められていたというのが史実ですので、物語のようにロザムンドを死に至らしめるというのはありえないことでした。
コンディトルム(Conditorum)
モダン・ローズのような鮮やかな赤。しかし、非常に古い由来のものです。
ジョワイオ教授(後の記事でたびたび登場します)は著作『ラ・ロズ・ド・フランス(La Rose de France)』の中で、
「1588年、ドイツのヨアヒム・カメラリウス(Joachim Camerarius)の著作”Hortus medicus et philosophicus”でズッカ―ローゼン(Zuckerrosen:”甘いバラ”)と記述されているバラはこの品種ではないか、あるいはイングランドの医師・植物学者であったジョン・パーキンソン(John Parkinson)の著作”Paradisi in sole paradisus terrestis”の中で述べているロサ・ハンガリカ(Rosa Hangarica:”ハンガリアン・ローズ”)はこの品種のことだろう」
と解説しています。
ロサ・ハンガリカの名は、ハンガリーでローズ・ウォーターや蜜(コンフェクション;命名の由来となった)の原料とされていたことによります。
トスカニー(Tuscany)
いかにも古い由来のように見えますが、実は、いや、古くない! という説もあり、古いのか、そうでもないのか、まだ分かっていません。
有力な説は2つです。
英国のジョン・ジェラルド(John Gerard)が1597年に公刊した”Herball, Generall Historie of Plants”に”Rosa Holofericea, The Veluet Rose”と記載された品種は、このトスカニーであるという説。
また、1820年、シデンハム・エドワード(Sydenham Edwards)が公刊した園芸誌”The Botanical Register: Consisting of Coloured Figures of Exotic Plants Cultivated in British Gardens”に記載された”The Double Velvet Rose”こそが現在トスカニーとして流通している品種だという説の2つです。
この品種の美しさ、貴重さにはなんの影響もないのですが、1597年にすでに知られていたのか、あるいは1820年に出回っていたものなのか、これは、おそらく”解けない謎”として残されてゆくのだろうと思います。
トスカニー・サパーブ(Tuscany Superb)
トスカニーには枝変わり種があり、広く流通しています。”サパーブ”は”トスカニー”を超えるものという意味です。
1837年以前、イングランドのウィリアム・ポール(William Paul)により見出され、市場に公表されたといわれていますが、古い時代のことゆえ異説もあり、不確かなままです。トスカニーと大きな違いはないのですが、花色はトスカニーが赤みを含んだバーガンディ気味なのに対し、このサパーブはパープル気味、香りはサパーブのほうが強めといったところが違いでしょうか。
株が充実してくると細い枝が繁茂するブッシュとなり、花のない時期でも樹形の美しさを堪能できる品種です。年を経ると大株となり、小さめのクライマーとして利用できるという記述(John Scarman, “Gardening with Old Roses”)も見受けられます。
Credit
文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づりに役立ちたい思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。
写真/今井秀治
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