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ヨーロッパの歴史と文化を秘めたゲランの名香たち

ヨーロッパの歴史と文化を秘めたゲランの名香たち

Photo/ 3&garden

世界的なフレグランス&コスメティックメゾンとして知られるゲランは、1828年に調香師であったピエール=フランソワ=パスカル・ゲランがパリ1区に店を開いたことからその歴史が始まる。類稀なる調香の才能は4代に渡って引き継がれ、ゲランは世に数々の名香を生み出してきた。ゆえにゲランの香水は、その優雅な香りの裏に、ドラマチックなヨーロッパの歴史と文化を秘めている。ガラスの小瓶を開けて、香りの物語に耳を傾けてみよう。

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不倫の恋

侯爵夫人ミツコの秘密──。

それは道ならぬ恋だった。

想い人は英国の海軍武官ハーバート・フェイガン。彼は将校養成のために日本に滞在している。

ミツコの夫の侯爵は、妻の気持ちに気づいているが、何も言わない。海軍大尉でもある侯爵は、国家の軍事的目標を最優先に考え、怒りや嫉妬といった自分の個人的な感情は極力抑えつけているのだ。

時は日露戦争勃発の前夜──。

ひとたび戦端が開かれれば、ミツコの夫も必ずや戦地に赴くことになるに違いない。そして、もしかしたら恋が成就する思いも寄らぬ機会が……!?

ミツコは優雅な日々を送りながら、その日、その時を待っている。

最も有名な日本女性

日露戦争の結果は世界を驚かせた。

近代国家への道を歩み始めたばかりのアジアの小国・日本の勝利。負けるはずがないと思われていた大国ロシアは惨めにも敗北を喫し、長くこの国を支配してきたロマノフ王朝は急速に衰亡へと向かっていく。

そんなさなか、フランスの作家クロード・ファレルが日本を舞台にした『闘争』という小説を発表。当時としては異例の100万部を超える大ベストセラーとなった。

侯爵夫人ミツコは、このベストセラー小説の女主人公。彼女の名前はやがて香水のネーミングに使われ、甘く複雑な香りのその香水が大ヒット。ミツコは実在しないバーチャル世界のヒロインでありながら、ヨーロッパで最も有名な日本女性となった。

香水『ミツコ』の誕生

歴代のゲランの香水が並んだ棚。Photo/EQRoy/Shutterstock.com

香水『Mitsuko(ミツコ)』の調香を手がけたのは、ジャック・ゲラン。彼は16歳のときから偉大な調香師だった伯父エメ・ゲランのもとで修業を積み、1828年創業のフレグランス・メゾン、ゲラン家の3代目の調香師となった。

ジャックには作家や芸術家の友人が多かったが、クロード・ファレルもその一人。ファレルは、あのベストセラー小説『闘争』にゲランの香水を登場させていた。

ジャックはファレルとの長年の友情とその好意に報いるために、1919年、新作香水を「ミツコ」と命名したのだった。

この香水は、まずベルガモットの爽やかな香りに始まり、次いで熟したピーチ(桃)のような香りが現れる。それに花を添えるのがローズとジャスミンの香り。そして時が経つにつれて、深い森の奥の林床を彩る苔の香りへと落ち着いていく。

華やかで、ロマンチックな物語を感じさせる『Mitsuko(ミツコ)』の香りは、とくに女性の柔肌から香り立つときの艶麗さでも評判となった。

香料となるベルガモット。Photo/ Vitalina Rybakova /Shutterstock.com

もう一人の「光子」

ちなみに、かつてハプスブルク帝国時代のウィーンでは、オーストリア貴族と結婚し、伯爵夫人となった日本女性、クーデンホーフ光子(青山みつ)が社交界の花形となっていた。

ジャック・ゲランは彼女の噂を聞いたことがあったものと思われる。だが、第1次世界大戦が終結し、ハプスブルク帝国が崩壊すると、クーデンホーフ家は財産の大半を失ってしまう。光子が自分と同じ名前の香水がフランスで発売され、人気になっているのを知っていたかどうかについては、確かなことは分かっていない。

親友サン=テグジュペリ

Photo/ neftali/Shutterstock.com

現在は主に『星の王子さま』というメルヘンで知られている作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリも、ジャック・ゲランの親友の一人だった。

サン=テグジュペリは飛行機の操縦士だったが、1929年、『南方郵便機』という作品で作家デビュー。続いて、代表作の一つとしていまも評価の高い『夜間飛行』を発表した。

これは南米で危険度の高い夜間の郵便物輸送に従事している男たちを主人公にしたもので、空から見下ろした地上の町の灯火の輝き、頭上にまたたく無数の星々、嵐の恐怖、その嵐と格闘しながら味わう神秘的な感覚などを生き生きと描いた詩のように美しい小説だった。

折しも、英国のエミー・ジョンソンが女性としては世界初の英豪間単独飛行に成功。米国のアメリア・エアハートも大西洋横断飛行を成功させるなど、勇敢な女性飛行士が相次いで登場。女らしさを保ちつつも、冒険を恐れない新しい生き方に社会の大きな注目が集まっていた。

伝説の名香『夜間飛行』

Photo/3&garden

親友サン=テグジュペリの小説と、時代の最先端をいくそんな女性たちに触発されたジャック・ゲランは、1933年、香水『夜間飛行(ヴォル・ド・ニュイ)』を発表した。

その角形のボトルにデザイン化して描かれているのは、回転するプロペラ。キャップは飛行機の部品をイメージしたもので、それを取ると、まず香り立つのが旧約聖書の時代から知られてきた香料ガルバナムの清涼感のあるビターな香り。

続いてナルキッソス(水仙)、ベルガモット、アイリス、ヴァイオレット(匂いスミレ)、合成香料のアルデヒドなどが香りの詩を紡ぎ出し、やがて苔と樹木の香りへと落ち着いていく。そして、その奥にはムスク(麝香)の官能的な香りの揺らめきがそこはかとなく感じられる。

旧約聖書の時代から知られてきた香料ガルバナム。
Illustration/ geraria/Shutterstock.com

ジャック・ゲランは調香師として数多くの香水を世に送り出したが、中でも『夜間飛行』は、香水のその後のトレンドに大きな影響を与えた傑作中の傑作。模倣品が次々につくられたほどの伝説的な名香として、いまもなお香水史にその名をとどめている。

香りの魔術師の晩年

Photo/ 4kclips/Shutterstock.com

「私が感じるものは、言葉には置き換えることができない。私は香りによってのみ、それを表現することができるのだ」

常々そう語っていたジャックは、第2次世界大戦で21歳の末っ子のピエールが戦死すると、パリ南西の別荘に隠棲。調香の仕事からは完全に遠ざかり、野菜づくりや果樹の世話をしながら悲しみを癒す日々を送った。

その後、工房に復帰し、70歳過ぎまで調香に取り組んだが、作品の数は次第に減少。末っ子ピエールを偲びながら数年間を過ごした別荘で花壇の手入れなどをして暮らすことが多くなり、彼はそこで日本庭園づくりにも熱中した。

最後の作品となったのは、1962年、孫のジャン・ポール・ゲランとともに創作した香水『シャン・ダローム(香りの唄)』で、ジャックはその翌年に88歳で他界。ゲラン家の香りの魔術は孫のジャン・ポールによって継承されることとなった。

Credit

文/岡崎英生(文筆家、園芸家)

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