旬の花との出会いを求めて、国内外の名所・名園を訪ね続ける写真家の松本路子さんによる花旅便り。その土地で愛されるようになった背景と見どころをレポートしています。今回は、桜の最盛期に先駆けて、前回のその①に続いて京都の桜の名所をさらにご案内。京都の中心部に位置する京都御所、京都御苑、平安神宮に咲く、京都ゆかりの桜の数々をご紹介します。

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桜の名前にゆかりの地を訪ねる

紅枝垂

早咲きの桜便りが届くと、各地の桜のことが気になってくる。桜といえば‘染井吉野’を思い浮かべることも多いが、桜にはさまざまな名前が冠せられていることを知ってから、名前にゆかりの地をめぐる、そんな旅に興味を抱いた。

今回は、京都に原木のある桜や、ゆかりの桜を訪ねる旅の第2弾。古の都の風情と桜はよく似合う。

第1弾はこちら

京都御所

平安京遷都から明治維新まで、天皇の住まいであった京都御所。その一部は一般公開されている。御所の正殿である紫宸殿(ししんでん)は、即位礼などの儀式を執り行う格式ある場所だが、前面に広がる白砂の庭越しに「左近の桜」と「右近の橘」が植えられているのを望むことができる。

京都御所 紫宸殿
紫宸殿前庭の「左近の桜」。写真右手に見えるのが桜木で、左手は「右近の橘」。紫宸殿に儀式がある時、桜のほうに左近衛の陣が敷かれたことからこの名称がある。Claudine Van Massenhove/Shutterstock.com

「左近の桜」はかつて桜ではなく梅だった。中国文化の影響でそれまで花といえば梅だったのが、平安時代になってから、日本各地で見られる桜に代わった。わが国独自の文化が成熟しつつあった時代の証が、紫宸殿の植樹にも表れているのは興味深い。「左近の桜」は、古くから日本に分布する野生の桜‘ヤマザクラ’で、平安時代から今日に至るまで、代々植え継がれている。

山桜
‘ヤマザクラ’。奈良時代以前から、人々の生活とともにあった野生の桜。
山桜
‘ヤマザクラ’。古くから詩歌に登場し、長い間花見といえばこの桜が主流であった。数多くの栽培品種の親となっている。

御所ゆかりの桜は‘御所御車返(ごしょみくるまがえし)’。慶長16年(1611年)に即位した第108代後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が、桜を見かけその美しさに御車を引き返させたところから、名前が授けられたと伝わる。原木は宣秋門前で見ることができる。

‘御所御車返’
‘御所御車返’。御所の宣秋門近くに原木がある栽培品種。似た名前の桜に‘御車返(みくるまがえし)’があるが、こちらは鎌倉に原木があった別の品種。

昭和初期に御所にあった原木から増殖されたとされるのが、‘八重左近桜’。‘ヤマザクラ’の花に似るが、白色の花弁に紅色の筋が入る、気品のある花だ。

‘八重左近桜’
‘八重左近桜’。昭和初期に京都御所にあった原木から増殖され、広まった栽培品種。ヤマザクラに似るが、花弁の中央に紅色の筋が入る。

京都御苑

江戸時代には、御所を囲むように200もの宮家や公家の邸宅が建ち並んでいた。明治維新を迎え、都が東京に移ると、公家たちは天皇とともに京都の地を離れた。その後、屋敷跡地は、公園として整備され、敷地は御所を含み約100万㎡に及ぶ。

京都御苑の紅枝垂
京都御苑の北西部、今出川御門近くの近衛邸跡庭園の‘八重紅枝垂’。

苑内には約1000本の桜があり、中でも摂政や関白を多く輩出した五摂家のひとつ近衛家の邸宅跡の約60本の‘枝垂桜’‘八重紅枝垂’は、見事な景観を作り出している。そのほか‘ヤマザクラ’、御所の南にある‘奈良の八重桜’、出水の小川付近の‘御衣黄(ぎょいこう)’、‘市原虎の尾’、‘平野妹背’など、京都ゆかりの桜が並ぶ。御苑の門は24時間開放されているので、早朝の花見も可能だ。

‘奈良の八重桜’
‘奈良の八重桜’。野生の‘カスミザクラ’から突然変異によって生み出された栽培品種で、和歌に登場することから、奈良時代からあったとされる。現在の原木は東大寺知足院で発見されたもので、天然記念物に指定されている。
‘御衣黄(ぎょいこう)’
‘御衣黄’。花色を貴人が着用する衣の色に見立ててこの名前がつけられた。黄緑色の花弁に緑色の筋が入る。江戸中期に京都で栽培されていた記録が残る。
‘市原虎の尾’
‘市原虎の尾’。枝や花の形を虎の尾に見立ててこの名前がつけられた。京都市左京区の市原に原木がある。
‘平野妹背’
‘平野妹背’。一つの花に雌しべが2本あり、果実も2個付くことから、夫婦を表す名前がつけられた。京都市北区の平野神社に原木があり、「桜守」佐野藤右衛門によって広められた。

平安神宮

平安神宮東神苑
平安神宮東神苑。‘枝垂桜’越しに見る栖鳳池と橋殿の泰平閣。

平安神宮は平安遷都1100年を記念して1895年に創建された神社で、神苑は明治の造園家7代目小川治兵衛らの手により造園された。総面積約3万3000㎡で、平安京千年の技法を結集した日本庭園とされる。池泉回遊式庭園の池を囲むそこかしこに植えられた‘枝垂桜’は、野生の‘エドヒガン’が突然変異して生まれたもので、花色が紅色のものを‘紅枝垂’、その八重の種類を‘八重紅枝垂’と呼ぶ。

‘エドヒガン’
‘エドヒガン’。日本で見られる10種の野生の桜の一つで、春の彼岸の頃に咲くのでこの名前がある。本州から九州にかけて広く分布し、開花時期が農作業の目安となることから「種まき桜」とも呼ばれてきた。長寿の桜で、樹齢1000年以上の古木がいくつか存在する。
‘紅枝垂’
‘紅枝垂’。‘枝垂桜’は‘エドヒガン’の枝が突然変異し垂直に垂れたもので、平安時代以前から栽培されていた。別名「糸桜」で、紅色のものを‘紅枝垂’と呼ぶ。
‘八重紅枝垂’
‘八重紅枝垂’。‘紅枝垂’の八重咲き品種‘八重紅枝垂’は、江戸時代から栽培されていて‘糸桜八重’として記録が残っている。優美に枝垂れる姿から、庭園に植栽されることも多い。

平安神宮の‘八重紅枝垂’は明治時代に、仙台市長が苗木を献上したもので、市長の名前から「遠藤桜」という別名がある。もともとは京都御苑にあった苗木を増殖したものなので、「里帰り桜」とも呼ばれている。

平安神宮東神苑の尚美館(貴賓館)と‘八重紅枝垂’
平安神宮東神苑の尚美館(貴賓館)と‘八重紅枝垂’。泰平閣と尚美館は大正元年に京都御所から移築されたもので、桜とよく合う建物だ。

小説家の谷崎潤一郎は、その著書『細雪』の中で、平安神宮の桜の情景を「夕空にひろがっている紅の雲」と描写している。まさに満開の桜が空一面に広がる様が、目に浮かぶようだ。

*植物学の慣例に従い、野生の桜をカタカナ、栽培品種の桜を漢字で表記しています。

Information

京都御所

京都府京都市上京区京都御苑

https://sankan.kunaicho.go.jp/multilingual/kyoto/index.html

京都御苑

京都府京都市上京区京都御苑3

https://www.fng.or.jp/kyoto/

平安神宮

京都府京都市左京区岡崎西天王町97

http://www.heianjingu.or.jp/shrine/heianjingu.html

桜の開花情報

日本気象協会:https://tenki.jp

ウェザーニュース:https://weathernews.jp

Credit

写真&文/松本路子

写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-22年現在、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。
『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。www.matsumotomichiko.com/news.html

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