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香水の物語・悲恋から生まれた ゲランの不朽の名香『ジッキー』

香水の物語・悲恋から生まれた ゲランの不朽の名香『ジッキー』

香水は花の香り、柑橘類の香り、森の匂い、干し草の匂いなど、さまざまな香りが織りなす美しい一つひとつの物語。そして香水は女と男の間に新たな物語を紡ぎ出す。
これは、そんな物語のひとつ──。

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遠い日の恋の思い出

1888年──。

調香師のエメ・ゲランは27年前に別れた恋人ジッキーのことを、まだ忘れられずにいた。ロンドンでの悲痛な別離。その時の記憶もまだ生々しく、心に負った傷は今もなお疼き続けていた。

エメは、すでに54歳。調香師として円熟の境地に達していなければならない年齢だったが、まだこれという決定的な作品がなかった。

とはいえ、ヨーロッパで最も有名なフレグランス・メゾン、ゲラン家の2代目として立派にやっているし、作品もそれなりの評価をうけてきている。だが、それはいずれも香水史に後々まで残るような傑作ではなかった。エメも、それはよく分かっていた。

あの秋の、あの干し草の匂い

ある日、エメは合成香料「クマリン」のボトルを手に取り、その香りをかいでみた。太陽の熱をたっぷりと吸った干し草の匂い。それがジッキーを思い出させた。

2人で遠出をして、1泊2日の田舎への旅行に出かけた時のことだった。宿は美しい田園地帯にあり、羊たちが群れている牧場では冬用に刈り集められた干し草の山が秋の陽射しを浴びていた。

エメとジッキーは、その干し草の山のそばで抱き合い、長い長いキスを交わした。「クマリン」は、そのときの香りだった。

──この香料を使って香水をつくってみよう。

そう考えたエメは、さっそく、調香に取りかかった。当時、香水は天然香料だけでつくるものとされており、調香師たちは合成香料を「所詮は天然香料の紛い物」として見下していた。「クマリン」も発見されて20年経っていたが、調香に用いた者はまだ一人もいなかった。

その「クマリン」を使って香水をつくる。そして完成したら、ジッキーと名づける……。

ジッキーを想うたびに悲しみに閉ざされがちだったエメの心に、微かな希望の光が射しこみ始めていた。

偉大な父のもとで

エメ・ゲランは1834年、ヨーロッパ中の女性たちに絶大な人気を誇った調香師ピエール=フランソワ=パスカル・ゲランの長男として生まれた。

ピエール=フランソワは調香師として傑出していたばかりではなく、女性の化粧術に大きな革新をもたらした優れたアイデアマンでもあった。

持ち歩くことができ、ちょっと化粧直しをするときに便利なスティック型の口紅、小さなミラーのついた白粉入りのコンパクト、肌にうるおいと艶を与えるコールドクリーム。彼はそうした新商品を次々に発明して販売し、女性の心をつかんだ。オーストリア・ハプスブルク帝国の皇妃エリザベートも、ピエール=フランソワが売り出したコールドクリームの愛用者だったといわれている。

ピエール=フランソワは1844年には英国のヴィクトリア女王御用達の香水商となり、さらにスペインのイザベル女王、ベルギー女王らの愛顧をもうけるようになった。

運命の出会い

1853年、ピエール=フランソワは皇帝ナポレオン3世の妃ユージェニーのためのオー・デ・コロンを制作。「皇室御用達の調香師」の称号を許された。

成人したエメはこの偉大な父に命じられて英国に留学し、薬品化学を学ぶことになった。自身、英国で化学と医学を学んだピエール=フランソワは、調香師はこれまでのように勘と経験に頼っているだけではダメだ、顧客に健康被害のない安全な商品を届けるためには、きちんとした科学的な知識が必要だと考えていたからだ。

エメがその留学先の英国で出会ったのがジッキーだった。2人はすぐに恋に落ち、甘美な時を過ごした。

だが、1861年、エメのもとに家族からの手紙が届いた。それは「父ピエール=フランソワの病状が悪化したので、早急に帰国するように」という手紙だった。

ロンドンのチャリングクロス駅での涙の別れ。「行かないで、エメ!」と泣きじゃくるジッキーをプラットホームに残して、エメはドーバー行きの列車に乗り込み、そして英仏海峡を越えたのだ。

──自分はジッキーを捨てた。愛するあの人を捨てて、ゲラン家の家業を継ぐという道を選んだ……。

エメはそんな罪の意識をずっと感じ続けていたのだった。

不朽の名香の誕生

短かったけれど、濃密だったジッキーと過ごした日々。その思い出にひたりながら試行錯誤すること、およそ1年。エメの調香はようやく最終段階に近づいていた。

だが、まだ何かが足りない。エメはふと思いついて、ジャコウネコの分泌物から精製する香料「シベット」を、ほんのわずか加えてみた。すると、香りはたちまち一変し、成熟した魅力的な女性のイメージが立ち上がった。

「行かないで、エメ!」

片言のフランス語で訴える声を、エメは聞いた。ジッキーだった。エメの調香台の傍らに、若かりし頃のあのジッキーが立っていた。

むろん、それは目には見えず、さわることもできない香りの幻に過ぎなかった。けれども、エメはその幻を両腕で抱き寄せ、自分を求めている赤い唇に唇を重ねた。

香水史に名高い不朽の名香『ジッキー』の誕生だった。

最も芸術的な香水

香水『ジッキー』は、エメの弟ガブリエルがデザインしたボトルに入れられて市場に出た。アイリスやラベンダーの香り、それに続いて甘く心地よい干し草の匂いが現れ、長く持続する。その奥では「シベット」の官能的な香りがほのかに揺らめいている。

『ジッキー』は後に、史上最も芸術的な香水として賞賛されるようになったが、当初は女性にはあまり評判がよくなかった。

天然香料だけを用いた単純な花の香りの香水に慣れていた女性たちは、『ジッキー』に含まれている「シベット」のセクシーな香りに怖じ気をふるい、手を出そうとしなかったのだ。

奇妙な因縁というべきか、『ジッキー』は英国ではヒットし、とりわけ「ダンディ」と呼ばれるような伊達男たちの間で人気となった。

フランスでは、発売から20年以上経った1912年、ある女性誌が『ジッキー』を《再発見》。それ以来、女性たちからも熱い支持をうけるようになった。

合成香料を用いて成功した『ジッキー』は調香の方法と技術に一大転換をもたらした記念碑的な香水であり、その名は今も近代香水史の最初のページに燦然と輝いている。

Credit

文/岡崎英生(文筆家、園芸家)

Photo/ 2)antb/ 3)4kclips/ 4)grafnata/ 6)titov dmitriy/ Shutterstock.com
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