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高知県
【牧野植物園広報部インタビュー】愛されキャラの牧野富太郎と博士の思いをつなぐ牧野植物園の未来
牧野植物園について 牧野植物園には、県内のほとんどの人が、子どもの頃に遠足で来たとおっしゃるんですよ ガーデンストーリー編集部(以下GS):植物園のある五台山は、牧野富太郎博士が何度か植物採集に訪れていたそうですが、そうしたことからこの地が選ばれたのでしょうか? 橋本:そうですね 牧野博士はここに限らず、高知全体をフィールドとして調査に行っています。もちろん、この植物園のある五台山にも何度か植物調査に訪れています。しかし、ここに植物園の設立が決まったのは、その調査からもっと後の話になります。 園の設立に関しては、明確に博士からの希望があったわけではなく、県民はじめ有志の働きかけによるものだと聞いていますが、牧野博士自身も「植物園」というものの建設の必要性はかねがね明言されていたことが書籍などで確認できます。計画が具体的になったのは昭和29年で、まず「牧野博士記念植物園設立準備会」ができ、昭和31年に設立が決定しました。 これは推測ですが、おそらくその準備会の中で、いくつか候補地が挙がったのではないでしょうか。地形の調査も行ったようですし。でも結局は、博士に「どこがいいですか?」と伺ったところ、「それなら五台山がいい!」という鶴の一声で、ここにつくられることが決まりました。 当時のここ五台山は、いくつかの私有地が混在していて、最終的に竹林寺の当時のご住職からご厚意をいただき、お寺の一角であった宿坊(寺院の宿泊施設)と呼ばれるエリアにつくることになったと聞いています。 北園の山頂付近に広がる「こんこん山広場」に横たわる2本のスモモの木は私有地時代の名残で、当時は無数のスモモの木が花を咲かせ、山肌を白く染めたそうだ。 GS:植物園の存在は、地元にどのような影響を与えてきたと思いますか? 橋本:当園は地元の方々に親しんでいただいており、来園のお客さま、特に県内の方に「過去に園に来たことありますか?」と尋ねると、多くの方が「子どもの頃に遠足で来た」っておっしゃるんですよ。 今でも小中高と、遠足や課外授業で来られる方も多いのですが、県民の多くの方が幼少期から学生時代に、少なくとも一度は訪れているように思います。 私どももさまざまなイベントを催していますので、大人になってからはそういった催事の話題をきっかけに再訪しようかな、という流れもあるようです。 GS:それは素敵な話ですね。幼少期にこんな素敵な植物園の思い出があるなんて、うらやましいですよ。 橋本:特に高知市内にお住まいの方は、そういった思いが深いのではないでしょうか。また、今回NHKの連続テレビ小説の題材になったことで「我が地元に牧野植物園在り!」と再認識され、再訪される方も多いですね。 GS:地元の方にとっては、今回連続テレビ小説の題材になったことは、これ以上ない誇りでしょうね。 橋本:そう思います。 牧野植物園がきっかけで、さらに植物愛が増してもらえるのは嬉しい GS:植物園が日本の園芸文化にもたらした影響についてはいかがでしょうか? 橋本:地元に対してはこのように大きな影響を持つ牧野植物園ですが、日本の園芸文化への影響というところでは、私自身の考えとしては、当園の在り方が、園芸のそれとはちょっと方向性が異なるかなと思います。しかし牧野博士の研究は、その垣根をまたいでいたものもあるため、人の手によって愛でられ栄えてきた日本の園芸文化と、自然界の植物を分類していく博士の研究とは、少なからず交わる部分もあるとは思います。GS:確かに、日本の園芸文化というと、例えば変化朝顔とか江戸菊のように、人の手によって改良を重ねられ、美術工芸品のような位置付けで楽しまれる植物が代表的ですね。 橋本:そうですね。もちろん、植物を愛する畏敬の念に隔たりはないのですが、ただ、牧野植物園に来園される方は、どちらかというと園芸植物よりも、山野草や高山植物のような人の手によるものでない野生の植物、ありのままの自然が好きな方が多い印象です。 しかし最近では、蘭が好きな方や多肉植物が好きな方が来園されたりと、割とボーダーレスでお客さまがいらっしゃるようになったと思います。 私たちとしては、きっかけはなんでもいいんです。研究としては線引きがあっても、植物を愛でる気持ちに線引きなどあろうはずもなく、お散歩がてら来ていただくのも嬉しいですし、博士のことを伝記などで読んだり、今回の連続テレビ小説を通じて興味を持たれたり、さまざまなきっかけで牧野植物園に遊びに来ていただければ嬉しいんです。 こうして、今まで植物に興味があった方も、なかったけど持ち始めたという方も、園芸というよりは、もっと大きなところで植物への興味の足掛かりに牧野植物園を使っていただければ嬉しいですね。それにより日本の園芸文化にも、植物を愛する方を一人でも多く生み出す、というフィードバックができるのではないかと思います。 GS:園を散策してみて、植物一つひとつにじつに細かくプレートが立てられていて、いかに博士が植物分類学に心血を注いでいたかがうかがえました。来園者はこのプレートからより深い植物の知識を得ることができ、関心も高まりますよね。そういった意味でも博士の研究と現在の園芸文化とのクロスオーバー的な役割を、この植物園が果たしているのだな、と思います。 私たちの生活とも関わりの深い植物などが多数植えられた薬用植物区の一部。植えられている全ての植物の側には、その植物の詳細が記されているプレートが立つ。 橋本:当園は自然風植栽を意識しているため、例えばご自身が鉢植えとして楽しまれているものが、自然の中でどのように息づいているかを見ると、よりその植物への愛も増すと思いますし、栽培のヒントにもなったりするのではないでしょうか。 博士自身も園芸文化を決して否定せず、むしろ植物を愛する気持ちに対しては心は一つ、という考えの方だったので、牧野植物園がきっかけで来園者の植物愛がさらに増すというのは嬉しい限りではないかと思います。 GS:ここは場所柄、山に吹き抜ける強風が植物の幹を太くし、強くしていると伺いましたが、言ってみればそれが自然の創り出す造形美であり、植物が健康に育つためには、いかに風が重要かも分かりました。 牧野富太郎博士について <写真提供:高知県立牧野植物園> 研究って一方通行では決して醸成されないもの GS:牧野富太郎博士は植物について並々ならぬ関心と情熱を持ち、研究や教育普及活動に生涯を捧げた方ですが、同じ道を歩まれている後進の方々から見るとどんな方ですか。 橋本:やはり植物学や植物分類学というものについて、まだ当時(明治〜昭和期)は欧米に遅れをとっていた日本のレベルを世界レベルまで引き上げたのは牧野博士なので、そのレガシーを継承し、同様の研究を進めている専門家たちから見れば、牧野博士はまさに先駆け的な存在です。 また、牧野博士は採集した植物を描いた植物図の分野でも日本では先駆者であり、そのディテールの再現性と息を呑むような美しさには、先進的だったはずの海外の植物学者も驚嘆したといわれています。 明治11年、牧野富太郎が16歳の時に描いたもの。少年の頃にすでにここまで緻密な植物図を描いていた。 GS:牧野博士は植物分類学の研究を世界水準まで高めたということですが、そもそも当時、日本の植物学は海外から注目はされていたのでしょうか? それとも、謎めいた極東の小国から、牧野博士が積極的に海外に向け情報を発信していて、それが功を奏して海外からも注目を浴びるようになったのですか? 橋本:すでに世界から注目されていたとは思いますが、当時は、文明的、歴史的な背景もあり、情報流通は極端に少なかったと思います。おっしゃるように、未知なことが多い極東の小国から、博士のほうから積極的に発信したのだと思います。そもそも研究って一方通行では決して醸成されないものなので、徐々に情報のネットワークが作られ、レベルも上がり、評価を得た、ということだと思います。 GS:一方通行だった研究を双方通行にして、日本の学術レベルを底上げした博士の功績は偉大ですね。 そもそも、牧野博士が一般常識人であったら植物分類学者牧野富太郎は生まれていなかった GS:そんなフロンティア精神溢れる博士には、ユニークなエピソードもたくさんありそうですね。 橋本:牧野博士はとにかく、どんなことにも探究心が旺盛で、凝り性だったようですね。幼少期には、実家の番頭が持つ懐中時計を借りた博士は、その仕組みが知りたくて、借り物にもかかわらず、バラバラに分解してしまったそうなんです。 GS:貸した方はさぞびっくりしたでしょうね・・・。連続テレビ小説でもそのようなシーンが盛り込まれると面白いですね!(実際に放映では、子供時代に番頭さんの懐中時計を分解しちゃったという形で再現された) 橋本:そうですね(笑)、あとは、博士は海外から大量のシリーズ物の書籍を取り寄せたりもしていたんですが、それらも抜け落ちることなく、ちゃんと全巻揃えてコンプリートしていたそうです。とにかく凝り性だったようですね。凝り性がゆえに、家計が傾いたのですが・・・。GS:家計を傾ける凝り性のことを「Rock ‘n’ Roller」というんですよ(笑)。独り身ならいざ知らず、妻君のご苦労は察して余りあります。 橋本:全財産を研究に注ぎ込んでしまうわけですから、確かに妻の壽衛さんは大変だったと思います。でも壽衛さんは、お子さんには「お父さんは世界的な研究をしている人だから、我が家は決して裕福ではないけれど、決して恥ずべきことではないんだよ」と言って、最大限の理解を示して家庭を支えていたんです。 そもそも論ですが、牧野博士が一般常識人であったら、植物分類学者牧野富太郎は生まれていなかったのではないかと思います。 若き日の牧野富太郎と妻壽衛。<写真提供:高知県立牧野植物園> GS:ある分野で突出した人は、一般常識が通じない部分が必ずどこかにあると聞きます。まさにそれですね。私の経験則では、そういう人は自己陶酔型が多いですが、牧野博士にはそれが感じられない。 橋本:そうなんです! 博士は大人、子供、老若男女の分け隔てなく、誰にでも同じように接して植物の知識を広めていった方なので、そんなところが多くの人に愛され、愛されるから支援者が現れ、親しみを持たれるからこそ、日本全国から標本が集まり、博士も知識を集積することができたんです。その結果、現在語り継がれている偉業の数々を成し遂げることができたんです。 GS:細い1本の糸が束になって、太い1本になった、ということですね。 橋本:はい。博士のお人柄のなせる業ではないかと思いますね。 出生の地、佐川町の風土も大きな影響を与えた GS:14歳のときに小学校を自主退学し、早くも植物研究の道を歩み始めている博士ですが、牧野富太郎博士が若くして植物に強く関心を持つに至ったのはなぜなんでしょうか? 橋本:牧野博士は幼少の頃に両親と祖父を亡くされて、祖母に育てられました。そんな少年時代に、肉親の愛に代わって心を満たしてくれるものが植物だったと自らも語っています。つまり、何か1つきっかけがあったというより、常に植物に寄り添い、共に日々を送っていたわけです。加えて、日本の野生植物の種類の約4割が自生しているともいわれている地元高知の自然の豊かさも大きな影響を与えたのではないでしょうか。10代〜20代前半の頃は、博士はすでに高知県の植物をくまなく調査していました。ですから影響というか、高知の自然こそ、博士の研究の源になったのだと思います。 GS:植物王国土佐の大地を駆け巡るフットワークの軽さもさることながら、そもそも学習意欲も旺盛だったのですね。 橋本:それは間違いないですね。地元でも有数のレベルの高い私塾に通い、そこで読書、天文学や物理学、英語の読み書きを学んでいました。教育に熱心に取り組み、多くの識者を輩出しているこの佐川町の風土も大きな影響を与えたのではないでしょうか。 高知は山を越えるごとに地域の特色も変わるのですが、佐川町は「佐川山分学者あり」(佐川は山も多いが学者も多いという意味)という言葉ができるほど、学問が盛んな町だったため、そのあたりも後年の富太郎を形成する苗床になったはずです。 GS:学問で肥えた土から、まさに黄金の苗が芽生えたわけですね。 橋本:いろんな要素はあると思いますが、やはり牧野富太郎を突き動かしたのは、ひとえに植物への愛ではなかったのかなと思います。 GS:歴史の必然というかなんというか、どれか1つでも欠けていたら、もしかしたら牧野富太郎は生まれなかったのかもしれませんね。 橋本:そうですね、もし両親といわずとも、どちらかの親が存命だったり、他の子どもみたいにちゃんと学校に通っていたり、場所が高知でなかったり、このどこかが異なるだけで、牧野富太郎の人生は私たちが知っているものとは違う歩みになっていたのかもしれません。 今回のドラマをフックにして、牧野富太郎の存在を広く周知したい GS:ところで、その牧野博士は昨年生誕160年を迎えましたが、博士の存在がクローズアップされている今年2023年、牧野植物園としては博士が日本の園芸に残した足跡、功績をどのように伝えていきたいですか? 橋本:牧野富太郎は、まだ全国的に知名度は低いと思うんですよ。確かにドラマのおかげで知った方も多いとは思いますが、それでもいまだに高知のパブリックイメージは、高知=坂本龍馬、だと思うんです。 我々としては、今回のドラマをフックにして、牧野富太郎という世界レベルの植物分類学者がいたんだという事実、そしてそれを生んだのが高知であるということを発信し、その結果植物に興味をもってもらい、牧野富太郎のエッセンスを当園で感じてもらう。いわば、「情報」を「体感」へと繋げていければ、と考えています。 なので、私たちとしてはひたすら牧野富太郎という人の偉業と人間性を発信していき、今までの高知=坂本龍馬が、高知=牧野富太郎というように瞬時にイコールで結びつく、そんなところを目指しています。 園内に植えられていた高知の特産品「ブンタン」。マーマレードにすると絶品! 高知は果物も豊富なのだ。 NHKの連続テレビ小説「らんまん」について ドラマ化を推進する会が結成され、署名活動が行われた経緯もあります GS:NHKの連続テレビ小説「らんまん」について、地元の方、そして植物園の皆さまはどんな風に受け止めていらっしゃるのでしょうか? 橋本:じつは以前から、ぜひドラマの題材に、というリクエストは県内の複数の箇所から出ていました。また、それを推進する会が結成され、署名活動が行われた経緯もあります。署名活動が直接的にNHK側の選考判断材料になったかは分かりかねますが、県民を挙げて牧野博士の周知を願っていたわけですから、これはあくまでも私の想像ですが、そういった活動が少なからず選考に影響を与えた部分もあるのかな、とは思います。 GS:橋本さんご自身は、テレビ化の決定を聞いたとき、どう思いました? 橋本:それは嬉しかったですよ! ここ(牧野植物園)に携わっている全ての人が、牧野博士のことを愛し、敬意を払っているので、博士の偉業と魅力が世間に、しかも全国ネットで周知されることを名誉に感じています。 GS:実際に署名活動に携わった方たちにとっては、まさに思いが報われた瞬間だったのですから、これはもうシャンパンファイトでもしたい気分だったでしょうね。こうして、ドラマの題材になったことによって、牧野植物園はどう変化すると思いますか? 橋本:そうですね、まぁ忙しくはなるでしょうね(笑)。 でも先ほども言ったように、それがきっかけで牧野富太郎に興味を持ち、植物に興味を持ってもらうことは、私たちにとっては嬉しい相乗効果です。お客さまに今後どのようなアプローチで植物に興味を持ち続けていただくのかを考えながら、牧野植物園もコンテンツをブラッシュアップしていかなければなりません。このたび、正面入り口と南門の間に植物研究交流センターという建物を新たにオープンしました。 そこでは、さまざまなワークショップやイベントを行っています。また、リニューアルしたレストランやミュージアムショップもお楽しみいただけるのではないかと思います。 牧野博士は“植物は楽しいものだ”ということを世界中の人に知らせたかったし、実際に知らせたわけですから、変化するというよりは、変わらずにその思いを継承していきたいですね。 建設中(2022年12月当時)の植物研究交流センター。 牧野植物園のこれから 牧野植物園を通じて、植物に関する正しい情報を発信していくことが私たちの使命 GS:Webマガジン「ガーデンストーリー」の読者は園芸を愛好する人たちで、さまざまな形で園芸を楽しんでいます。読者の皆さまに、牧野富太郎博士のどんな部分を知ってほしいですか? また、牧野植物園のこれからの取り組みなどを教えてください。 橋本:博士の行っていた植物研究は、基本的に人の手が加わっていない自然そのものの植物が対象であったため、人の手が加えられる園芸文化と必ずしも合致する部分ばかりではないのですが、ベースにある植物愛というところでは大きく共通していると思います。 ただ牧野博士の場合は(想いが)突き抜けてしまっていたために、研究者として偉大な功績を遺すことができたのですが、その突き抜けていた部分を、連続テレビ小説や当園を通じて、感じて、そしてファンになっていただければ嬉しいですね。なにしろ牧野富太郎は生前、自身のことを「草木の(妖)精」と言ってはばからなかったそうですから。 GS:植物への興味の有無にかかわらず、牧野富太郎という人の生き様に対して、連続テレビ小説を通じて興味を持つ方は多いと思います。 橋本:牧野博士の時代と違い、現代は情報が氾濫しているため、一つの分野を追求するのって難しいと思うんです。それがいばらの道になったら、楽な道も簡単に探せるわけですから。だからある意味、博士みたいなブレない生き方に憧れを覚える視聴者の方も多いのではないでしょうか。 そうして興味を持っていただいた方に、植物の種を本来あるべき姿で保存していくということの大切さ、そして高知県の自然の豊かさを、私たちも牧野博士のそれにならい、ブレずに積極的に発信していかなければなりません。発信する上で、この牧野植物園は重要な拠点となっているので、今後ますますその価値を高めていきたいと思います。 近年は植物の情報をネットで簡単に検索できますが、誤った情報も非常に多く見受けられます。私たちは、この牧野植物園を通じて、植物に関する正しい情報を発信していくことを使命としています。 GS:粛々と、牧野博士の偉業を紡いでいくと。 橋本:そうですね、そんなところです。すいません、答えになっているかな(笑)。 GS:いや、情報の信頼性を追求するのは、私たち園芸メディアにとってもそれは使命であるので、正しい情報を元に植物愛好者を増やしていくという形で、牧野博士を見習い、その想いを紡いでいけたら嬉しいです。今回は、いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。南園に牧野博士の立派な銅像がありましたが、博士にくれぐれもよろしくお伝えください。 橋本:伝えておきます(笑)。 南園にある牧野富太郎博士像 取材後記 35年ぶりの高知。35年も経つと、初めて来た土地のような感覚でしたが、以前のことで鮮明に覚えているのは、高知市民の親しみやすさ。すごくソウルフルで、今回の取材でお世話になった広報の橋本さんも、そんな方でした。 好青年で、時にクールに、またある時は熱っぽく語る、植物愛に溢れる橋本さんですが、牧野富太郎という人物をリスペクトしまくっているその姿を見ていて、この方は牧野富太郎と同時代に生を受けていたら、きっと牧野博士に可愛がられたのだろうな、と思いながら、お話を伺っていました。 ちなみに、この記事を作っている今(6月)、予見したとおり、連続テレビ小説効果で園内はだいぶ混み合い、忙しいらしいです。忙しいけれど、ホスピタリティー溢れる橋本さんのことだから、きっと手を抜かないのだろうな…。 話に聞く牧野博士も、それはホスピタリティー溢れる方だったそうです。今回は、そんな土佐っ子の心意気を肌で感じる取材となりました。
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高知県立牧野植物園は見どころ満載! 牧野富太郎の想いが詰まった園内おすすめスポットを一挙ご紹介!
牧野植物園の見所をもっと知る! 日本の植物分類学に偉大な足跡を残した牧野富太郎。その生涯をモチーフに描かれたNHKの連続テレビ小説「らんまん」が絶賛放映中です。 ガーデンストーリー編集部では放映に先立ち、2022年初冬、牧野富太郎の業績を顕彰してつくられた、高知県立牧野植物園を訪れ、一足先にその足跡をたどってきました。そして牧野博士と牧野植物園の関係を解説した第1回目に引き続き、今回は、その広さゆえに一度ではお伝えしきれなかった牧野植物園をクローズアップし、見どころやおすすめスポットを映像と共にご紹介したいと思います。 おすすめスポット① エントランスまでの道のり 日本最後の清流とも称される美しい四万十川をはじめ、日本一の消費量を誇る鰹料理など、見どころ食いどころ満載の観光王国高知県。さらに、牧野富太郎博士がクローズアップされたことにより、植物王国としての顔に注目が集まっています。 日本で確認されている植物のうち約40%が生育しているといわれる高知県の自然を体感できるのが、牧野植物園正面玄関からエントランスまでの約100mのアプローチ「土佐の植物生態園」。このエリアでは、高知県の豊かな植物生態を、山→川→海辺と、段階的に体感することができます。 山野草が好きな方の中には、この場所で半日過ごす方もいるのだとか。まだエントランス前ですよ! こんなところにも、牧野植物園の「自然のままの植物の生態を知ってほしい」という本気度が伝わってきます。 おすすめスポット② エントランスと本館建屋 エントランスを抜けるとすぐ、右側にボタニカルショップ nonoca(野の花)と、レストラン「アルブル」(現在は新店舗C.L.GARDENとして南園に移転し、ここではカフェ・アルブルとして営業中)があります。 ボタニカルショップ nonocaでは、季節の花の鉢植えや、牧野博士の植物図をあしらった牧野植物園オリジナルグッズ、高知産の土産物などを購入することができます。 私のイチ推しは、スコットランド沖合のアイラ島に自生する22種の希少な野生のボタニカルを手摘みで採取してつくられた蒸留酒(ジン)「THE BOTANIST」。 一般的なジンの持つハーブ感というよりは、いくつもの花の香りが複雑に交わるような、フローラルアロマが特徴。お酒の強い方は、ロックで心地よいアロマをダイレクトに味わってほしいですが、弱い方はトニックウォーターで割ってジントニックにして楽しんでください。 ちなみに、商品名のBOTANISTとは植物学者のこと。牧野博士を顕彰した牧野植物園のお土産としてはもってこいですね。 BOTANISTをはじめアルコール等の飲料類は、取材時の nonocaから植物研究交流センター 3Fの牧野ミュージアムショップ「サクラ」に販売場所が移っているためご注意ください。 おみやげ類は売り切れるものもあるため、先に購入して散策中は園内のコインロッカーに入れておくのがおすすめです。コインロッカーは本館nonoca、植物研究交流センター 3Fサクラ、共に入り口付近に設置されています。 さて、本館建屋を中央に進むと、空に向かって存在感を示しているのはタイワンマダケ。 ある意味、エントランスを抜けてきたお客様を最初にお出迎えするのがタイワンマダケだ。 タイワンマダケは1896年に牧野博士が東京帝国大学(現在の東京大学)の依頼で台湾を調査した際に発見した台湾固有種で、1916年に「台湾植物図譜」の著者、早田文蔵博士が発見者の牧野博士にちなんで、学名の種小名をmakinoiとして発表しました。原産地の台湾では工芸品の材料としても使用されています。 建築家内藤廣の意匠が反映された独特の傾斜の屋根、タイワンマダケ、土佐の空、この3つが揃うとじつに美しい。 おすすめスポット③ 植物研究交流センター3Fレストラン「C.L.GARDEN」 C.L.GARDENは「子どもの頃に憧れた木の上の小屋のようなレストラン」をコンセプトに、ココット(鋳物ホーロー鍋)のハンバーグランチや、ふもとの市場で仕入れたお魚ランチなど、旬の野菜をふんだんに使ったシェフ自慢の地産地消の洋食メニューが魅力。そんなC.L.GARDENから、夏限定のメニューの情報が届きましたのでご紹介します。 窓の向こうのガラス張りの建物は温室棟。 夏季限定ドリンク ベリースカッシュ ブルーベリーやストロベリーなど数種類のベリーが味わえるスカッシュ(炭酸ジュース)です。 管理栄養士曰く、ベリーに多く含まれるポリフェノールには、暑さによる疲労の回復効果がある「抗酸化作用」、血管を拡張し熱中症の症状を改善する「血流改善作用」、熱中症に起因する炎症の予防と罹患後の緩和に効果のある「炎症抑制作用」という3つの効能があり、熱中症への対策として有効であるとされています。 夏の園内は無理して歩くと大変なことになるので、こまめな休憩を心がけ、美味しく体にもよいベリースカッシュを熱中症対策にお役立てください。 ブルーレモネードスカッシュ 定番のレモネードスカッシュにブルーシロップが加わり、見た目にも涼しげな夏らしいドリンクです。土佐の空に溶け込む南国のような色彩は、映えること間違いなしです! ティーソーダ アイスティーシロップを炭酸で割ったドリンク。レモンを添えた、さわやかな味わいが暑い日にぴったりです。 余談ですが、牧野博士が育った佐川町は日本産の紅茶「土佐和紅茶」の産地でもあるんです。残念ながらこちらのティーシロップには使用されていませんが、渋みが少なくマイルドな味わいの土佐和紅茶、お土産にいかがですか? 夏季限定フードメニュー シェフ特製ハンバーグのココットランチ 玉ねぎの旨みたっぷりの自家製ハンバーグメニューは幅広いお客様に愛されているメニューです。メイン(スープ・サラダ・ハンバーグ)にライスが付きます。 鶏ひき肉と野菜のカレー 人気のカレーは、これ目当てに五台山を登ってくるお客さまもいるほどファンが多い逸品です。 キッズプレート 小学生までのお子様が注文できるお子様ランチ。思わず大人も頼みたくなる、美味しいがつまったプレートです(ふりかけごはん・ミニスープ・フライドポテト・鶏のから揚げ・ミニハンバーグ・フルーツ)。 <レストラン内外観写真提供:高知県立牧野植物園 メニュー写真提供:C.L.GARDEN> 「C.L.GARDEN」【場所】植物研究交流センター 3F【営業時間】9:00~17:00モーニング 9:00~11:00(オーダーストップ 10:30)ランチ 11:00~15:00 (オーダーストップ 15:00)カフェタイム 15:00~17:00(オーダーストップ 16:30)【座席数】約60席【TEL】088-802-6951メニュー詳細はこちらから おすすめスポット④ 回廊 本館と展示館を結ぶ170mの回廊は、周辺を四季折々の草花が彩り、遠くに高知市街が望めるため、映え必至のフォトスポットとしても大人気です。 冬季の回廊は晴れた午前中に歩くと、乾いた空気が景色をより一層美しく魅せる。 初夏の回廊は生命力溢れる緑に満ちている。 <写真提供:高知県立牧野植物園> 取材時(12月)は園を彩る花が少ないながらも、ツワブキの黄色い花が回廊に彩りを添えていました。冬季にしか出会えない花の中で、最も見たかったもののひとつがバイカオウレン。牧野博士ゆかりの花で、その葉が牧野植物園のシンボルにもなっています。 バイカオウレンを見たい方は、ぜひ冬の牧野植物園を訪れてみてください。この回廊の途中、展示館への曲がり角の直前右側の石垣の上に目をやると、可愛らしいバイカオウレンがあなたを待っています。 <写真提供:高知県立牧野植物園> 「まきのQRガイド」を使おう! 園内の植物の多くは、解説が記載されたプレートが立っているため、その植物の情報を知ることができます。特に牧野博士にゆかりの深い植物には、プレートによる説明プラス、お手持ちのスマホでプレートに表示されているQRコードを読み込むことで「まきのQRガイド」につながり、より詳しい情報を得ることができます。積極的に使えば「まきの通」になれるかも。 おすすめスポット⑤ ふむふむ広場 ふむふむ広場は植物を五感で感じるエリア。今回は、展示館近くにあるハーブ園エリアを散策しましたが、ちょうどお手入れをしていた園の管理スタッフ渡辺さんに出会い、ここでの楽しみ方を伝授していただきました。 その極意はなんと、ここに植えられているハーブは、遠慮せずに葉をちぎったり花を摘んだりしてください! とのこと。園内の植物の葉や花をむしり取るなんて、ちょっと気が引けますが、実際に植物に触れ、香りや手触りを楽しみながら植物と触れ合うことができます。特にお子さんの情操教育に役立ててほしいと、高知の植物をこよなく愛する渡辺さんは語っていました。 ただし、この楽しみ方はハーブ園に限ってのこと。他のエリアで植物の葉をちぎることは、固く禁じられています。 こんなにも綺麗な花を咲かせていると、葉をむしるのも少々気が引けるが・・・。 おすすめスポット⑥ 展示館とスエコザサ 回廊の終点、展示館では、さまざまな企画展が催されています。取材時は、牧野博士の生誕160年の特別企画展「牧野博士と図鑑展」という、博士の研究の歩みを紹介するブースが設けられており、そこには博士直筆の植物図などが展示されていました。中でも感銘を受けたのは、博士直筆の「植物随記」。いわゆるメモ書きと察しますが、160年以上前に植物のことをこんなにも克明に記した博士直筆のノートを間近に見ることができたのは大変貴重な体験でした。 ちなみに、展示館では現在、写真家菅原一剛「MAKINO 植物の肖像」展が行われています(2023年10月1日まで)。牧野博士の標本となった植物一点一点の、写真家菅原一剛氏による「肖像写真(ポートレイト)」が展示されているので、また違った視点から牧野博士の偉業を堪能することができると思います。これから牧野植物園に行かれる方は、ぜひ展示館に足を運んでみてはいかがでしょうか。【詳細はこちらから】展示館では期間限定の催しが行われているため、事前にスケジュールをチェックして行かれることをおすすめします。【イベントカレンダーはこちらから】※「企画展」の部分が展示館の催事情報です。展示館中庭には水盤が設置されていて、夏場は水面を吹き抜ける風が冷気をもたらしてくれます。 自宅にお庭がある(もしくはこれから作る)方はデザインの参考にもなるのでは。 一歩下がって眺めると、鏡のような水面に映る木々や空が、周囲の景色と相まって、まるで絵画を眺めているような気分にさせてくれます。フォトスポットとしてもおすすめです。この水盤の水は雨水を循環させたもので、昨今、資源循環型社会が声高に唱えられていますが、20年以上も前に環境保全とデザイン性を融合させた建物を設計した建築家内藤廣氏の先見性には感嘆を禁じ得ません。展示館手前の回廊脇には、牧野博士が、前年他界した妻の名にちなんで命名したスエコザサを見ることができます。 スエコザサは昭和2年(1927年)に牧野博士が仙台市内で発見しました。博士が名付けた数ある植物のうち、愛妻の名を付けたのがなぜこのササだったのかは諸説ありますが、仙台市野草園の元園長でスエコザサ研究の第一人者でもある上野雄規氏によると、実は牧野博士はササの研究にもかなり注力しており、ササの葉のしなやかでありながらも凛とした力強い姿(実際ササは冬にマイナス10〜マイナス20℃になっても芽を残して生き残る)に、妻壽衛さんの姿を重ね合わせたことが大きな理由ではないかとされています。そして、研究に理解を示し、身を挺してサポートしてくれた妻の分まで、今後より一層研究に力を注ぐという強い意志を、妻の名を命名することで自他に示したかったのではないか、と語っています。まぁ、実際のところは、博士のみぞ知る…ですが。 いずれにせよ、愛妻を失ったときの博士の喪失感は、察するに余りあります。風にそよぐスエコザサの乾いたざわめきは、まるで博士の悲しみが音になったようでした。このような背景を持つこのスエコザサ、来園されたらぜひご覧になってください。そして在りし日の牧野夫妻の姿に想いを馳せてみてください。といっても、NHKの連続テレビ小説を視聴されている方は、あの二人の姿で想像してしまうでしょうね(笑)。ドラマではそのあたりがどう描かれるのかも楽しみですね。 おすすめスポット⑦ 板根 板根(ばんこん)という根をご存じですか? 板根とは、巨木の横走する根の背面全体が肥大化して、まるで屏風のようになる現象を指します。熱帯多雨林※でよく見られ、表土が浅く、土中の酸素や栄養が乏しい環境で、呼吸や栄養吸収を補い、また自らを支えるためにこのように根を発達させると考えられています。ここ牧野植物園でも、北園と南園をつなぐ通路を横切る「お遍路道(四国霊場を巡るための道)」を下ると、ツブラジイという四国や九州で見られるブナ科の樹木の板根を見ることができます。上り下りそれぞれ1分ほどの所要時間ですが、映像でも分かるように、ここを歩くのは正直運動靴でないとキツいですね。園内を散策していても大きな看板があるわけではないので、意外と見逃されがちなこの板根。こんな奇怪な根っこ、多分見たことないと思うので一見の価値アリです! 【POINT】 ※熱帯多雨林とは、年間の平均気温が25℃以上で年間降水量が2,000mmを超える多雨な森林を指します。高知県は日本でも有数の多雨地帯で、年間の降水量が山間部だと3,000mmを超え、東部では4,000mmを超える場所もあります。 おすすめスポット⑧ 温室 温室の中はまさに南国! 異国情緒漂う棟内は、人気の観葉植物のほか、サボテン、蒐集家が多いことでも話題の塊根植物、童話に出てきそうな水生植物などなど、非日常を感じさせてくれる植物たちがひしめき合う空間。ちょっとしたジャングル探訪気分にさせてくれます。 特におすすめなのは、温室に入ってすぐのドームと高い壁の間を抜けていく通路。映像の中でも触れていますが、宮崎駿氏のアニメ作品『天空の城ラピュタ』をご存じの方は、まるでラピュタの城内に入り込んだかのような錯覚を覚えます。もちろんスタジオジブリと温室は関係ありませんが、劇中で重要な役どころを担う「ロボット兵」がどこかから現れそうな鬱蒼とした雰囲気は、同作品が好きな方なら思わずニヤリとしてしまうのではないでしょうか。 取材後記 私の今回の牧野植物園初来園は、取材(仕事)ということもあり、牧野博士のゆかりに絡めて物を見がちでしたが、牧野博士に対する予備知識ゼロで来園しても、見る人が決して飽きないルート設定がなされています。植物が、自然が好き、という動機だけでも十分に広大な植物園を楽しむことができると思いました。でも結局はね、歩き回っていると牧野富太郎のことをもっと知りたくなるのですよ。 私の場合は広報課の担当者が付きっきりで案内してくださったため、そういう胸中に至りましたが、植物と牧野博士の学び、というところでは単独で回るのには限界があると思うので、そう頻繁に行けない方は、同行ガイドが園内を案内してくれる有料の「園内ガイド」を申し込むことをおすすめします。 【園内ガイドの詳細はこちらから】 ただ、ガイドのアテンドは10名以上からとなっているので、お友達を集めて行くのが一番ですが、SNSで当日の同行者を募るのもアリかもですね。 高知県立牧野植物園、私が近くに住んでいたら、おそらく毎週末通うことでしょう。植物の知識も増え、とにかく起伏の多い園内を歩くことでよいダイエットにもなるという、一石二鳥ですからね。またぜひ訪れたい、そしてこんな植物園が地元にある近隣住民が羨ましい、そんな取材でした。
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高知県
NHKの連続テレビ小説「らんまん」で話題の牧野植物園を取材! 牧野博士と植物園の全てを教えちゃいます!
牧野植物園を訪ねて、牧野博士の足跡をたどる 明治から昭和の時代、日本の植物学界に偉大な功績を残した植物学者「牧野富太郎」をご存じでしょうか? 彼は幼少期に植物に興味を持ち、以来独学で研究を続け、“日本の植物分類学の父”といわれるまでになりました。今年2023年は、数々の名作を生み出してきたNHKの連続テレビ小説で牧野富太郎をモデルとした物語「らんまん」が放映されることになり、今、その生涯に注目が集まっています。 高知県立牧野植物園とは 今から遡ること65年、1958年(昭和33年)に、高知県の五台山に、驚くべきスケールの植物園が開園しました。その名も「高知県立牧野植物園」。 日本の植物学界に偉大な功績を残した牧野富太郎博士を顕彰し、博士の故郷高知県に作られました。 世界にはいくつもの植物園がありますが、個人の名を冠し、それを顕彰する目的で作られた植物園は日本はもちろん、世界でもおそらくこの牧野植物園のみ。約8ヘクタール(東京ドーム約2個分)にも及ぶ園内には3,000種類以上の植物があり、そのほとんどが番号入りのタグで管理されています。 植物園のある高知県は「植物王国」 高知県といえば、鰹と坂本龍馬をまず思い浮かべる方が多いでしょう。しかし意外と知られていないのが、植物の宝庫という側面。日本で確認されている約7,000種にものぼる維管束植物(根、茎、葉、のある一般的な植物のこと)のうち、なんと40%に相当する3,170種が高知県に自生しているんです。日本の本州ほどの広さを持つ園芸大国イギリスでさえ、確認されている総数は約3,300種ほど。つまり高知県だけでイギリスの総数に近い植物が自生していることになります。豊かな日本の植生に改めて驚くとともに、3,000種以上の植物を擁する牧野植物園がいかにスケールの大きい植物園であるかが分かります。 【維管束植物数値データの参照元】 各国:OECD(経済協力開発機構) Environmental Data Compendium 高知県データ参照元:高知県植物誌 植物園内を歩いてみる 高知県の自然が再現されたエントランスまでのアプローチ 牧野植物園のスケールを物語る上で欠かせないのが、正面玄関からエントランスまでの約100mのアプローチ。ここでは「土佐の植物生態園」として、高知県の豊かな植物生態を、山→川→海辺と、段階的に体感することができます。ここだけで半日過ごす人もいるそうですが、それだけの価値と魅力にあふれたアプローチなのです。 建築家・内藤廣が牧野博士の偉業に彩りを添える 「土佐の植物生態園」で高知県の植物たちの出迎えを受けたら、エントランスのある本館に。そこで建屋が不思議な形をしていることに気づきます。 本館と展示館の建物を設計したのは、多くの公共建築や文化施設などを手掛ける、日本を代表する建築家の内藤廣氏。 スタイリッシュなデザインに目を奪われますが、設計した内藤氏は「この建物の主な目的は建築ではなく、牧野さんの生涯と、牧野さんがどのくらい興味深い人物だったかをプレゼンテーションすることです」と語ります。その意図は、建物が持つ機能を紐解くことで理解できます。 台風銀座と揶揄されるほど台風の通り道となっている高知県。植物園のある五台山頂付近は風が特に強くなるため、建屋にはその衝撃を分散する機能をもたせながらも、山の稜線美に溶け込むようなデザインが採用されました。木材は全て県産のものを使用しています。 屋根の急傾斜は、効率よく雨水を取り込み、それを再活用するためのもの。集められた雨水はいくつもの受け鉢や水盤に貯められ、その上を風が渡ると気化熱効果で周囲の空気がクーリングされるという仕組みです。受け鉢や水盤には水生植物も育ち、循環する生態系が生まれています。昨今巷でSDGsが高らかに唱えられていますが、ここではずっと前から“持続可能な循環型社会”が実現されています。 内藤氏の建築は、高知の自然を愛し、いつも人の1歩2歩先を行く牧野博士の姿を、入園者に体感という方法でプレゼンするものなのです。 展示館のスケジュールは要チェック 展示館では期間限定の展示やイベントが随時開催されているので、訪れる予定がある方は、牧野植物園のイベントカレンダーは要チェックです。 【牧野植物園イベントカレンダー】https://www.makino.or.jp/event/ 私が取材に赴いた12月は、牧野富太郎生誕160年特別企画展「牧野博士と図鑑展」が開催されており(現在は終了)、展示館内では牧野博士ゆかりの品々を見ることができました。 建物を一歩出ると、まるで絵画の中を歩いているよう 建物を一歩出ると、そこには絵画のような光景が広がっています。春はパステルカラーに、夏は涼感を呼ぶ緑に、秋は燃えるような赤にと、季節ごとの色彩で楽しませてくれます。 【春】 【初夏】 【夏】 【秋】 【冬】 【植物園と竹林寺の深〜い関係】 牧野植物園のある五台山には、もともと四国霊場第31番札所の五台山竹林寺がありました。しかし「牧野博士のご人徳から、その敷地の一部を譲り受け、無事に開園することができた」そうです。そのため、園内には現在もお遍路道があり、園を散策していると、時折お遍路さんに出くわすことも! 牧野博士にゆかりの深い植物たち 開花している植物が少ない冬の園内でも、大変貴重な植物が出迎えてくれました。それは、園のシンボルマークにもなっているバイカオウレンの花と、牧野博士の夫婦愛がこめられたスエコザサ。 【バイカオウレン】 牧野博士が幼少期を過ごした生家の裏山にはバイカオウレンの花がたくさん咲いていました。牧野博士にとってバイカオウレンは、自分を育んだ高知を想起させる花として、大人になってからも特別な存在であり続けました。晩年、病床にあった博士は、お見舞いでもらったバイカオウレンを、顔をこすりつけるほど喜んだそうです。 【スエコザサ】 スエコザサは、1927年(昭和2年)に牧野博士が仙台で発見した新種の笹。翌年に他界した愛妻壽衛に感謝の意を込めて、和名をスエコザサ、学名をSasa suwekoanaと名付け、これを発表しました。 この2つ以外にも、園内には至る所に牧野博士が命名した草花があり、それらには全て説明が記載されたガイドプレートがついています。 広大で起伏も激しい園内は、歩きやすい靴で 2Dの案内図では分かりづらいのですが、実際の園内は起伏がとても多いので、スニーカーなどの歩きやすい靴と、動きやすい服装で来園されることをおすすめします。 園内にはカフェやレストラン、売店も 園内はとにかく広いので、歩き疲れたらカフェで休憩しましょう。 園内にはお腹を満たしてくれる場所も充実しています。本館にはレストラン「アルブル」、展示館にはカフェ「アルブル」があり、レストランでは本格的な料理とティータイム、カフェではくつろぎの時間が歩き疲れた体を癒やしてくれます。 スタッフのイチ推し「まきのロール」。大納言あずきの入ったロールケーキで、「の」の字に巻いてあるので「まきのロール」という名前がつきました。シンプルながらも、スポンジ生地のやさしい風味と、ふわっと軽いクリームが絶品! レストラン及びカフェで食べられるほか、テイクアウトも可能です。(写真提供:レストラン&カフェ「アルブル」) 売店では、食品からグッズまで、バラエティに富んだ牧野グッズが選べます。どれもここでしか買えない貴重なものばかり。 牧野富太郎博士について学ぶ ①偉業 さてここからの2章は、牧野富太郎博士について解説します。 まずは牧野博士の偉業をわかりやすく解説 日本の植物学界に偉大な功績を残した牧野富太郎博士。彼の代表的な功績として、以下の7つが知られています。 【牧野富太郎の代表的な功績】 独学で植物を研究し、新種、新品種合わせて約1,500種類以上にも及ぶ植物を命名。 94歳で亡くなる直前までに、約40万枚にも及ぶ植物標本を収集。 出版物や講演活動などを通じて植物の教育普及に尽力。 画才にも秀でていた牧野博士が描いた植物図は「牧野式植物図」と呼ばれ、美しさ、正確性、緻密性、その全てにおいて圧巻のレベルだった。 植物の世界を一般大衆に啓発するために『日本植物志図篇』を自費で刊行。 『植物研究雑誌』を創刊。博士亡き現在も発行され続けている。 これらの業績が高知県立牧野植物園を作る礎を築く。 【今でも読める『植物研究雑誌』】 株式会社ツムラが隔月刊に発行している『植物研究雑誌』を、J-STAGE(電子ジャーナルプラットフォーム)上で読むことができます。 株式会社ツムラ『植物研究雑誌』https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjapbot/-char/ja すべてがアナログな時代に、圧巻のクオリティでこれらを成し遂げた牧野富太郎博士。その才覚とバイタリティは、現代にあっても人々の心を揺さぶるさまざまなエピソードで伝えられています。 牧野富太郎博士について学ぶ ②歩み 生誕から学者になるまで 世は幕末の1862年、生誕の前日 5月21日は京都で寺田屋事件が発生という動乱の時代に、牧野富太郎は造り酒屋を営むとても裕福な商家の一人息子として生を受けました。少年富太郎は幼少期にすでに英才ぶりを発揮し、12歳で入学した小学校の授業に飽き足らず、わずか2年で退学。その後15歳で、なんと退学した小学校で代用教員として教鞭をとることになりました。 後世に繋がる転機が訪れたのは、富太郎17歳の時。高知市の中学校教員・永沼小一郎と出会い、西洋の植物学や江戸時代の書物『本草綱目啓蒙(漢方医学の本)』に触れ、植物への知識をより本格的に深めていきました。この永沼先生との出会いこそが自分の原点であると、後年上梓する自叙伝にも記しています。 富太郎に影響を与えた『草綱目啓蒙』は国立国会図書館に保存されている。 国立国会図書館『本草綱目啓蒙』https://dl.ndl.go.jp/pid/2555472/1/1 22歳になった時に東京の植物学者・矢田部良吉教授を訪ね、植物研究を本格的に始めました。『植物学雑誌』や『日本植物志図篇』の刊行に携わるなど、若き研究者は持てる情熱の全てを自らの理想に注ぎ込みました。しかし研究のために財産をも使い果たすその金銭感覚は、後年結婚する妻にとっては頭痛の種でした。 学者になってから晩年まで 1889年(明治22年)、27歳の牧野富太郎は、矢田部教授の門弟・大久保三郎と共に地元高知で発見した新種の植物にヤマトグサと命名し、これを『植物学雑誌』第三巻に発表。国内で初めて日本人により植物に学名がつけられるという快挙を成し遂げました。 ところでプライベートでは、青年らしく、ちゃんと恋もしています。富太郎は大学への道中にある菓子屋の娘、小澤壽衛に恋をし、程なくして結婚しました。 こうして、公私共に順風満帆かと思われた矢先、自費出版していた『日本植物志図篇』が矢田部教授の逆鱗に触れ、発行中止になるばかりか、大学にも出入り禁止に。やむなく研究の場をロシアに移そうとするも、頼りにしていたロシア人植物学者の急死でこれも頓挫。負の連鎖はこれだけにとどまらず、祖母の逝去、実家の倒産など、富太郎は山あり谷ありの青年期を過ごすことになったのです。 しかしタダでは起きないのが富太郎。日本で初めて発見した水生の食虫植物のムジナモの論文が世界的な評価を受け、30歳を過ぎた頃には『大日本植物志』を発行。また、現在も薬品メーカー「ツムラ」に受け継がれて発行が続いている『植物研究雑誌』を発行するなど、持てる力と財の全てを植物研究に注ぎ込みました。 そして50歳にして東京帝国大学理科大学から講師として迎えられます。学歴を持たず権威にも無頓着だった学者が、最高学府の要職に就くことは当時としては極めて稀なことで、いかに日本の植物学界が牧野富太郎を必要としていたかがうかがえます。 1927年(昭和2年)、65歳で論文「日本植物考察」を発表したのを機に、東京帝国大学から理学博士号を授与されます。 植物学者として絶好調! 人生ようやく安泰か、と思われた矢先の翌年2月、最愛の妻壽衛に先立たれてしまいます。享年54歳でした。富太郎は亡き妻に感謝をこめて、前年に発見した新種の笹に、妻の名にちなみ「スエコザサ」と名付けました。 晩年 戦中戦後と、激動の昭和に晩年を送った牧野博士は、老いてもなお植物研究に情熱を注ぎ込み、その結果数々の栄誉称号を受けました。 75歳:各分野で傑出した業績と社会貢献を上げた人に授与される「朝日文化賞(現朝日賞)」を受賞。 78歳:植物研究と教育普及の集大成である「牧野日本植物図鑑」を刊行。 86歳:皇居に参内し、昭和天皇に植物学を御進講。 88歳:学術上顕著な功績を上げた科学者のための国の特別機関「日本学士院」の会員に選定。 89歳:文部省に「牧野博士標本保存委員会」が組織され、初代の「文化功労者」に選定。 91歳:「東京都名誉都民」に選定。 没後:従三位勲二等を叙任。また旭日重光章と文化勲章を追贈。 晩年に得たものとはいえ、これらの栄誉や称号は、先立った妻への最高のプレゼントになったのではないでしょうか。 そして1957年(昭和32年)に、牧野富太郎は妻壽衛のもとへと旅立ちました。享年94歳、まさにドラマ化にふさわしい激動の人生でした。 その翌年、高知県立牧野植物園が開園し、牧野博士の業績は今も語り継がれています。 【晩年の牧野博士に会える!?】 展示館では、晩年の牧野富太郎が「繇條書屋(ようじょうしょおく)」と名付けた書斎が再現されています。5万冊余の蔵書に囲まれ、日夜机に向かい研究に没頭していた牧野博士の姿を見ることができます。 NHKの連続テレビ小説「らんまん」 牧野富太郎の生涯をモデルにしたNHKの連続テレビ小説『らんまん』が、4月3日(月)よりスタートします。物語はオリジナルストーリーのため、主人公を務める神木隆之介さんの役名も牧野富太郎ではなく槙野万太郎となっており、ヒロインを務める浜辺美波さんの役名も富太郎の妻、牧野壽衛ではなく槙野寿恵子となっています。 物語は、真っ直ぐで純粋な槙野万太郎の人生が、幕末から明治、そして大正、昭和という激動の時代の渦中を、植物への愛と共に駆け抜ける様子を描きます。愛に満ち溢れた彼の人生が、主題歌を唄うあいみょんさんの歌に乗ってどのように描かれるのか、とても楽しみです! 【放送予定】2023年4月3日(月)より放送開始 【作】長田育恵 【音楽】阿部海太郎 【主題歌】あいみょん「愛の花」 【語り】宮﨑あおい 【出演】神木隆之介、浜辺美波、ほか 【植物監修】田中伸幸 取材後記 起伏の激しい植物園を歩き、牧野博士にゆかりの草木を見ながら思いました。もし私が同時期に生きていたら、牧野博士の好奇心に生で触れてみたい! 好奇心というのは誰しもが何かしらに抱くものですが、自分を制御せずに好奇心の赴くままに生きるというのは、誰もができるものではありません。皆がどこかで理由を作って置いてきてしまう好奇心に、生涯向きあい続けた牧野博士。そのエネルギーは凄いものだな、と、そう感じさせてくれた牧野植物園でした。 次回は、牧野植物園の内部をさらに深掘りし、園内のぜひ訪れてほしい場所を詳しくご紹介します。 おみやげプレゼント!※応募受付を終了いたしました。 取材途中に立ち寄った売店で人気No.1を誇る商品、バイカオウレンの葉を模ったスタンプを抽選で1名様にお送りします。 牧野博士にとって郷里土佐を思い起こさせる特別な植物バイカオウレンの葉は、牧野植物園のロゴマークにもなっています。このスタンプはその売れ行きから一時的に販売休止になっていて、多くの方が再販を望んでいましたが、今回偶然にも復刻版を手に入れることができました! 【応募方法】 応募受付を終了いたしました。 【応募締切】 2023年4月10日(月)23:59まで 【当選通知】 ご当選の方には別途メールでご当選の旨をお伝えし、送付先情報をうかがいます。
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香川県
素敵な発見がたくさん! 園芸ショップ探訪12 香川「GARDENS」
海外のショップを訪れたような 感覚が楽しめるショップ 高松市内中心部から数キロ離れた、のどかなエリアに店舗を構える「GARDENS」。白い建物につややかなカラーリーフが映える店構えが印象的です。 インテリアデザイナーの感覚で イギリスと北欧スタイルの融合 オーナーは、ガーデニングショーで大賞を受賞したり、花のイベントで庭づくりを担当するなど活躍中のガーデンデザイナー、宮本里美さん。じつは、かつてはインテリアデザイナーだったというだけあって、宮本さんの提案する庭は、庭空間だけでなく、暮らし全般につながるコーディネートがなされています。 ガーデンデザイナーになる前からイギリスに興味があり、たびたび渡英していた宮本さん。イギリスの庭文化に触れるにつれ、どんどんガーデニングにのめり込み、自宅でガーデンデザインのアトリエ兼、ガーデニングの店をオープン。次第に、宮本さんが提案するイギリスの雰囲気を漂わせるおしゃれなガーデニングが話題となり、全国からお客さんが集まってくるショップに成長しました。 素敵なリビングでは、フラワーアレンジや寄せ植えなど、さまざまなワークショップが受講できます。海外のお宅を訪れたようなインテリアも見どころ。 ここ数年は、北欧のスタイルも多く取り入れている宮本さん。「日本では‘ガーデニング’と‘インテリア’は別のくくりですが、デンマークをはじめとする北欧では、家の内外の空間を区別せずに、‘リビング’と同じくくりとしてとらえているのですよ。私もそう思います」。そうした北欧人の感覚は、インテリアとガーデニング、どちらも手掛ける宮本さんの感性にしっくりきたのだそうです。 4つの空間で構成した売り場で 緑のある暮らしを提案 住居兼アトリエの建物と一体化したショップは、連なる4つの空間で構成されています。まずは、事務所入り口でもある、グリーンで構成されたフォーマルな「エントランスガーデン」。そこを抜けると、花苗やガーデニング用品が並ぶ「苗・資材売り場」、その奥に、室内を彩る雑貨を扱う「インテリア雑貨売り場」、そして一番奥には、居住空間に面した「中庭」が広がります。 居心地のよさを追求した リビングのような「中庭」 庭での暮らし方の提案が盛り込まれているのは、宮本さんの生活の場の一部でもある「中庭」。塀に囲まれ、プライベートが守られるこの場所には、宮本さんが考える居心地のよい空間づくりのヒントがたくさん隠されています。 春~夏に緑陰を落とすシンボルツリーのエノキの下に、ベンチやオーナメントをレイアウト。ギボウシやクリスマスローズがつややかに育つ、しっとりとしたシェードガーデンです。 アンティークなどの小物類は、テーブルの上にまとめてディスプレイ。樹木の緑を背景にしながら高低差をつけて飾ることで、それぞれの存在感が際立つコーディネートに。 雑貨の軽重のバランスも絶妙で、あまり重い印象にしたくない場所は、透け感のあるアイアンの鳥カゴを使用。 平面的になりがちなウォールやリーフの茂みの中には、さまざまなタイプのオーナメントがあしらわれています。どれも植物に馴染んで、さりげないワンポイントに。 雨の当たらない軒下は、インテリア感覚でガーデニングを楽しめる格好の場所です。宮本さんは、この軒下スペースに寄せ植えや植え替えをする作業台と飾り棚を設置。北欧のアンティークの作業台にモノトーンの雑貨を合わせていることで、大人っぽい雰囲気になっています。 小さな空間に凝縮させた 宮本さんセレクトの「苗&資材売り場」 どんなに忙しくても、自分の足で自身の感性に合った苗を探して回るという宮本さん。「直に生産者に会っていろいろ教えてもらわないと、お客さんに自信を持って勧められないですものね」。ブルーグレーのフェンスに囲まれた売り場には、厳選したリーフをメインとしたシックな苗がたくさん揃っています。 リーフ類をメインとして使う宮本さんが、植栽に彩りを添える際に重宝する花苗をセレクトしています。並ぶ苗はどれも清楚で可憐。そして、ナチュラルな雰囲気。 資材コーナーもブルーグレーにペイント。コンテナ類は、宮本さんが北欧に足を運んで輸入したというものがほとんど。グレーや黒を基調にしたシックなカラーと美しいフォルムが、グリーンをおしゃれに見せてくれます。 空間の雰囲気づくりに大いに役立っているのが、あちこちに配されたイギリス製のオーナメント類。重厚な存在感がイギリスのアイテムらしい。 緑のグラデーションが美しい 「エントランスガーデン」 ショップの入り口のアーチをくぐると「エントランスガーデン」に。常緑樹が青々と茂る空間が広がります。豊富な緑に囲まれていますが、高木以外はほとんどがコンテナ植え。見ごたえのあるポッティングガーデンとなっています。 〔通路右側のエリア〕 右側の園路は、奥の売り場に直接抜けることができる通路で、大小のポットで立体的にシーンを演出しています。 〔通路左側のエリア〕 左側は事務所の入り口に向かう園路で、コンテナやオーナメント、ベンチなどのアイテムをおしゃれにコーディネート。建物の白い壁にアイテムと植物のフォルムが際立ち、都会的な雰囲気が漂っています。 インテリアのセンスが学べる 「インテリア雑貨売り場」 室内の売り場では、宮本さんが北欧で買いつけてきた花瓶や器などの雑貨類が販売されています。ここはインテリアデザイナーとしてのセンスが盛り込まれた宮本さんならではの庭空間。生活のワンシーンを思わせるようなディスプレイが、海外のお宅に招かれたような落ち着いた雰囲気を感じさせます。 売っているものは、決して高価なものばかりではありません。素敵な飾り方の極意は、「使う色は絞って、バランスよくシンプルに」。 室内でもアイアンは 必須アイテム 誰でも真似できる演出のコツ 美しいシーンにあふれている「GARDENS」。ここでは、たくさんある中で誰でも真似しやすいコーナーを選んでご紹介します。お客様を招いたパーティーシーンや、いつものインテリアをワンランクアップさせたい人にオススメの小技です。 どこもかしこも洗練度大! 上方もチェックして うっかりテーブルや棚だけを眺めがちですが、このショップは隅の隅まで美しい演出が施されているので、ぜひチェックを。 オレンジのあたたかい光を放つ、デコラティブでありながら素朴な印象も併せ持つ照明。消えてしまっているところも、ご愛嬌として受け止められる素敵さ。 メリハリのある抜群の展開力。 「ショップのまわり」もチェック! 北東の角地にあるショップは、東と北側が道路に面しています。それぞれまったく異なる演出が、ここにも。ショップの知識とアイデアの豊富さが表れています。 〔東側のエリア〕 白いモダンな建物をキャンバスに、木製の扉とクサツゲを植えたコンテナが映える、カッコいい住居兼ショップのファサード。海外の街の一角を思わせる風景。 〔北側のエリア〕 ショップの脇の通り沿いには、奥行き1mほどの植栽花壇が設けられています。建物が出っ張った部分からは高さ55㎝ほどのレイズドベッドに切り替え、それぞれ異なる趣の植栽が盛り込まれています。 「GARDENS」宮本里美さんの イチオシグッズをご紹介! 宮本さんのイチオシグッズは、デンマークのリビング雑誌『ISABELLAS 』とイギリスのJane Hogben Potteryのマグカップです。 デンマークのカントリーリビング雑誌『ISABELLAS』。「この雑誌は特別おしゃれな人たちに向けたものではなく、一般的な女性がよく読む雑誌なんですよ。それなのに本当におしゃれでレベルが高いんです」と宮本さん。国内で扱っているショップは現在ここだけ。そして、もう一つのオススメは、宮本さんがイギリスで直接買いつけてきたという、パンジーやスノードロップ、小鳥のワンポイントが愛らしいJane Hogben Potteryのマグカップ。「お気に入りの雑誌とマグカップがあれば、外に出かけられない日が続いても、美しい誌面を眺めて楽しく過ごせますよ」。 「日々の暮らしをより美しいものに」という思いから、毎年イギリスや北欧に足を運び、年々洗練度を増していく宮本さんの「GARDENS」。これからは全国の住宅施工業者とタッグを組み、宮本さんが考える「GARDENSの庭づくり」を広めながら、子どもたちのための花育にも力を入れていく予定です。常に進化し続ける「GARDENS」にぜひ訪れてみてください。アクセスは、高松自動車道 高松中央I.C.から車で約5分。 【GARDEN DATA】 〒761-8075 香川県高松市多肥下町1539-7 TEL: 087-815-3883 http://gardens.co.jp/ 営業時間:10:00 〜18:00/OFFICE 9:00-18:00 休日:毎週水曜日・第一木曜日 Credit 写真&文/井上園子 ガーデニングを専門としたライター、エディター。一級造園施工管理技士。恵泉女学園短期大学園芸生活学科卒。造園会社、園芸店を経て園芸雑誌・書籍の編集者に。おもな担当書に『リーフハンドブック(監修:荻原範雄)』『刺激的ガーデンプランツブック(著:太田敦雄)』『GARDEN SOILの庭づくり&植物図鑑(著:田口勇・片岡邦子)』など。自身もガーデニングを楽しみながら、美術鑑賞や旅行を趣味にする。植物を知っていると、美術も旅も楽しみの幅が広がりますね。 写真協力/GARDENS
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高知県
花の庭巡りならここ! 牧野富太郎コレクションを堪能「高知県立牧野植物園」
日本の植物分類学の父 牧野富太郎博士の業績を辿る植物園 「高知県立牧野植物園」は、高知県が生んだ「日本の植物分類学の父」、牧野富太郎博士の業績を顕彰するため、博士没後、翌1958年に高知市の五台山にて開園しました。「高知に植物園をつくるなら五台山がよい」という生前の博士の言葉からこの地が選ばれたといいます。 園内の広さは約8ヘクタール、大人の足でゆっくり歩いて1時間半〜2時間ほどかかります。広大な敷地内は「土佐の植物生態園」「50周年記念庭園」「温室」「さくら・つつじ園」「薬用植物区」などテーマを設けて展示。また「牧野富太郎記念館 展示館」があり、博士の功績をたどれるほか、年に数回の企画展を楽しむことができます。 園内では牧野博士と関わりの深い植物や土佐の植物をはじめ、四季折々約3,000種類の植物がみられます。3〜5月のツツジ類、5月末〜6月下旬のアジサイ類、7月のユリ類、11月上旬〜12月上旬のキク類など、そのコレクションの数々は必見。また薬用植物や貴重な絶滅危惧種なども見ることができます。植栽された植物の多くは来歴が明らかで、観察や観賞の対象のみならず「生きた標本」として、植物学の研究をする上で重要な情報をもたらしています。 植物を学ぶ人々にとっての聖地であり 四季の花が咲く憩いの場としても愛される 「高知県立牧野植物園」の春の遠景です。東洋の野生植物やそれらの園芸品種を中心に植栽している「50周年記念庭園」では、春になるとサクラ属の園芸品種‘仙台屋’やサトザクラ‘菊桜’などのサクラ類、ハナモモの園芸品種が咲き乱れ、足元をサクラソウの仲間が彩ります。園内では野生種・園芸品種を含め40種類ものサクラ類を植栽。これは、牧野博士が大の桜好きであったことにちなんでいます。 園内への飲食物の持ち込みは可能ですが、所定の場所に限られています。ゴミは持ち帰るマナーを守りましょう(館内への飲食物の持ち込みは禁止)。 「高知県立牧野植物園」では、温室も見どころの一つです。広い温室内は7つのテーマ「みどりの塔と回廊」「乾燥地の植物」「熱帯の暮らしと植物」「資源植物ゾーン」「ウォーターガーデン」「展望デッキ」「ジャングルゾーン」に分けられ、充実した展示が見られます。日本ではあまり馴染みのない熱帯植物の数々に魅せられ、時間を忘れての見学になりそう。特に周りに緑が少なくなる冬には、暖かい温室内で植物たちが健やかに茂る姿に、元気をもらえそうです。 温室入口にある「みどりの塔」は高さ9m、壁面には窓を設けてアコウを植栽。アコウはほかの木や岩などに張りつくように成長し、やがては張りついた木を覆い尽くして元の木は締めつけられ、朽ちていきます。みどりの塔はアコウの力強い根がこの塔の壁を網状に覆い、枝葉を広げていく姿をイメージしてつくられました。植物の生命力と勇壮な姿には、訪れる人を感嘆させるパワーがあります。 毎年テーマを決めて開催されているラン展は、人気の催事。ラン科は約2万5000種もある大きな科で、南極大陸を除くすべての大陸に分布。自生する環境も樹上、林床、草原、岩肌とさまざまです。原種だけでも大きさ、色、形が多様で、香りを放つ種類もあります。奥深いランの世界を堪能しましょう。 博士の業績を貴重な資料とともに展示 「牧野富太郎記念館 展示館」 「高知県立牧野植物園」内の「牧野富太郎記念館 展示館」では、常設展示のほか企画展示も行っています。常設展示の「牧野富太郎の生涯」コーナーでは、博士の人物像や業績、植物図、遺品など多類資料を展示しています。 企画展示は年に数回、さまざまな企画展を開催。あらかじめホームページをチェックして出かけるのもいいですね。 「牧野富太郎記念館 展示館」の中庭には、博士ゆかりの植物が植栽されています。博士が命名した植物をはじめ、植物図に描いた植物、こよなく愛した植物、交友のあった人物にまつわる植物など、約250種類にのぼるこれらの植物や展示を通して、博士をより身近に感じることができそうです。 季節の植物展示会や植物教室、ガーデンツアーなど 一年を通して多様なイベントを開催 「高知県立牧野植物園」では、「桜の宵」や「夜の植物園」など季節に応じて夜間開園も行っています。実施日はホームページで公開されているので、チェックして出かけてみましょう! 「高知県立牧野植物園」では、年間を通してさまざまなイベントや植物教室を開催しています。コンサートやクラフト教室、マーケットなど、そのラインナップは多彩です。写真は春と秋に開催されるガーデンツアーの様子。植物園のスタッフとともに園内を1時間ほどかけて散策し、さまざまな植物に関する目から鱗の解説を受けられます。詳細や日程はホームページで公表されるので、チェックを! フレンチスタイルのレストランやカフェ グッズ充実のミュージアムショップも併設 「高知県立牧野植物園」内には、「レストラン アルブル」と「カフェ アルブル」があります。「アルブル」はフランス語で「木」を意味します。園内の美しい植物の数々を借景に、口福のひとときを過ごしましょう。 「レストラン アルブル」は、地元の素材を使ったフレンチテイストの料理が楽しめます。営業時間は9:00〜17:00(ラストオーダー16:30)。ランチメニューの主な価格帯は、シェフのきまぐれランチ1,300円、鶏ひき肉と野菜のカレー1,100円など。 「カフェ アルブル」の営業時間は11:00〜17:00(ラストオーダー16:30)。スイーツやドリンクなど、こちらもメニュー充実です。 また、園内には、牧野植物園オリジナルグッズや、高知のアーティストなどの作品を販売するボタニカルショップ「nonoca(野の花)」があります。 牧野富太郎関連書籍やポストカード、クリアファイルなど、2,000円前後の価格帯で、「文具女子」をトリコにするセンスのいい小物を取り扱っていますよ! Information 高知県立牧野植物園 所在地:高知県高知市五台山4200-6 TEL:088-882-2601 www.makino.or.jp ●アクセス:公共交通機関/JR高知駅から車で20分。JR高知駅から牧野植物園正門前までの周遊観光バス「MY遊バス」の運行あり。 車/高知自動車道「高知IC」から五台山方面へ約20分 高知龍馬空港からは高知東部自動車道経由で約25分 ●オープン期間:通年 ●休園日: 12月27日〜1月1日 ※メンテナンス休園日あり(ホームページでご確認ください) ●営業時間:9:00~17:00(最終入園16:30) 料金:一般730円 (高校生以下無料)、 団体630円 (20名以上)、年間入園券2,930円 ※高知市・高知県長寿手帳所持者は本人のみ無料 ※身体障がい者手帳、精神障がい者保健福祉手帳、療育手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳所持者と介護者1名は無料 駐車場:無料 併せて読みたい ・小さな庭と花暮らし「Madeleine Floydの絵に魅せられて」 ・乙庭Styleの植物6 「冬の庭でも活躍する技アリ素材、和を感じるカラーリーフ常緑樹 10選」 ・一年中センスがよい小さな庭をつくろう! 英国で見つけた7つの庭のアイデア Credit 取材&文/長田節子 ガーデニング、インテリア、ハウジングを中心に、ライフスタイル分野を得意とするライター、エディター。1994年より約10年の編集プロダクション勤務を経て、独立しフリーランスで活動。特にガーデニング分野が好きで、自身でも小さなベランダでバラ6姉妹と季節の草花を育てています。草花や木の名前を覚えると、道端で咲いている姿を見て、お友達にばったり会って親しく挨拶するような気分になれるのが醍醐味ですね。 https://twitter.com/passion_oranges/
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高知県
花の庭巡りならここ! 画家・モネが愛した庭を再現『北川村「モネの庭」マルモッタン』
印象派の画家、クロード・モネ。彼がフランスのジヴェルニーに移り住み、半生をかけて庭づくりに熱中したことは、ガーデナーの間ではお馴染みの話でしょう。花の庭や、睡蓮が艶やかに咲く水の庭をつくりだし、その景色をモチーフとして描いた作品も数多く残されています。大気と光を描きたいと願った画家ならではの、豊かな色彩感覚でつくられたガーデンを、日本でも見られるとしたら? そう、高知県の『北川村「モネの庭」マルモッタン』は、フランスの「モネの庭」を再現した庭です。モネの庭責任者(当時)ジルヴェール・ヴァエ氏の協力を得て、デザイン・植栽ともにモネの庭に基づいてつくられ、2000年に開園しました。世界各国から「モネの庭」をつくりたいというオファーがあるなか、唯一それを許された日本のモネの庭。北川村の熱意が伝わって本家を動かし実現できたという、モネへの敬意にあふれた庭園の景色は、一見の価値ありです。 「モネの精神を受け継ぐ庭」をコンセプトにモネの庭を再現 『北川村「モネの庭」マルモッタン』の園内総面積は11万㎡に及び、花の庭、水の庭、光の庭でゾーニングされ、約1,000種10万本の植物が息づいています。 花の庭では、3月下旬〜4月上旬にパンジー、ビオラ、チューリップ、リナリア、ポピーなど春の喜びであふれる景色が広がります。本家のモネの庭にならってアーチがトンネル状に配置されており、その足元には「画家のパレットのよう」と評される彩り豊かな混植花壇が。春は背丈が小さく可愛らしいパステルカラーでまとめられています。 4月上旬に見られる、チューリップとワスレナグサの混植花壇。本家モネの庭と同じ植栽にしている、春の象徴的な風景です。また、園内では、毎年チューリップが2万球ほど植栽され、3月下旬〜4月上旬に一番の見頃を迎えます。 2018年春には、イベント「チューリップ、チューリップ」を開催。例年より多く5万本のチューリップが開花する予定です。 現在『北川村「モネの庭」マルモッタン』の庭園管理責任者は、川上裕さん。「モネの精神を受け継ぐ庭」のコンセプトのもと、本家モネの庭の各エリアごとに決められている色彩に合わせ、植栽・デザインを維持しています。フランスのジヴェルニーと高知県では気候・風土・光量がまったく異なるため、苦労した部分も多いとか。「モネが日本に来ていたらどのような植栽をするだろう?」と想いを馳せ、本家の色ベースに基づいて日本に合った植栽をするなど、工夫を凝らして庭を維持しています。川上さんは本家モネの庭と交流を深めることにも尽力し、2015年にはフランスの芸術文化勲章シュヴァリエを受章しました。 睡蓮が浮かぶ水の庭では、モネの絵に入り込んだような錯覚に 日本に憧れを持っていたモネは、庭に太鼓橋を設け、睡蓮の咲く水の庭をつくりました。『北川村「モネの庭」マルモッタン』でも忠実に再現され、周りの木々や空、雲が映り込む水鏡の景色を楽しめます。夏の7〜9月頃は緑が濃くなり、睡蓮は最盛期を迎えます。赤、ピンク、白、黄色など色とりどりに200〜300もの花が咲き競うシーンは見事。水鏡、周りの木々の風景、太鼓橋、そして睡蓮……モネの絵画の中に入り込んだような錯覚を堪能できます。 実は睡蓮の季節の水鏡を維持するために、週に1度は池に入って増えすぎた葉の間引きや花がら摘みなどのメンテナンスに励んでいるのだそう。睡蓮の配置はモネの絵画をもとに決められ、細部に至るまで配慮の行き届いた風景をつくりだしているのです。 写真は6月下旬〜10月下旬頃まで開花する青い睡蓮の‘ウイリアム・ストーン’。モネが生きていた時に咲かせようとしたものの、熱帯性睡蓮のため夏でも涼しいフランスのジヴェルニーでは気候が合わず、咲かせることができなかった品種です。このモネが憧れた青い睡蓮は、本家モネの庭からの要望をかなえ、『北川村「モネの庭」マルモッタン』で見ることができます。きっとモネは天国で「私の庭に念願の青い睡蓮が咲いたぞ、絵を描かなくちゃ」と、嬉々として絵筆を握っていることでしょう。 秋の庭も見どころ満載! 幻想的な夜のガーデン 『北川村「モネの庭」マルモッタン』を管理するガーデナーは、「実のところ秋がオススメ」というほど、秋の庭は見応えがあります。なぜなら10月下旬〜11月中旬頃になると、サルビアやセージがメインとなり、圧倒的な草丈のボリュームで花壇を彩るからです。シックなオータムカラーの花色は、気温の低下とともに発色がよくなり、息を呑むような風景をつくりだします。 毎年9月に開催している「キャンドルナイト」。水の庭にキャンドルを浮かべて幻想的な風景を楽しむイベントで、普段は見ることのできない夜のモネの庭を楽しみます。マルシェや音楽の演奏会、体験コーナーなども開催され、大盛況となります。 また、11月下旬〜12月下旬には水の庭周辺で紅葉した木々をライトアップする「光のフェスタ」が催されるなど、一年を通してさまざまなイベントが開かれるので、情報をチェックして出かける計画を立てるのも一案です。 ギャラリーやショップ、カフェなども充実! 何度でも訪れたい魅力満載 モネが住んでいた「モネの家」の外観を模し、同じ配色で建てられたギャラリー。花の庭の背景になり、モネの庭の一部として一役買っています。 ギャラリーの内部。1階はショップで、モネの絵画をモチーフにしたグッズが多数揃っています。人気は傘やクリアファイル、バッグ、ガーデニンググッズなど。ほかに北川村の特産品もたくさん揃い、お土産に喜ばれています。 2階はギャラリーで、モネの絵画(複製画)を展示。モネの庭の四季を切り取った写真も展示しており、それぞれの景色の違いも見てとれ、「また違う季節に来てみたい」と思わせてくれます。 2017年にリニューアルオープンした、カフェ「モネの家」。モネは料理にも造詣が深く、さまざまな創作料理を生み出し、器にもこだわりがあったといいます。このことにちなみ、このカフェでも工夫を凝らした四季折々のメニューを提供。モネが残したレシピをアレンジしたメニューも揃います。 人気メニューは、写真の「四万十ポーク 焦がしバターソテー〜北川ゆずポン酢ソース〜メイン+ライス+スープ」1,400円。ほかに「土佐沖鮮魚のパイ包み焼き〜モネレシピのアメレケーヌソースとともに〜」、「四万十鶏のロースト〜モネレシピ風〜」、「土佐あかうしのハンバーグ〜モネレシピのリヨン風ポーチドエッグを添えて〜」など、地元食材を使ったメニューが並びます。デザートもフルーツグラタンや焼きたてパンのふわふわ香草フレンチトースト、白ワインのサバイヨンムースなど、上品なラインナップ。旅の思い出に、ぜひ味わいたいものです。 Information 北川村「モネの庭」マルモッタン 所在地:高知県安芸郡北川村野友甲1100 Tel. 0887-32-1233 https://www.kjmonet.jp/ アクセス:高知龍馬空港より車で60分、高知自動車道南国ICより車で70分 オープン期間:通年(1月初旬から2月末日まで冬期メンテンス休園あり) 定休日:火曜、年末年始 営業時間:10:00~17:00(2018年3月より9:00~17:00) 入園料:一般700円、小・中学生300円 Credit 取材&文/長田節子 ガーデニング、インテリア、ハウジングを中心に、ライフスタイル分野を得意とするライター、エディター。1994年より約10年の編集プロダクション勤務を経て、独立しフリーランスで活動。特にガーデニング分野が好きで、自身でも小さなベランダでバラ6姉妹と季節の草花を育てています。草花や木の名前を覚えると、道端で咲いている姿を見て、お友達にばったり会って親しく挨拶するような気分になれるのが、醍醐味ですね。https://twitter.com/passion_oranges/