イングリッシュガーデン旅案内【英国】ジーキル女史のデザインがよみがえった「マナーハウス、アプトン・グレイ村」
庭好き、花好きが憧れる、海外ガーデンの旅先をご案内する現地取材シリーズ。今回は、英ハンプシャー州、アプトン・グレイ村のマナーハウスを訪ねます。この庭は、19世紀の終わりから20世紀前半に活躍し、現代のガーデンデザインに大きな影響を与えたデザイナー、ガ―トルード・ジーキル女史によって設計されたもの。庭は時の流れの中で荒れ放題となり、当時の姿がすっかり失われてしまっていましたが、現オーナー夫妻の手によって、オリジナルの設計通りに見事によみがえりました。
目次
現代の庭デザインに影響を与えたジーキル女史
ガートルード・ジーキル女史(1843-1932)は、英国の女性ガーデンデザイナーの先駆けとして、19世紀の終わりから20世紀前半にかけて活躍しました。もともとは優れた画家であり、工芸家でしたが、40代後半に目を悪くして細かい仕事ができなくなったことから、大好きだった庭の世界に転向し、ガーデンデザインに力を注ぐようになります。そして、生涯で400もの庭をデザインしました。特に、建築家のエドウィン・ラッチェンスと共同で行った設計は、傑作として知られています。
ジーキルは、昔から田舎家にあった、庶民の素朴な「コテージガーデン」を、より洗練されたガーデンスタイルに進化させました。そして、優れた画家ならではのセンスで、それまでになかった色彩豊かな花々の植栽を生み出し、英国の富裕層のガーデンシーンに変化をもたらしました。バラや宿根草の花々に溢れた、いわゆる「イングリッシュガーデン」のイメージは、ジーキルのデザインから発展してきたものといえるでしょう。
ジーキルは優れた書き手でもあって、ガーデンデザインについて記した著書や、寄稿記事が多く残されています。デザイン画も残っていますが、しかし、そのデザインが生きた庭の形で現存しているものは、数えるほどしかありません。
現在、ジーキルのオリジナルデザインが復元され、かつ、一般公開されている庭としては、ヘスタークーム・ハウスと、彼女の自宅だったムンステッド・ウッド、そして、今回訪れたアプトン・グレイ村のマナーハウスなどがあります。中でも、このマナーハウスの庭は、ジーキルのオリジナルデザインが忠実に再現されたものとして、彼女の世界観を体感することのできる、数少ない場所となっています。
復元への長い道のり
現在のオーナー、ウォリンガー夫妻がこのマナーハウスに移り住んだのは、1984年のことでした。当時は屋敷も庭も荒れ果てた状態で、夫妻はここにジーキルがデザインした庭があることも知りませんでした。しかし、ジャングルのように植物が茂る庭に埋もれていた構造物の基礎を発見したことから、庭について調べ始め、ジーキルのことを知ります。そして、カリフォルニア大学バークレー校に残されていた、この庭の設計図を探し出し、手に入れたのでした。
幸運なことに、ジーキルの設計した構造物の基礎は、茂みの中にそのままの形で残されていました。庭は荒れていたものの、プールやテニス用のハードコートといった構造物が新しく作られることはなく、オリジナルの構造が壊されずに済んだのです。
ウォリンガー夫妻はガーデニングの知識をほとんど持っていなかったのですが、庭の復元に心惹かれ、ジーキルのデザインを忠実に再現することを決意します。そして、設計図を手に入れると、すぐに行動を始めました。まず、オリジナルのデザイン図にない樹木や植物を取り除きました。ガーデンを囲むセイヨウイチイの生け垣を育てるための溝掘りを始め、土壌の改良にも取り組みました。そうして、ジーキルのデザインを蘇らせ、美しい庭をつくり上げていったのです。
ワイルドガーデンを抜けて屋敷へ
では、マナーハウスの庭に通じる公道で車を降りて、4.5エーカー(約18,000平米)の広さのある庭に入っていきましょう。
どんな庭か、ワクワクしながら、屋敷の北西側に広がるワイルドガーデンを抜けていくと、まず見えてきたのは池のあるエリアです。
白やピンクの睡蓮が咲く池の周りには、黄花のアイリスやクリーム色の花穂が伸びるバーバスカムがあって、向こう岸では、ふわふわと綿のように茂るアスチルベが爽やかな色彩を添えていました。水中にはカナダモやキンギョモが生えていて、トンボやカエルなど、野生生物の棲みかとなっているそうです。
ワイルドガーデンの小道は芝を刈って作ってあり、踏み心地が柔らかです。小道は緩やかに曲がって先が見えないので、次はどんな景色が広がっているのだろうと、期待が高まります。
このワイルドガーデンには、ワイルドフラワーやさまざまなバラが咲き、クルミの小さな林もありますが、これらの植栽はすべて、ジーキルの設計図から正確に復元されています。復元の精度を高めるために、庭を3×3mの格子状に仕切って、デザイン図に忠実に植栽し直したそうです。
開けた場所に出ると、目の前に、個性的なファサードを持つ屋敷が現れました。レンガ造りの門柱や塀の風合いに、長い時間の経過を感じます。
1908年、庭の設計をジーキルに依頼したのは、当時このマナーハウスを所有していた、チャールズ・ホームでした。彼はThe Studioという美術雑誌を立ち上げた編集者で、美術評論家であり、彼の雑誌はアールヌーボーやアーツ・アンド・クラフツ運動の発展に影響を与えました。
ホームが地所を購入したのは1902年のこと。屋敷は傷みがひどかったので、地元の建築家アーネスト・ニュートンに、古い部分を残しつつ改築するよう依頼しました。この屋敷には今も、16世紀頃に作られたオリジナルの屋根の梁や階段が保存されています。
さて、入り口に向かって緩やかに傾斜する半円形の草階段(これもジーキルによるデザイン)を下りて門をくぐり、左手の脇道から屋敷の向こう側へと向かいます。
屋敷の反対側に到着。乱張りの石畳のテラスでは、ピオニーが花盛りです。
パラソルを広げたテーブルには、たくさんのティーカップがスタンバイしていました。オーナーのロサムンド・ウォリンガーさんがマップつきの小冊子を皆に渡しながら、庭を復元したことを手短に話してくださいました。
「さあ、お庭を見てきて。私たちはお茶の準備をしておくわ」という彼女の言葉で、庭散策がスタート。石畳のテラスから、眼下に広がる庭に降りてみましょう。
屋敷前に広がるフォーマルガーデン
庭は白亜質の土壌を持つ斜面に作られていて、屋敷の南西側にある石畳のテラスから一段低くなったところに、メインとなるフォーマルガーデン(整形式庭園)が広がっています。手前に、花々の咲くローズ・ローン(バラの芝生)のエリアがあって、その奥のさらに下がった場所に、ボウリング用とテニス用という、2つの芝生のエリアがあります。
フォーマルガーデンは、ジーキルが好んでよく用いたという、セイヨウイチイの生け垣にぐるりと囲まれています。ジーキルはこの生け垣に、植物を守る壁としての役割と、花の色彩を際立たせる背景としての役割を持たせました。庭のレイアウトは、直線だけを使った、幾何学的なものになっています。
屋敷前のテラスから見えた景色をまずは確かめたくて、フォーマルガーデンの東側にある、ゆるやかな石畳の階段を降りていきました。左右の緑は、視線を遮るほど茂っています。日差しも遮られて、少しひんやりした空気を心地よく感じます。
ボウリングとテニス用の芝生
階段を降り切ると、広い芝生のスペースに到着しました。ボウリング・ローン(ボウリング用の芝生)です。左手には屋敷、右手にはテニス・ローン(テニス用の芝生)と呼ばれるテニスコートがあります。
そのテニス・ローンはこちら。芝生を囲むセイヨウイチイの生け垣は、背丈を越すほどの高さです。ガーデンの南の一辺、写真中央の奥に見える暗がりに、つるバラが覆うアーバー(あずまや)がありました。このアーバーは、バラが花盛りを迎える盛夏になると、一面の緑に白花が浮かび上がって、美しいフォーカル・ポイントになります。この時は、まだ花が少ないですね。
アーバーを覆っているのは、‘ポールズ・ヒマラヤン・ムスク’、‘アメリカン・ピラー’、‘キフツゲート’などのつるバラです。構造物の天井が見えないほどよく茂っていて、中のベンチに座ると空気がひんやりしていました。日も遮られ、テニス観戦にうってつけのベンチです。
アーバーから屋敷を見ると、屋敷、ローズ・ローン、ボウリング・ローンと階段状に下がっていて、テニス・ローンはそれからさらに低い位置にあることが分かります。
ローズ・ローンの縁に植わる草花が、数段下がったボウリング・ローンへと、こぼれ落ちるように茂っています。ボウリング・ローンから見ると、この高低差が「低い位置から花の姿を観賞する」という、珍しいシチュエーションを生み出しています。これはもしかしたら、ジーキルの意図したことなのかも? と、自分の発見に思わず嬉しくなる瞬間です。
ローズ・ローンのエリアは、自然石を積み重ねた石塀で囲まれているのですが、調べてみると、ジーキルはこれらの石塀が「垂直の花壇」となるようにデザインしたことが分かりました。石塀の、石と石の隙間には、こんなふうに植物が植え込まれています。これらの植物や、上から垂れ下がってきた植物によって、「垂直の花壇」が形作られているというわけです。
これはつまり、壁面緑化に似た発想。今でこそ、壁面緑化は一般的になっていますが、今から100年余りも前に、ジーキルがすでにその概念を形にしていたことに驚きます。
コテージガーデンスタイルの、ジーキルらしい宿根草花壇。花のない時期も構造的な面白みを持たせるため、ここではローズマリーやラベンダー、オレアレアなど、立体感のある植物を混ぜてあります。
では、石階段を上がって、上のローズ・ローンに行ってみましょう。上りながらも、階段のステップや、左右の何気ない植物の姿に目を引かれて、なかなか前に進めません。段差の小さな、ゆるやかな階段はジーキルの特徴的なデザインで、他の庭でも用いられています。
花々の競演にうっとり ローズ・ローン
屋敷前のテラスから見えていた、花々が咲き競うローズ・ローンのエリアに到着。ここも芝生が美しく手入れされています。みずみずしい緑に浮かび上がるように、パステルカラーのピオニーなどが花盛りです。
屋敷のちょうど中央の位置には、アーチ状のトンネルのようなパーゴラがあって、つるバラ、アリストロキア、ジャスミン、そして、秋に美しい紅葉を見せるバージニアヅタと、さまざまなつる性植物が伝っています。バリエーションに富んだ、長い期間花を楽しめる植栽です。
このパーゴラからは、先ほどいたテニス・ローンのつるバラのアーバーが正面に見え、2つの構造物は、呼応するように設置されています。
訪れた6月上旬は、ピオニーが花盛り。八重咲きのピオニーが無数に咲く豪華なシーンにうっとりします。
ピオニーの間には、咲き進んだバラとつぼみを膨らませたユリが。下草のラムズイヤーも銀色の花穂を伸ばしています。豪華な色と香りのコンビネーションを見せる、ジーキルの植栽デザインです。
ピオニーが囲む花壇の中央には、四角く自然石が囲む花壇がありました。中では、ユリがつぼみをつけ、銅色のカンナの葉が伸び始めています。バラとピオニーの季節が終わると、ユリの庭へとバトンタッチするのですね。では、次のエリアへ。
キッチンガーデンや果樹園へ
次は屋敷の西側を散策します。屋敷のすぐ近くにはガラスの温室がありました。
温室の裏手のデッドスペースになりがちな場所にもたくさんの草花が咲いていました。
仙人草のようなクレマチスが手前に白花を咲かせ、奥には、こぼれダネから育ったのか、デルフィニウムやジギタリスなどが混ざり咲いて、とってもナチュラル。
温室と並んで、さらに西側にコテージがあり、つるバラが満開。白花が明るい印象です。
コテージの前にはベンチが置かれ、そこに座ると、前方に鶏小屋の広いスペースが見えました。
フェンスに囲まれた中には、三角形の小屋がいくつも並んでいます。何家族が棲んでいるのでしょうか?
近づいてみると、お母さんの後ろについて歩く雛たちの様子が微笑ましい。
鶏小屋に隣接して、南方向に細長くキッチンガーデンが広がっていました。竹のオベリスクの足元には、若いスイートピーが育っています。ここでは、ハーブや野菜、フルーツなどを栽培。それから、フォーマルガーデンの植栽に差し替えが必要になった時のために、ガーデンで使っている植物の苗も育てているそうです。
丈高くデルフィニウムが伸び、ゲラニウムやカンパニュラなど、イングリッシュガーデンでお馴染みの初夏の宿根草がたっぷりと茂ります。間にネギの仲間のチャイブのような丸い花も覗いて、彩りを加えています。ラベンダーがそろそろ咲きそうで、アーティチョークも植わっていました。
広いキッチンガーデンを抜けると、リンゴの古木がランダムに並ぶ果樹園に出ました。足元の草がふわふわと茂ります。歩くスペースだけ刈り取って、小道を作っています。
苔むした古木に近づくと、ちゃんとリンゴが実って、膨らみ始めていました。
果樹園を一周すると、キッチンガーデンエリアと果樹園を区切る細い通路がありました。道の左右には、つるバラが絡まるガーランド(花綱飾り)があって、足元には紫のゲラニウムがたくさん咲いています。そして、セイヨウイチイの壁の奥へと進んでいくと、再びテニス・ローンに出ました。
キッチンガーデンも果樹園も、すべてがジーキルの設計図通りに忠実に復元されているそうです。ジーキルの時代に庭に生えていた植物で今も生き残っているものは、数えるほどしかなく、ワイルドガーデンにあるクルミの林と竹の茂み、ラッパズイセンだけです。しかし、ジーキルが用いた植物のほとんどは、現在の英国のナーセリーでも容易に見つかります。そのため、復元はさほど困難なく、正確に行うことができたそうです。
さあ、そろそろお茶が用意できたようです。屋敷前のテラスへ戻りましょう。
テラスのすぐそばにある、ゲストも自由に行き来できる部屋の中には、庭を復元する過程で撮られた写真や図版、植物のリストなどが掲示されていました。
庭の復元の過程は、オーナーのロサムンドさんの手によって、イギリスで書籍化されています(“Gertrude Jekyll’s Lost Garden, The Restoration of an Edwardian Masterpiece” by Rosamund Wallinger)。敷地のすべてを当初の形に復元するには、相当のエネルギーと熱意が必要だったことでしょう。そして、その庭を今なお美しい姿で維持し続けているオーナー夫妻の苦労と志に感動する、ガーデン訪問でした。
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Information
マナーハウス、アプトン・グレイ村
The Manor House
Church Street, Upton Grey, Hampshire, RG25 2RD
+44 (0)1256 862827
https://www.gertrudejekyllgarden.co.uk/index.html
ロンドンから車で1時間半ほど(約46マイル)。電車では、ロンドン・ウォータールー駅からベージングストーク駅(Basingstoke)まで約50分、駅から庭園まではタクシーで15分ほど(約6マイル)。
2019年の開園日時は、5~7月の月曜~金曜、9:00~16:00(土、日、祝日は閉園)。入園料は£7。
*2019年4月現在の情報です。
Credit
写真&文 / 3and garden
スリー・アンド・ガーデン/ガーデニングに精通した女性編集者で構成する編集プロダクション。ガーデニング・植物そのものの魅力に加え、女性ならではの視点で花・緑に関連するあらゆる暮らしの楽しみを取材し紹介。「3and garden」の3は植物が健やかに育つために必要な「光」「水」「土」。
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