旬の花との出会いを求めて、国内外の名所・名園を訪ね続ける写真家の松本路子さんによる花旅便り。その土地で愛されるようになった背景と見どころをレポートしています。第3弾となる今回は、京都の桜の名所仁和寺と、桜守・佐野藤右衛門の桜園から、京都にゆかりのある美しい桜をご紹介します。

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古都の桜を訪ねる旅

仁和寺の大沢桜
仁和寺の本坊表門近くに咲く‘大沢桜’。原木は京都市の大覚寺大沢池のほとりにあったもので、佐野藤右衛門によって増殖され広まった。

早咲きの桜便りが届き始めると、各地の桜のことが気になってくる。桜といえば‘染井吉野’を思い浮かべることも多いが、桜にはさまざまな名前が冠せられていることを知ってから、名前にゆかりの地をめぐる、そんな旅に興味を抱いた。

京都に原木のある桜や、ゆかりの桜を訪ねる旅の第3弾。古の都の佇まいと桜はよく似合う。今回は仁和寺と、桜守で知られる佐野藤右衛門さんの桜園を訪ねた旅の記憶を綴ってみたい。

仁和寺(にんなじ)

遅咲きの桜‘御室有明’(おむろありあけ、通称‘御室桜’) に会いたくて、桜の季節に仁和寺を訪ねた。仁和寺は仁和2年(888年)、平安時代創建という歴史ある寺院。宇多天皇が譲位後に出家して移り住んだことから、別名「御室御所」と称されるようになった。

仁和寺
仁和寺(御室御所)の桜苑に咲く‘御室桜’と五重の塔。五重の塔は1644年建立の重要文化財で、高さ36m。桜越しに見る景観はまた格別だ。

仁王門をくぐり、直進した先に国宝の金堂が建っている。中間地点に中門が位置し、その北西に広がるのが‘御室桜’だけを集めた桜苑だ。桜木の数は200本といわれ、花の最盛期には白い雲が一面に舞うような光景が出現する。

‘御室有明’(通称‘御室桜’)

‘御室有明’(通称‘御室桜’)
‘御室有明’(通称‘御室桜’)。仁和寺に古くからあり、桜守の佐野藤右衛門により増殖され広まった。一重、半八重、八重があり、仁和寺の桜苑ではそれぞれの花が楽しめる。

‘御室桜’は江戸時代から庶民の桜として親しまれ、数多くの和歌に詠まれている。また儒学者・貝原益軒の『京城勝覧』では、吉野の桜に比べても劣らないとし、「花見る人多くして、日々群衆せり」と、その賑わいを伝えている。

仁和寺の桜
4月中旬から下旬にかけて、桜が散ると花びらの絨毯が出現する。遅咲きで、京の花見の季節の終わりを告げる桜だ。

‘御室桜’の特徴としては、見頃が4月中旬の遅咲きであるとともに、樹高が2~3mで、枝が横張り性であることが際立っている。それゆえちょうど人の目線の位置に満開の花が広がって見える。背丈が伸びないのは、この土地の土質から根が張れないのが要因とされるが、詳しいことはいまだ調査中だという。花(鼻)の位置が低いことから、親しみを込めて「お多福桜」とも呼ばれる。

‘胡蝶’
‘胡蝶’。仁和寺に古くからあった桜で、一重と半八重の花がある。蝶が舞うような優美な姿で人目を惹く。

仁和寺には‘御室桜’以外の桜も多く、中でも‘胡蝶’は、古くから寺にあったとされる桜だ。満開時には蝶が舞うような趣があり、この名前がつけられた。開花は‘御室桜’とほぼ同時期なので、合わせて晩春の京都を彩る花を楽しむことができる。

仁和寺の本坊表門近くに咲く‘大沢桜’
仁和寺の本坊表門近くに咲く‘大沢桜’。樹高10m以上の大木になる。

桜守・佐野藤右衛門

京都の桜旅で、忘れられない場所がある。それは佐野藤右衛門の私邸にある桜園だ。代々その名前を受け継ぎ、現在16代目の佐野藤右衛門は、祖父である14代、父の15代と、3代にわたる「桜守」として知られる。家業の造園業の傍ら、全国の桜の調査、苗木の保存・増殖に務めてきたことから、敬愛の念を込めて「桜守」と呼ばれるようになった。

『東京 桜100花』という本を私が出版した時、125種類の桜について調べたが、その中の多くが、佐野藤右衛門が発見、もしくは増殖した、とされていた。絶滅寸前の木の後継木として、佐野が育てた苗木が提供された例は数知れない。‘染井吉野’が全国の桜の8割を占めるといわれる今日にあって、これほど多彩な桜に出会うことができるのは、ひとえに「桜守」たちの尽力に他ならない。

藁ぶき屋根の佐野家邸宅
藁ぶき屋根の佐野家邸宅。3代の家族が同居すると、会話の中に200年の時間が流れるという。

佐野家は天保3年(1832年)創業、代々植木職人として御室御所(仁和寺)に仕えてきた。明治期より造園業を営んでおり、桂離宮や修学院離宮などの庭の整備にたずさわっている。16代佐野藤右衛門は、京都迎賓館やイサムノグチ設計のパリのユネスコの日本庭園の作庭などで知られる。2021年には、93歳にして‘オオシマザクラ’の大木の移植作業の陣頭指揮を現場で執り行うなど、いまだ現役だ。2022年4月には94歳になるという。

‘佐野桜’

佐野藤右衛門の桜園に咲く‘佐野桜’
佐野藤右衛門の桜園に咲く‘佐野桜’。15代佐野藤右衛門によって発見され、増殖された。

私が佐野藤右衛門の桜園を訪ねたいと思ったきっかけは、桜守の名前を冠した桜があると知ったから。その‘佐野桜’をぜひ、桜守の庭で見たいと思った。‘佐野桜’は京都市右京区の広沢池畔にあった‘ヤマザクラ’の種子を1万個播いた中から選抜して育成された、という。自然交配の結果生まれた新しい種類の桜で、1930年に植物学者の牧野富太郎によって命名された。

‘佐野桜’
‘佐野桜’。‘ヤマザクラ’が自然交配して生まれた栽培品種で、桜守の名前を冠する。外側の花弁は円形で、内側は細長く、雄しべの先が変化した旗弁(きべん)が見られる。

半八重の花は、‘ヤマザクラ’より薄い紅色がかかり、ふっくらとしたつぼみや花弁が、優しげな風情を見せる。花径は3~4cmで、成長すると樹高は10mを越える。

佐野家の桜園
左/桜園の散策路の‘佐野桜’(写真右側)。成長すると樹高は10mを越える。右/‘佐野桜’の名札。それぞれの桜には、木の名札が添えられていて、珍しい桜の名前を知ることができる。

桜守の桜園

佐野藤右衛門の桜園
佐野藤右衛門の桜園の散策路に咲く‘胡蝶’。

佐野家の私邸のある敷地内にひろがる桜園には、200の栽培品種約500本の桜が植えられている。入り口付近の京都円山公園の「祇園の枝垂桜」の兄弟木をはじめとして、園内の散策路には、それぞれの桜の名前が分かるように、木の名札が立てられてあり、珍しい種類の桜に出会うことができる。

‘胡蝶’
‘胡蝶’。仁和寺に古くからあり、佐野藤右衛門によって増殖された桜。

佐野藤右衛門によって保護、増殖された桜には、‘御室有明’、‘胡蝶’、‘祇王寺祇女桜’、‘大沢桜’、‘平野妹背’など、京都ゆかりの種類のほか、石川県金沢市の兼六園に原木があった‘兼六園菊桜’、宮城県で発見された‘簪桜(かんざしざくら)’などがある。

‘兼六園菊桜’
‘兼六園菊桜’。兼六園に原木があり、国の天然祈念物に指定されたが、1970年に枯れ死。佐野藤右衛門によって接木された後継木が園内に植樹された。八重咲きの中でも花弁数が100枚を超えるものが菊咲きと呼ばれる。
‘簪桜’
‘簪桜’。佐野藤右衛門が東北地方を旅していた際に、宮城県の作並温泉近くで見つけた桜。開花の様子が髪飾りの簪に似ているところから、地元でこの名前で呼ばれていた。

また、国内では途絶えていた‘太白’は、イギリスの園芸家の庭園で栽培されているのが分かり、接ぎ木用の枝を輸送して、1932年に里帰りさせた。当時の長い船旅から、枝は何度か枯れたが、最終的にジャガイモに枝を挿して輸送に成功したという。その話を聞いて庭の‘太白’の花を見上げると、感慨もひとしおだ。

‘太白’
‘太白’。東洋の桜を約100種類栽培していた英国の園芸家コリンウッド・イングラムの庭から里帰りした桜。花の大きさは最大級で6cmにもなる。
佐野藤右衛門の桜園に咲く‘太白’
佐野藤右衛門の桜園に咲く‘太白’。桜の東西交流の物語に心惹かれる。

『桜のいのち 庭のこころ』『桜守の話』など、16代佐野藤右衛門の著書を読むと、彼の桜や自然との付き合い方を知ることができる。同時に、そこには人が生きていくうえでの、たくさんの指針が籠められている。‘佐野桜’が咲く季節に桜園を訪れ、佐野氏の桜に寄せる思いの一端に触れることができたのは、何よりも得難い体験だった。

*植物学の慣例に従い、野生の桜をカタカナ、栽培品種の桜を漢字で表記しています。

Information

仁和寺

住所:京都市右京区御室大内33

電話:075-461-1155

HP:https://ninnaji.jp

植藤造園 (佐野藤右衛門の桜園)

住所:京都市右京区山越中町13番地

電話:075-871-4202

FAX:075-861-7280

HP:www.uetoh.co.jp

*桜の季節のみ桜園を一般公開。私邸内の庭ですので、見学のマナーには十分ご留意ください。
*2022年は、コロナ禍のため桜園の公開は中止となっております。

Credit

写真&文/松本路子

写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-22年現在、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。
『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。www.matsumotomichiko.com/news.html

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