ほかの花よりも一足早く咲く球根花は、春の訪れを知らせてくれる存在。その早咲きの小球根に少し遅れて咲く春本番の球根花は、冬枯れの景色を一掃してくれます。数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、身近なガーデンプランツをご紹介するこの連載で今回取り上げるのは、植えっぱなしでも毎年楽しめる、丈夫で育てやすい春咲き球根。各品種の特徴に合わせて、育種の過程や名の由来、文献・絵画に登場する関連エピソードなどもご案内します。
目次
春、爛漫と咲き誇る球根花
春浅い時期から開花するものが多い球根類。開花期間は短いものが多いですが、ほかの花に先駆けて咲くその姿は、春の到来を実感させてくれます。いろいろな球根類が販売されていますが、ここでは前回に引き続き、植えっぱなしで楽しめる“ウエッパ”球根をご紹介します。
スイセン Narucissus:ヒガンバナ科スイセン属
スイセンの分類
スイセンの原種は300種ほどあり、多くがヨーロッパ、北アフリカを自生地としています。
原種は主に生態的な特徴から、11のセクションに分けられていますが(“Narcissus and Daffodil”, edited by Gordon R Hanks, 2002)、それとは別に、英国王立園芸協会RHS(Royal Horticultural Society)は園芸種を花形など形態上の特徴から次の13に分類しています。そして園芸種は、登録されているだけで、30,000種を超えるだろうといわれています。
RHSによるDiv. 1~13は次の通りです。
Div.1 ラッパ・スイセン(Trumpet Daffodils)
Div.2カップ・スイセン(Large-cupped Daffodils)
Div.3小カップ・スイセン(small-cupped Daffodils)
Div.4 八重咲き・スイセン(Double Daffodils)
Div.5 トリアンドロス-下向き咲き・スイセン(Triandrus Daffodils)
Div.6 シクラメネウス-反転咲き・スイセン(Cyclamineus Daffodils)
Div.7 黄色咲き・スイセン(Jonquilla Daffodils)
Div.8 房咲き・スイセン(Tazetta Daffodils)
Div.9 クチベニ・スイセン(Poeticus Daffodils)
Div.10 ペチコート・スイセン(Bulbocodium Daffodils)
Div.11 スプリット・コロナ・スイセン- 副冠裂け(Split Corona Daffodils)
Div.12 その他交配種(Miscellaneous Daffodils)
Div.13 その他原種等(Daffodils distinguished solely by Botanical Name)
スイセンは、丈夫で植えっぱなしでも翌年開花が期待できる、嬉しい性質をもっています。ヨーロッパ、アメリカなどでは熱心に改良が進められていて、美しい品種が数多く生み出されています。
代表的な品種をいくつかご紹介します。
Div.1 ラッパ・スイセン ‘マウント・フード(Mount Hood)’
白花ラッパ・スイセンの代表的な品種です。RHS Award of Merit受賞。1930年代にオランダで育種されたようです。
Div.2 カップ・スイセン ‘カールトン(Carlton)’
イエローの代表的な品種。カップのほうが花弁より幾分か色濃くなるツートン・カラーです。カップ長さが花弁長さの1/3から1/1となる品種はDiv.2 カップ・スイセンに、カップがより長いときはDiv.1ラッパ・スイセンにカテゴライズされます。 RHS Award of Merit受賞。
Div.5 トリアンドロス-下向き咲き・スイセン ‘タリア(Thalia)’
香り高い白花が、花茎1つにつき2、3輪開花します。Wister Award of American Daffodil Society受賞。1916年作出。以来、清楚な花姿が変わらず愛されています。
Div.6 シクラメネウス-反転咲き・スイセン ‘ピーピング・トム(Peeping Tom)’
Div.6シクラメネウスは、花弁が反り返る反転咲きするタイプです。1948年作出の名品種ですが、どうしてこんな品種名になったのでしょう。「ピーピング・トム」とはのぞき魔のこと、“出歯亀”という意味の俗語です。
Div. 9 クチベニスイセン ‘アクタエア(Actaea)’
香り高く、小さな色違いのカップが特徴的なクチベニスイセン。1914年に作出されました。クチベニスイセンとしては例外的な大輪花です。長く切り花向けに栽培されていました。
Div.13 その他原種等のうちパピラセウス‘ペーパーホワイト’(Papyraceus;‘Paper White’)
パピラセウス‘ペーパーホワイト’は、千葉北西部では12月から年明けにかけて開花する早咲きスイセンです。
早咲きで知られる日本スイセンと同じ時期に咲き、同じように房咲きとなります。それゆえ、日本スイセンと同じ系列の房咲きスイセン(Div.8 Tazetta Daffodils)とされることもありますが、本来は別系列のパピラセウス系(Div.13 その他原種等:Papyraceus)に分類されるべきものです。ラテン語の“Papyraceusu”は“紙質の”という意味であることから、この系列の原種および園芸種はペーパーホワイト(“Paper White”)と呼ばれています。
後で少し触れますが、アイリスのことを調べていて、『野生のアイリス』という詩集に出会いました。作者はアメリカの詩人ルイーズ・グリュック(Louise Glück:1943- )。2020年ノーベル文学賞を受賞しました。それがきっかけとなって、2021年に翻訳され公刊された詩集が『野生のアイリス』です。
長く詩作ができず苦しんでいた詩人は、庭で草花の手入れに精を出したり、園芸についての本やカタログなどに熱心に目を通していたようです。土中で春を感じとり、芽を出す球根に自らを投影して、再び詩作を始めることができたのだそうです。
題名となった“野生のアイリス”については後回しにして、詩集のなかで繰り返し出てくる“朝の祈り”の最初の詩で、詩人は白いスイセンに言及します。
…hollow stems of the white daffodils, Ice Wings, Cantatrice;
…(中抜け、空っぽ茎の白スイセン…“アイス・ウィングス”、“カンタトリーチェ”)
‘アイス・ウィングス’、’カンタトリーチェ’ともに真っ白なスイセン園芸種です。
‘カンタトリーチェ’はラッパ・スイセン系(Div.1 Trumpet Daffodils)に属しています。大型の純白の花を咲かせますが、国内では出回っていないようです。
Div.1 ‘アイス・ウィングス(Ice Wings)’
‘アイス・ウィングス’はトリアンドロス系(Div.5 Triandrus Daffodils)のスイセンです。1球から数本の花茎が出て、下向きの花を咲かせます。数少ないようですが、国内でも入手は可能です。
原種名の由来
スイセンは、植物分類学上はヒガンバナ科(Amarylidaceae)、スイセン属(Narucissus)とされています。ご存知の方も多いと思いますが、属名のナルキッサスは、ギリシャ神話に登場する美少年に由来しています。
森の妖精エコーは美しい少年ナルキッソスに恋します。じつは、エコーは主神ゼウスの妻である女神ヘーラーの怒りを買ってしまい、他人が口にしたことを繰り返すことだけが許されるという呪いをかけられていました。
2人は惹かれ合いますが、オウム返しの言葉を繰り返すだけのエコーはナルキッソスに嫌われ捨てられてしまいました。悲しみにうちひしがれたエコーは痩せ細り、ついに声だけの存在となってしまいました。
神への無礼を罰する女神ネメシスはエコーへの仕打ちを知り、ナルキッソスに、他人を愛することができず、ただ自分を愛することだけができるという罰をくだします。
そして、ナルキッソスは水を飲もうとして水面に映る美しい少年の顔を見ます。それはナルキッソス自身でしたが、魅了され、思わず口づけしようとして水中へ落ち、おぼれて死んでしまいました。
女神ネメシスはさすがにそれを憐れんで、ナルキッソスをスイセンに変えたといわれています。
註:スイセンについては、『Yellow Fever(“黄熱病”), David Willis, 2012』に深く触発されました。自費出版された著者に心より敬意を表します。
シラー Scilla:キジカクシ科シラー属
スイセンと同じ時期に開花する花に、シラーがあります。球根花の中でもとりわけ丈夫で、球根が分球するだけでなく、結実すると種がこぼれて庭のあちらこちらで芽を出します。手間いらずで重宝しますが、増えすぎて困ることもあります。
シラーの園芸種
植えっぱなしで毎年春、忘れずに開花する球根として人気の高いシラーは、原種のペルヴィアナ(S. peruviana)、シベリカ種(S. siberica)、およびカンパニュラータを元にした園芸種が数多くあります。このうち、カンパニュラータはシラー属からヒアキントイデス属へ移行しています。カンパニュラータは、最近ではスパニッシュ・ブルーベルと呼ばれることのほうが多くなっていると思います。
スパニッシュ・ブルーベル(Hyacinthus hispanica:キジカクシ科、ヒアシンソイデス属)
シラーも美しいですが、立ち姿がきりっと引き締まった感じのスパニッシュ・ブルーベルのほうが個人的には好みです。
スパニッシュ・ブルーベルが属するヒアシンソイデス属は、ヒアシンス(Hyacinthus)やシラー(Scilla)に近い仲間で、原種としては7種あります。以前は独立した属ではなく、シラー属の一部、カンパニュラータとして分類されていたことにはすでに触れました。
7種の原種のうち、H・ヒスパニカ(H. hispanica)とH・ノンスクリプタ(H. non-scripta)の2種が主に栽培されています。いずれもいくつかの園芸品種があり、両者の交配によって育成されたものもあります。
ヒスパニカ種は「スパニッシュ・ブルーベル」または「シラー・カンパニュラータ」の名前で流通することも多く、やや細長い釣り鐘形の花が穂になって10輪くらい咲き、品種によっては20輪くらいつくこともあります。
ノンスクリプタ種は「イングリッシュ・ブルーベル」とも呼ばれ、樹木の株元などに群生し、イギリスの春の田園を青く彩る風景として知られています。
花穂は細身で、花茎の上部が曲がって枝垂れるように咲き、花は片方向に寄っています。イギリスでは両種が混在するようになってしまい、次第にヒスパニカが優勢になっているようで、自生地の減少が問題視されているそうです。
原種名の由来
シラーという名は、ギリシャ神話に登場する怪物スキュラ(Skylla)にちなんでいます。
上半身は美しい女性で、下半身には足がなく、腰から数体の犬の上半身が生じているという恐ろしい姿をしています。
なぜ、彼女がこのように恐ろしい姿になったのか…こんな話です。
スキュラは美しい海のニンフでした。そんなスキュラに恋したのが海の神のひとり、グラウコスでした。グラウコスはおどろおどろしいほど長い髪で、下半身は鱗のある尾をもった魚そのものでした。スキュラは怖れ、逃げ回ります。
あきらめきれないグラウコスは魔女キルケを訪ね、魔法や薬草を使って恋を成就できるよう頼みます。ところが、キルケはそんなグラウコスに恋してしまいます。
スキュラをあきらめきれないでいるグラウコスを見て嫉妬に狂ったキルケは、スキュラがある川の淵で水浴びをすることを知り、その淵に毒薬を投じます。
いつもの通り、淵へやってきたスキュラが腰まで水に浸かったとき、腰から下は幾匹もの犬の姿に変じてしまったのでした。
アイリス(アヤメ) Iris:アヤメ科アヤメ属
アイリス(イリス: Iris)はヨーロッパ、北アメリカ、アジアの北半球に300種ほどの原種があり、次のように4つの亜属に分かれています。
根茎アイリス(Iris, Bearded rhizomatous irises)
イリス(Iris)
スパトゥラ(Spathula)
球根アイリス(Xiphium, mooth-bulbed bulbous irises)
球根+塊根アイリス(Scorpiris Smooth-bulbed bulbous irises)
塊根アイリス(Nepalensis Bulbous irises)
根茎アイリスはさらに2つの節(セクション)、イリスとスパトゥラに分かれています。現在、流通している園芸種のうち、ジャーマンアイリスはイリス節に、アヤメ、カキツバタ、花ショウブ、シャガ、ヒオウギなど日本に固有な品種や北米原産のものはスパトゥラ節に属しています。
球根アイリスは、2月(暖地)に淡いブルー系の美しく開花する小輪のレティクラータ、やはり早咲きで耐寒性に定評のあるイングリッシュ、5月頃(暖地)開花することが多いダッチ、遅咲きで芳香性のスパニッシュの4つに分類されています。
ヨーロッパやアメリカにおけるジャーマンアイリスの育種熱は目をみはるものがあります。虹の花と呼ばれるのもうなずけるほど、大輪で華やかな品種にあふれています。
日本もまた、アヤメ、カキツバタ、ハナショウブなどから改良された園芸種を数多く見ることができる園芸種の宝庫です。特にハナショウブは各地に花菖蒲園もあり、開花の季節には美しい花々を楽しむことができます。
ジャーマンアイリスとハナショウブという2つの品種群こそがアイリス園芸種の主体であり、それぞれ愛好家にとっては語りつくせないほどの長い育種の歴史があります。
ここでは、多くを語らなければならないジャーマンアイリスと花ショウブには言及せず、比較的庭植えで管理がしやすい球根アイリス、とりわけダッチアイリスを取り上げたいと思います。
ダッチアイリス(球根アイリス) Xiphium
先に少し触れたように、ハナショウブとジャーマンアイリス、この2系統こそが園芸種アイリスの主流でしょう。しかし、ともにローメンテナンスの庭向けとはいえない点があります。ハナショウブは、露地栽培も可能ですが水際など湿生の環境を好むこと、ジャーマンアイリスはアルカリ性の土質を好むことが、ローメンテナンスを目指す庭づくりには障害になりがちです。
その点、植えっぱなしでも毎年開花することの多いダッチアイリスは、派手さはないものの、春にほかの草花と調和して庭を彩ってくれます。冬の間に細く長い葉が出始め、5月初め頃(千葉北西部)に、上で解説したスパニッシュ・ブルーベルや、以降にお話しするスノーフレークとともに庭を彩る様子は、春、花を愛でる醍醐味だと思っています。
註:アイリスについては、『世界のアイリス』-日本花菖蒲協会編1905年刊行-から多く学ばせていただきました。
詩集『野生のアイリス』のこと
村上春樹の受賞が有力視されていた2020年ノーベル文学賞は、アメリカの詩人ルイーズ・グリュック(Louise Glück:1943- )が受賞しました。
「聖書や神話と個人の経験を重ね合わせることで詩集全体に一つの物語性を持たせる技法を積極的に用いるようになり、個人の苦悩に普遍性を炙り出す手法は後続の詩人らに大きな影響を与えることとなった」(Wikipedia)
という評の通り、詩の行間には生きることへの不安や憂鬱を漂わせています。ノーベル賞受賞がきっかけになり、2021年に詩集『野生のアイリス』が野中美峰さんの訳で刊行されました。
詩人は朝夕、父なる神に祈り、「あなたはほんとうにいるのか?」と問いかけ、ときにその無情をなじります。また、草木をこよなく愛して庭づくりに精を出し、花々に寄り添いながら、生きることへの不安や悩みを美しい言葉で書き綴ってゆきます。
彼女は1990年に第6詩集『Ararat』を刊行したのち、2年間、一篇の詩も書けず苦しみました。
その沈黙を破ったのが、この詩集『野生のアイリス』でした。冒頭の詩、詩集名ともなった「野生のアイリス」は次の言葉で始まります。
At the end of suffering
there was a door.
(苦しみの終わり。そこにドアがあった)
…
It is terrible to survive
as consciousness
buried in the dark earth.
(めざめたまま暗い地中に埋められている…生き延びているのが耐えがたく苦しい)
詩集のなかでは多くの草木がタイトル名となり、また詩のなかでも語られています。
詩集の冒頭を飾り、書名ともなった「野生のアイリス(The Wild Iris)」は、北米西部に自生するアイリス・ミズーリエンシス(Iris missouriensis)だと思います。
牧場地などでよく見られ、春の開花期にはライト・ブルーの花々の群生が見られるようですが、苦みがあり根塊に毒性があるため、牛などの家畜に食されることがないことがその理由だそうです。
原種名の由来
原種名となったイリスはギリシャ神話に登場する虹の女神で、天と地を結ぶ虹を象徴しています。女神ヘーラーの使いとして行動しています。
スノーフレーク(スズラン・スイセン) Leucojum aestivum:ヒガンバナ科スノーフレーク属
スノーフレークは小さな釣鐘形の花がスズランに似ていることから、スズラン・スイセンとも呼ばれています。とても丈夫な球根で、どんどん増殖し、しばしば群落化します。
よく似た花形でずっと小型の株となる球根植物にスノードロップ(学名:Galanthus nivalis)があります。
スノーフレークとスノードロップは、ともにヒガンバナ亜科に属していますが別種です。スノードロップのほうが早咲きですので、英名ではスプリング・スノーフレーク、遅咲きのスノーフレークは英名ではサマー・スノーフレークと呼ばれて区別されています。“サマー”と呼ばれていますが、夏咲きではありません。千葉北西部では4月に開花、6月には地上部が枯れます。
ハナニラ Ipheion uniflorum:ネギ亜科ハナニラ属
ハナニラは野菜のニラの近縁種で、ニラに似た独特のにおいがします。南アメリカ原産で、30種ほどの原種が知られていますが、園芸向けに出回っているのは、主にユニフォルム種です。黄花、ピンク、白花などもありますが、ライト・ブルーのものが一般的です。
一度植え込むと分球、またこぼれ種でも増えるので管理がとても楽です。千葉北西部では、4月初め頃に開花します。なお、近縁種で、秋に花冠状の白花を咲かせる“花ニラ”(学名:Ipheion tuberosum)があり、野菜の一種として食用に供されていますが別種です。
Credit
文&写真(クレジット記載以外) / 田中敏夫 - ローズ・アドバイザー -
たなか・としお/2001年、バラ苗通販ショップ「
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