四季咲き性のバラが今年最後の花を咲かせる秋バラの開花シーズンがやってきました。春とは違った表情をまとい、秋に再び咲くバラにはどんな魅力が秘められているのでしょうか。神奈川県在住で「日本ローズライフコーディネーター協会」の代表を務める元木はるみさんによる庭づくり奮闘記第10話。今回は、秋に咲くバラの中でも、いっそう美しく咲く「ティーローズ」の魅力をご紹介します。

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私の庭に咲く秋バラ「ティーローズ」

‘ドュセス・ド・ブラパン’

10月に入り、楽しみな秋バラの開花シーズンに入りました。

秋に咲くバラは、花色が冴え、花持ちもよく、春と比べると花のボリュームや花数は少ないこともありますが、秋ならではの静寂な空気の中に佇む凛とした姿に、魅力を感じる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

今回は、私も庭で育てている秋に一層美しく見える「ティーローズ」の魅力を、古い文献とともに、ご紹介させていただきたいと思います。

まずティーローズとは、中国からヨーロッパに渡った‘ヒュームズ・ブラッシュ・ティー・センティッド・チャイナ’、もしくは、つる性の‘パークス・イエロー・ティー・センティッド・チャイナ’を基に、新しく誕生したバラのことで、そのバラの品種群を「ティー系統」といいます。

ロサ・ギガンティア
ロサ・ギガンティア

上記の2品種は、花から紅茶の香りを感じることからティーローズと呼ばれ、このティーローズ香と剣弁の花弁の性質を、大輪で白い剣弁の5弁の花を咲かせるロサ・ギガンティアから引き継いでいるといわれています。

‘ヒュームズ・ブラッシュ・ティー・センテッドチャイナ
現在、‘ヒュームズ・ブラッシュ・ティー・センテッドチャイナ(Hume’s Blush Tea-scented China)’として流通しているバラ。

‘ヒュームズ・ブラッシュ・ティー・センティッド・チャイナ’は、1808~1809年にかけて、イギリス在住のエイブラハム・ヒューム(1749-1838年)が、東インド会社を通して広東の育苗商から入手し、イギリスに持ち帰ったといわれています。

‘パークス・イエロー・ティー・センティッド・チャイナ
現在、‘パークス・イエロー・ティー・センティッド・チャイナ(Parks Yellow Tea Scented China)’ として流通しているバラ。

‘パークス・イエロー・ティー・センティッド・チャイナ’は、1823年、英国王立園芸協会からキク類とバラ類の調査のために中国へ派遣されたジョン・ダンパー・パークス(1792-1866年)が、広東省の育苗商から、花色が淡黄色の大輪で芳香のあるバラを入手し、英国王立園芸協会に送ったといわれています。このバラが後に「パークス・イエロー・ティー・ センティド・チャイナ」と呼ばれ、クリームから黄色系のティーローズの基となりました。

150年以上前の欧米人をも魅了したティーローズの‘サフラノ’

 ‘サフラノ’
‘サフラノ’(T フランス 1839年 ボールガール作出)。右写真は、庭で咲く‘サフラノ’。

秋も春も他のバラより、ひと足先に開花し、しなやかな枝先に、剣弁のセミダブルの中輪の花を咲かせます。うっすらとピンクを乗せた光沢のある黄色い花弁は、ソフトなクリーム色へと退色し、優しく控えめな印象です。

ティーローズ特有の、枝を斜め横に伸ばす性質で、我が家では‘サフラノ’を鉢植えで育てています。

花瓶に挿した‘サフラノ‘
切って花瓶に挿した‘サフラノ‘(濃いオレンジ色のつぼみはティーローズの‘アンナ・オリビエ’)。

‘サフラノ’と‘アンナ・オリビエ’は、大好きなバラですが、枝を花瓶に挿してみると、枝が斜め横向きですので、いつもとても活けにくいと感じます。

ですが、細い枝にうつむき加減に咲く花や細長いつぼみ、華奢な雰囲気がどことなく古風で優し気なイメージと重なり、とても魅力的です。

‘サフラノ’は、明治時代に日本国内で「西王母(せいおうぼ)」と和名が付けられ流通していました。西王母とは、中国古代の仙女のことで、不老不死の薬をもつ神仙といわれ、世界の最高位の仙女ともいわれています。

現代のお花屋さんでは、ティーローズの切り花や、ティーローズを使用したアレンジメントやブーケなどは滅多にお目にかかれませんが、かつて1869年当時のアメリカ・ニューヨークのお花屋さんでは、この‘サフラノ’が、冬の切り花用としても人気品種であったとのことで、とても驚きました。

‘サフラノ’以外では、‘イサベラ・スプロント’、‘マルシャル・ナイル’などのティーローズ、‘ラマルク’などのノワゼットローズや、‘ヘルモサ’などのブルボンローズも切り花用として人気だったそうです。その後、ティーローズが片親となり誕生したハイブリッド・ティー・ローズの品種が増え、切り花におけるバラの人気系統は、枝が真っすぐに伸び、花首がしっかりとして、花が上を向いて咲くハイブリッド・ティー系統へと変わっていくこととなりました。

古書に記された‘サフラノ’

ヘンデルソン氏薔薇培養法
『ヘンデルソン氏薔薇培養法』(1875年 明治8年 水品梅處訳)

以前にもご紹介させて頂きましたが、こちらは、アメリカで園芸会社を経営し「園芸の父」と呼ばれたピーター・ヘンダースン(1822-1890年)の、1869年の著書『Practical Floriculture』の中で、バラの栽培について書かれた第15章を、水品梅處が日本語に翻訳した日本で最初の西洋バラについての栽培書です。

この中で、‘サフラノ‘に関する記述があり、「濃黄色、花多く、茶の香気あり」また、「深黄色の蕾、セミダブルの花」などと書かれています。

薔薇栽培法 上・下
『薔薇栽培法 上・下』(1875年 明治8年 安井真八郎訳)

こちらも、アメリカで園芸会社を経営し、ヨーロッパのバラの園芸家たちとの交流もあったサミュエル・ボウン・パーソンズ(1819-1906年)の、1869年の著書『Parsons on the Rose』を、安井真八郎が日本語に翻訳したものです。

この中でも‘サフラノ’に関する記述を見ることができ、茶薔薇(ティーローズ)の項に、「薄桃色の花の咲き始めの時、最も美ナリ」と書かれています。

咲き始めの‘サフラノ’
咲き始めの頃の‘サフラノ’。

「采女(うねめ)」の和名を持つ‘アンナ・オリビエ’

 ‘アンナ・オリビエ'
‘アンナ・オリビエ’(T 1872年 仏 デュシェ作出)

光沢のある杏色の美しい花を咲かせるこちらのバラが日本に輸入されると、「采女」の和名を付けられました。

采女とは、日本の朝廷において、天皇や皇后の食事や身の回りの庶事を専門に行う女官のことで、良家の容姿端麗な子女から選ばれたそうです。

‘アンナ・オリビエ'
‘アンナ・オリビエ’の後ろ姿。

「桜鏡」の和名を持つ‘ドュセス・ド・ブラパン’

‘ドュセス・ド・ブラパン’
‘ドュセス・ド・ブラパン’(T 1857年 仏 ベルナード作出)

ピンクを帯びたコロコロと愛らしい花を咲かせるこちらのバラは、明治6~7年、開拓使によって、アメリカから「美香登」、「天國香」などとともに日本に輸入され、「桜鏡」という和名が付けられました。

各國薔薇花競

明治10年に、京都で出版された花銘表『各國薔薇花競』では、75品種のバラの和名が掲載されていますが、「桜鏡」と「西王母」の和名を見つけることができます。

和名「雪見車」の‘ザ・ブライド’と和名「金華山」の‘レディ・ヒリンドン’

‘ザ・ブライド’
‘ザ・ブライド’(T 1885年 米 メイ作出)

「花嫁」を意味する品種名の通り、眩しいほどの清らかな純白の花は、日本に輸入され「雪見車」という和名が付けられました。

‘レディ・ヒリンドン’
‘レディ・ヒリンドン’(T 1910年 英 ロウ&ショーヤー作出)

山吹色の花色は、紫がかった新葉や茎とよくマッチして、おしゃれで落ち着いた雰囲気です。

ティーローズの中でも香りが強く、お砂糖をたっぷり入れた紅茶のような甘い香りがします。こちらのバラに付けられた和名は「金華山」、そして、もう一つ「金鵄(きんし」という名が付けられました。

このように、明治~大正時代の日本では、同じ品種に異名がいくつも付けられるということが起き、後々、正しい元の品種名を特定することが困難になってしまいましたが、明治維新後に、急に外国語を使用することに抵抗があったのか、和名を付けることになってしまったようです。

これは、日本だけでなく、アメリカなどでも元の品種名に異名を付けることがよくありました。それは、戦争の敵国(ドイツなど)のバラに英名を付けるなどの、敵国の言葉を使用したくないという気持ちの表れだったと思います。

目の前に咲くバラの背景を知ると、そのバラが、これまでに歩んできた道のりの一端が垣間見えるように思え、ますます、そのバラが愛おしく感じられるように思います。

ぜひ、秋にも咲くオールドローズのティーローズも、お楽しみいただきたいと思います。

Credit


写真&文/元木はるみ
神奈川の庭でバラを育てながら、バラ文化と育成方法の研究を続ける。「日本ローズライフコーディネーター協会」代表。近著に『アフターガーデニングを楽しむバラ庭づくり』(家の光協会刊)、『ときめく薔薇図鑑』(山と渓谷社)著、『ちいさな手のひら事典 バラ』(グラフィック社)監修など。TBSテレビ「マツコの知らない世界」で「美しく優雅~バラの世界」を紹介。
http://roseherb.exblog.jp
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