旬の花との出会いを求めて、国内外の名所・名園を訪ね続ける写真家の松本路子さんによる花旅便り。その土地で愛されるようになった背景と見どころをレポートしています。古都の桜を訪ねる旅の第4弾となる今回は、京都を離れ、古くから桜の名所として知られる奈良・吉野山の桜と、吉野の桜にまつわる物語をご紹介します。

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祈りの桜

吉野の桜
吉野山、中千本から上千本への道中の桜景色。

数年前、桜の季節に吉野山へ出かけた。山陵一面に咲く花の映像に惹かれ、ぜひ訪ねてみたいと思ったのだ。吉野山は奈良県の中央部に位置し、‘ヤマザクラ’を中心に、約3万本の桜がその尾根や谷を埋め尽くす。山岳宗教と結びついた信仰の場として知られ、「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録されている。

吉野のヤマザクラ
吉野山の‘ヤマザクラ’。‘シロヤマザクラ’と呼ばれる純白の花は、凛として美しい。

吉野山の桜の由来は、今から約1300年前に遡る。飛鳥時代に活躍した修験道の開祖である役小角(えんのおづの)が、吉野山に金峯山寺(きんぷせんじ)を開き、本堂に桜の木を彫った蔵王権現を祀った。以来、桜が御神木とされ、信者たちが祈願の折に苗木を寄進するようになった。平安時代以降、献木する人も増え、約8kmの山稜が桜で覆われるようになった。吉野の桜は、人々の祈りの象徴ともいえる。

吉野の桜

一目千本

吉野の桜

吉野山の桜は、標高の低い場所から高いところへと、順に開花するので、約1カ月間にわたり花見の季節が続く。尾根は下千本、中千本、上千本、奥千本と名づけられ、4月初旬から、桜の開花が駆け上っていく。

吉水神社
吉野山に位置する吉水神社。明治維新以前は吉水院と称し、修行僧の生活の場・僧坊であった。数々の歴史の舞台となったことで知られる。

花見に格好の場所はいくつかあるが、中でも中千本近くの吉水神社の境内からの展望は見事で、古来より「一目千本(ひとめせんぼん)」と称せられてきた。

吉水神社を訪ねた日はあいにくの小雨模様だったが、山脈に霧がかかり、それはまた幻想的で悪くない情景だった。

吉野山の桜
吉水神社境内からの展望。「一目千本」と称され、中千本の桜が、一望できる絶景スポットとなっている。

上千本の花矢倉の展望台からは、金峯山寺を望むことができる。吉野の町や桜の尾根が見渡せ、吉野山に来たことが実感できる場所だ。義経の忠臣が追っ手に矢を放ったことから、この名前で呼ばれるようになった。

吉野山・上千本の花矢倉
吉野山・上千本の花矢倉の展望台からの風景。吉野山の町並みの先に金峯山寺が霞んで見える。

義経千本桜

吉野の桜

吉野山は祈りの場所であると同時に、数々の歴史の舞台となり、物語をのちの世に伝えている。文治元年(1185年)平家討伐の後、兄である源頼朝に追われた源義経一行が奥州へ逃れる途中に立ち寄り、身を潜めたのが吉野山の吉水院(現吉水神社)だった。

神社の書院には「義経潜居の間」「弁慶思案の間」など、義経伝説にちなんだ部屋が残されている。追手が迫り、吉水院からさらに奥の大峰山に向かった義経だが、大峰山は女人禁制のため、同行していた愛妾の白拍子・静御前は吉野に残らざるを得なかった。それが二人の今生の別れとなった。

義経潜居の間
吉水神社に残されている「義経潜居の間」。右手に展示されているのは静御前着用の着物とされる。

静御前は捕えられ、鎌倉に送られたが、頼朝の前で「吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき」と義経を慕う今様を唄い、舞ったという。義経と吉野の物語は人形浄瑠璃や歌舞伎の演目『義経千本桜』で知られ、今に語り継がれている。吉野山の奥には義経が潜んでいたといわれる「義経隠れ塔」が残されている。

義経隠塔
義経隠塔
吉野山・上千本の奥にある「義経隠れ塔」。修行僧の修行場のひとつでもある。現在の塔は大正期に再建されたもの。

後醍醐天皇の南朝

延元元年(1336年)、時の権力者・足利尊氏に追われた後醍醐天皇は、吉野山に朝廷を開いた。京都では尊氏が光明天皇を擁立していたので、2カ所に朝廷が存在することとなった。京都を北朝、吉野を南朝とする、南北朝時代の始まりである。

後醍醐天皇は吉水院に滞在した後、金峯山寺蔵王堂の西にあった実城寺を御所とし、寺号を金輪王寺と改めた。3年後に後醍醐天皇はこの地で生涯を終えたが、吉野山の南朝は4代、56年にわたり続いた。

豊臣秀吉の花見

秀吉愛用の屏風
太閤秀吉が吉野で盛大な花見の宴を開いた際に、吉水院を本陣として数日間滞在した。秀吉愛用の金屏風が残されている。

太閤秀吉は、元禄3年(1594年)に総勢5,000人を引き連れて、吉野で花見の宴を開いている。徳川家康、前田利家、伊達政宗などの武将をはじめとして、文人、茶人を伴っての花見は、吉野の桜を一躍有名にする出来事だった。5日にわたり「歌会」「能会」「茶会」「仮装行列」が繰り広げられ、その様子は「豊公吉野花見図屏風」(細野美術館蔵)と題した屏風絵に描かれている。

西行庵

‘西行桜’
‘西行桜’。京都市郊外、大原野の勝持寺(しょうじじ)に残されている、西行が植えたとされる枝垂桜。その三代目の桜の木が満開を迎えていた。

「なんとなく 春になりぬと 聞く日より 心にかかる み吉野の山」

(『山家集』)

『新古今和歌集』の代表的詠み人のひとりで、『山家集』など多くの歌集を残した平安時代の歌人・西行は、吉野を愛し、たびたび訪れている。さらに奥千本の山あいに庵を結び、3年ほど暮らしていた。

武士であった西行は23歳で出家し、諸国を行脚、73歳でこの世を去るまで2000首を越える歌を残した。花を詠んだ歌はおよそ230首で、吉野の桜も数多い。

‘西行桜’
‘西行桜’。勝持寺は西行が出家した寺で、漂泊の歌人としての出発点ともいえる場所。そこに咲く桜は思いのほか儚げだった。

奥千本からさらに奥地へ、険しい道を下って、たどり着いた場所には、これが住まいかと驚くほど小さな庵・西行庵が建っていた。奥千本の桜の時期には早すぎたので、訪れる人も少ない寂しい場所の、霧に浮かぶ庵は別世界のように思えた。西行と桜については、改めて綴ってみたい。

西行庵
奥千本からさらに20分ほど山道を歩いた、標高650mの地に建つ西行庵。西行はこの地で3年を過ごしたという。

*植物学の慣例に従い、野生の桜をカタカナ、栽培品種の桜を漢字で表記しています。

Information

吉野山観光協会

住所:奈良県吉野郡吉野町吉野山2430

電話:0746-34-1007

HP:http://www.yoshinoyama-sakura.jp

吉水神社

住所:奈良県吉野郡吉野町吉野山579

電話:0746-32-3024

HP:http://www.yoshimizu-shrine.com

Credit

写真&文/松本路子

写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-22年現在、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。
『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。www.matsumotomichiko.com/news.html

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