京都・平安京の桜 その③【松本路子の桜旅便り】

旬の花との出会いを求めて、国内外の名所・名園を訪ね続ける写真家の松本路子さんによる花旅便り。その土地で愛されるようになった背景と見どころをレポートしています。第3弾となる今回は、京都の桜の名所仁和寺と、桜守・佐野藤右衛門の桜園から、京都にゆかりのある美しい桜をご紹介します。
古都の桜を訪ねる旅

早咲きの桜便りが届き始めると、各地の桜のことが気になってくる。桜といえば‘染井吉野’を思い浮かべることも多いが、桜にはさまざまな名前が冠せられていることを知ってから、名前にゆかりの地をめぐる、そんな旅に興味を抱いた。
京都に原木のある桜や、ゆかりの桜を訪ねる旅の第3弾。古の都の佇まいと桜はよく似合う。今回は仁和寺と、桜守で知られる佐野藤右衛門さんの桜園を訪ねた旅の記憶を綴ってみたい。
仁和寺(にんなじ)
遅咲きの桜‘御室有明’(おむろありあけ、通称‘御室桜’) に会いたくて、桜の季節に仁和寺を訪ねた。仁和寺は仁和2年(886年)、平安時代創建という歴史ある寺院。宇多天皇が譲位後に出家して移り住んだことから、別名「御室御所」と称されるようになった。

仁王門をくぐり、直進した先に国宝の金堂が建っている。中間地点に中門が位置し、その北西に広がるのが‘御室桜’だけを集めた桜苑だ。桜木の数は200本といわれ、花の最盛期には白い雲が一面に舞うような光景が出現する。
‘御室有明’(通称‘御室桜’)

‘御室桜’は江戸時代から庶民の桜として親しまれ、数多くの和歌に詠まれている。また儒学者・貝原益軒の『京城勝覧』では、吉野の桜に比べても劣らないとし、「花見る人多くして、日々群衆せり」と、その賑わいを伝えている。

‘御室桜’の特徴としては、見頃が4月中旬の遅咲きであるとともに、樹高が2~3mで、枝が横張り性であることが際立っている。それゆえ、ちょうど人の目線の位置に満開の花が広がって見える。背丈が伸びないのは、この土地の土質から根が張れないのが要因とされるが、詳しいことはいまだ調査中だという。花(鼻)の位置が低いことから、親しみを込めて「お多福桜」とも呼ばれる。

仁和寺には‘御室桜’以外の桜も多く、中でも‘胡蝶’は、古くから寺にあったとされる桜だ。満開時には蝶が舞うような趣があり、この名前がつけられた。開花は‘御室桜’とほぼ同時期なので、併せて晩春の京都を彩る花を楽しむことができる。

桜守・佐野藤右衛門
京都の桜旅で、忘れられない場所がある。それは佐野藤右衛門の私邸にある桜園だ。代々その名前を受け継ぎ、現在16代目の佐野藤右衛門は、祖父である14代、父の15代と、3代にわたる「桜守」として知られる。家業の造園業の傍ら、全国の桜の調査、苗木の保存・増殖に努めてきたことから、敬愛の念を込めて「桜守」と呼ばれるようになった。
『東京 桜100花』という本を私が出版した時、125種類の桜について調べたが、その中の多くが、佐野藤右衛門が発見、もしくは増殖した、とされていた。絶滅寸前の木の後継木として、佐野が育てた苗木が提供された例は数知れない。‘染井吉野’が全国の桜の8割を占めるといわれる今日にあって、これほど多彩な桜に出会うことができるのは、ひとえに「桜守」たちの尽力に他ならない。

佐野家は天保3年(1832年)創業、代々植木職人として御室御所(仁和寺)に仕えてきた。明治期より造園業を営んでおり、桂離宮や修学院離宮などの庭の整備にたずさわっている。16代佐野藤右衛門は、京都迎賓館やイサム・ノグチが設計したパリのユネスコ本部にある日本庭園の作庭などで知られる。2021年には、93歳にして‘オオシマザクラ’の大木の移植作業の陣頭指揮を現場で執り行うなど、いまだ現役だ。2022年4月には94歳になるという。
‘佐野桜’

私が佐野藤右衛門の桜園を訪ねたいと思ったきっかけは、桜守の名前を冠した桜があると知ったから。その‘佐野桜’をぜひ、桜守の庭で見たいと思った。‘佐野桜’は京都市右京区の広沢池畔にあった‘ヤマザクラ’の種子を1万個播いた中から選抜して育成された、という。自然交配の結果生まれた新しい種類の桜で、1930年に植物学者の牧野富太郎によって命名された。

半八重の花は、‘ヤマザクラ’より薄い紅色がかかり、ふっくらとしたつぼみや花弁が、優しげな風情を見せる。花径は3~4cmで、成長すると樹高は10mを超える。

桜守の桜園

佐野家の私邸のある敷地内に広がる桜園には、200の栽培品種約500本の桜が植えられている。入り口付近の京都円山公園にある「祇園の枝垂桜」の兄弟木をはじめとして、園内の散策路には、それぞれの桜の名前が分かるように、木の名札が立てられてあり、珍しい種類の桜に出会うことができる。

佐野藤右衛門によって保護、増殖された桜には、‘御室有明’、‘胡蝶’、‘祇王寺祇女桜’、‘大沢桜’、‘平野妹背’など、京都ゆかりの種類のほか、石川県金沢市の兼六園に原木があった‘兼六園菊桜’、宮城県で発見された‘簪桜(かんざしざくら)’などがある。


また、国内では途絶えていた‘太白’は、イギリスの園芸家の庭園で栽培されているのが分かり、接ぎ木用の枝を輸送して、1932年に里帰りさせた。当時の長い船旅から、枝は何度か枯れたが、最終的にジャガイモに枝を挿して輸送に成功したという。その話を聞いて庭の‘太白’の花を見上げると、感慨もひとしおだ。


『桜のいのち 庭のこころ』『桜守の話』など、16代佐野藤右衛門の著書を読むと、彼の桜や自然との付き合い方を知ることができる。同時に、そこには人が生きていくうえでの、たくさんの指針が籠められている。‘佐野桜’が咲く季節に桜園を訪れ、佐野氏の桜に寄せる思いの一端に触れることができたのは、何よりも得難い体験だった。
*植物学の慣例に従い、野生の桜をカタカナ、栽培品種の桜を漢字で表記しています。
Information
仁和寺
住所:京都市右京区御室大内33
電話:075-461-1155
植藤造園 (佐野藤右衛門の桜園)
住所:京都市右京区山越中町13番地
電話:075-871-4202
FAX:075-861-7280
*桜の季節のみ桜園を一般公開。私邸内の庭ですので、見学のマナーには十分ご留意ください。
*2022年は、コロナ禍のため桜園の公開は中止となっております。
Credit
写真&文/松本路子
写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-22年現在、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。
『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。www.matsumotomichiko.com/news.html
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