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旬の花との出会いを求めて、国内外の名所・名園を訪ね続ける写真家の松本路子さんによる花旅便り。その土地で愛されるようになった背景と見どころをレポートしています。桜を訪ねる旅の第5弾となる今回は、桜を愛した歌人、西行法師の足跡を辿る旅をご案内します。

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桜を愛した歌人・西行

奈良・吉野山の桜
奈良・吉野山の桜。古来より「一目千本」と称される中千本の風景。吉野山では約8kmにわたり、尾根や谷を3万本の桜が埋め尽くす。

奈良・吉野山の桜を訪ねてから、桜を多く詠んだ平安末期の歌人・西行のことが気になっていた。

「吉野山 こずゑの花を 見し日より 心は身にも 添はずなりにき」

桜の花が咲き始めると、心が浮き立ち、花とともに宙に舞う、そんな心情だろうか。

またよく知られた歌に、次のようなものがある。

「ねがはくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」

その歌の通りに、満開の桜の下で往生を遂げている。狂おしいほどの桜への想いを、三十一文字に託した西行の生涯。その一端に触れたくて、足跡をたどる旅に出た。

武士から漂泊の歌人に

勝持寺・瑠璃光殿の西行法師像。
西行が出家した、京都郊外の勝持寺(しょうじじ)・瑠璃光殿に収められた西行法師像。高さ55cmの寄木造り、朱塗りで、室町時代に作られたもの。

西行の出家前の名前は佐藤義清(さとうのりきよ 1118-1190年)。鳥羽上皇の御所の北面を詰所として警護に当たる北面武士だった。23歳の若さで出家したが、その動機には諸説ある。「保元の乱などの政治の混乱に嫌気がさした」「高貴な女性に憧れ、失恋した」「親友の死に世の無常を悟った」などだ。

女性への恋慕の情が溢れる歌を読むと、失恋説をとりたい気持ちにもなるが、若くして妻子を捨て仏門に入るのには、これらの出来事が重なったからではないだろうか。また、歌の道に生涯をかけるという覚悟があったのかも知れない。

勝持寺の‘西行桜’

勝持寺の南門
「花の寺」として知られる勝持寺の南門。同寺で出家し、庵を結んだ西行が植えたと伝えられる‘西行桜’をはじめとして、約100本の桜を見ることができる。

京都の西南郊外、大原野に西行が出家した天台宗の寺・勝持寺がある。西行が植えた桜が残っていると知り、ぜひ花を見たいと訪ねた。境内の鐘楼堂脇の枝垂れ桜が満開の枝を広げている。桜は西行が手植えの木から3代目にあたり、代々‘西行桜’として親しまれてきた。西行はこの桜の近くに庵を結んでいたという。

勝持寺の鐘楼堂の脇に立つ‘西行桜
勝持寺の鐘楼堂の脇に立つ‘西行桜’。西行が植えた桜の3代目となる枝垂れ桜が大きく枝を広げている。
勝持寺の‘西行桜’
勝持寺の‘西行桜’。薄紅色の一重の枝垂れ桜は、優しく、どこか儚げな風情を見せる。

‘西行桜’のほかに境内には約100本の桜が植えられ、「花の寺」と称される。勝持寺は、京の西山連峰のひとつ小汐山(小塩山)の山麓に位置しているので、‘小汐山’と名づけられた桜も、西行ゆかりの桜といえるかもしれない、

‘小汐山’
‘小汐山’。小汐山(小塩山)は平安時代より桜の名所として知られる。その山の名前を冠する桜は、一重の楚々とした姿だ。

勝持寺の庭には西行が剃髪した際に、鏡代わりに使った鏡石が残され、姿を映したとされる瀬和井の泉がある。宝物館の瑠璃光殿には、室町時代に作られた、寄木造りで朱塗りの西行法師像が納められている。

勝持寺
西行が鏡の代わりに使ったとされる鏡石と、姿を映した瀬和井の泉。

西行がこの地で詠んだ歌から、世阿弥の作とされる能の演目「西行桜」が生まれた。

「花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の 科(とが)には有りける」

隠遁生活を送るつもりの寺に花見客が押し寄せ、それを桜のせいだと嘆いている。能では西行の夢の中に老木の桜の精が現れ、「それは桜の罪ではない」と告げる。やがて西行と桜の精の魂は同化し、花の精は洛中の桜の名所を謡いながら、行く春を惜しみ舞う、という優美な物語だ。

庵を結んだ二尊院(にそんいん)

二尊院総門
二尊院総門。1613年に伏見城から移築された、室町時代の建築物。

出家後しばらくして、西行は京都・嵯峨にある二尊院に庵を結んだ。二尊院は和歌の歌枕として知られる小倉山の麓に位置する。紅葉の名所でもあり、参道にはもみじと桜が交互に植えられ、四季それぞれ趣のある情景が広がる。

「牡鹿鳴く 小倉の山の すそ近み ただひとりすむ 我心かな」

境内には西行庵跡を示す石碑が立ち、寺の近くにある西行井戸の傍らには、この歌の石碑がある。出家後に、孤高の歌人として生きる覚悟のようなものが感じられる歌だ。

二尊院 西行庵跡
二尊院の総門近くに立つ、西行庵跡を示す石碑。
西行井戸脇の歌碑
二尊院近くにある西行井戸脇の歌碑。

吉野山の桜に焦がれて

吉野山の桜
吉野山中腹、中千本の尾根に咲く‘ヤマザクラ’群。

京都周辺の山寺に住んだ後、西行は高野山に庵を構え、およそ30年にわたりそこを拠点として、諸国行脚の旅に出た。高野山は吉野山に近く、たびたび吉野を訪れ多くの歌を残している。

「なんとなく 春になりぬと 聞く日より 心にかかる み吉野の山」

「吉野山 こぞの枝折(しをり)の 道かへて まだ見ぬかたの 花を尋ねん」

桜の季節が近づくと心は吉野山に飛び、年ごとに訪れては、まだ見ぬ桜を求めて山の奥に足を踏み入れる。桜への想いが溢れる歌だ。

「あくがるる 心はさても 山桜 散りなんのちや 身に帰るべき」

吉野の桜を見ているうちに心が身体から抜け出し桜のもとにある。花が散ってから心は身体に戻ってくるだろうかと、詠う。こうした歌は、単に花を愛でているだけでなく、桜が象徴する何か、また何者かへの哀惜の念が籠められているのではないだろうか。それが読む人の心にさまざまに響き、西行の桜は後の世まで語り継がれている。

奥千本の庵

西行庵への道
西行庵へ至る道は険しく、うっそうとした木々に囲まれている。吉野山の奥千本からさらに深い山を行った、寂しい地に庵がある。

花の季節に訪れるだけでなく、西行は吉野山の奥深い地に庵を結び、3年ほど暮らしている。

「花を見し 昔の心 あらためて 吉野の里に 住まんとぞ思ふ」

「吉野山 桜が枝に 雪ちりて 花おそげなる 年にも有るかな」

私が訪れた時も、山の麓では桜が咲いていたが、庵に向かう山道には冷気が漂っていた。3畳ほどの広さの庵の、訪れる人もない暮らしの中で春を待つ気分はいかばかりか、と思う。

「とふ人も 思ひ絶えたる 山里の さびしさなくば すみ憂からまし」

寂しさが山里でひとり住む身の慰めである、という境地は驚きだ。その寂寥感と無常観が、奥千本の庵の前に立つとより迫ってくる。

西行庵
吉野山の奥深くに建つ、3畳ほどの広さの西行庵。

庵の近くには、西行が水を汲んだといわれる苔清水が今も湧き出ている。傍らには江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉がここで詠んだ「春雨の こしたにつたふ 清水哉」の句碑があった。芭蕉は西行に憧れて、奥州や諸国を旅し、『奥の細道』などの紀行作品を生み出した。吉野にも2度ほど訪れた記録が残っている。

松尾芭蕉の句碑
松尾芭蕉の句碑。西行の苔清水の歌の地を訪れた芭蕉は、ここを題材にいくつかの句を詠んでいる。

終焉の地、弘川寺(ひろかわでら)

弘川寺、本堂
弘川寺、本堂。枝垂れ桜は戦に敗れた弘川城主・隅屋正高がこの木の下で自刃したことから「すやざくら」と呼ばれている。本堂の右手を登った小高い丘に西行墳がある。

西行は奥州、四国、伊勢などの地を経て、文治5年(1189年)に、河内国(現大阪府河内郡)の弘川寺に居を構えた。その翌年、病のため73年の生涯を終えている。

「ねがはくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」

彼がかつて詠んだ歌の通り、亡くなったのは、旧暦2月16日(西暦3月23日)の桜の季節、満月の頃だった。

西行の墓と歌碑
弘川寺の本堂奥、‘ヤマザクラ’の木の下の西行の墓と歌碑。桜の花びらがはらはらと舞い降りていた。

西行没後550年を経て、江戸時代の歌僧・似雲(じうん)が西行墳を発見。似雲は境内に西行堂を建立し、西行座像を祀った。さらに西行墳の傍らに「花の庵」を建て、生涯そこで暮らしたという。

西行堂
西行座像を祀る西行堂と、西行記念館にある西行像。
西行墳の近くに立つ「ねがわくば…」の歌碑
西行墳の近くに立つ「ねがはくは…」の歌碑。歌の通り、桜が満開の季節に没し、今も桜花の下に眠る。

私が訪ねた日、西行墳にはなぜか一輪の赤いバラが手向けられていた。墓近くには、「ねがはくは…」の歌碑が立つ。頭上の大木の‘ヤマザクラ’が、あたり一面に花びらを散らしていた。

弘川寺

*植物学の慣例に従い、野生の桜をカタカナ、栽培品種の桜を漢字で表記しています。

Information

勝持寺

住所:京都市西京区大原野南春日町1223-1

電話:075-331-0601

HP:http://www.shoujiji.jp

二尊院

住所:京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27

電話:075-861-0687

HP:http://nisonin.jp

吉野山観光協会

住所:奈良県吉野郡吉野町吉野山2430

電話:0746-32-1007

HP:http://www.yoshinoyama-sakura.jp

弘川寺

住所:大阪府南河内郡河南町弘川43

電話:0721-93-2814

HP:http://www.town.kanan.osaka.jp(河南町HP)

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