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花の女王バラを紐解く「赤バラか白バラか、王位をめぐる薔薇戦争」

花の女王バラを紐解く「赤バラか白バラか、王位をめぐる薔薇戦争」

「白バラを手にし、ランカスター派サマセット公エドムンドを恫喝するヨーク公リチャード」:“Plucking the Red and White Roses in the Old Temple Gardens” by Henry Arthur Payne (1868–1940) [Public domain], via Wikimedia Commons.

花の女王と称されるバラは、世界中で愛されている植物の一大グループです。数多くの魅力的な品種には、それぞれ誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。「バラをもっと深く知り、多くの人に伝えたい」と数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りします。今井秀治カメラマンの美しいバラの写真とともにお楽しみください。

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1455年から1485年に至る30年間、イングランド王位をめぐって赤バラを紋章とする王族ランカスター家と白バラを紋章とするヨーク家が血で血を洗う抗争を繰り返しました。これが名高い薔薇戦争です。

時のイングランド王は、ランカスター家のヘンリー6世でしたが、王は精神が不安定でした。抗争の経過は複雑です。主な争いは、次のようなものでした。

1455年、ヘンリー6世に対しヨーク公リチャードが反旗をひるがえし、対抗したランカスター派サマセット公エドムンドは、セント・オールバーンズ(ロンドンの北郊外)の戦いで敗死しました。

1460年、リチャードはランカスター派が巻き返しをもくろんだ戦いでも勝利し、ついに念願だった王位に就く直前までたどり着きました。ところが、続いて勃発したウェイクフィールドの戦いでは逆にランカスター派に敗れ、リチャードはこの戦闘で敗死してしまいました。

薔薇戦争の終結に伴い、両家は和合。ランカスター家の赤バラと、ヨーク家の白バラを一つにした、チューダーローズの紋章が新たに生まれました。Photo/Jane Rix/shutterstock.com

抗争は続きます。

1461年、ランカスター派を事実上率いていたヘンリー6世の王妃マーガレットは、夫の身柄も取り戻し制覇を果たすかと見えたものの、ロンドン占領に失敗してしまいました。ロンドンに入城したのはヨーク派、戦死したリチャードの嫡男エドワードでした。エドワードは、マーガレット王妃と有力貴族の再度の反乱に遭い国外に逃れたこともありましたが、ついに勝利し、ランカスター派の統帥であるヘンリー6世と嫡男エドワード(同名なのでまぎらわしいですね)を殺害してランカスター家をほとんど根絶やしにしました。そして、エドワード4世として王位につきました。

ところが、1483年、エドワード4世は急死してしまいます。すると、王位を狙っていた王弟リチャード(父のリチャードと同名)は4世の嫡男のエドワード(またまた同名)とリチャード(またまた同名!)を殺害して王位につきます。これが後にシェイクスピアが悪逆王として描くリチャード3世でした。

英国にある「ウォーウィック城」では、現代も薔薇戦争を再現したアクション・ショーが人気。一騎打ちの決闘や馬上槍試合は迫力満点で、中世にタイムスリップしたかのよう。Photo/Gary Perkin/shutterstock.com

戦乱はまだまだ収まりませんでした。根絶やしにされたはずのランカスター家にわずかに血のつながるヘンリー・チューダーは、亡命先のフランスから帰国し兵を集めていました。リチャード3世はヘンリーとボズワースで争いますが、中立派がヘンリー側に味方したことなどにより敗れ、戦死してしまいました。2012年、埋葬されたという伝承があったレスターで遺骨が発見され、大きな話題になりました。

シェイクスピアは戯曲『リチャード3世』で、リチャードを背骨が湾曲した身障者として描写しています。これはヘンリー7世、8世、エリザベス1世と続くチューダー朝へおもねったためで、実際とは違っていたのではないかという説もありました。しかし、発見された遺骨から、シェイクスピアによる描写は、ある程度正しかったことが証明されました。

「赤白2色咲きのバラを手にするヘンリー7世」;”King Henry VII”, [Public domain], via Wikimedia Commons.
ヘンリー・チューダーはヘンリー7世としてイングランド王位に就きました。チューダー朝の始まりです。やがてヘンリー7世はヨーク派エドワード4世の王女エリザベス(エリザベス1世とは違います)を王妃に迎えて両王家の融合をはかり、ランカスター家とヨーク家の王位を巡る抗争はようやく終焉を迎えました。

ヘンリー7世の息子がヘンリー8世、娘が母親と同名のエリザベス。後の処女王エリザベス1世です。

薔薇戦争にちなんだバラ

ロサ・ガリカ・オフィキナーリス(Rosa gallica officinalis)

第1回『花の女王バラを紐解く「オールドローズとモダンローズ」』でご紹介したロサ・ガリカ・オフィキナーリス。オールド・オールドローズのなかでも、とりわけ古いガリカです。赤バラを記章としたランカスター家にちなみ、レッド・ローズ・オブ・ランカスター(Red Rose of Lancaster)の別名で呼ばれることもあります。

1239年から翌年にかけて組織された第6次十字軍を指揮したシャンパーニュ伯ティボー4世(Thibaut IV[1201-1253])は、エルサレムの奪還には失敗してしまいましたが、帰還の際、この品種を中東から持ち帰ったと伝えられています。

これがランカスター家の紋章となった赤バラ。ヨーク家の紋章であった白バラもあります。

アルバ・マキシマ(Alba Maxima)

ヨーク家の白バラの象徴として用いられたとして、ホワイト・ローズ・オブ・ヨーク(White Rose of York)と呼ばれたり、グレート・ダブル・ホワイト(Great Double White)、あるいは、17世紀、スチュアート朝の復位をめざしてスコットランドに勃発したジャコバイトによる叛乱の際、白バラがシンボルとされたことから、ジャコバイト・ローズ(Jacobite Rose)など、歴史に彩られた数多くの別称をもっています。

この品種も15世紀にはその存在が知られていた、オールド・オールドローズのアルバにクラス分けされる非常に古い由来のバラです。

ランカスター家のヘンリー・チューダーは、ボズワースの勝利の後、ヘンリー7世として即位し、後にヨーク家のエリザベスを妃に迎え、両家の争いを終結させたことは上述しました。その象徴として、赤と白のバラを合体させた紋章をつくったことはよく知られています。

赤と白の2色咲きとなるバラ

ヨーク・アンド・ランカスター(York and Lancaster)

オールドローズの1クラス、ダマスクにクラス分けされる品種です。

花弁の基本色は薄いピンクですが、時に筆で掃いたように濃いピンクが現れることがあります。もともとはロサ・ダマスケナ・ベルシコロール(Rosa Damascena Versicolor、“班入りダマスク”)と呼ばれていたのではないかと思いますが、赤(実際は濃いピンク)と白(実際は淡いピンクのことが多い)がともに現れることから、王位を争った両家の和解の象徴とされ、ヨーク・アンド・ランカスターという品種名で流通するのが一般的になりました。

今回、ガリカ、アルバ、ダマスクにクラス分けされる品種が登場しました。それぞれのクラスの由来は後の回で、もう少し詳しく述べたいと思います。

古くから伝えられるそれぞれのクラスの品種

ガリカ

ビザール・トリオンホン/シャルル・ドゥ・ミル(Bizarre triomphant/Charles de Mills)

よく整ったクォーター咲きのバラです。しばしば完璧なガリカと評されるほど気品のある花形です。

「すべてのバラのなかで最も素晴らしい花を咲かせるもののひとつだ…」(Roger Phillips & Martyn Rix, “Best Roses Guide”, 2004)とまで評されています。

シャルル・ドゥ・ミルという名で流通していますが、品種名はフランス語としても不可解な点があり、ビザール・トリオフォント(Bizarre Triomphante)と呼ぶほうがいいだろうという主張が一般的になりつつあります。

エンプレス・ジョゼフィーヌ(Empress Joséphine)

ガリカにクラス分けされることが多いのですが、葉や株の様子は典型的なガリカ・クラスのものではありません。葉の様子などは、原種交配種である、ロサ・クロス・フランコフルターナ(Rosa x francofurtana)と類似しているため、その交配種を用いて育種されたのではないかと考えられています。

古くからある由来不明の品種で、長く別名で呼ばれていましたが、ナポレオンの最初の妻、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(Joséphine de Beauharnais:1763-1814)にちなんで改名されました。彼女がバラ育種について大きな貢献をしたことは広く知られています。

アルバ

アルバ・セミ・プレナ(Alba Semi-Plena)

アルバ・マキシマと非常に近い品種であることは明白ですが、どちらが親品種でどちらが枝変わり種かは、はっきりしていません。

グレート・メイドゥンズ・ブラッシュ(Great Maiden’s Blush)

白にピンクの粉をふりかけたような淡い色合いの花が、春いっせいに咲きそろうさまは見事です。

1738年以前、一説では1400年以前に遡ることができるという非常に古い由来の品種です。

この美しい花形はケンティフォリアに由来するのではないかともいわれていますが、1400年にはケンティフォリアがまだ世に出ていなかったと考えられていることからすると、1400年以前説には疑問が生じます。

ダマスク

マダム・アルディ(Mme. Hardy)

花心に緑の芽が生じます。オールドローズの花形として、”もっとも完璧に近い”としばしば語られる美しさです。

1832年フランス、パリのルクサンブール宮の庭園長であったウジェンヌ・アルディ(Eugene Hardy)により育種・公表されました。育成者アルディは、このバラを夫人に捧げました。

交配親は不明ですが、ダマスクとして登録されています。しかし「花形の美しさはケンティフォリアからもたらされたのではないか」、「いや、花もちのよさはガリカの影響が感じられる」と、さまざまに語られています。

「いまだ、どんなバラにも凌駕されていない…」(”Graham Stuart Thomas Rose Book”, 1994)という短い賛辞がすべてを物語っているのかもしれません。

イスパハン(Ispahan)

開花期間が長いことで知られる鮮やかなピンクのダマスク。女性を魅了するマカロンを生み出すきっかけにもなりました。

イスパハンはペルシャの古都市エスファハーンのフランス名です。現在のイランを中心に支配したイスラム王朝であるサファヴィー朝(1501-1736)の首都でした。当地で自生していた株が、1832年にヨーロッパにもたらされました。それゆえ育成者も育成年も不明です。

ニュージーランドの研究家で、『オールドローズの魅力(”Charm of Old Roses”)』という著作をのこした、ナンシー・スティーン(1898-1986)は、この品種をことのほか愛し、その本の中で、「このダマスク・ローズが満開になったとき、文字通り数千にもおよぶ完璧な花が、あたかも噴水かピンクに色づいたシャワーであるかのように、長くアーチングする枝から垂れ下がってくる…」(Nancy Steen, “Charm of Old Roses”-1966)と賛嘆をこめて語っています。

なお、パリの著名なパティシエ、ピエール・エルメがローズ・カラーのマカロンにライチとラズベリーを組み合わせてつくり上げたマカロン”イスパハン”は、このバラをイメージしたものです。

Credit

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づりに役立ちたい思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/今井秀治

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