花の女王と称されるバラは、世界中で愛されている植物の一大グループです。数多くの魅力的な品種には、それぞれ誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りする連載。今回は、現代に残されたパルメンティエ作出の優秀なバラと、その名前の由来を解説します。今井秀治カメラマンが撮影した美しいオールドローズの写真と共にお楽しみください。
目次
“パルメンティエ家の栄光”と命名されたバラ
‘フェリシテ・パルメンティエ’、“パルメンティエ家の栄光”と命名されたアルバがあります。ロゼットまたはクォーター咲き、開花が進むと丸弁咲きの花形となります。淡いピンクで、花心が色濃く染まり、緑芽ができることが多い、息を呑むほどに美しい花です。
蒼みを帯びた深い色合いのつや消し葉、細いけれど硬い枝ぶり、中型のシュラブになります。高性になることが多いアルバの中では比較的小さめな樹形です。花、葉、樹形の美しさはほとんど完璧といってよい優れた品種だと思います。
1836年以前にベルギーのルイ・ジョセフ・ジスレン・パルメンティエ(Louis-Joseph-Ghislain Parmentier:1782-1847)により育種されました。
3,000種ものバラをコレクションしていた
育種家、ルイ・パルメンティエ
ベルギーのアンギャン(Enghien:ブリュッセルの南西20㎞ほどの距離、エイヒーンと発音することも)の富裕な商人の家に生まれたルイ・パルメンティエは、25年以上にわたってバラの蒐集と育種を行いました。詳細は後述しますが、彼の圃場には3,000種のバラが、1万2000株ほどもあったと伝えられています。
これはにわかには信じられないコレクションです。1815年頃、ナポレオンの元皇妃ジョゼフィーヌが金に糸目をつけず贅を尽くして収集したバラの品種数は250種ほどだったと信じられていますので、3,000という品種数がいかに驚異的なものであったか想像できると思います。
ベルギー王立バラ協会(The Royal Rose Society ;”De Vrienden van de Roos” )のメンバーであるフランソワ・メルトン氏(Mons. François Mertens)は、1990年刊行のアンギャン考古学会報(”ANNALES DU CERCLE ARCHEOLOGIQUE D’ENGHIEN”, T. XXVI, 1990)の中で、ルイ・パルメンティエ育種のバラについて詳しく記述しています。
メルトン氏が論拠としたのはアドルフ・オットー(Adolf Otto)による『バラ園またはバラ栽培: “Der Rosengarten oder die Cultur der Rosen”』(1858)の記述でした。
それによれば、
「パルメンティエの圃場では系統だった品番がつけられるなどていねいな品種管理がなされており、3,000品種、12,000株のバラが栽培されていた…
その中には市場に提供されていない855の品種(うち800種はパルメンティエの庭園にのみ植栽されている)、255種は未命名のままであった…」
とされています。
パルメンティエは、父アンドレ(Andre Parmentier:1738-1796) 、 母マリー・オルレアン(Mary Orlains :1748-1819)との間に、11人兄弟の9番目の子として誕生しました。
兄ジョゼフ(Joseph Julien Ghislain Parmentier:1775-1852)はアンギャンの市長を務め、熱帯植物などのコレクターとしても知られていた名士であり、また別の兄、父と同名のアンドレ(Andre Joseph Ghislain Parmentier:1780-1830)は米国ニューヨークへ移住し、ブルックリンに圃場を構えて庭園のデザインを行い、米国におけるガーデン・デザイナーの先駆と評されているなど、園芸一家であったようです。
消えたパルメンティエのバラ
しかし、ルイ・パルメンティエのコレクションは1847年の彼の死後ほどなく競売にかけられ、フランスなどで当時活動していたバラ農場主の所有となり、その後、それらの農場からしばしば新たな名前を付されて市場へ出回るようになりました。
そのため、パルメンティエ作出品種の多くは散逸、あるいは別の育種家により育種されたものとして記録されることとなってしまい、パルメンティエ作出と伝えられる855種のうち、彼の育種品種として特定可能なものはわずかになってしまいました。
こうしてパルメンティエのバラは、わずかの例外を残して消えてしまいました。
「バラはどこへ行ったの?(Where have all the roses gone?)」と声を大にして叫びたいところです。それでも消えたパルメンティエのバラを捜索する試みは続けられています。
先にあげた『1990年アンギャン考古学会報』には、106品種がルイ・パルメンティエ作出として確認できる品種だと記載されています。
現在でも入手可能なものをいくつか挙げておきます。
ルイ・パルメンティエが作出した7種のバラたち
アナイ・セガラ
(Anaïs Ségalas)
ディープ・ピンクまたはパープリッシュなクリムゾンとなるケンティフォリア。一般的には1837年、ジャン=ピエール・ヴィベールにより育種・公表されたといわれていますが、ルイ・パルメンティエは自分が育種したと記録に残しています。
おなじみのジョワイオ教授は著作『ラ・ロズ・ド・フランス(La Rose de France)』の中で、「おそらく1837年にヴィベールがなんらかの方法で取得して市場へ提供したのだろう…」と記述しています。
アナイ・セガラ(1811-94)は、若干16歳のとき最初の詩集「アルジェの女(Les Algeriennes)」を刊行するなど、天性の詩人として令名を馳せました。詩作に加え、先駆的なフェミニズム提唱者としても知られています。
ベル・イシス
(Belle Isis)
飾りつけたような萼片に包まれていたつぼみは、開花すると中輪または大輪、カップ型、ロゼッタ咲きの花形となります。花心に緑芽ができることもあります。淡いピンクの花色で、花弁の外縁はほとんど白といってよいほど色褪せます。ミルラ系の香りの典型とされる蟲惑的な香り。経年するとこんもりとした大株になります。庭をバラで飾るには最良の品種の一つといっても過言ではないと思います。
英国の現代の育種家、デビッド・オースチンは、この‘ベル・イシス’を交配親として‘コンスタンス・スプライ’を作出しました。この‘コンスタンス・スプライ’は最初のイングリッシュ・ローズとされ、その後の輝かしい名声と栄光を手に入れる始まりとなりました。
イシスはエジプト神話に登場する女神です。よき妻、よき母として、また豊壌を象徴していることから、エジプトからギリシャ、ローマへ伝えられ信仰の対象となりました。
オシリスとセトは兄弟でしたが、セトは兄を殺害してしまいました。オシリスの妹でかつ妻であったイシスは、オシリスを魔術により復活させて冥界へ送るとともに、オシリスとの間の息子ホルスを育てあげました。成長したホルスは、セトとの激しい戦闘により左目を失うという傷を負ったものの、ついにセトを打ち倒しました。
ホルスはイシスに抱かれているときは幼児の姿ですが、成長した後は鷹の頭を持つ神として描かれています。エジプトの王ファラオは、ホルスの化身とされ、争いの際に失われた左目はホルスの目として、邪悪なものを除く魔除けとされました。
イシスが幼子ホルスに乳を与える像はローマで広く信仰を集め、それが時代を下って、聖母マリアと幼子イエスの像の原形になったといわれています。
カーディナル・ド・リシュリュー
(Cardinal de Richelieu;Rose van Sian)
中輪、花弁が乱れがちな深いカップ型の花。花色は、深紅あるいは深いパープルとなりますが、中心は白を混ぜたように色が薄くなります。パープルのガリカとして第一にあげられる名花です。
従来はオランダのヴァン・シアンがフランスの育種家ラッフェイのもとへ持ち込み、ラッフェイにより市場へ出されるようになったと解説されていますが、ジョワイヨ教授はヴァン・シアン(Van Sian:”青酸色から”)という氏名の不自然さなどを指摘。実際にはパルメンティエにより作出されたのだろうと推論しました。現在ではこの推論が多くの研究家の賛意を得ています。
17世紀、フランス王ルイ13世のもとで宰相(在職:1624-42)として辣腕をふるったリシュリュー枢機卿(1585-1642)にちなんで命名されました。
リシュリュー卿はフランス王権の拡大にほとんど唯一の価値を置いて、それを阻害するすべてを除去しようとした人物です。ルイ13世の母で摂政であったマリー・ド・メディシスに認められて政治に携わるようになり、1622年に枢機卿、1624年に宰相と栄達の道を極めました。
王権の拡大のためには、恩のある王太后マリーの失脚も画策し、国内ではプロテスタントを迫害しながら、オーストリアやスペインといったカトリックを国教とする国とも対決し、三十年戦争(1618-48)では、オーストリア=ハプスブルク家に対抗するため、プロテスタント側にくみするなど権謀術策の限りを尽くしました。
政敵も多く、失脚を狙う陰謀も何度か企てられましたが、その都度事前に察知して首謀者を処刑し、難を逃れました。時代の流れを読んで陰謀渦巻く政治世界を巧みに泳ぎきった政治家だったのでしょう。
アレクサンドル・デュマ作の小説『三銃士(ダルタニアン物語)』の中では、紳士的でありながら冷徹で、スパイ網を駆使して王妃を陥れようとするなど権謀術策をめぐらす、したたかな人物として描かれています。リシュリュー枢機卿は、おそらくこんな人物であったろうと実像を彷彿とさせる描写です。
ダゲッソー
(D’Aguesseau)
ミディアム・レッドの花色となるガリカ。一季咲きのオールド・ローズの中では類稀です。1836年、ヴィベールの育種とされることが多いのですが、パルメンティエのリストに記載されていることから、パルメンティエ圃場からヴィベールの手に渡ったのではないかと推察されます(”La Rose de France”)。
アンリ・フランソワ・ダゲッソー(Henri François d’Aguesseau:1668-1751)にちなんで命名されたというのが通説ですが、ヴィベールの孫にあたる、マルキス・ダゲッソー(Marquis d’Aguesseau)に捧げられたという説もあります(Stirling Macoboy, “The Ultimate Rose Book”)。
アンリ・フランソワは、代々フランス宮廷の法務官を務めていたダゲッソー家に生まれ、ルイ14世、15世など、重商主義により王家が巨万の富を得て繁栄していた時代に、ときに失脚して隠遁していた時期はあるものの、長きに渡って博識な法務官として、フランス法曹界に名を残した人物です。
ナポレオンの熱烈な信奉者であったヴィベールが、この品種を王家の法務官ダゲッソーに捧げたことには少々不可解な印象をいだきます。そうした意味ではマッコイが述べている、孫の名を取ったという説に説得力があるようにも思います。
アンリ・フランソワは政争に敗れ、生まれ故郷リモージュに隠棲している時代、文献の研究などに加え、ガーデニングにも精を出していたことが知られています。ヴィベールは、アンリ・フランソワのこうした”園芸”への貢献に敬意を表したのかもしれません。
イポリート
(Hippolyte)
ヴァイオレットと表現するにふさわしい、深い色合いの花色ですが、花弁の基部が白く色抜けし、そのため、中心部に白い斑点模様が出ることがあります。しばしば、もっとも完成されたガリカであると記述される、美しく、また、耐寒性、耐病性を備えた品種です。
1842年には、ベルギーの偉大な植物学者ルイ・ヴァン・ホウテ(Louis van Houtte:1810-76)が残した文献に品種名が記されているとのこと(”La Rose de France”)。パルメンティエが生前公開した数少ない品種の一つです。
全体としては、ガリカ・クラスの特徴を示していますが、樹形が比較的大きいこと、また、ケンティフォリアのように花弁が密集した花形など、典型的なガリカとはいえない特徴も備えており、交配には他のクラスに属する品種が使われたのではないかといわれています。
イポリートは、現在でも使われている女性名ですので、この品種が特定の人物に捧げられたものかどうかは不明ですが、おそらくギリシャ神話に登場する女戦士アマゾンの女王イポリートにちなんだものだと思います。
神話には異説もありますが、一般的には次のような話が伝えられています。
ヘラクレスは、自らに課された難題をつぎつぎに解決していきますが、第9の偉業が、アマゾン族の女王、イポリートが持つアレスの帯を手に入れることでした。
筋骨たくましいヘラクレスを見たイポリートは、2人の間に子孫を残すことを約束してくれれば、帯を渡そうと約束します。しかし、ヘラクレスを忌み嫌う女神ヘラは、ヘラクレスが女王をかどわかそうとしているという風聞を流したため、怒ったアマゾン戦士はヘラクレスを襲撃します。
しかし、ヘラクレスはひるむことなく剛勇をふるい、アマゾン族を打ち倒してしまいます。ヘラクレスは、激昂にまかせてイポリートのガードルを奪い非情にも陵辱したうえで、ともに戦ったアテネ王テーセウスに与えました。イポリートはテーセウスとの間に子をもうけたといわれています。
註:この品種はなぜか『1990年アンギャン考古学会報』にリスト・アップされたパルメンティエ106品種に含まれていませんでした。著名な品種ですので追加しました。
ロズ・ド・スヘルフハウト
(Rose de Schelfhout)
小さめですが、カップ型・ロゼッタ咲きとなる花形は息を呑むほどの美しさです。大きな切れ込みのある萼片に包まれたつぼみの可憐さも格別です。花色は淡いピンク、花弁の外縁はさらに淡く色抜けします。花心に緑芽ができることもあります。細く硬めの枝ぶり、中型、立ち性のシュラブ。花形、花色や明るい葉色など同じパルメンティエにより育種された‘ベル・イシス’とよく似ていますが、‘ベル・イシス’のほうが強いミルラ香に恵まれ、樹形も‘ロズ・ド・スヘルフハウト’よりも大きめになります。
アンドレアス・スヘルフハウト(Andreas Schelfhout:1787-1870)にちなんで命名されたというのが大方の理解です。凛とした美しさは、冬季の凍結した運河などを好んで描いたスヘルフハウトに相通じるものがあるようにも感じます。
トリコロール・ド・フランドル
(Tricolore de Flandre)
丸弁咲き、花色は淡いピンクにミディアム・ピンクの縞が入るストライプ。
1846年、ヴァン・ユウテによる年報”Flore des serres et des jardins de l’Europe 1846”においてボタニカル・アートつきで紹介されたのが初出でした。そのため長くヴァン・ユウテ作出のバラとされてきましたが、園芸学者ヴァン・ユウテ自身は自ら育種を行うことはなかったことから、現在ではパルメンティエ作出の品種とされています。
花色に変化が出ることが多く、特に温暖な気候のもとでは色濃くなることが多く、ヴィベールは全体ににぶいパープルになると記述しています。
トリコロール・ド・フランドルとは「フランドル(ベルギー北部)の色変わりバラ」といった意味です。フランドルは、ブリュッセル、アントワープ、ブルージュなど美しい街がある地方。ネロとパトラッシュの悲しい物語『フランダースの犬』の舞台でもあります。
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Credit
文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたい思いから、2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。
写真/今井秀治
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