小さな婦人帽子店から、オートクチュールブランドへと成長したランバン。そのきっかけとなったのは、娘を愛する母、ジャンヌ・マリー・ランバンの深い思いでした。彼女はやがてその思いを、香水にも託します。香りは目には見えないし、触れることもできない。そして、重さも、軽さもない。けれど確かに存在し、人を深く魅惑する。いい香りは音楽と同じ──。そして愛も。
貴族と極貧の娘
うまくいくはずのない結婚だった。
夫のエミリオ・ディ・ピエトロは伯爵の称号をもつイタリア系の貴族で、名うての遊び人。そして無類の女好き。
妻のジャンヌ・マリー・ランバンは子沢山の極貧の家庭に生まれ、13歳のときから働きに出て縫い物の技術を身につけた苦労人で、今は小さな婦人帽子店の女主人。
家柄も育ちも、あまりに違いすぎる2人だった。
悲しい結末
そんな2人が結婚することになったのは、エミリオがジャンヌの可憐な美しさに目をつけたからで、「俺はあの娘を必ずモノにしてみせる」と豪語して友人たちと賭けをした彼が、手練手管の限りを尽くしてジャンヌを口説き落とした結果だった。
1903年3月6日──。
2人は離婚を発表した。
パリの社交界はこのニュースを、ごく冷ややかに受けとめた。
遅咲きの青春
ジャンヌはエミリオとの離婚に深く傷つき、悲しみに沈んでいたが、エミリオを恨もうとは思わなかった。
なぜなら、エミリオは惨めな境遇から這い上がり、懸命に生きていた自分を見出して、愛してくれた人、最愛の娘マリー・ブランシュを授けてくれた人であり、彼との甘美な愛の日々はジャンヌの遅咲きの青春そのものだったからだ。
洋服の注文が殺到
エミリオがジャンヌを捨てて、新しい愛人のもとへと去ったとき、2人の間に生まれた娘マリー・ブランシュは5歳。美男子だった父に似て、誰もが思わず見とれるほど可愛らしい顔立ちをした女の子だった。
ジャンヌはこの娘を溺愛し、折にふれて洋服を手づくりしては着せてやった。時にはマリー・ブランシュが大事にしている人形にまで、きれいな刺繍をつけたドレスをつくってやったりもした。
やがてそのことが、ジャンヌの経営する婦人帽子店の顧客たちの間で評判となった。
「ねえ、私の娘にもこんな洋服をつくってくださらない?」
「では、いつでもご都合のよろしいときに、お嬢さんを連れていらしてください。寸法をお計りしますから」
ジャンヌは実は裁断の名手で、どんな体型の女性にもぴったりの洋服をつくってやることができた。しかも、そのデザインはどれも素晴らしく、仕上がりも見事だった。
評判は日を追うごとに高まり、注文が次々に殺到した。
パリの人気ブティックに
そんなある日。ジャンヌが無邪気に遊んでいる娘マリー・ブランシュをうっとりと眺めていたときのことだった。ふと一つのアイデアがジャンヌの脳裡に閃いた。
「母親と娘が一緒に着られる洋服があったら素敵なのに!」
ジャンヌは早速、母親と幼い娘のためのペアルックづくりに取りかかり、完成品を数点、店に置いてみた。すると、これが「親子服」という名で有名になり、大ヒット。ジャンヌの店は婦人帽子店からオートクチュール(高級婦人服)の店へと発展し、パリの人気ブティックの一つになっていった。
娘への最高の贈り物
第一次世界大戦が終結すると、パリは祝祭的な気分に満ち溢れた都市となり、さまざまな文化や芸術が花開いた。
エミリオとジャンヌの娘、マリー・ブランシュは美貌のオペラ歌手として活躍するようになっていた。
1925年、そのマリー・ブランシュの30歳の誕生日が近づいてきたとき、ジャンヌは母親として最高のプレゼントをしてあげようと考え、パリ西郊のナンテールに調香工房を開設。ポール・ヴァシェとアンドレ・フレイスという調香師を雇い入れた。
「お金はいくらかかってもかまわないの」とジャンヌは2人の調香師に言った。「とにかく、これまでになかったような極上の香水をつくってほしいの」。
ポール・ヴァシェがまもなく計画から離脱したので、マリー・ブランシュのための香水づくりは、弱冠23歳のアンドレ・フレイスが一人で担うことになった。
気難しいクライアント
アンドレ・フレイスはスイス出身。父のクロードも、姉のジャクリーヌも調香師という一家に生まれ、10歳のときから父のもとで修業を積み、調香師となった。
ジャンヌからの依頼は、まだこれという作品のなかったフレイスにとって大きなチャンスだった。
だが、避けては通ることのできない難題があった。
エミリオとの離婚後、独身を貫き、50代に達したジャンヌは、自分一代で成功した人にありがちなように、ひどく気難しい女になっていた。フレイスが苦心してつくり上げた香水の試作品を持って訪ねて行っても、ジャンヌは一言も口をきかず、ただ小さく首を横に振るだけ。それが彼女の「ノン!」という意思表示なのだった。
名香『アルページュ』の誕生
時は流れ、2年の歳月が過ぎた。フレイスはようやく「これなら!」と思える香調を発見し、勇躍、その自信作を持ってジャンヌを訪ねた。
だが、彼女はやはり一言も言葉を発することなく、青い瞳でまっすぐにフレイスを見つめるばかり。焦慮に駆られて、フレイスは急き込んで尋ねた。
「マダム、どうでしょうか、この香りは?」
すると、物言わぬ石像の女神のようなジャンヌが突然口を開き、こう言った。
「私が何も言わないときは、これでいいという意味なのよ!」
奇跡のような芳香として香水史にその名を残すことになる名香『アルページュ』が、こうして誕生した。
香りが奏でる音楽
『アルページュ』とは音楽用語の分散和音、アルペジオのことで、母親からプレゼントされた香水をそう名付けたのは、オペラ歌手になっていたマリー・ブランシュだった。
彼女がいみじくも表現したように、香水『アルページュ』は、ベルガモット、ローズ、ジャスミン、コリアンダー、ミュゲ(すずらん)、サンダルウッド(白檀)など、調香に用いられた60種類以上の香料の匂いが次々に登場しては、絡み合い、もつれ合い、魅惑的な香りの音楽を奏でてゆく。
そしてそれが女性の柔肌に触れたときは、より艶やかさを増し、6時間から7時間にわたって芳香が持続する。
香りの世界の若き天才アンドレ・フレイスがつくった傑作香水『アルページュ』は、ジャンヌが最もシックな色と考えていた黒色のボトルに入れられてリリースされた。そのボトルは、あの「親子服」を着た母親と娘を描いたイラストで装飾されていたが、母親はもちろんジャンヌ、娘はマリー・ブランシュだった。
母と娘の永遠の語らい
『アルページュ』は、人々の香りへの嗜好が大きく変わった1980年代にいったん市場から姿を消したが、1993年、香水よりやや芳香の持続時間が短いオー・ド・パルファンとして復活。
ボトルのデザインはオリジナルとは違っていたが、そこにはやはり、あの「親子服」の母親と娘のイラストが描かれている。このイラストは、現在ではランバン・ブランドを象徴する図柄となっており、ジャンヌとマリー・ブランシュは、アール・デコ風のその美しい絵の中で、今もなお仲睦まじい語らいを続けている。
Credit
文/岡崎英生(文筆家、園芸家)
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