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【2022年 英国チェルシーフラワーショー】モリスデザインの庭も登場! 本場ガーデニングの粋を集めたショ…
金賞〈ザ・モリス&Co. ガーデン〉 資金提供:モリス&Co. デザイン:ルース・ウィルモット 19世紀イギリスのアーツ&クラフツ運動を率いた、思想家で詩人のウィリアム・モリス。彼はまた「モダンデザインの父」とも呼ばれ、草花や動物をモチーフとした壁紙やファブリックの優れたデザインを数多く残しました。それらのデザインは100年以上経った現代においても人気で、今もインテリア商品の販売が続けられています。この庭は、それらの商品を扱う会社「モリス&Co.」がスポンサーとなり、ナチュラルで心地のよいガーデンを得意とするデザイナー、ルース・ウィルモットが設計したもの。ルースは同社の資料室係と共に歴史的資料を調べ上げ、モリスの代表的なデザイン2種をはじめ、彼のデザインエッセンスを庭に盛り込みました。 庭でまず目を引くのは、赤茶色の金属パネルを用いた現代的なパビリオン(東屋のような建物)。よく見ると、このパネルには風にそよぐヤナギ葉の模様が浮かんでいます。これは、モリスの最も知られたデザインである〈ウィロー・バウ〉のパターンで、職人によりレーザー加工で切り出されたもの。赤茶色はモリスが好んだという色で、モリスのヤナギ柄は、緑の中で影絵のように浮かび上がり、庭の一部となっています。 パビリオンの中には、軽やかな白木のソファとテーブルのセットが置かれています。その座面やクッション、ラグなどのファブリックは、もちろんモリスデザイン。〈ウィロー・バウ〉柄のクッションもあって、リンクコーディネイトしているのがおしゃれです。このパビリオンは、庭でひと休みするための東屋というよりも、大変美しく設えられた「屋外リビング」という印象です。 庭のモチーフに使われているもう一つのデザインは、1862年にモリスが初めて描いた壁紙〈トレリス(格子垣)〉です。1859年、モリスは自宅兼工房として建てたレッド・ハウスに引っ越した際、好みの壁紙が見つからず、自らデザインしました。 〈トレリス〉の図柄は、格子状に直角に交わるトレリスに半八重のつるバラが伝い、小鳥が止まる、というものですが、このイメージが、庭では直角に交わる小径に反映されています。デザイン画を見ると、ヨークストーンの敷石を使った小径が、格子状に伸びているのがよく分かります。また、ガーデンの中央の木には半八重のつるバラが伝い、〈トレリス〉の世界がさりげなく再現されています。 庭の植栽もモリスにちなんだ内容となっていて、草花は、彼のデザインに描かれているものや、彼の時代のコテージガーデンにあったものをチョイス。花々の色合いも、モリスの好んだ赤茶色やアプリコット色を中心に、ブルーや白をアクセントに効かせています。木々はデザインモチーフとなったヤナギやセイヨウサンザシが、灌木は、野鳥の餌や棲み処となるものが選ばれています。モリスのデザインでは、植物とともによく小鳥が描かれているからです。 庭の中央には、ヤナギ柄のパネルで装飾された美しい水路があって、水の流れを楽しめるようになっています。モリスは水を好んだといわれ、彼の暮らした家は、常にテムズ川沿いにありました。水路は手作業で焼かれたタイルで組まれており、小径はヨークストーンの敷石が伝統的な手法で敷かれています。この庭は、モリス好みの草花と、彼の愛した手仕事の美が詰まった、完璧なモリススタイルの庭といえるでしょう。 金賞〈ザ・マインド・ガーデン〉 資金提供:マインド、プロジェクト・ギビング・バック デザイン:アンディ・スタージョン 庭に散らばるように立つ弓なりの白い塀が、庭全体をアート作品のように見せている、ザ・マインド・ガーデン。スポンサーの〈マインド〉は、メンタルヘルス(心の健康)の問題に直面する人々を支える慈善団体です。国民の1/4が心の健康に問題を抱えているというイギリス。この庭は、人と人が繋がって困難な状況を変えていくための場所として、また、訪れた人が自分らしくいられて心を開ける場所として、デザインされました。 デザイナーは、チェルシーの金賞受賞が今回で9回目となるアンディ・スタージョン。世界的に活躍する実力派です。アンディは、自然の持つ癒やしの力を感じられる、気持ちの明るくなるような庭を思い描きました。 庭は盛り土のように中央が高くなった形状で、その中央部にシラカバの森があり、周辺部に下るにつれ、草花の咲くメドウ(野原)へと変化します。この庭の大きな特徴である弓なりの白い塀は、手のひらに載せた花びらを放って地面に散らし、その花びらの渦が広がるイメージで、斜度のある庭に配置されています。白い塀は、空間や小径の仕切りの役割を果たすほか、植栽を引き立てる背景やフレームとなり、また、ちらちらと揺れるシラカバの葉影を映すスクリーンにもなります。 白い塀に導かれて歩く小径は、上るにつれて次第に狭まっていき、突然、ベンチの置かれたオープンスペースに通じます。これは、小さな驚きで心を刺激する仕掛けです。白い塀自体にも触覚を刺激する役割が与えられていて、砂と石灰と貝殻を合わせたものを塗った、わざとザラザラにした仕上げになっています。そして、ベンチの置かれた2つのオープンスペースでは、水の落ちる仕掛けも。静かな水音を聞きながら、思いを巡らしたり、会話を楽しんだりできるようになっています。 中央部のシラカバの森は、デザイナーのアンディが幼い頃に幸せな時間を過ごした森をイメージしています。背の低いシダや、白や青の花々の中に、背の高いセリ科のヨロイグサの白花が顔を出し、デスカンプシアの軽やかな草穂が躍る、静かな癒やしの空間です。周辺部のより開けた空間となるメドウでは、花々はもっとカラフル。楽しく、リラックスした印象の植栽です。この庭は英国内の〈マインド〉の施設に移され、セラピーの場として使われる予定ですが、きっと多くの人に愛される場所となることでしょう。 銀賞&BBC/RHSピープルズ・チョイス・アワード大賞 〈ザ・ペレニアル・ガーデン “ウィズ・ラブ”〉 資金提供:ペレニアル―ヘルピング・ピープル・イン・ホーティカルチャー デザイン:リチャード・マイアーズ 普遍的な美しさが感じられるこの庭は、クラシカルで洗練されたデザインを得意とするガーデンデザイナー、リチャード・マイアーズの手によるものです。経験豊富なデザイナーですが、チェルシーのショーガーデン部門は初挑戦。RHS(英国王立園芸協会)による審査は惜しくも銀賞でしたが、会場とインターネットの一般による人気投票〈BBC/RHSピープルズ・チョイス・アワード〉でショーガーデン部門の大賞を受賞しました。 スポンサーは〈ペレニアル〉という慈善団体。植物の栽培者、ガーデナー、デザイナーといった、園芸に関わるすべての人々に対して、さまざまな支援を行う団体です。この庭には、デザイナーと〈ペレニアル〉による「庭は愛の贈り物である」という想いが込められています。庭は、庭をつくり慈しむ人々に、また、庭を訪ねる人々に喜びを与える愛にあふれた贈り物である、というメッセージです。 緑中心の穏やかな色調の庭には、落ち着いた、エレガントな雰囲気が漂います。中央に伸びる水路を中心とした線対称のデザインで、左右にはパラソルのように仕立てられたセイヨウサンザシが4本ずつ並び、その足元には、ドーム形のトピアリーが繰り返し置かれて、水路の両脇を飾っています。セイヨウシデの生け垣が庭をシェルターのように囲い、安心感を与えます。 植栽は生け垣やトピアリーの緑が中心ですが、足元では、柔らかな白と落ち着いたプラム色の、ルピナスやアリウム、ジギタリス、バラ、アイリスといった花々が咲いて、優しさが加味されています。生け垣やトピアリーなど、ガーデナーたちの円熟した技が随所に発揮されたこの美しい庭で、人々はそぞろ歩いたり、腰かけておしゃべりしたりしてみたいと感じて、一票を投じたのかもしれません。 この庭で目を引くのは、高さを与える役割を持つ、セイヨウサンザシ(Crataegus monogyna)の木々です(実際の庭ではパラソルのような形に仕立てられていますが、デザイン画を見ると、本来はパーゴラや藤棚のようなイメージで、より広い日陰を作ろうとしていたのかもしれません)。 今回のチェルシーでは、イギリスに自生するこのセイヨウサンザシを用いた庭が複数あり、注目されました。仕立てやすいうえに渇水に強く、大抵の土壌でよく育つという、近年ますます厳しくなる気象条件に耐えうる丈夫な低木で、また、春の花はミツバチに好まれ、秋の実は野鳥に好まれるという、野生生物を助ける役割も果たしてくれます。時代のニーズにぴったりの樹木として、今後活用されることでしょう。 以上、それぞれに特徴のある3つの展示ガーデンをご紹介しました。どのような庭にするかを明確にイメージし、そのイメージを形にするデザインは、構造(建造物)と植栽のいずれもが重要。建築的なアプローチをする英国のガーデンづくりは奥が深いですね。
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【2022年 英国チェルシーフラワーショー】3年ぶりの5月開催! 今年の見どころ&ショーガーデン部門解説①
賑わいを見せた3年ぶりの春のチェルシー 英国王立園芸協会(以下RHS、The Royal Horticultural Society)が主催するチェルシーフラワーショー(以下チェルシー)は、イギリスの園芸ファンが待ち望む、園芸界の一大イベント。ロンドンのチェルシー王立病院を会場に、毎年5月末に開かれます。2020年に起きた新型コロナウイルス感染症のパンデミックと、それに伴うロックダウンにより、2020年はオンライン開催、2021年は異例の9月開催となりましたが、この春は例年通りに開催され、かつての輝きを取り戻しました。 会場には、RHS総裁でもあるエリザベス女王もピンクのコートドレスでお出ましに。今年は女王の在位70年を祝う〈プラチナ・ジュビリー〉のイベントが続きますが、チェルシーの会場にも、女王がお好きだというスズランの鉢植えを70個飾ったディスプレイが設置されるなど、お祝いムードにあふれました。 会場で最も注目を集めるのは、展示ガーデンの数々です。RHSが時流を反映して製作する特別展示ガーデン(フィーチャーガーデン)では、今年は〈BBCスタジオ・アワー・グリーン・プラネット&RHSビー・ガーデン〉と題して、生息数の減少が危惧されているミツバチを助けるガーデンがつくられました。デザインは、BBC(英国放送協会)の人気ガーデン番組〈ガーデナーズ・ワールド〉でおなじみのデザイナー、ジョー・スウィフト。ミツバチやマルハナバチが好む草花ばかりを集めた植栽で、巣箱や水場も工夫された、ハチも人も嬉しい庭です。 チェルシーはガーデンデザインにおける最高峰の舞台であり、そこで見られるガーデンデザインは、服飾の世界におけるファッションショーのように、時代の流れを反映しています。今年は去年の流れを汲んで、ミツバチの保護や環境保全、サステナビリティ(持続可能性)といった視点のあるデザインが見られました。 グレートパビリオンと呼ばれる大テントの中では、バラならバラ、ダリアならダリアと、特定の植物を専門的に扱い、定評のある種苗会社各社が、自社の植物を使って美しいディスプレイを作り上げ、新しい園芸品種の発表を行います。チェルシーは、園芸やガーデニングに関する新しい情報にあふれる場なのです。 パンデミック後の新しい取り組み 今年のチェルシーでは、新しく〈プロジェクト・ギビング・バック〉というチャリティの仕組みが導入されました。これは、簡単にいうと、チャリティを応援するチャリティ。パンデミックにより経営困難に陥った慈善団体を支援したいと考えた、2人の篤志家が始めた慈善プロジェクトです。 チェルシーは英国において注目度の高い、テレビ放映も行われるイベント。そこに慈善団体が自らの理念を伝える展示ガーデンをつくれば、世間に対して大きな宣伝となります。展示ガーデンの製作には莫大な費用がかかりますが、それを全額負担して、慈善団体には支持や寄付を集める機会を、そしてガーデンデザイナーにはチェルシー挑戦のチャンスを与えようという、なんとも太っ腹な慈善プロジェクト、それが、この〈プロジェクト・ギビング・バック〉です。ガーデン大国、そしてチャリティ大国である英国ならではの、驚きの発想ですね。 ただし、実際にチェルシーに参加してガーデンをつくれるかどうかは、RHSによって通常通り行われる選考審査の結果次第となります。このプロジェクトは2024年までの期間限定で行われますが、今年は、同プロジェクトの支援を受けた12の慈善団体による展示ガーデンが、無事選考審査を通り、製作されました。 展示ガーデンの審査方法 展示ガーデンは、いくつかのカテゴリーに分かれて審査されます。世界屈指のガーデンデザイナーが大きなサイズの庭を設計し、3週間の工期で作り上げる〈ショーガーデン部門〉に、癒やしの場としての個人の小さな庭を想定した〈サンクチュアリガーデン部門〉、都会の限られたバルコニー空間をデザインする〈バルコニーガーデン部門〉に、鉢植えを駆使した〈コンテナガーデン部門〉。それから今年は、前述の〈プロジェクト・ギビング・バック〉と連動して、構造物よりも植物の使い方に注目した〈オール・アバウト・プランツ部門〉が新設されました。 これらの展示ガーデンは、8名からなる審査員団により、RHS独自の基準に則って審査され、金、銀、銅などに評価されます。ガーデンデザイナーは一般に、RHSの主催するほかのフラワーショーで、小さなサイズの展示ガーデンに挑戦することから始め、より有名なフラワーショーの、より大きなサイズの展示ガーデンづくりへとステップアップしていきます。そして、その最高の舞台がチェルシー。ここで金賞(ゴールドメダル)を得ること、そして各部門での大賞(ベスト・イン・ショー)を受賞することは、園芸に携わる人々にとって大変な栄誉です。 審査員は、園芸、ガーデニング、ガーデンデザインにおける知識や技術を持つ専門家で構成されています。展示ガーデンにどのような目的や機能があり、軸となる植物は何で、特徴は何か。審査員たちは庭の概要を前もって書面で伝えられていますが、そういった設計の意図が実現されているかどうかも審査のポイントで、庭がどんなに美しく仕上がっていても、設計意図にそぐわない場合は減点対象となります。このほかに、意欲(独自性)、全体的な印象、デザイン、建造物、植栽の観点からも審査が行われます。 チェルシーでは、審査員団の審査とは別に、ショーの様子を放映するBBCと共同で、会場とインターネットによる一般人気投票〈ピープルズ・チョイス〉も行われます。RHSの審査員の判断と、一般の人気は必ずしも一致しないのが面白いところ。それでは、今回注目された〈ショーガーデン部門〉の受賞作品を見ていきましょう。 金賞&ベストショーガーデン〈ア・リワイルディング・ブリテン・ランドスケープ〉 資金提供:リワイルディング・ブリテン、プロジェクト・ギビング・バック デザイン:ルル・アークハート&アダム・ハント 金賞、及び、大賞となるベストショーガーデンを受賞したのは、〈ア・リワイルディング・ブリテン・ランドスケープ〉。前述の〈プロジェクト・ギビング・バック〉によって参加した慈善団体〈リワイルディング・ブリテン〉がスポンサーのガーデンです。 木々や草花の茂る、このナチュラルなガーデンは、じつは、イングランド南西部にあるビーバーの棲む川辺の景色を再構築したものです。「リワイルディング(rewilding)」とは、「再野生化」を意味する言葉で、人によって開発された場所を自然な状態に戻したり、絶滅の危機に瀕した、その生態系にとって重要な役割を果たす生き物を再び野に放つことによって、生態系を回復させたりすることをいいます。英国では、環境保全の一手段として、さまざまな再野生化の動きが各地で進められていますが、慈善団体〈リワイルディング・ブリテン〉は、人間が少し手助けすれば、自然は自ら治癒する力を持っているという考えのもと、再野生化を推し進めようと活動しています。 このガーデンは、一度は絶滅してしまったビーバーが戻ったことで「再野生化」され、生態系が回復した、実在する風景をモチーフにしています。 英国ではかつて、国内の川辺に野生のヨーロッパビーバーが生息していましたが、肉や毛皮、海狸香(かいりこう、ビーバーの持つ香嚢から得られる香料)のための乱獲で、400年前に絶滅してしまいました。しかし、2013年、デボン州東部のオットー川で1組のビーバー一家の姿が確認されます。どこからやってきたのかはっきりせず、害獣として駆除されそうになったビーバーですが、そこから5年の生態観察調査が行われた結果、ビーバーがじつは、豊かな生態系を作り出すカギとなる、生態系の回復に役立つ生き物であると判明します。国はビーバーを駆除しない方針を打ち出し、現在、オットー川には15組のビーバー家族が棲みつき、近隣エリアの国立公園でもビーバーが再導入されました。 この展示ガーデンという小さなスペースの中に、ビーバーが作り上げた川辺の景色が、見事に再構築されています。セイヨウサンザシ、ハシバミ、カエデの生える林のはずれを流れる小川は、自然の土木技師と呼ばれるビーバーが木の枝を積み上げて作ったダムを経て、湿地帯の草地へと流れ込みます。 ダムは、土やゴミをろ過して水をきれいにし、魚や昆虫が棲みやすい環境を作ります。魚や昆虫の数が増えれば、それらを餌とする野鳥も増えます。ダムはまた、水の流れを緩やかにして湿地帯の草原を作り出し、ミズハタネズミやカワウソに棲み処を与えます。そうやって、生物多様性はどんどん豊かになっていくのです。 展示ガーデンのダムを形作る木の枝は、実際にビーバーがかじり取って積んだものが使われています。ガーデナーは、ビーバーの気持ちになってダムを組んだそう。草原の植栽には、ビーバーの棲むイングランド南西部に自生するワイルドフラワーやグラス類が使われています。 ビーバーの棲み処のあるダムの脇には、人間が身を隠しながらビーバーを観察できる小屋があり、そこには、湿地帯の上に渡された簡素な木道を通って行くことができます。この木道は、サマセット州の湿地帯で遺物として発見された、新石器時代の木道の構造を取り入れたもの。遥か昔に発案された素朴な形状が、ナチュラルな風景に馴染んでいます。 ガーデンデザイナーのルル・アークハートとアダム・ハントは、初出場で金賞を獲得し、さらに、大賞を受賞するという快挙を果たしました。ビーバーのような生態系のカギとなる生き物を導入することで「再野生化」が行われ、生物多様性にあふれた、驚くほど豊かな景観が生まれることを、このガーデンは教えてくれます。 金賞&最優秀建設賞:〈メディテ・スマートプリー “ビルディング・ザ・フューチャー”〉 デザイン:サラ・エベリー 資金提供:メディテ・スマートプリー社 ナチュラルなビーバーの庭とは対照的に、インパクトのある、いかにもショーガーデン! といったダイナミックな景観で注目を集めたのが、こちらの庭。森のはずれをイメージした緑主体のガーデンで、アプローチに鉄鋼のようなオブジェが置かれ、その先の中央部には、上から3本の細い滝が流れる大きな岩場がどーんと据えられています。 設計を担ったのは、チェルシーで金賞を何度も受賞しているベテランデザイナーのサラ・エベリー。この岩場は、イングランド南西部、コーンウォール州北部の海岸線で見られる断崖にインスピレーションを得てデザインされましたが、よく見ると、立てた状態のMDF(中密度繊維板。繊維状にした木材を接着剤と合わせ、熱や圧力で固めた合板)を何枚も重ね合わせて、立体的な造形にしていることが分かります。 このガーデンの隠れた主役は、じつは、このメディテ・スマートプリー社のMDF。この庭は、汎用性があり、健康的な建材であるこの合板を使いこなすことで、未来のサステナブルな景観と建築を表現しています。 MDFは一般に湿気に弱いなどの弱点がありますが、同社のMDFは軽量で耐久性が高く、屋外の使用にも長年耐えられるというもの。地上での使用は50年、地下での使用は25年という、長期の製品保証があります。間伐材から作られ、二酸化炭素の排出も抑えられるこのMDFは、コンクリートやプラスチック、金属に代わる、サステナブルな建材として、注目を集めています。 ガーデンに植わる樹木には、カバノキやシナノキ、マツの類など、メディテ・スマートプリー社が原料の木材を得ている、アイルランドの森に自生する種類が使われています。滝の落ちる池の周りには、湿気を好む珍しい植物の数々や、英国の森のはずれに自生するキンポウゲやプリムラ、シャクといった植物が植えられて、青々とした景色を作ります。一方、岩場の中は「グロット」(庭園につくられる装飾的な洞窟)として空洞になっていて、ベンチに座って休むことができます。 ガーデンデザインにおいて、サステナブルという点をますます重要に感じるという、デザイナーのサラ。ガーデンづくりは、植物も資材も、よりサステナブルなものが求められています。 チェルシーフラワーショーの世界、いかがでしたか。続編もお読みください。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】石塀に映えるロマンチックな花景色「ブロートン・カースル」後編
西向きのバトルメントボーダー 前編では、石塀に囲まれたウォールドガーデン、「貴婦人の庭(レイディーズガーデン)」を巡りましたが、後編では石塀の外側にのびる花壇(ボーダー)を見ていきましょう。 こちらは、入り口の守衛所(ゲートハウス)脇にある、銃眼付きの胸壁(バトルメント)に沿ってつくられた花壇、バトルメントボーダーです。 ブルー、シルバー、黄色の植物を使ったシックな植栽。案内をしてくれたガーデナーのクリス・ホプキンスさんによると、オーナーである第21代セイ・アンド・セール男爵は、このような落ち着いた色調の植栽を好まれるそうです。 石塀に沿って南に進んでいくと、赤や赤紫など、深い色を使った植栽に変化します。こちらは男爵夫人好みの植栽。女性らしさが感じられます。 ワインレッドのバラとジギタリスがコラボし、間にはゲラニウムやポピーの葉が茂っています。 こちらがガーデナーのクリスさん。27年間、ほぼ一人でこの庭の管理をしてきたという方です。後ろ姿は北海道、上野ファームのガーデナー上野砂由紀さん。 雨上がりの庭に、花々の香りにつられてお腹を空かせたハチがやってきます。 ガーデナーのクリスさんは、植物や色彩の好みが異なる男爵と夫人のどちらにも満足してもらえるよう、植栽のバランスに配慮していると言います。 西側の石塀に小さな窓があります。その周囲に適度なバランスでクレマチスやつるバラが色を添えて、ナチュラルな雰囲気ですね。 つるバラの伝う小窓から、石塀の中に広がる庭が見えます。 大きなバラの茂みのそばには、銅葉のヒューケラやシックなアメリカテマリシモツケ、シルバーグリーンのリクニスなどが組み合わされて、葉色の変化を見せています。いつまでも眺めていたい美しい景色です。 花壇の反対側にある生け垣の端は、ピンクのバラで彩られています。その向こうに、広大なブロートン・パークの草地が続きます。 ウォールドガーデンの南西の角に立つと、建物と左右の庭が一望できます。ここでは、銅葉のセイヨウニワトコ ‘ブラックレース’がいいアクセントになり、手前にはデルフィニウムが大株に茂っています。 角を回って、南向きの花壇までやってきました。 振り返ると、濠の水面の先に緑の景色が広がって…。 南向きのサウスボーダー 南側の石塀にも貴婦人の庭(レイディーズガーデン)への入り口がありました。 バラに彩られる南側のアーチから、貴婦人の庭の中心にあるハニーサックルや生け垣が覗いています。 サウスボーダーのこの青花はゲラニウム・ヒマラエンセ‘グレイブタイ’。石塀を伝うつるバラは‘ゴールドフィンチ’。ブルーと淡い黄色が爽やかな一角。 ラムズイヤーのシルバーリーフに黄花のエルサレム・セージが引き立ちます。 カスミソウのような花が無数に咲いていて、「なんだかカスミソウのお化けみたい!」と同行者が楽しげに眺めていました。「これは、クランベ・コーディフォリアですよね。立派な株ですねー」と上野さん。 白花のクランベ・コーディフォリア越しに、石壁のアーチの方角を見ると、つるバラと調和して白花が引き立っています。 東向きのボーダー 白いつるバラが絡むアーチの反対側からの景色。このアーチは14世紀の建設当初にはエントランス部分だったと考えられています。 アーチの角を回って、東向きのボーダーに来ました。 ウォールドガーデンの内側と外側、一歩進むごとに新しい景色に変わり、いつまでも巡っていたいブロートン・カースルの庭。上野ファームのガーデナー、上野砂由紀さんは、庭巡りのあと、こう話していました。 「よく手入れされて、ゲラニウムやバラもとてもよい状態で咲き始めていました。(私の庭のある)北海道では育てられないのですが、植えてみたいなと思う、おばけカスミソウみたいな、クランベ・コーディフォリアもありましたね。 ガーデナーが、オーナーと奥様の意思を反映しながら、庭づくりに試行錯誤していました。上野ファームも、私がデザインしている所と、母がすべて植栽のデザインをする所を、きっちり分けています。好みも、好きな花も違うので、担当を分けて、それぞれのよさを出すようにしています」 「ブロートンの庭のように、ガーデンにはオーナーがいて、ヘッドガーデナーがいますが、オーナーの意向をどう反映するかが、ヘッドガーデナーの腕の見せ所ですよね。ガーデナーのクリスさんは、数年前まではご自分で芝刈りもして、ほぼ一人で27年間働いてきたとか。相当な仕事量をこなしてきたのだろうなと、同じガーデナーとして仕事の裏側も気になりました。6月は、ご覧のように爽やかで華やかな庭でしたが、春もチューリップを植えて華やかにしているそうですよ」 イギリスの歴史を感じる屋敷 さて、次は屋敷の中を巡っていきましょう。 まずは、1300年頃に建てられた屋敷の最も古い部分が残っているというグレートホール。イギリスのお城など、古い建物は薄暗いことが多いのですが、このグレートホールは16世紀半ばの改修で組み込まれた、チューダー様式の大きな窓から光が入り、明るさがあります。 天井には垂れ飾りが。1760年代に改修された時のもの。 暖炉の脇には、革製の消火バケツと剣が並びます。これらの不揃いの古いレンガは建設当時のものでしょうか。 絵になる窓辺のコーナー。 アン王妃の部屋、ギャラリー 次は、アン王妃の部屋(クイーン・アンズ・ルーム)です。イングランド王、ジェームズ1世の王妃、アン・オブ・デンマークが、1604年と1608年に、この部屋に滞在したといわれています。暖炉の上に飾られた肖像画がアン王妃。石造りの暖炉は16世紀半ばに設けられたものです。 暖炉には、石工によって彫られた精巧な飾りがあります。天蓋付きのベッドは18世紀後半のもの。 2階の廊下にあたるギャラリー。1760年代にゴシック様式に改修された際、内装も新たに施されました。ここには16世紀からの一族の肖像画が集められています。 窓から外の緑が見えます。 美しい壁紙が特徴的なベリー・ロッジ・ルーム。壁紙はフランス、アルザス地方にあるズベール社の1840年頃のものです。家具の多くは、男爵の祖父母の屋敷、ベリー・ロッジから運ばれたものだそう。 王の部屋、そして屋上へ 次は、1604年にジェームズ1世が宿泊したという、王の部屋(キングス・チェンバー)です。印象的なグリーンの中国風の壁紙は手描きだとか。ベッドは現代の家具作家、ロビン・ファーロングの手による特注品。現代的な要素がアンティークとうまくミックスされています。 暖炉の上には、フランス製の漆喰仕上げの装飾が施されています。ギリシャ神話のモチーフです。 ギャラリーの反対側にも、対になる長椅子が置かれたコーナーがありました。 ドアノブの飾りが素敵です。 屋敷の西側、屋上に出てみると、貴婦人の庭(レイディーズガーデン)が眼下に! アヤメの花を様式化した、よく紋章に用いられる「フルール・ド・リス」という意匠と、円を組み合わせたデザインです。生け垣で模様を描く、パーテアという庭園様式は、高い場所から眺めて楽しむものなのだなと、実感します。 ●貴婦人の庭の植栽については「ブロートン・カースル」前編をご覧ください。 西側壁面に沿って花壇がのび、濠の向こうには、730万㎡という耕作地や牧草地が続きます。 こちらは、守衛所(ゲートハウス)に近いほうの花壇、バトルメントボーダー。 さて、次は西の端にある大広間、グレートパーラー。漆喰仕上げの天井が見事です。 天井は古いものですが、壁紙や扉、羽目板などは19世紀半ばのもの。何度も改修を繰り返して、城の長い歴史が続いていくのですね。 椅子の布地に合わせたピンクの生花が素敵です。きっと男爵夫人が活けられたものですね。 東を向いた窓からは、芝生の上にリズミカルに並ぶ立方体のトピアリーが見えます。 南向きの窓からは、貴婦人の庭が見えます。 1階に降りて、再び貴婦人の庭へと出てみましょう。 さて、お庭をもう一周してきましょうか。 帰り際、前庭の端には、古い厩を改修したティールームとショップがありました。 長い歴史を経て、今も暮らす人に愛され、大切に維持されているブロートン・カースル。部屋の窓や屋上からの眺めも素晴らしく、庭では、私たちも育てている同じ種類の草花にも多数出合うこともでき、親しみを感じました。また、「ガーデン」とは、次の世代、また次の世代へと、いつまでも受け継いでいけるものなのだと教えてくれる場所でした。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】中世から建つ美しき古城「ブロートン・カースル」前編
長い歴史を持つブロートン城 ブロートン・カースルは、コッツウォルズ特別自然美観地域の北東側に位置しています。濠に囲まれた美しい石造りの屋敷と、その南側に作られた「貴婦人の庭(レイディーズガーデン)」で有名な、人気の高い観光スポットです。 ブロートン・カースルは、1300年頃、イングランド王のエドワード1世に仕えたジョン・ドゥ・ブロートン卿が石造りのマナーハウス(領主の館)を建てたことに始まります。屋敷は1377年に、ウィンチェスター主教のウィリアム・オブ・ウィッカムによって買い取られ、以来、その子孫となるファインズ家に受け継がれてきました。日本でいえば、鎌倉時代の終わりから室町時代の話です。 ウィリアム・オブ・ウィッカムは国政で重要な位置を占めた人物で、オックスフォード大学のニュー・カレッジや、英国最古の男子寄宿学校であるウィンチェスター・カレッジの設立、ウィンザー城の建設にも携わりました。ブロートン・カースルには、17世紀にイングランド王が宿泊したという歴史もあります。 現在も続くファインズ家には、探検家や作家、画家など、才能のある人物が多く、映画『ハリー・ポッター』シリーズでヴォルデモートを演じた俳優のレイフ・ファインズと、その弟のジョセフ・ファインズも親族だそう。 庭好きにとっては、屋敷の南側にある貴婦人の庭(レイディーズガーデン)は必見。一方を屋敷に、三方を石塀で囲まれたウォールドガーデンでは、石造りの古い建物を背景にどんな花景色が広がるのか、楽しみです。 それでは、庭巡りを始めましょう。 濠に囲まれた屋敷 まずは濠にかかる石橋を渡って、かつての守衛所(ゲートハウス)を抜けていきます。1406年、このゲートハウスに銃眼付きの胸壁が設けられたことで、マナーハウスは「カースル(城)」と呼ばれるようになりました。 屋敷は3つの小川が交わる地点に建てられ、それから、屋敷を囲む大きな濠がつくられました。濠と屋敷の大部分は、当時と変わらない姿を保っているそうです。 銃眼のあるゲートハウス。ブロートンの建物や塀には、コッツウォルドストーンと呼ばれる石灰岩が使われています。ブロートン・カースルのあるコッツウォルズの東側は、鉄分を多く含んだ赤茶色の石が採れるそう。大きさが不揃いな石に古さを感じますね。 前庭の端に、ひっそりとバラが咲いています。 600年近く経っていると思われる石塀に、優しいピンクのバラがよく合います。ここでしか出会えない趣のあるガーデンシーンに感動。 マナーハウスが見えてきました。1階右端が1300年頃に建てられた最も古い部分で、1554年に3階建てへと改築されました。17世紀にはすっかり荒れてしまったこともあったそうですが、長い年月の間に改修を繰り返しながら、維持されてきました。 左側に銃眼付きの胸壁が見えますが、城というよりマナーハウスの印象が強い屋敷ですね。内部はのちほど見学することにして、まずは右手から庭のほうに回ります。 屋敷の西側、濠の外には、ブロートン・パークの草地が広がっています。 低い石塀に伝うバラ。風化した石とバラが作り出す、野趣のある景色です。 屋敷脇の植え込みは、銅葉の茂みがアクセントになっています。 赤紫のバラと銅葉の美しい組み合わせ。 石塀に囲まれたウォールドガーデン、頭上にクレマチスが絡んだ貴婦人の庭への入り口が見えました。 貴婦人の庭(レイディーズガーデン) 屋敷の南側にある貴婦人の庭に入りました。先ほどのアーチから入って、振り返ったところ。砂利敷きの小道には落ち葉一つなく、銀葉のグラウンドカバー、銅葉の茂み、壁面を覆う緑と、このエリアだけでも数多くの植物が景色を作っています。 紫のアリウムと黄色いシシリンチウム・ストリアツム。優しい色合いの花々が出迎えてくれます。 西側の石塀には小窓があって、紫のフジが伝います。訪れたのは7月上旬。バラがちょうど満開で、緑もみずみずしくて、花と緑の香り漂う中で何度も深呼吸。 この庭は、1890年代に屋敷に暮らしていたゴードン=レノックス公爵夫人によってつくられました。この方は、当時一番のおしゃれさんとして、社交界で有名だったとか。きっと庭づくりのセンスもあったのですね。 現在の植栽は、オーナーである第21代セイ・アンド・セール男爵と男爵夫人によって考えられたもの。 コッツウォルドストーンで組まれた石塀や屋敷の壁に合うように、柔らかな色調の花が選ばれていますが、これは、1970年に、有名なガーデンデザイナーのランニング・ローパーから受けた助言に基づいているそうです。 フルール・ド・リスを描いたパーテア この庭は、低い生け垣で模様を描く「パーテア」と呼ばれるスタイルの、整形式庭園です。屋敷の屋上からは、アヤメの花を様式化した意匠(フルール・ド・リス)と円が組み合わさった、デザインの全体が見られるとのこと。楽しみです。 庭がつくられた当時の写真資料を見ると、生け垣の高さは足元程度で厚みもなく、素っ気ないくらいシンプルな景色が写っていました。しかし、長い年月の中で、生け垣は腰高にしっかりと育ち、花壇の茂みも大きな、緑豊かな庭となっています。 庭を囲む石塀と生け垣、つまり、庭の骨格は、130年の間変わっていないです。イングリッシュガーデンの歴史が感じられますね。 庭がつくられた当初、中心には日時計のような、シンプルな石造りのオブジェが置かれていましたが、現在はハニーサックルがこんもり茂っています。円形に区切られた地際では、パッチワークのように配植されたタイムが花を咲かせていました。 時の流れが生み出す、格別の雰囲気を醸す石塀です。よく見ると、石材の色や仕上げに違いがあります。修復された形跡でしょうか。 その古びた石塀を背に、バラやジギタリス、ゲラニウムといった草花が茂ります。ロマンチックな、これぞイングリッシュガーデンという花景色。 庭に植えられているバラは約60種とのこと。草花とナチュラルに調和し合っていました。 家壁の窪みの奥に、木製ベンチが置かれているスペースを見つけました。 いろいろな種類の花に囲まれたベンチです。小花がふわふわと咲いて、素朴ながら心落ち着く景色。 屋敷に沿って進むと、貴婦人の庭の外に出るアーチがありました。 石塀の外には芝生が アーチを抜けると、木の扉の上に白いつるバラが伝い広がっています。 貴婦人の庭の外側、石塀に沿ってつくられた東向きのボーダーです。 貴婦人の庭からアーチを抜けると石段があって、小さなテラスへと繋がっています。 テラスの先は屋敷の壁に沿って、植え込みが続きます。 大木のセアノサスがブルーの茂みを作り、傍にはテーブルとイスのセットが。遠くの景色を眺める憩いの場所です。 貴婦人の庭は、屋敷南側の、西側半分に位置しているのですが、東側には緑の芝生が広がっていて、大きな立方体のようなトピアリーが6つ点在しています。 さて、石塀の中の庭に戻ってみると……、あそこでゲストと話している方は、オーナーの男爵夫人! 庭に出て手入れ中だった男爵夫人とお話しすることができました。いつもご自身で花を摘んで、部屋に活けるそうです。 後編では、ウォールドガーデン外側の美しい花壇や、屋敷の素晴らしい内装、貴婦人の庭の全体像をご紹介します。
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英国キューガーデンの多肉植物&サボテン・コレクションを訪ねて〈後編〉
世界のさまざまな気候を再現する温室 前編でもご紹介したプリンセス・オブ・ウェールズ・コンサバトリーは、近代的な設備を誇る、広さ4,500㎡の温室です。温室内は冷涼な乾燥地帯から熱帯雨林まで、異なる10の気候がコンピュータ制御によって再現されています。ゾーンによって気温や湿度が変わるので、植物を世話するガーデナーたちは、出入りするたびに上着を着たり脱いだり、体温調節が大変なのだとか。 この温室の基礎部分には、動物学者で植物学者のデビッド・アッテンボロー卿によって、1985年にタイムカプセルが置かれました。中に入っているのは、絶滅の危機にある穀物類のタネ。カプセルは、100年後の2085年に開けられる予定ですが、その頃の世界はどうなっているでしょうか。 それでは、前編に続いて、乾燥熱帯や砂漠気候ゾーンのサボテンや多肉植物を見ていきましょう。 メキシコや南米のサボテン その2 ミルチロカクツス・ゲオメトリザンス (Myrtillocactus geometrizans) メキシコ原産の、4~5mに育つ低木状のサボテン。まさに、メキシコと聞いて思い浮かべるサボテンの形をしていますね。日本では「リュウジンボク(竜神木)」の名で流通しています。 左:オプンチア・クイテンシス (Opuntia quitensis) ペルー、エクアドル原産のウチワサボテンの一種。可愛らしい、明るいオレンジの花の後にできる果実は食べられるそうですが、どんな味なのでしょう。 右:フェロカクツス・シュワルツィー (Ferocactus schwarzii) メキシコ原産の樽形に育つサボテン。まるで折り紙で作ったようなきれいな形です。鮮やかな黄色の花が咲き、日本では「オウサイギョク(黄彩玉)」の名で流通しています。 オプンチア・フィカス=インディカ (Opuntia ficus-indica) メキシコ原産で、オプンチア属の中では最もポピュラーなウチワサボテンの一種。英名は、棘だらけのナシ(プリックリー・ペア)といい、果実は食用に売られています。南米ではウチワ形の茎も食べられているそう。エキスが化粧品に使われるなど、商用として重要な役割を果たすサボテンです。 左:ペレスキア・グランディフォリア(Pereskia grandifolia) ブラジル原産。5mほどまで伸びて、樹木のような姿をしたサボテンですが、幹のように見える茶色の部分には棘が生えています。半八重のバラのような花が咲くことからローズカクタスとも呼ばれます。日本では「オオバキリン」の名で流通。 右:オプンチア・ファルカータ (Opuntia falcata) こちらも樹木のような、変わり種のサボテン。 ミルチロカクツス・コカル(Myrtillocactus cochal) 英名で、燭台サボテン(キャンデラブラ・カクタス)というように、燭台を思わせる形をしています。メキシコ原産。 サボテンの根元にはエケベリア(Echeveria)が。 左:セダム ‘ブリート’ (Sedum ‘Brrito’) 長く垂れる茎に丸みを帯びた葉が連なるセダム。日本では、「玉つづり」か「新玉つづり」の名で流通しています。 右:セダム・パキフィルム (Sedum pachyphyllum) メキシコ原産ベンケイソウ科の多肉植物。欧米ではジェリービーンズの名で呼ばれますが、日本では「乙女心」の名で流通しています。 左:フェロカクツス・ピロスス (Ferocactus pilosus) 赤い棘が目を引く、メキシコ原産のサボテン。円柱状で、3m近くまで育ちます。鮮やかな濃いオレンジの花が咲きます。 右:プヤ・フェルギネア(Puya ferruginea) ボリビアやエクアドルを原産地とするパイナップル科の植物。 ダイナミックな魅力のアガベ 温室内には、存在感たっぷりのアガベもたくさん植わっています。 アガベ・アテヌアタ (Agave attenuata) (流通名はアガベ・アテナータとも) 高さ1~1.5mほどに育った立派なアガベ。メキシコ原産の常緑のアガベで、葉には棘がありません。英名で、キツネの尻尾のアガベ(フォックステイル・アガベ)といわれるように、1.5~3mほどの長くて太い花穂が中心から伸びて、くるりと垂れます。 左:アガベ・テクイラナ (Agave Tequilana) メキシコの高地、ハリスコ州原産の、テキーラの原料となるアガベ。ブルーアガベ、テキーラアガベとも呼ばれます。テキーラ作りには、葉の根元にある大きく育った球茎が使われます。 中:アガベ・フィリフェラ (Agave filifera) メキシコ原産、葉の端から白い糸状の繊維が生えているのが特徴。高さ60cmほどの小ぶりなアガベ。 左:アガベ・ミシオヌム (Agave missionum) 立ち姿が美しいアガベ。葉の周りに細かい棘があります。 右:アガベ・チタノタ (Agave titanota) 葉の周りに大きな棘があって、どう猛な印象のアガベ。一回結実性で、花が咲くと枯れてしまいます。 左:ボーカルネア・ストリクタ (Beaucarnea stricta) 細い葉を放射状に広げるボーカルネア。6~10mに育ちます。 右は植物名が分かりませんでしたが、ボーカルネアの仲間でしょうか。放射状に見事に広がる細葉が印象的です。 ジャングル感満載 湿潤熱帯ゾーン 乾燥地帯のゾーンを抜けると、今度は湿度が高くムンムンする熱帯ゾーンに来ました。植生がガラリと変わってジャングルのよう。面白い体験です。 中央の塊は、チランジア・ストリクタ(Tillandsia stricta)。 南米原産のパイナップル科の植物で、チランジアの仲間はエアプランツと呼ばれます。カーテンのように掛かっているのも、同じチランジア属の仲間、チランジア・ウスネオイデス。 エアプランツの美しい競演。 温室内は加湿されています。 左:エクメア・ブラクテアタ (Aechmea bracteate) パイナップル科の植物で、原産地はメキシコから中南米にかけて。 右:クリプタンツス・アカウリス (Cryptanthus acaulis var. ruber) ブラジル原産。葉の色が渋いですね。 躍動感のある、パイナップル科の植物の競演。 温室のエリアごとに、湿度の高さや室温の微妙な変化があり、植物のグループが変わる様子を見ながら、まるで旅をしているような気分になれた温室散策。貴重な植物を保存維持することは、繊細な作業の連続なのだろうなと感じました。また、あのサボテンや多肉たちが成長した姿を見に行ける日を楽しみにしています。 温室の外には大きなアガベが育っていました。
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英国キューガーデンの多肉植物&サボテン・コレクションを訪ねて〈前編〉
世界の10の気候を再現する温室 英国キュー王立植物園、通称キューガーデンで有名な温室といえば、ヴィクトリア朝に建てられた、テンパレートハウスとパームハウスという2つの優美な大温室。時代の栄華を今に伝える、キューガーデンのアイコンです。一方、1987年に開館した、広さ4,500㎡のプリンセス・オブ・ウェールズ・コンサバトリーは、近代的な設備を誇ります。 温度や湿度、養分、光のレベルといった、植物に必要な生育条件は、植物の種類によって異なりますが、この温室の中では、冷涼な乾燥地帯から熱帯雨林まで、異なる10の気候がコンピュータ制御によって再現されています。 例えば、湿潤熱帯ゾーンの池に浮かぶのは、アマゾン川原産のオオオニバス(ヴィクトリア・アマゾニカ)。湿度の高い、暖かな室内にはつる性の植物が伝って、ジャングルのような雰囲気です。このオオオニバスの種子がキューガーデンに初めてもたらされたのは19世紀半ばのことですが、それ以来、栽培が続けられているというのは、さすがですね。温室内の池にはナマズなどの魚が棲んでいて、また館内では5匹の大型トカゲ、インドシナウォータードラゴンが飼われています。トカゲはゴキブリなど虫の駆除に役立ってくれるそう。温室内で、小さな生態系が作られているのですね。 それでは、乾燥熱帯や砂漠気候のゾーンに生育する多肉植物やサボテンを見ていきましょう。 アフリカ東部~南部原産の多肉植物 樹木やヤシのように大きく育った多肉植物の数々。アロエがヤシの木のような姿になっています。ここまで大きな多肉植物を見るのは初めてで、驚かされます。 左:クラッスラ・ポルツラケア (Crassula portulacea) 原産地、南アフリカ・ケープ州の露地では3m以上になるといわれますが、この温室でも樹木のように大きく育っています。日本では、新芽に5円玉を通して育てた「金のなる木」として、有名です。 右:パキポディウム・ラメレイ (Pachypodium lamerei) マダカスカル島原産のキョウチクトウ科の多肉植物で、ヤシのような姿をしていることから、マダガスカル・パームとも呼ばれます。先端に咲く香りのよい白花は、確かにキョウチクトウに似た花姿。 ケイリドプシス属 (Cheiridopsis) こちらは南アフリカ原産の小型の多肉植物。「ケイリドプシス」の名は、袖という意味のギリシャ語に由来します。 同じくケイリドプシスの仲間。 ケイリドプシス属は100種ほどあって、日本でもさまざまなものが流通しています。 アロエ・ジュクンダ (Aloe jucunda) ソマリアを原産とする矮性の小さなアロエで、よく群生します。すっと伸びた花穂が素敵。 希少な多肉ユーフォルビア ユーフォルビア・グリセオラ (Euphorbia griseola subsp. griseola) 見事に育った、南アフリカ原産の多肉ユーフォルビア。トゲが多くて、一見するとサボテンのようです。多肉ユーフォルビアとサボテンは異なる植物ですが、どちらも乾燥した土地に適応しようと、それぞれ同じような進化を遂げたために、共通した特徴を持つといわれます。 ユーフォルビア(トウダイグサ)属は約2,000種が含まれる大きな属で、多肉ユーフォルビアは850種。そのうちの723種がアフリカやマダガスカル原産です。多肉ユーフォルビアのほとんどは絶滅が危惧されており、輸出が制限されています。 ユーフォルビア・ミリイ (Euphorbia milii var. milii) マダガスカル島原産の多肉ユーフォルビアで、日本では「ハナキリン」の名で流通しています。マダガスカル島原産の多肉ユーフォルビアの多くは、絶滅の危機にあるそうです。 窓際には、バラエティ豊かな多肉ユーフォルビアの鉢植えコレクションがありました。 左:ユーフォルビア・ステノクラーダ (Euphorbia stenoclada Baill) 木の枝のようなユニークな形。この姿からは想像がつきませんが、樹木のように大きく育つそうです。 右:ユーフォルビア・ハンディエンシス (Euphorbia handiensis) カナリア諸島原産。まるっきりサボテンみたいな姿ですね。 左:ユーフォルビア・ビグエリー (Euphorbia viguieri Denis) マダガスカル原産。日本では、「噴火竜」(ユーフォルビア・ビグエリー)の名で流通。 右:ユーフォルビア・デカリー (Euphorbia decaryi Guill) 同じくマダガスカル原産。日本では、「ちび花キリン」の名で流通。ハナキリンのように茎が立ち上がるようです。 ユーフォルビア・ビセレンベキー (Euphorbia bisellenbeckii) アフリカ東部原産。まるでむちむちとした手を四方に伸ばしているようです。多肉ユーフォルビアは、本当にさまざまな姿をしていますね。 メキシコや南米のサボテン その1 見事に育ったサボテンや多肉植物の数々。室温もほんのり暖かく、砂漠地帯にやってきたような気分になります。 エキノカクツス・グルソニー (Echinocactus grusonii) メキシコ北東部原産の直径1mほどになるという大きなサボテン。美しく立派に育っています。日本でも「キンシャチ」の名で流通していますが、原産地では絶滅寸前と危惧される種です。英名の一つに、姑のクッション(マザーインローズ・クッション)というユーモアたっぷりのものが。お尻がトゲだらけになっちゃいますね…。 大きく育ったウチワサボテンの仲間を背景に、柱状のサボテンは寝転んでいるかのような対照的な姿を見せています。 エキノプシス・テレゴナ (Echinopsis thelegona) 海の生き物を思わせるユニークなフォルムをした、南米アルゼンチン原産のサボテン。大きなつぼみがついていますが、夏の夜に漏斗形の白花が咲くそう。環境のストレスがないからか、成長途中の段差が一切なく、のびのびと育っているんだなぁと感心。 クレイストカクツス・ウィンテリ (Cleistocactus winteri) こちらもモニョモニョ動き出しそうな、南米ボリビア原産のサボテン。サーモンピンクの花が咲いています。 次は、小さなサイズのサボテンたち。 エキノプシス・フアスカ (Echinopsis huascha) アルゼンチン原産のサボテン。細かい棘がびっしり。虫が侵入する隙間もなさそう。 エキノケレウス・ストラミネウス (Echinocereus stramineus) アメリカ南部やメキシコの砂漠などに自生するサボテン。藁のような色をした棘に覆われています。「藁でできた」という意味を持つ学名ストラミネウスは、その姿に由来するとか。 左:マミラリア・ボカサナ (Mammillaria bocasana) メキシコ北東部原産。全体がモワモワとした産毛に覆われているように見えるところから、英名は化粧用パフサボテン(パウダーパフ・カクタス)。細かい棘が柔らかそうに見えます。 右:マミラリア・スピノシッシマ (Mammillaria spinosissima subsp. spinosissima) メキシコ原産。赤味を帯びた棘が可愛らしい。 左:マミロイディア・カンディダ (Mammilloydia candida) メキシコ原産。英名でスノーボール・カクタスといわれるように、初めは丸い雪玉のようですが、成長につれ柱状になり、30cmくらいまで伸びます。 右:エキノプシス・スピニフロラ (Echinopsis spiniflora) アルゼンチン北西部原産。つぼみがついていますが、目を引く大きな白花が咲きます。 テフロカクツス・フェベリ (Tephrocactus weberi) アルゼンチン北西部原産。これもニョロニョロ動き出しそうな姿です。 オプンチア・ミクロダシス (Opuntia microdasys ‘Albata’) 棘が綿毛のように見えることから、英名ではウサギの耳(バニー・イヤーズ)、または天使の羽(エンジェル・ウィングス)と呼ばれる、キュートな印象のサボテン。 多肉植物もサボテンも、じっくり観賞すると本当にさまざまな姿のものがありますね。 後編では、乾燥熱帯地域原産のサボテンや、湿潤熱帯ゾーンの植物をご案内します。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】注目のガーデナーが生み出す21世紀のイングリッシュガーデン「マル…
オープンガーデンで大人気 今回訪れているのは、クラシカルなガーデンデザインと表情豊かな植栽で人々を魅了する、マルバリーズ・ガーデンズ。ここは個人邸の庭ですが、英国の慈善団体、ナショナル・ガーデン・スキーム(NGS)のオープンガーデンに参加していて、年に数回、一般公開が行われます。また、庭園独自の一般公開日も設けられていますが、その人気は高く、どちらの日程も発表されるなり、あっという間に予約が埋まってしまうそう。 この大人気の庭園を作り上げたのは、2010年からヘッドガーデナーを務めるマット・リースさんです。彼は、英国王立植物園キューガーデンと、英国王立園芸協会のウィズリーガーデンという、世界最高峰の2つの庭園で経験を積んだ後に、20世紀を代表する名ガーデナー、故クリストファー・ロイドの自邸、グレート・ディクスターで7年間修業したガーデナー。生前のロイドから直に庭づくりを学んだという、貴重な経験を持つ人物です。 「マルバリーズ・ガーデンズ」前編では、マットさんが一から作り上げた、セイヨウイチイの生け垣に囲まれた美しいガーデンルームの数々をご紹介していますので、ぜひご覧ください。 では、庭巡りを続けましょう。 屋敷を彩るテラスボーダー 小さなウッドランドガーデンの木々の間を抜けていくと、アーチの先は明るく開けていました。左奥に屋敷が見え、その脇に、植栽豊かなボーダーが広がっています。 「ここは、先日発売されたガーデン誌〈The English Garden(2019年7月号)〉の表紙になったんですよ。写真は早朝ですね。4月には、別のガーデン誌〈Gardens Illustrated〉でも紹介されました」 屋敷に沿って、敷石の小道と花壇が長く伸びています。石と石の隙間にも緑がのぞいて、ナチュラルな雰囲気。黄色の穂を立ち上げるエルサレムセージ(フロミス・フルティコサ)や、オレンジの花穂のエレムルス、フランネルソウ、ゲラニウム、ユーフォルビアなどが混ざり咲いて、花々の競演は、遠く、奥まで続いています。 イタリア風のレンガ造りの屋敷は、ヴィクトリア朝時代の1870年に建てられたもの。テラスガーデンの植栽が、この屋敷をより美しく見せています。屋敷を背に立つと、花壇の先に芝生があって、その向こうには、パークランド(草原)が遠くまで広がっています。 このテラスボーダーは、マットさんにとって「実験」を行う場。植物の性質を確かめたり、植物同士の組み合わせを試したり、新しいものに挑戦する場所です。たくさんの草花が混じり合う植栽を魅力的に保つためには、頻繁に植え替えを行うなど、こまめなメンテナンスが欠かせませんが、マットさんは労力を惜しみません。さすが、「世界一、忙しい庭」と呼ばれるグレート・ディクスターで修業したガーデナーさんです。 ゲラニウムにジギタリス、バーバスカム、セリンセ、オリエンタルポピー、エリンジウムなど、たくさんの植物が混じり咲くボーダー。それぞれが自由に茂り、ラフな雰囲気が心地よい楽しい一角。左側には、パーゴラがあります。 花壇の中で、オレンジがかった明るい色を添えていたのは、一重のハイブリッドティー、‘ミセス・オークリー・フィッシャー(Mrs. Oakley Fisher)’。これは、マットさんにとって大切なバラなのだそう。なぜなら、名園シシングハースト・カースル・ガーデンを作り上げた、ヴィタ・サックヴィル=ウェストから、マットさんの師匠であるクリストファー・ロイドに贈られ、その後、ロイドからマットさんに贈られたものだから。20世紀を代表する2人の偉大なガーデナーから、新時代を牽引するガーデナーの一人であるマットさんへと託されたバラは、イギリスの庭園史の流れを象徴しているかのように思えます。 マットさんは、師匠ロイドの著書だけでなく、イングリッシュガーデンの基礎を作り上げたウィリアム・ロビンソンや、ロマンチックな植栽を得意としたヴィタ・サックヴィル=ウェストが書き残した本からも、多くを学んできたそうです。 無数の植物がコレクションされたガーデンに圧倒されてしまいますが、まだ他にもガーデンがあるとのことで、次のエリアに向かいます。 対比を楽しむトピアリーメドウ 最初、車で入ってきた時に目にしたトピアリーメドウにやってきました。真っ赤なポピーの咲くメドウに、エレガントなスタイルに刈り込まれたトピアリーがいくつも立っています。赤と緑の色彩が鮮やか! メドウにはワイルドフラワーが咲きますが、時期によっては真っ白な花が咲き広がるなど、色彩が変化するようです。 「ポピーなどが咲く自然なメドウを、人工的なトピアリーと並べることで、対比の面白さを見せているガーデンです。トピアリーの形は、鳥のようにしたいと思っています」 刈り込まれたトピアリーの頂上付近をよく見ると、まだ整形されていないよう。この部分を伸ばして、鳥を形作るのでしょうか。 グレート・ディクスターにも似たスタイルのメドウガーデンがありますが、この庭は師匠のロイドに捧げるオマージュかもしれませんね。 トピアリーメドウの奥には、柵に囲われたニワトリ用のスペースがあって、キュートな小屋が建っています。じつは、これらのニワトリもガーデナーさんたちがお世話しているとのこと。この他に、ヒツジやウシも飼われています。 クラシカルな美しさ ホワイトガーデン どんどん進んでいくと、レンガ塀でぐるりと囲われた、大きなウォールドガーデンにやってきました。扉の向こうに、ホワイトガーデンが見えます。 このウォールドガーデンの中には、英国の有名なランドスケープデザイナー、トム・スチュワート=スミスが、前オーナーのために作った庭がありました。多年草を取り入れた、モダンな要素のある、個性的なデザインの庭だったそうです。 「しかし、私たちはこの場所を、例えば、ウィリアム・ロビンソンが作ったような、ナチュラルな、イングリッシュガーデンの伝統を感じるものにしたかったので、すべて作り直しました」 ウィリアム・ロビンソンは、19世紀後半に活躍した造園家。整形式庭園全盛期の、人工的な庭園が人気を博していた時代に、植物の自然な姿を生かした庭づくりを提唱し、現代に続くイングリッシュガーデンの基礎を築きました。ミックスボーダーやメドウガーデンなど、植物が思い思いに咲き乱れる、イングリッシュガーデンのナチュラルなイメージは、ロビンソンの時代に生まれたものです。 ホワイトガーデンは作り直してから6~7年経ちますが、3年程前に生け垣を足して、エリアを拡大したそうです。人の背丈以上に伸びた白花のバラや宿根草などが、奥に建つガラス温室を覆い隠すように茂っています。 ガーデンの途中に、再び水音の演出を発見。四角く組まれた石の中心から隙間へと流れ落ちる水が底で反響して、涼しげな音が周囲に響いています。 小さな噴水は、全部で4つ。景色に静かな変化を与えています。 エレガントな雰囲気のキッチンガーデン ホワイトガーデンの隣には、野菜や果物、切り花を育てるキッチンガーデンがありました。ツゲの低い生け垣に囲まれて、季節の野菜が整然と育っています。2つの白い構造物は、果樹を育てるための大きなフルーツケージ。他の庭園にあるものを参考に、マットさん自身がデザインしたものだそう。装飾性の高い白いケージときれいに刈り込まれた生け垣が、このキッチンガーデンに優美な雰囲気を与えています。 2棟のフルーツケージの中にあるのは、サクランボの木。収穫が2度できるように、早く実る木と、遅く実る木が、それぞれ1本ずつ植えられています。果実が鳥に食べられないように、ケージはぐるりとネットで囲まれています。 訪ねた時は、ちょうど、サクランボが実っていて、足元には、イチゴが広がっていました。2段ベッドのような、効率的な空間の使い方ですね。 「2010年にここをオーナーが買い、その2~3カ月後に私は雇われ、それ以来、すべての植栽やデザインを行ってきました。これまでいろいろ手を加えてきましたが、これからももっと変えていきます。プロジェクトがたくさん待っていますが、まだまだ新しい植栽法にチャレンジして、植え込みも毎年変化させていく予定です。日本は幾度か行きましたが、北海道の庭はまだ見たことがありません。クマに遭遇しないように気をつけながら、いつか行ってみたいと思っています」 マットさんは最後に、未来の庭への思いをそう話してくれました。 ホワイトガーデンとキッチンガーデンが接する地点には、向こうまでずっと続く、緑のトンネルがありました。花は終わっていましたが、キングサリのトンネルのようです。長さを尋ねてみると「80mかな」と、あまり気にしていない様子。黄金色の花が満開の頃、ここにはどんなゴージャスな景色が現れるのでしょう。 マルバリーズ・ガーデンズの庭巡りを終えて、同行した北海道上野ファームのガーデナー、上野砂由紀さんは、このように話していました。 「マルバリーズはインスタグラムで見つけたガーデンで、書籍などでも情報を得ていましたが、これが初訪問となりました。インスタでは分からなかったことも見ることができて、非常に勉強になりました。 日本では、一年草は植え替えることが定着していますが、宿根草については、一度植えたら抜いたり移動したりしてはいけない、という意識が強いですよね。(でも、ここでは宿根草も植え替えていて)イギリスに来る度、マットさんのような、果敢にチャレンジするガーデナーたちの姿を目にして、私も多くの刺激を受けます」 「帰国したらすぐに植え替えたいもののイメージも、もう頭の中にあります。よく、宿根草は植え替えちゃいけないんですか? と訊かれますが、色合わせに失敗したなとか、もう少し色を足したいな、と思う場合は、一年草でも宿根草であっても、根がダメージを受けやすいものを除いて、春や秋のタイミングで植え替えていくのは、庭にとって非常に大切なことです。マットさんも、庭の成長とともに植栽を変えていくことが、いちばん面白いことだと話していました。ガーデン雑誌でもまだ十分に紹介されていない最新のガーデン、見せていただけてよかったです」 イギリスの庭巡り、残念ながら2020年は中止となりましたが、またいつか訪れて、ガーデナーさんたちの交流によって庭が進化していく様子を、ガーデンストーリーでお伝えすることができたらと、強く願っています。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】注目のガーデナーが生み出す21世紀のイングリッシュガーデン「マル…
緑の壁に囲まれた美しいガーデンルームの数々 ロンドンから車で西に向かい、1時間半ほど。庭園はハンプシャー州、ニューベリーの町の近くにあって、近隣には、人気のテレビドラマ『ダウントン・アビー』の撮影が行われた、ハイクレア・カースルがあります。 車が敷地内へと進み、まず目に入ってきたのは、真っ赤なポピーがトピアリーの間を埋め尽くす、鮮やかな景色! 目が釘付けになって、庭への期待がぐんと高まります。 車を降りると、ヘッドガーデナーのマット・リースさんが出迎えてくれました。マットさんは、英国王立植物園キューガーデンと、英国王立園芸協会のウィズリーガーデンという、世界最高峰の2つの庭園で経験を積み、その後、20世紀を代表する名ガーデナー、故クリストファー・ロイドの自邸、グレート・ディクスターで7年間修業し、腕を磨きました。生前のロイドから直に庭づくりを学んだという、貴重な経験を持つガーデナーです。 マルバリーズのオーナーがこの地所を購入したのは、2010年のこと。マットさんは、それからまもなくしてヘッドガーデナーを任されました。 「私がここに来た時、敷地の西の端には、以前からのウォールドキッチンガーデンがありましたが、それ以外は、サッカーグラウンドがあるだけでした。そこから、すべてのガーデンを新しくつくったのです。1年目は何もせず(といっても、観察したり、計画したりはしていたのでしょうが)、2年目以降は、そのウォールドキッチンガーデンと、少し離れたところに建つ屋敷を繋げるために、どんな庭をつくるかという課題に取り組みました」 マットさんは、オーナーとともに数々の名園を見て回り、どんな庭をつくるべきか検討を重ねました。さまざまな庭を見るうちに、目指すべき方向性が定まります。それは、「きちんと整った構造物の中で花々が豊かに咲く、イングリッシュフラワーガーデン」でした。マットさんは、オーナーの意向に沿いながら、自ら庭をデザインし、そして、セイヨウイチイの高い生け垣という「整った構造物」で囲われ、それぞれに異なるテーマを持った、魅力溢れるガーデンルームをいくつもつくり上げてきました。その「部屋」に入るたびに、玉手箱を開けるような楽しさがあります。 現在、マルバリーズの庭は、マットさんに加えて、4人の専任ガーデナーと学生さんによって維持されています。敷地の総面積は10エーカーですが、その多くは森や草原(パークランド)で占められています。マットさんが、庭園の各エリアを一緒に巡りながら、丁寧に案内してくれました。 ネプチューンに守られる水の庭 まず最初に入ったのは、コッツウォルドストーンを使った、優美なデザインの石塀に囲まれたエリアです。緑の芝生が広がり、その中央に、細長い池のような窪みが見えます。近づくと、チョロチョロと水の音が聞こえてきます。 窪みの中は細長い水路になっていました。左右から細く噴き出す水が、カーブを描きながらその中に注がれ、静かな水音が、窪みの空間に反響して聞こえてきます。 「この庭は6年前に、何もないところからつくられました。他のガーデンとは異なるスタイルで、植物の数を抑えて、構造物を生かしたウォーターガーデンとなっています。中央の長方形のスペースの下には水が流れていて、この水位を調整すると、反響する音が変わるようになっています」 「海洋の神ネプチューンの彫像と、グロット(少し窪んだ石組みの壁部分)のデザインは、2年前に追加しました。彫像は現代のもので、友人の彫刻家スティーブン・ペティファーが手掛けました」 芝生や木の葉の緑が主体の庭ですが、グロットの壁面や石塀には、‘メグ’や‘ニュー・ドーン’といったバラによって、ささやかな色が添えられています。 「庭のデザインに水を用いるアイデアは、京都に4週間滞在した時に出合った、小さな滝といった、水の音の演出から得ました。静かな空間にさらさらと水が流れる、そのサウンドに惹かれたのです」 マットさんは知日家で、京都をはじめ、日本各地を何度も訪れているそうです。 一方、細長い水路のデザインは、スペインのアルハンブラ宮殿の庭にインスピレーションを得たものだそう。 「いずれ、水辺の両側に植えた樹木は、丈高く、空を隠すくらいまで伸びて、枝葉のトンネルの中に水が流れているような景色になる予定です。これらの樹木は‘白普賢(シロフゲン)’という、日本の八重桜。アーネスト・ウィルソンが1910年に日本から輸入した桜です」 グロットの周辺には多少の色があるものの、緑を基本に構成されたシンプルな庭です。低く仕立てられた木々の下で、繊細に弧を描く水のラインが、緑に引き立ちます。それは、初めて目にする景色でした。サクラが満開の頃や、花散る頃の景色も、きっと幻想的で、美しいのだろうなと、想像が膨らみます。 いつまでも水の音に耳を傾けていたいところですが、次のエリアに進みましょう。 炎の色彩 ホットガーデン 先ほどとはテイストが変わって、こちらは植栽豊かなエリア。長方形の庭の2つの長い辺に沿って、奥行きのある花壇が伸びています。この花壇は、盛夏に向けて、トリトマ、ルピナス、ヘレニウムなど、赤やオレンジの鮮やかな色の花がどんどん咲いていくので、「炎の花壇(フレイム・ボーダー)」と呼ばれているそう。訪れたのは6月で、まだ少しおとなしい色彩でした。夏真っ盛りの様子も見てみたいものですね。 「ここは完全なミックスボーダー(混植花壇)で、樹木もあれば、灌木や宿根草、一年草もあります。そして、このポピーのように、勝手にこぼれ種で生えてくるものもあって、それらも生かしています。花壇を目にした時に面白いと思ってもらえるように、隣り合う植物が対照的な姿になるように計算して。例えば、尖った葉の横には丸い葉を、というように。形も色も対比させて、楽しめるようにしています」 「花壇の植物はどんどん育っていきますから、全体的なバランスが悪くならないように刈り込んでいます。また、花が咲き終わったら、スポットごとに次のシーズンの花へと変えていきます。例えば、ここには4月はチューリップが植わっていましたが、6月の今はルピナスがあって、次はダリアとなります。植え替えをする時は、宿根草でも多年草でも、完全に抜いてしまいます。抜いたものは、株分けすることもあれば、捨ててしまうこともあります」 銅や紫、ライムグリーン、赤……。色や形のさまざまな植物が隣り合って、生き生きと茂っています。 さて、先を見ると、小道が別の庭へと続いていて、奥のほうに置かれた彫像が見えます。 振り返ると、先ほどのウォーターガーデンから通ってきた小径があって、奥にネプチューン像が見えます。 左を見ると、遠くに可愛らしいニワトリ小屋が。 そして、右を見ると、これから向かう、池のある庭があります。 このホットガーデンは、いわば、十字の交差点の上に置かれている庭。四方向に小道が伸びて、それぞれ別の庭へと繋がっています。背の高い生け垣で囲われている庭ですが、四方向にある開口部は遠くまで視線が抜けて、メリハリのあるデザインとなっています。 水面を楽しむポンドガーデン さて、ホットガーデンから次の庭へ進むと、静かな水面が広がっていました。大きな長方形の池のある、ポンドガーデンです。 「ここも、大きなカシノキ以外は何もない、まっさらな場所でした。この庭の見どころは、池の水に映る影。水面に映り込む、周囲の植物の姿を楽しむ庭です」 池は四方を豊かな植栽で囲まれていて、その変化に富む植栽が水面に映ります。風がなく、艶やかな水面に映る草木のシルエット。ガーデンには静けさが漂います。 池の畔では、水の妖精、ニンフが水面を見つめていました。 さて、ぐるりと池を一周したら、隣のエリアへ向かいましょう。 オーナー夫人好みのクールガーデン 「ここは、清涼感のある寒色でまとめた、クールカラーガーデンです。オーナーは暖色(ホットカラー)が好きで、夫人は寒色(クールカラー)が好き。そういうわけで、先ほど見ていただいたホットガーデンと、このクールガーデンがつくられました」 「ここの花壇も、先ほどと同じように、樹木、灌木、宿根草などが混じり合った、ミックスボーダーです。また、ここでも、このルピナスが終わったら、次はサルビアという風に、植物を植え替えています」。 マットさんは、植え替えの労力を惜しまず、ベストの状態の美しい花壇を保とうとします。その姿勢は、おそらくグレート・ディスクター仕込みでしょう。師匠のクリストファー・ロイドも、美しい植栽を求めて頻繁に植え替え、「実験」を繰り返した人物でした。 株全体が青く染まるエリンジウムやサルビア、ゲラニウム、アリウムなどが青紫の色を添え、優しいトーンでまとまっていました。その他に、この庭では、アイリスやカンパニュラ、デルフィニウム、フロックス、アザミ、ワレモコウの仲間、カラマツソウの仲間などが使われています。 「花壇には、日本のカエデ ‘獅子頭(シシガシラ)’も植わっています。秋になるときれいに色づきますよ」。 心穏やかに、一つ一つの植物をじっくり眺めていたいエリアです。 太古の森のようなスタンプリー 砂利道をしばらく行くと、巨木が葉を伸ばし、濃い影を落としています。小さなウッドランドガーデンへと入っていきます。 進んでいくと、木の切り株がワイルドな雰囲気を醸し出す、スタンプリーがありました。スタンプリーとは、19世紀のヴィクトリア朝時代に生まれた庭園スタイル。切り株(スタンプ)を置いた、いわば「切り株園」で、プラントハンターによって英国に持ち込まれた、シダ類を栽培するのに適していました。 「この切り株には苔が生えていますが、これは屋久島のイメージです」 屋久島まで足を伸ばしたことがあるという、マットさん。ここは、イギリスにいながら、遠い日本での旅の記憶が蘇える場所なのかもしれませんね。このスタンプリーがつくられ始めたのは2015年ですが、もう苔が広がって、太古の森のような、長い時間が経過した雰囲気があります。苔がきれいに生えているのは、ミストシャワーが設置されていて、湿度が適度に保たれているからなのでしょう。 幹や根が折れていたり、曲がっていたり。そのワイルドなフォルムに、クサソテツやシダなどの緑が着生して、エキゾチックなイメージです。シダの中には、マットさん自身がヒマラヤで採取した、貴重なものもあるそうです。 さらに進むと、なんと大きな白い花でしょう。おばけモクレン? 「葉っぱの裏がビロードみたいに美しいね。ホオノキの仲間だよ、ほら見てごらんよ」と、マットさんが木を引き寄せたら、花茎が折れてしまいました。 同行していた、北海道・上野ファームのガーデナー、上野砂由紀さんのお顔より大きな花! 「すごいおっきいね!」日本にはない植物に、庭散策は盛り上がりました。 *『マルバリーズ・ガーデンズ』後編に続きます。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】「グレイブタイ・マナー」〈後編〉イングリッシュガーデンの源流を…
緑の丘に広がるワイルドガーデン ロンドンから南へ50km。ウェスト・サセックス州の美しい田園風景に囲まれたグレイブタイ・マナーは、現在は高級カントリーサイドホテル、そして、ミシュランガイドの一つ星を獲得したレストランとして知られています。屋敷の周りに広がる35エーカー(約14万㎡)のガーデンは、宿泊かレストランのゲストのみ見学ができます。 ウィリアム・ロビンソンについては、『グレイブタイ・マナー』前編にて詳しくお話しているので、ぜひご覧ください。この後編では、屋敷の周りに広がるガーデンを散策していきます。歴史的なキッチンガーデンで採れる食材を使った、美しいお料理もご紹介しますよ。 それでは、ガーデンツアーを始めましょう。16世紀の屋敷は南を向いた丘の斜面にあって、屋敷前には、芝生と花壇からなるフラワーガーデンがあります。その外周には、屋敷を囲むようにメドウと果樹園が広がっていて、そして、丘のてっぺんに、大きなキッチンガーデンが待っています。 グレイブタイのヘッドガーデナーを務めるのは、名園グレート・ディクスターで腕を磨いた、トム・カワードです。彼は、園芸史に名を残す文化遺産、グレイブタイの管理者として、「ロビンソンにも満足してもらえるような」進歩的な庭づくりを行っています。 屋敷を囲む塀の外側には、赤いポピーやヤグルマギク、フランネルソウ、バーバスカムなどが植わっています。後ろのほうには、丈高いアーティチョークや黄花のディルなどがあって、ダイナミックな、動きのある植栽です。このような、宿根草や灌木などいろいろな種類の植物が混在するミックスボーダーのスタイルを生み出し、一般に広めたのも、ロビンソンです。 ここがメドウガーデンの始まり 塀を背に南側を向くと、眼下にメドウが広がり、その先には湖と森が見えます。100年以上前のこと、ロビンソンは周辺の森や牧草地、1,000エーカー(約4㎢)を所有していました。現在、その土地は慈善団体によって管理されていますが、おそらく、ここに見える草原や森までも彼のものだったのでしょう。 ロビンソンは、森のはずれや森の中の空き地、牧草地や湖の周りに、耐寒性のある外来種の球根花や植物を植え、それらを帰化(野生化)させて、イギリスの在来種と一緒に、自然で美しい景色を作ることを試みました。彼が「ワイルドガーデン」と名付けた庭づくりで、それは当時の園芸に対立する、全く新しい概念のガーデニング法でした。ロビンソンは、この湖の周りにも、イベリア半島原産の小さなスイセンを10万球植えたと伝えられますが、春になると、それらは今も咲くのでしょうか。 こちらは、もう少し丘を上った、果樹園の区画に広がるメドウです。これらのメドウは、グレイブタイのワイルドガーデンを形作る、最も大切な要素です。ロビンソンの著書を参考に植栽が考えられ、2月のスノードロップとクロッカスから始まり、3月は黄色いラッパズイセンと青いシラー、4月は野生種のチューリップや北米原産のカマシア、その他の球根花が花開いて、5月になると、イギリスの野生の花々が夏の終わりまで咲き続けます。私たちが訪れた2019年6月は、ワイルドフラワーが咲く景色でしたが、春の球根花の群生も見てみたいものですね。 フラワーガーデンの西の端にある小道から、遠くに屋敷と芝生が見えました。 上ってきた道を振り返ると、左手に、先ほど立っていた、パーゴラの連なる小道が見えます。ロビンソンはその昔、パーゴラに日本原産のフジや、クレマチスを絡めていました。それに倣って、現在、このパーゴラにもフジを這わせています。春になると、頭上から白い花房が垂れ下がり、両脇にブルーのアイリスと紫のアリウムが咲くという、夢のように美しい取り合わせが見られるそうです。 こちらは果樹園のメドウ。広さ2エーカー(約8,000㎡)の区画には、リンゴを中心とする果樹が点在しています。100年以上前にロビンソンが植えた第1世代の木々は、1987年の大嵐でほぼ倒されてしまい、今ある果樹は、1980年代に植えられた第2世代と、現在のオーナーによって2011年に植えられた第3世代の50本だそう。歴史を感じますね。果実はレストランの料理に使われるほか、ジュースにして保存され、ホテルの朝食で提供されます。 丘の中腹に、バラの絡まる、石塀で囲われたベンチがありました。ひと休みできるこのスポットは、そのうちバラで覆われるのでしょう。もう少し丘を上ると、ガラスの温室がいくつか見えてきました。 背の低い温室はコールドフレーム(冷床)と呼ばれる、苗を寒さから守るものです。苗を保管するバックヤードもおしゃれな雰囲気。 中で育てているのはハーブでしょうか。ガラス屋根をずらして通気できるようになっています。 背の高いほうの温室は、ちょっとレトロな雰囲気です。出番を待つ苗が並んでいます。 その先にあるのは、ピーチハウス。桃専用の温室のようで、実がなっているのが見えます。桃を露地で育てるにはきっと涼しすぎるのですね。 広い敷地の中を、パブリック・フットパスが通っていました。パブリック・フットパスとは、イギリスの丘や川辺、牧場などを抜ける公共の遊歩道のことで、このように私有地を通っている場合もあります。私有地は勝手に入ることができませんが、遊歩道上なら歩いてもよいことになっています。こんな美しい緑の中で、ゆっくりウォーキングを楽しんでみたいですね。 丘の上のキッチンガーデン さて、さらに上へ登ると、石塀に囲まれたキッチンガーデンのゲートが見えてきました。ウィリアム・ロビンソンが1898年に建設を始めたというキッチンガーデンです。 これまで英国の庭をいくつか見てきましたが、その中でも最大級のキッチンガーデン! 広さは堂々の1エーカー半(約6,000㎡)。丘のてっぺんの、南向き斜面につくられています。 地面に立っているとよくわかりませんが、上空から撮った写真を見ると、このキッチンガーデンは木の葉のような楕円形という、とても珍しい形をしています。通路は、中央を貫く通路が一本と、そこから左右に枝分かれして、ぐるりと一周できる大きな楕円の通路があって、それらの通路と、野菜の植わる畝の線が、まるで葉脈のように見えます。ロビンソンが木の葉をイメージしたかどうかはわかりませんが、緑の丘に抱かれるようにつくられた菜園に、四角が似合わないと思ったことは確かでしょう。 石塀には、地元サセックス州で切り出された砂岩が使われていますが、当時、この石塀を建ててガーデンを完成させるのに、3年を要したそうです。斜面に建てられているので、階段状の塀になっています。 イギリスの大きなお屋敷では、かつてこのようなキッチンガーデンが必ずあって、屋敷で消費される食料をまかなっていました。しかし、当時の菜園で、今も実際に使われているものはあまりありません。100年前と同じように、同じ手法を用いて作物を収穫できているのは特別なことだと、ヘッドガーデナーのトムは言います。昔ながらの方法でこのキッチンガーデンを使い続けることも、保全活動の大切な一部です。 2012年に、キッチンガーデンの大規模な修復作業が行われて、通路などがきれいに手入れされました。 エスパリエ仕立ての果樹と、菜園には、ハーブや切り花用の花も植わっています。 石塀に誘引されているのはレッドカラントでしょうか。ここでは四季を通じて収穫があり、それらはすべて、レストランの料理に使われます。まさに採れたての鮮度と、風味豊かな食材の魅力を存分に生かすべく、料理は考えられています。野菜などの栽培計画は、レストランのシェフとヘッドガーデナーが話し合って決めていて、シェフも毎日ここに足を運ぶそうです。 この壺のようなものは、ルバーブの遮光栽培をするための、ルバーブ・フォーサーでしょう。使いこまれているので、古いものかもしれませんね。果樹は鳥よけのケージの中に植えられています。 果樹のエスパリエ仕立てには、省スペースや日光を効率よく浴びるといった実用的な側面もありますが、古い石塀を背に枝を広げる姿はただ美しいものですね。さて、キッチンガーデン散策はこれで終わりです。 ゲートを出て、鬱蒼とした木々の間の小道を進むと… 一転して、開けた場所に出ました。丁寧に芝刈りが行われている、クロッケー用の芝生です。ここでは、バドミントンやショートテニスを楽しむほか、読書をしてゆっくり過ごしてもよいとのこと。静けさの漂うクリーンな空間は、ワイルドガーデンとコントラストをなす、ガーデンデザインの上でも大切な要素です。 屋敷周りのフラワーガーデン そのまま進むと、屋敷を見下ろす場所に出ました。見晴らしがよく、遠くまで見渡せます。 屋敷に続く石段を下りていきます。階段脇にもいろんな草花が植わっていて、楽しい! 階段を降りると、突然、古い建物に挟まれる形で、現代的なガラス張りの増築部分が出現しました。レストランに使われている新しい区画で、とってもおしゃれ。 この増築部分を設計した建築家は、30年にわたってレストランの常連客だったそう。だからこそ、素敵な庭のことがよくわかっていて、庭を存分に味わえるように考えたのでしょう。 レストラン脇の斜面は、グラス類やルピナスを使った、他の区画よりモダンで軽やかな印象の植栽。レストランのガラスや新しい白い敷石のテラスによくマッチしています。 レストランのテラスからは、昔からの敷石の小道が続いていて、途中にパラソルのあるテーブル席が用意されています。 庭で草花に囲まれながら、お茶や飲み物を楽しむこともできます。とても贅沢な時間の過ごし方ですね。 ウィリアム・ロビンソンが暮らしていた当時、芝生の生えている4つの区画は、低い生け垣に囲われた大きな花壇になっていて、いろいろな植物が植えられていました。海外からやってきた新しい植物がイギリスのどんな環境に合うのか。どんな植物同士を合わせると美しいのか。ロビンソンはそんなガーデニングの実験を繰り返し、花壇は日々、変化していたそうです。 芝生の中央には、ロビンソンの頃からのものでしょうか、古い石造りの日時計が、素朴なエリゲロンに彩られています。 フラワーガーデンの芝生は、見晴らしがよく、開放感のある空間です。カントリーサイドホテルの醍醐味ですね。 軽やかな明るい花色の中で、渋めの赤が効いた、とても美しい植栽です。春の植栽は、オレンジや赤のチューリップが主役だそう。 これぞ21世紀のコテージガーデン・スタイル。植物が自然に生い茂るような、ナチュラルな植栽ですが、花色に立ち姿、開花期間など、きっと計算されつくしているに違いありません。 ミシュラン一つ星の優雅なランチ 庭めぐりを終えて、いよいよランチの時間です。漆喰の天井飾りが美しい、二階の一室に通されると、イギリスの貴族ドラマに出てくるような長テーブルが私たちを待っていました。お庭からちらりと見えた、一階のガラス張りのお部屋にいた皆さんは、とても優雅な雰囲気で楽しんでらっしゃいました。誕生日や結婚記念日など、特別の機会に訪れるお客様も多いそうです。 窓から庭の緑が見えます。さて、キッチンガーデンで採れる野菜はどんなお味でしょう。料理が楽しみです。 こちらは、特製スモークサーモンに、サワークリームのようなクレム・フレーシュをミルフィーユ状に挟んだもの。上品な甘さのビートと、爽やかな苦味のクレソンが添えられています。 メインディッシュは、マッシュポテトとスプリンググリーンの上に載った子牛のステーキ。肉や魚は地産の最高級のものが使われていて、しっかりとした味わいです。マッシュポテトはぽってりとして、少し苦味のあるスプリンググリーンがアクセントに。デザートのカラメルホワイトチョコレートムースのカカオニブ添えは、地産のハチミツの繊細な甘みが美味しく感じられました。 美しいガーデンと、ミシュラン一つ星のおもてなしに、心もお腹も満たされた、とても幸せな時間でした。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】「グレイブタイ・マナー」〈前編〉イギリスのガーデニングを変えた…
歴史的価値を持つガーデン 16世紀後半のエリザベス朝時代に建てられたグレイブタイ・マナーは、ロンドンから南に50kmほど、ウェストサセックス州イースト・グリンステッドの近くにあります。19世紀、ヴィクトリア朝時代のガーデナーで園芸著述家のウィリアム・ロビンソン(William Robinson 1838–1935)が所有し、暮らしたことで、イギリス園芸史に残る文化遺産となりました。 現在、グレイブタイ・マナーは、美しい庭と田園風景の中でくつろぐことのできる、高級カントリーサイドホテル、そして、ミシュランガイドの一つ星を獲得したレストランとして知られています。屋敷の周りに広がる35エーカー(約14万㎡)のガーデンは、宿泊かレストランのゲストのみ見学ができます。現在見られる庭は近年の修復作業によって生まれたものですが、そこにはロビンソンの精神が息づいています。 「ワイルドガーデナー」ウィリアム・ロビンソン ウィリアム・ロビンソンは1838年、ジャガイモ飢饉の貧しさにあえぐアイルランドに生まれました。幼い頃から庭師見習いとして働き、23歳でロンドンに移ると、リージェンツ・パークの植物園で経験を積みます。 彼がロンドンで働き始めた19世紀中頃、ヴィクトリア朝中期のイギリスは、産業革命による豊かさの絶頂にありました。当時の園芸は、最新技術で建てられたガラスの温室で、プラントハンターが集めてきた熱帯の植物を育てたり、外来種の一年草を使って整形式花壇を作ったりするのが主流でした。非常にお金のかかった、贅沢な園芸が人気だったのです。 ロビンソンは次第に、そのような人為的で、自然を支配するような栽培や植栽の在り方に疑問を持ち、森や草原などの自然の美を生かした庭づくりを考えるようになります。 1866年、彼は29歳で有名なリンネ協会の特別会員に選ばれ、その後、雑誌や新聞に園芸記事を寄稿する著述家として仕事を始め、独立します。そして、1870年、代表作となる “The Wild Garden” を発表し、イギリスの森の外れや草原に、寒さに耐えられる野生種の外来種を植えて帰化させ、外来種と在来種を合わせた「自然で」手のかからない景色をつくることを提言しました。花々で幾何学模様を描く整形式庭園がもてはやされていた当時、その流れに真っ向から対抗する新しい庭づくりを示したのです。ロビンソンはその後も植物の最新情報を書き加え、改訂を繰り返しました。大反響を呼んだこの本は、今も読み継がれる、園芸本のベストセラーとなっています。 同時代を生きた友 ガートルード・ジーキル ロビンソンは翌年から、園芸週刊誌 “The Garden” を編集者として立ち上げ、ワイルドガーデンの考え方を一層広めていきます。週刊誌の寄稿者には、友人の女性ガーデンデザイナー、ガートルード・ジーキル(Gertrude Jekyll 1843-1932)もいました。 ジーキルは、昔ながらのコテージガーデンのスタイルを、鮮やかな色彩の植栽に発展させて、富裕層のガーデンシーンに大きな変化をもたらした人物です。2人はコテージガーデン風の自然な植栽というデザインの信条を分かち合い、長年にわたって友人関係を続けました。1883年にロビンソンが発表した著書 “The English Flower Garden” には、ジーキルによる寄稿記事が含まれていますし、また、このグレイブタイ・マナーの庭づくりにもジーキルが協力したといわれます。 早春の森のスノードロップに始まり、公園や草原に咲き広がるクロッカスやラッパズイセン、木立の中のブルーベル、そして、メドウの花々。イギリス各地で季節の移ろいを告げる、英国人にお馴染みの「自然な」花景色は、ロビンソンのワイルドガーデンの考え方から生まれたものといえます。ロビンソンは、宿根草を使った植栽スタイルやミックスボーダー(混植花壇)を広め、高山植物を使ったロックガーデンも提案しています。一方のジーキルは、さまざまな花が色彩豊かに咲く、ナチュラルな植栽スタイルを生み出しました。現在あるイングリッシュガーデンの姿は、ロビンソンとジーキルの2人によって、大きく形作られたと考えられています。 ガートルード・ジーキルについてはこちらの記事もご覧ください。 ●ジーキル女史のデザインがよみがえった「マナーハウス、アプトン・グレイ村」 ●現在のイングリッシュガーデンのイメージを作った庭「ヘスタークーム」【世界のガーデンを探る19】 理想の景色を求めた実験の日々 文筆業の成功で財を成したロビンソンは、1884年にグレイブタイ・マナーの屋敷と庭園、そして、周辺の土地を購入し、翌年から庭をつくり始めます。そして、亡くなるまでの約50年間をここで暮らし、自らの考えを実践する場として、理想とする景色を求めてガーデニングの実験を続けました。新しい外来植物がイギリスのどんな環境に合うのか、どんな植物同士を合わせるとよいのか、彼は実験の結果を著書や園芸誌で伝え続けました。 ロビンソンは周辺の牧草地や雑木林を徐々に買い増し、最終的には1,000エーカー(約4㎢)の土地を所有しました。森を守ることは人間にとって大切なことと考え、北米やインド、中国を原産とする、さまざまな広葉樹や針葉樹を植えて、新たに森をつくっています。そして、その森のはずれや、森の中の空き地、メドウ(牧草地)や湖の周りには、自らの考え通りに、耐寒性のある外来種の球根花や植物を植えて帰化させ、在来種とともに、自然で美しい景色をつくることを試みました。 ハシバミやクリの雑木林では、日本の白いシュウメイギクをはじめ、ユリ、ハアザミ、パンパスグラスを大きな茂みに育て、その下に、ブルーベルやシクラメンのカーペットをつくりました。屋敷近くの湖の周りに、イベリア半島原産の小型のスイセンを10万球も植えたり、北米原産のシロバナマンサクや、ナツツバキ、ヌマミズキなど、姿の美しい樹木や灌木を森に加えたりもしました。 ロビンソンは、剪定ばさみやホースといった新しい園芸用品も一般に広めました。70歳の頃、彼は怪我で背中を傷め車いすの生活になりますが、車いすを押してもらいながら庭を見て回ったといいます。現代のガーデニングに多大な影響を与えたロビンソンは、1935年に96歳でその生涯を閉じました。 美しさを取り戻した現在の庭 ロビンソンには後継者がいなかったため、全ての財産は営林に役立ててほしいと、国の林業委員会(フォレストリー・コミッション)に遺贈されました。屋敷や土地の管理のために慈善団体が設立されますが、しかし、その後まもなくして第二次世界大戦が始まり、屋敷はカナダ軍の駐留のため接収されます。この時、兵士が花壇を野菜作りのために掘り起こしてしまったので、ロビンソンの残したものは残念ながら、すべて失われてしまいました。 現在、ロビンソンの残した広大な森や牧草地は、ウィリアム・ロビンソン・グレイブタイ・チャリティという慈善団体によって管理されています。敷地の中心にある屋敷と屋敷周りの35エーカーのガーデンは、1958年にピーター・ハーバートに貸し出されて、ホテルとレストランの経営が始められました。ハーバートは2004年に引退するまでの約50年間で、グレイブタイ・マナーを、美しい田舎で最高級のサービスを受けられるカントリーサイドホテルの先駆けとして成功させましたが、彼の引退によってグレイブタイは衰退してしまいます。 しかし、2010年、現オーナーのホスキング夫妻に経営が移ったことで、大規模な改修も行われて、この場所はかつての輝きを取り戻しました。現在のヘッドガーデナー、トム・カワードは、名園グレート・ディクスターで腕を磨いた人物。「ロビンソンにも満足してもらえるような」ダイナミックで実験的なガーデニングを行い、庭をますます美しい姿に変えています。 *『グレイブタイ・マナー』後編で、ガーデン散策の様子をお伝えします。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】イギリスガーデン界の巨匠、故クリストファー・ロイドの自邸「グレ…
時代を先駆けたガーデナー クリストファー・ロイドは、1950年代から生家のグレート・ディクスターを実験場にして、新しいガーデニングに挑戦し続けた園芸家でした。そして、ミックスボーダー(混植花壇)やメドウガーデンなど、自らが体験から得た新しい考え方を、英米の有名ガーデン誌や新聞、著書で伝え、プロやアマチュアのガーデナーたちに刺激を与え続けました。 グレート・ディクスターはクリストファーにとって、ガーデナー仲間との意見交流の場でもありました。彼は、園芸家ベス・チャトーなどの友人を招いて、菜園で収穫した野菜を使った手料理をふるまいつつ、園芸談議を楽しみました。英国園芸界で活躍する人々が集まるこの庭は、ガーデニングの新しい潮流が生まれる場所だったのです。 2006年、クリストファーは84歳で惜しまれつつ他界しましたが、彼が愛し、精力を注いだ庭と屋敷は、現在グレート・ディクスター・チャリタブル・トラストという公益財団に引き継がれ、その遺志を受け継ぐガーデナーたちによって、管理、運営されています。詳しくは「グレート・ディクスター・ハウス&ガーデンズ」前編でご紹介していますのでご覧ください。 さて、前編では、入り口から屋敷を中心に時計回りに庭を巡り、屋敷の南西側のメドウまでやってきました。庭巡りを続けましょう。 色彩豊かなロングボーダー メドウの縁には、屋敷へと延びる、幅広い敷石の小道と細長い花壇「ロングボーダー」があります。雑誌などでもよく紹介されている有名な花壇です。優しい色合いのメドウとは対照的に、このロングボーダーは彩り豊か。たくさんの種類の植物が小道にこぼれるように茂り、競い合って咲いています。 小道を進んでいくと、植物の種類が変わることで色彩も変化していきます。花壇の植栽は、6月中旬~8月中旬に花盛りとなるよう考えられているそう。また、クリストファーは、5月末からは土が見えないくらい植え込むべきと考え、この花壇を「綿密に織られたタペストリーのよう」にしたいと思っていました。 このロングボーダーはミックスボーダー(混植花壇)で、さまざまな植物が使われています。宿根草だけでなく、灌木や一年草、つる植物など、植物の種類にかかわらずなんでも使うのが、クリストファー流。ロングボーダーには斑入り葉の灌木や、真紅やピンクの花を咲かせたバラの茂みも所々にあって、ボリュームたっぷりです。訪れた6月中旬は、バラに加え、ポピーやルピナスの赤い花がアクセントとなって、強い印象の景色をつくっていました。 名建築家ラッチェンス設計の円形階段 ロングボーダーの端まで来て、視線の先を遮っていたマルベリーの大木の茂みを抜けると、左手に、円形のデザインが目を引く個性的な石階段がありました。その先にはメドウが広がっています。 この円形の石階段や、ロングボーダー前の敷石の小道は、20世紀の初めに活躍した名建築家、エドウィン・ラッチェンスによって設計されたものです。アールを描く石のステップの側面には、こぼれ種で広がったのか、ポツポツとエリゲロンの可愛い花が咲いていて、石階段の固い印象を和らげています。使われている石自体100年以上経っているので、趣があります。 メドウに立って、円形の石階段を正面から見てみると、上段に背景となる屋敷、中段にローダンセのピンクの花、下段に石階段と、高低差を生かした立体的なデザインであることが分かります。右側に茂るブラック・マルベリーの木は、もともとは対で両側に生えていたもので、ローダンセの花壇と同じく左右対称のデザインとなっていました。 ラッチェンスは、ガーデンデザイナーのガートルード・ジーキル女史とともにつくり上げたヘスタークーム・ガーデンズでも、似たような円形の石階段を設計しています。庭のアクセントとなる素敵なデザインですね。 花に飾られた石階段を、上ったり、降りたり。次のエリアに向かう過程も、とても楽しめました。 円形の石階段からメドウの中へと、放射状に3本の小道が伸びています。右手の小道を先に進むと、濃い緑の壁に囲まれたエリアがありました。中に入ってみると…… 異国情緒たっぷりのエキゾチックガーデン 他のエリアとはがらりと印象が変わって、緑一色の世界。背丈を超えるほど成長したバショウや木生シダなどが、自由に葉を広げて、面白いコントラストを見せています。ここはエキゾチックガーデンと呼ばれるエリア。もともとは整形式のローズガーデンとして設計された場所ですが、連作障害でバラが育たなくなったため、クリストファーが大改造を行いました。バラからの大胆な方向転換。きっと雰囲気が一新したことでしょうね。 小道の先を隠すように葉が垂れて、ジャングルのような雰囲気です。葉を楽しむための植物の多くは、イギリスの寒さに耐えられるものが選ばれています。6月の段階では緑一色の景色ですが、晩夏から秋にかけて、この庭にはダリアやカンナ、こぼれ種で増えるサンジャクバーベナの花が咲いて、とてもカラフルになるそう。その頃の景色も、ぜひ見てみたいものですね。 楽しみいっぱいのナーセリー さて、エキゾチックガーデンを出て敷地の奥へと進むと、花苗やテラコッタポットなどが並ぶナーセリー&ショップにたどり着きました。このナーセリーは1954年に、クリストファーが、自分が好きな植物を売るという形で始めたもの。特に、彼が大好きだったクレマチスは多くの品種が取り揃えられていて、今でもクレマチス専門店として知られています。 ナーセリー&ショップのエリアには建物が2つあって、小さいほうでは特製ブレンドの土の量り売りや、グレート・ディクスターのマークの付いたタネ袋などが売られていました。大きいほうでは、書籍やハサミ、オリジナルバッグや誘引紐など、心惹かれる商品がたくさん。店先には、アンティークのジョウロやダックスフントを模したジョウロなど、ユニークなグッズもありました(クリストファーはダックスフンドが大好きで、ずっと飼っていました。庭園では今もその子孫が飼われています)。 ガーデンの中で見かけた低い木柵も、山積みになって売られていました。これはガーデンハードルという、英国の庭で伝統的に柵やゲートとして使われているもの。グレート・ディクスターでは築500年の納屋を使って、伝統的な木工品づくりも行っています。古くからある近くの森からヨーロッパグリやクリ、オークなどの木材を切り出して、柵のほかにもスツールやベンチ、はしごなどを作成します。これは、森を守ると同時に、木工品づくりの伝統技術を伝えていくためでもあります。 ショップ付近では、草屋根のロッジア(イタリア式の、片側に壁のない屋根付き柱廊)が飲食スペースとして使われていて、用意されたテーブルや椅子で休憩する人の姿がありました。 苗コーナーも広く、たくさんの品種が並んでいます。奥に見える濃い緑の壁からバショウの葉が伸び出ているエリアが、先にご紹介したエキゾチックガーデンです。 トピアリーとメドウ ナーセリー&ショップのエリアを出ると、目の前に、再びメドウが広がっていました。草むらの中に、セイヨウイチイのトピアリーがリズミカルに配置され、広いスペースにアクセントをつけています。トピアリーは、アーツ&クラフツスタイルの庭で欠かせない要素ですが、日本庭園で見る松の刈り込みのようでもあって、親しみを持てました。クリストファーの父、ナサニエルはトピアリーが大好きで、昔は庭園内にもっとたくさんのトピアリーが立っていたそうです。クリストファーは「トピアリーは存在感があって、長い影をつくる時など、植わっているというより、住んでいるように見える」という言葉を残しています。確かに、ずんぐりむっくりの森の妖精のようにも見えますね。 一方、母のデイジーは、メドウが大好きでした。このトピアリー・ローンと呼ばれる庭は、クリストファーの両親が好きだったものがどちらもある場所です。 メドウとはもともと牧草地のことですが、イングリッシュガーデンでは、草原に小さな花々が咲く風景が、メドウ、もしくは、メドウガーデンとして、ガーデンデザインの中に取り入れられており、広い敷地を持つガーデンには、たいていメドウを思わせるエリアがあります。数あるメドウの中でも、ここグレート・ディクスターの庭は格別です。クリストファーの母は、この庭ができた1910年代からメドウをつくっていたので、彼は幼い頃からメドウに親しんできました。クリストファーは園芸家となってからも、美しいメドウガーデンづくりに試行錯誤し、精通していたので、メドウづくりの第一人者と目されていました。彼は2004年に刊行した著書“Meadows”で、その知識を伝えています。 グレート・ディクスターのメドウは多様性に富むもので、ヨーロッパの野生種のランも育っています。メドウはまた、チョウやガ、昆虫など野生生物の棲む場所としても重要なものになっています。 素朴な花が、まるで自然に咲き広がっているように見えますが、このような景色は、じつはとてもテクニックを必要とするもので、人の手が入ることによってはじめて実現するといわれます。植物同士がバランスよく一緒に成長するように、また、意図しない植物の侵入を避けたり、特定の植物が繁茂しすぎないようにしたり、種まきから成長過程を調整することも、メドウガーデンづくりのテクニックとか。 だからこそ、この景色は毎年必ずしも同じになるとは限りません。またいつか訪れるチャンスがあるかしらと心の片隅で思いながら、そよぐ風や野鳥の声に耳を澄ませて、そこにいる時間を楽しみました。 メドウに囲まれた小道を、建物のある方向へ進むと、屋根につるバラが絡むロッジアが見えてきました。その左横を進んで、次のブルーガーデンに入ります。 よく手入れされた芝生の中に、敷石の小道がまっすぐに通っています。建物に沿って、緑が生き生きと茂っていました。この小道や階段、レンガ造りのアーチも、ラッチェンスの設計です。 屋根に迫るほど大きな果樹のエスパリエがありました。リンゴの木でしょうか、石の壁にぴったり沿って、枝がきれいに誘引されています。こんなに大きなエスパリエを見たのは初めて! 次のエリアへ行く前に振り返ると、階段脇の一角に、いろんな種類のギボウシがバランスよく配置されていました。鉢植えのギボウシがたっぷり日差しを受けて、生き生きと葉を広げています。 次のエリアは、四方を壁にぐるりと囲まれたウォールガーデンです。 中は広い敷石のテラスになっていて、その周りを地植えの木々や鉢植えの植物が囲んでいます。中央付近は、小石を無数に敷き詰めたペイビングとなっていて、クリストファーの愛犬、2匹のダックスフンドがモチーフとなった模様が浮き上がっていました。テラスのペイビングの細かさから、相当のエネルギーが注がれた場所なんだなぁと実感します。 ウォールガーデンの一角は、カンパニュラやゲラニウム、フラックスなど、青系の花々の鉢植えが飾られて、爽やかな印象でした。 さて、庭巡りの最後を飾るのは、サンクン・ガーデンです。サンクン・ガーデン(もしくは、サンク・ガーデン)とは沈床式庭園のこと。イギリスのガーデンデザインでよく取り入れられる手法ですが、庭の中央の「床」が、周囲より一段、もしくは数段低く「沈んで」いて、そこに噴水が設けられたり、花壇が作られたりします。この庭の場合は、中央に八角形の池が作られていて、睡蓮が咲いていました。 もともとこの場所にはクロッケー用の芝生がありましたが、クリストファーの父ナサニエルが、1921年にこのように設計し直しました。ナサニエルは、建築や庭の設計にとても興味を持っていた人で、地域の古い建築に関した本を著してもいます。テラスの周りには芝生が広がっていますが、第一次世界大戦中はその芝生を掘り起こして、野菜を作っていたそうです。 池の水面に映る空の雲や植物のシルエットは、一幅の絵のよう。ベンチに座って、静かな時間を楽しみました。 グレート・ディクスターの広大な庭のメンテナンスには何人ものガーデナーが関わって、こぼれ種から発芽した芽の抜き取りや植え直しなど、とても繊細に行われています。一年で一番忙しい時期は、1月から2月にかけて。グレート・ディクスターは「英国で最も手のかかる庭」として知られますが、植えっぱなしでも育つ宿根草でさえ、よりよい状態を求めて、毎年植え替えるのだそうです。ここではガーデナー教育にも力が注がれていて、屋敷には研修生が住み込んで庭作業に励んでいます。ここを卒業したガーデナーは、他のガーデンで実力のある人材として活躍しているそうです。 かつて、庭づくりの巨匠として、イギリスのガーデニングに影響を与え続けたクリストファー・ロイド。新しいガーデニングに挑もうとするその精神は、ヘッド・ガーデナーのファーガス・ギャレットをはじめとするガーデナーたちに引き継がれています。クリストファーが愛し、築き上げたグレート・ディクスターは、今も新しい景色を生み出し、進化し続けるガーデンとして、多くの人々に驚きと感動を与えています。 *「グレート・ディクスター・ハウス&ガーデンズ」前編もどうぞご覧ください。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】イギリスガーデン界の巨匠、故クリストファー・ロイドの自邸「グレ…
英国ガーデン界のカリスマガーデナー クリストファー・ロイドは、常に変化を求め続けたガーデナーでした。1957年、当時の主流だった宿根草花壇に対して、ミックスボーダー(混植花壇)を提案した著書、“The Mixed Border in the Modern Garden”を皮切りに、彼は、このグレート・ディクスターを実験の場として新しいガーデニングに挑戦し続け、そこで得た自らの経験と考えを、ガーデン誌や新聞の園芸欄と著書で伝えました。大胆な色使いを提唱した“Color for Adventurous Gardeners”、現在もブームとなっているメドウ(野原)・ガーデニングについて、いち早く解説した“Meadows”など、クリストファーはいつも新しい視点を人々に与える存在でした。 2006年、クリストファーは84歳で惜しまれつつ世を去りましたが、彼が愛し、精力を注いだ庭と屋敷は、グレート・ディクスター・チャリタブル・トラストという公益財団に受け継がれました。そして、クリストファーの後継者であり、1993年からヘッドガーデナーを務めるファーガス・ギャレットを中心とするガーデナーたちによって、生前のままに管理、運営されています。 ファーガスにとってクリストファーは、素晴らしき老教授、父、祖父のような存在であり、また、親友でした。一方、老齢のクリストファーにとってファーガスは、体力的に難しいことを代わりにしてくれる頼れる相棒であり、また、新しいアイデアや刺激を与えてくれる存在でした。 「変化こそ、グレートディクスター流ガーデニングの神髄」と、ファーガスはクリストファーのチャレンジ精神を受け継ぎ、また、それを後世に伝えるべく、さまざまな園芸教育プログラムに力を注いでいます。屋敷には、世界レベルの技量修得を目指す研修生が住み込んで、庭仕事に励みます。 さあ、イギリスでも先端を行く、独創性あふれるガーデンを散策しましょう。どんな驚きが待っているでしょうか。 庭散策はメドウガーデンから 敷地に足を踏み入れると、まず広がっているのがメドウガーデンです。白や黄色の素朴な花が、低い位置で風に揺れています。向こうの景色は、ユニークな形に刈りこまれた、壁のようなセイヨウイチイの生け垣に隠されて見えません。どんな庭が待っているのだろうと期待が高まります。 メドウの小道をまっすぐ進むと、雑誌で目にした覚えのある、古い屋敷が迎えてくれました。大小の鉢植えが多数集められて、彩り豊かにエントランスを囲みます。 アルケミラモリスやカンパニュラ、ギボウシ、グラス、コニファーなどが植わっている、エントランスの鉢植え。どの鉢も株姿がこんもりきれいに整い、手入れが行き届いていることが分かります。 ラッチェンスの手で改修された屋敷 クリストファーの父、ナサニエル・ロイドは富裕層の出で、自らも印刷業で成功を収めました。1910年、彼は若くして隠居生活に入るため、15世紀半ばに建てられた「マナー・オブ・ディクスター」を購入し、のちに名建築家として名を残すエドウィン・ラッチェンスに、屋敷の改修と増築、そして、庭の設計を依頼します。ナサニエルは、昔ながらの手仕事を再評価するアーツ・アンド・クラフツ運動に共鳴しており、古い屋敷をできるだけ伝統的な形で修復することを望みました。現在ある屋敷の姿は、もともと建っていた木骨造の屋敷に、別の場所から解体して運んだ2つの古い家を組み合わせたものとなっています。 この歴史的な建物は、内部を見学することもできます(写真撮影は禁止)。庭散策を終えてから中に入ってみると、1階のグレート・ホールという部屋は天井が高く広々としていて、大きなステンドグラスから光がたっぷり注いでいました。エントランス部分の外観にあるような太い木の骨組みが、室内からも見られます。2階には暖炉を備えた広い一間があって、書棚にクリストファーの蔵書と思われる植物図鑑などがずらりと並んでいました。家の中には、アンティーク家具を好んだ父、ナサニエルが集めた、中世の英国、フランス、イタリアの家具が置いてあります。 父ナサニエルと母デイジー ナサニエルが地所を購入した際、ここには庭と呼べるものはなく、屋敷の増改築と並行して、2年がかりで庭づくりが行われました。ラッチェンスが設計した庭の構造物がつくられ、専門家によって計画された植栽が行われて、庭も完成。1912年に一家は暮らし始めます。ナサニエルは、その後、古い建築について学びを深め、自分でもサンクン・ガーデンを設計しています。 一方、母・デイジーは草花が大好きで、のちに庭の植栽計画を担当するようになりました。クリストファーは6人兄弟の末っ子に生まれ、この素晴らしい庭で幼い頃から植物に親しんで育ちましたが、兄弟の中でガーデニングに興味を持ったのは彼だけでした。クリストファーは名門ラグビー校で学び、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジに進んで現代言語を学びますが、第二次世界大戦の兵役の後、ワイ・カレッジで装飾園芸の学位を取得して、園芸の道に進むことを決めます。そして、グレート・ディクスターに戻り、母から庭を任されて、本格的にガーデニングに取り組むようになりました。 クリストファーは、花壇や小道、テラスなどのレイアウト、及び建物や生け垣などの構造物といった、ラッチェンスによるガーデンデザインに満足していました。彼はその素晴らしい枠組みの中で、父や母が愛でた要素を残しつつ、新しいガーデニングを追求したのです。 では、屋敷を中心に広がる、いくつものエリアに分かれた庭を、順に巡っていきましょう。 トピアリーが楽しいピーコックガーデン 屋敷の北東側に広がるのは、セイヨウイチイの生け垣です。この変化をつけたユーモラスな形の生け垣は、次に続く空間を3つのエリアに区切っています。屋敷を背にして、砂利敷きの道から一歩右のエリアに入ると…… 鳥をかたどったトピアリーがいくつも立つ「ピーコックガーデン(クジャクの庭)」です。花色が抑えられていて、若いグリーンが引き立つ庭景色。トピアリーは、アーツ・アンド・クラフツ様式の庭によく見られる要素で、クリストファーの父ナサニエルも気に入っていました。これらはもともと、キジやブラックバードなど、さまざまな鳥をかたどったものでしたが、今ではすべてを「ピーコック」と呼んでいるそう。長い年月が経つうちに、どれがどの鳥だか分からなくなってしまったのでしょうか、面白いですね。鳥のトピアリーは全部で18体ありますが、庭ができた当時は、トピアリー好きのナサニエルが、もっとたくさん配置していたのだそうです。 ピーコックガーデンの中央には、石張りのテラスのような空間があります。先ほどの植物が密集する空間とは一転して、ここは距離を保って植え込みを眺められる空間。メリハリのあるガーデンデザインが感じられます。この場所からは、クジャクのトピアリーが林立するユーモラスな風景が楽しめました。 草花の生い茂るハイガーデンとオーチャードガーデン 続いて、セイヨウイチイの生け垣の間を抜けて、「ハイガーデン」と呼ばれる隣のエリアに入ると、色彩がガラリと変わります。訪問した2019年の6月中旬は、赤やピンクのオリエンタルポピーがたくさんの花を咲かせていました。中央の奥には、ピンク色のクレマチスのオベリスクが見えます。 花が植わっているエリアと生け垣の間の、人ひとりがやっと通れる小道をたどって奥へと進みます。生い茂る植物が迫ってくるような、エネルギーを感じる体験は初めて! 植物が群れ咲くとはこういうことかと、実感しました。 次のエリアに入ると、人の背丈を越すほど高く伸びるグラスやバーバスカム、デルフィニウム、ゲラニウム、サルビアなど、日本のナチュラルガーデンでもよく見かける、あらゆる宿根草が育っていました。一見、無秩序に植わっているようですが、隣り合う植物が調和し合い、競い合って育っているよう。既存のデザインの方程式に捉われない、新しさを感じました。この後、1週間、2週間と時間が経つと、きっとまったく違う印象を受けるのでしょう。また来てみたいと思わせる魅力がありました。 さらに進むと、「オーチャードガーデン」につながります。アクセントとなるヘメロカリスの黄色い花に、フェンネルのふわふわ茂る葉、紫のアリウムなど、ここでも、視界に入る植物がすべて異なる種類。他の庭では見られない植栽術に驚かされます。 コントラストで魅せるミックスボーダー グレート・ディクスターの花壇は、すべてミックスボーダー(混植花壇)です。クリストファーは、植物はお互いに助け合うことができると、樹木、灌木、つる性植物、耐寒性および非耐寒性の多年草、一年草、二年草のすべてを組み合わせて、植栽に用いました。彼は、調和よりもコントラスト、形や色の対比で魅せる草花のタペストリーをつくろうとしました。そして、特別決まったカラースキーム(色彩計画)というものも持たずに、どんな花の色をも効果的に組み合わせようと苦心していました。 また、グレート・ディクスターは、ハイ・メンテナンス、つまり、手のかかる庭として知られています。「努力があってこそ見返りも大きい」というのが、クリストファーの持論で、手のかからないグラウンドカバーの植物には興味がありませんでした。この庭でもし、グラウンドカバーが植えられていたとしたら、それはその植物のことが好きだからであって、手を抜くためではなかったそう。この精神はファーガスたちにも受け継がれ、「視覚的にインパクトがあり、かつ、親しみやすさのある植栽」を実現するために、ガーデナーたちは常に忙しく働いています。一年草を使うことも多く、花壇に植わる植物は絶えず変化していくそうです。 ユニークな高さの異なるセイヨウイチイの生け垣で区切られている、ピーコックガーデン、ハイガーデン、オーチャードガーデンの3つの庭。大きな面積が植物で埋め尽くされていたり、生け垣に沿って細い小道があったりと、ここにしかないオリジナリティーあふれるデザインをたくさん見ることができました。この道はどこにつながっているのか、一度歩いただけでは把握できない、迷路のような面白さもありました。 メドウの広がる果樹園へ オーチャードガーデンの、両側を花々に彩られた小道を先へと進みます。生け垣のトンネルの先には、どんな景色が待っているのでしょうか。 トンネルを抜けて階段を降り、振り返ってみると、巨大な生け垣の緑が目に飛び込んできました。すべては1912年以降につくられたものといいますが、この庭の歴史を感じます。 小道のさらに先には、またトピアリーのトンネルがあって、開けた場所に続いているようです。バラの優しい花色を眺めながら先に進んで、トンネルを抜けると…… 一面のメドウ(野原)! 広がるメドウは、借景となる遠くの風景につながっています。心地よい、穏やかな風が吹いています。 クリストファーの母デイジーは、このようなメドウのガーデンスタイルが好きで、庭ができて間もない頃からメドウを育てていました。クリストファーにとってメドウは、子どもの頃から親しんだもの。きっと彼の原風景だったのでしょう。メドウに咲く花はほとんどが自生種で、土壌が貧しければ貧しいほど、花々のタペストリーは豊かになるそうです。土壌が肥沃だと、カウパセリやイラクサなどの粗野な植物が占領してしまうのだとか。 デイジーは、野生種のラッパズイセンやスネークヘッド・フリチラリアを、種子から育てて増やしていました。風になびく美しい草原は、手つかずの自然の景色のように見えますが、人の手で計画し、手入れしているからこそ生まれる風景です。 メドウの芝草を刈り込んで作られた小道は、リンゴ、洋ナシ、プラム、サンザシ、クラブアップルなどの果樹が散りばめられたオーチャード(果樹園)のエリアに続いています。 メドウの景色を動画に収めました。風のそよぎや鳥のさえずりをお楽しみください。 *続きは、「グレート・ディクスター・ハウス&ガーデンズ」後編で。
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一度はこの目で見てみたい! 英国の春を告げる スイセンの花景色
120年前のこと、英国の慈善団体ナショナル・トラストは、開発で失われていく自然や、歴史ある建物や庭といった文化的遺産を守り、後世に残そうと、活動を始めました。多くのボランティアの力によって守り継がれる、その素晴らしい庭の数々を訪ねます。 スイセンが咲いて、春が来る 英国の人々にとって、スイセンは春の兆しを告げるスノードロップに続き、本格的な春の到来を知らせる花です。ウェスト・サセックス州、ペットワース・ハウスの森に広がる、鮮やかな黄色のカーペットは、花たちが春の歓びを爆発させているかのようです。 スイセンと冬枯れしない芝生がつくる鮮やかな黄と緑のコントラストは、ロンドンの公園でも見られる春の風物詩です。街角のフラワースタンドでもスイセンの花束がたくさん売られて、人々はその元気な黄色を目にする度に、どんよりとした灰色の雲に覆われた冬の日々がようやく終わった、と実感するのです。 春を彩る花木のよきパートナー こちらは、ケント州にある世界的に有名な庭園、シシングハースト・カースル・ガーデンの果樹園。庭園の象徴である、古いレンガ造りの塔が背景にあることで、ロマンチックな雰囲気が漂います。写真のサクラや、英国で広く栽培されるリンゴなど、花木とスイセンの組み合わせは、英国の春の果樹園でよく見られるものです。 ウェスト・サセックス州にあるナイマンズのウォールガーデンで見られるのは、ピンクのマグノリアとの組み合わせ。優美で大ぶりのマグノリアの花と、フォーカルポイントとして置かれた石壺が、エレガントな景色を生み出しています。 園芸品種は2万7,000種! チェシャー州、ダーナム・マーシーの森では、ミニサイズの可憐なスイセンが咲き広がります。ここに腰掛けてしゃべっていたら、森の小人にでも出会えそうな、ファンタジックな風景ですね。 英国のスイセン協会(ダッフォディル・ソサエティー)によれば、植物学者によって見解は異なるものの、スイセンの種類は40種余りで、亜種を含めると200種余り。そして、登録されている園芸品種の数は、なんと2万7,000を超えるとか。確かに、英国の園芸百科事典では、バラには負けるもののクレマチス同様に大きく扱われていて、スイセンの人気ぶりがうかがえます。 スイセンの花は13の形に区分され、中心のカップ部が大きいものや小さいもの、花弁が反り返っているもの、八重咲き、房咲きなど、さまざまです。色は、白、黄、橙で主に構成されますが、同じ白でも純白からクリーム色まで、黄色もレモンイエローからはっきりした黄色まで、色調のバリエーションが豊かです。花形と花色の組み合わせによって印象はがらりと変わり、その花姿はじつに多様。清楚な白花と可憐な黄花、あなたのお好みはどちらでしょう。 翌年も咲く「復活」の花 こちらは、コーンウォール州のコーティールにつくられた、スイセンの小径。こんな素敵な花の小径なら、どこまでも歩いていけそうですね。このメドウでは、春になると、250種のスイセンが次々と咲き継いでいきます。 咲き終わっても翌年また芽を出して咲いてくれることから、スイセンは復活を象徴する花でもあります。コーティールのヘッド・ガーデナー、デイビッドさんによると、その「復活」の秘訣は、品種を混ぜないで植えることと、日当たりをよくしておくこと、それから、花後は葉が自然に枯れるまで放っておくこと。スイセンはあまり手をかけなくても再び美しい花を咲かせてくれる、優等生なのですね。 最後は、ヘレフォードシャー州、ザ・ワイヤー・ガーデンのロックガーデンという、ちょっと珍しいシチュエーション。斜面に咲くスイセンの黄色に、反対色であるクリスマスローズの紫が映える、野趣ある花景色です。 さて、春を呼ぶスイセンの姿はいかがでしたか。この春スイセンを見かけたら、ぜひじっくりと観察してみてくださいね。 取材協力 英国ナショナル・トラスト(英語) https://www.nationaltrust.org.uk/
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】英ガーデン誌も注目! ガーデン好き夫妻がつくり上げた珠玉の庭「タ…
見事な庭をチャリティーで一般公開 今回の訪問先は、イギリス、ウェスト・サセックス州にある個人邸の「タウン・プレイス」。英国のガーデン誌も注目の庭ということで、期待が膨らみます。 入り口に到着すると、オーナーのマクグラス夫妻が出迎えてくれました。まずは、ご主人のアンソニーさんと奥様のマギーさんに、庭全体が見渡せる母屋前のテラスでご挨拶。母屋を背に立つと、遠くまで広々と芝生が広がっています。 マクグラス夫妻は1990年に、タウン・プレイスの敷地と母屋を購入しました。庭は以前から残されていた部分も多少ありますが、構造物も植栽も、ほとんどが夫妻によって新たにつくられたものです。2人はこの素晴らしい庭を、ナショナル・ガーデンズ・スキーム(NGS)や地元の慈善団体によるガーデン・オープンデーで一般公開し、募金活動に協力しています。 夫妻それぞれにクリエイティブ 幼い頃からガーデニングに親しんできたというマクグラス夫妻ですが、奥様のマギーさんはタウン・プレイスの庭づくりに着手する前に、英国王立園芸協会(RHS)や有名ガーデンデザイナーの講義を受けて、植栽やガーデンデザインについてしっかりと学んだそうです。花壇で見られる、豊かな色彩の複雑な植栽は、マギーさんの手によるものです。一方、ご主人のアンソニーさんは、独創的なトピアリーや生け垣を生み出していて、夫妻がそれぞれに創造性を発揮しています。 そんなお話を伺っていると、ガーデンカートを押すガーデナーさんが横を通り過ぎました。 「彼は、この庭を手伝ってくれていて、歳は79歳。週に3日来てくれるよ」というのですから驚きです! その他に、週に1度、女性も手伝いに来ているとのこと。約3エーカー(約1.2ヘクタール)という広いこの庭を、オーナー夫妻と合わせて4名で維持しているというので、さらに驚きました。 「シークレットガーデンがあるから、見つけてね。行ってらっしゃい!」というオーナーの言葉で、ガーデン散策がスタート。まずは、母屋の脇にバラが咲いているエリアがあるようなので、向かってみましょう。 優美なサンクン・ローズガーデン 現れたのは、心ときめくバラの回廊! つるバラの絡まるパーゴラが額縁となって、満開のバラの景色を切り取っています。このサンクン・ローズガーデン(Sunken Rose Garden)は、1920年代につくられたものを夫妻が引き継いだそうですが、バラはすべて、主にデビッド・オースチン社のイングリッシュローズに植え替えられました。パーゴラには、‘アルベルティ―ヌ’や‘チャップリンズ・ピンク’、‘アメリカン・ピラー’などのつるバラが隙間なく誘引されていて、見事です。 無数のバラが、低い緑の生け垣に縁取られて咲いています。バラは12種、150株も植わっているそう。「サンクン(沈んだ)」という通り、バラが咲く場所は、回廊より一段下がっていて、そのせいか、芳しいバラの香りが留まっているように感じます。母屋の壁にもつるバラが咲いていて、小窓を縁取っています。 何てロマンチックな演出でしょう! 庭を訪れた2019年の6月中旬は、バラがちょうど咲き始めたばかりでしたが、きっと咲きたてのバラの香りが、この窓から室内に流れ込むのでしょうね。 いつまでも見ていたい景色でしたが、他のエリアを見逃してしまうので、隣のコーナーへ向かいます。 庭にチェス盤? 小道を進むと、奥の緑を背景に、彫像が並び、ラベンダーの紫やハーブ類の茂みが彩りをプラスしている、独創的な風景が見えてきました。中央には、なにやらチェスのコマらしきものが。 建物前のテラスが、赤と白の石板を使ったチェス盤になっていました! 膝丈ほどの大きなチェスのコマが並んでいて、どうやら、本当にゲームができそうです。屋外でチェスが楽しめるガーデン! 何てユーモアのある場所なのでしょう。 果樹園と緑の彫像 チェス盤の庭から南に向かうと、果樹園があって、リンゴの実が少し膨らんでいました。下草がきれいに刈り取られ、落ち葉一枚見当たらなくて、本当によく手入れが行き届いています。春にはラッパズイセンが咲くそうで、その景色もきっと素晴らしいのでしょう。 さらに奥へ進むと、緑の塊がポコポコと、オブジェのように並ぶエリアに到着しました。サーカス(The Circus)と名付けられた庭です。やや盛り上がった地面の芝が丸く切り取られて、その中にグラス類が茂り、丸みを帯びた大きなトピアリーが立っています。これらは、ヘンリー・ムーアの彫像作品にインスピレーションを得て作られたという、セイヨウイチイの「彫像トピアリー」。ご主人のアンソニーさんの手によるものです。これまで見たことのない景色に、庭主さんのユーモアを感じました。 麗しきイングリッシュローズ・ガーデン そのお隣のエリアは、もう一つのバラの園、イングリッシュローズ・ガーデン(English Rose Garden)です。65種、450株というシュラブローズが、一斉に咲き誇っていて、嬉しくなります。ほとんどがデビッド・オースチン社のイングリッシュローズだそう。六角屋根のサマーハウスの中には、これまでの庭の変化を教えてくれる写真が展示されていました。日差しが強い時間帯だったので、涼しい室内で写真を眺めながらクールダウンができました。 ベンチの後ろのパーゴラには、‘フォールスタッフ’、‘マダム・バラフライ’、‘オフィーリア’といったバラが伝います。このガーデンも高い生け垣に囲まれていて、バラの香りが滞留するつくりになっています。 赤や白、ローズピンクに、オレンジがかったピンク。さまざまな色合いのバラに、時々顔を近づけては香りを確かめたりして、数多のバラを観賞する贅沢な時間を過ごしました。 低い生け垣に仕切られた、まっすぐな小道を辿って行くと、その先に、隣のエリアへと続くバラのアーチが見えてきました。 このタウン・プレイスのガーデンは、動線がとてもはっきりしています。一つのエリアから、気がつくと隣のエリアにうまく導かれていて、次の空間に入った瞬間に、がらりとデザインが変わる。その鮮やかな場面転換に、思わず心を躍らせていることに気がつきました。 ピンクのバラが伝うアーチの向こうに、優しいカラーのグラデーションが続くボーダーが覗きます。 紫花のロングボーダー アーチをくぐると、最初に目にした母屋前に広がる芝生を、反対側から眺める場所に出ました。左手には、宿根草のロングボーダー(長い花壇)が続きます。その長さはなんと45m! 奥様のマギーさんが担当する、緻密な植栽の花壇です。 向こうの景色を隠すほど高く壁を作っている生け垣は、以前からあったもので、夫妻は「タペストリー・ヘッジ」と呼んでいます。2つの樹木が混ざって、タペストリーのように模様を描いている、珍しい生け垣です。明るい緑の濃淡が、手前に植わる花々とよく調和していました。 ボーダーの中央付近は、生け垣がくりぬかれています。中を覗いてみると、先ほど見た果樹園のエリアに続いていました。 広い芝生の一辺に沿って伸びる、宿根草のロングボーダーです。テーマカラーである、紫とブルーの花のグループが繰り返し植えられて、リズミカルな景色をつくっています。訪れた6月中旬は、ゲラニウム、サルビア、キャットミントが主役のようでした。クナウティアや、白花のアンテミス、ジャイアント・スカビオサ、カルドンなども植わっているようですが、これから季節が進むとどんな風に変わっていくのでしょうか。 花壇沿いに歩いて、最初にオーナー夫妻とご挨拶した母屋の前に戻ってきました。母屋の前にはバードフィーダーが備えてあって、鳥たちが集まっています。野鳥とも仲良くしながら庭を維持しているんだなぁと、微笑ましく感じました。 これまで見てきたのは西のエリアで、庭散策はまだ半分。とっても広いけれど、どこも素敵な空間ばかりです。さあ、ここからは東のエリアを見ていきましょう。 静けさ漂う小さな水辺 母屋を背に立つと、芝生の左のほうに、小さな噴水のある池の景色が広がっています。ここは、すり鉢状に窪んだ、小さな谷(The dell)のエリア。池は窪んだところにあるので、上のほうから池を眺めながら、その周りに茂る木々や宿根草の彩りを一望することができます。奥に見える銅葉の樹木が引き締め役となって、緑を際立たせています。 池の周りを、さまざまな植物が囲みます。この場所は、かつては大きな池だったそうですが、夫妻の手によって、このような趣のある小さな池の庭に変身しました。 緑の回廊からハーブガーデンへ その隣にもまだまだガーデンがあるようです。この花壇は、ロングボーダーと芝生を挟んで向かい合うショートボーダー(短い花壇)。ブルーとイエローの色調ということですが、黄色の花はまだ咲いていない様子です。花壇の間の、左右に円錐形のトピアリーの鉢が飾られた通路を進んでみます。 雰囲気が変わって、紫の花が白っぽい石壁を覆い隠すように咲く景色が現れました。花によって、石の硬い印象が和らげられていて、素敵です。そして、リンゴの木が誘引された緑の回廊を行くと…… つるバラが絡むアイアンのガゼボを中心にした、ハーブガーデン(Herb Garden)がありました。芝生の道がふかふかとして気持ちいい! ここの花壇は生け垣などの縁どりがないつくりで、花茎が枝垂れていたり、風に揺れていたりして、とてもおおらかでリラックスした雰囲気。コテージガーデン・スタイルのナチュラルな庭です。ガゼボのバラは、白花の‘マダム・アルフレッド・キャリエール’。満開の姿はどんなに素晴らしいでしょう。 ハーブガーデンのナチュラルな植栽の中で、小径の脇にある古木の枝ぶりが引き立ちます。花壇には霞のように葉を広げるフェンネルなどのハーブのほか、コテージガーデンでよく見られる花々が咲いています。 そのほかにも、アストランチアやセリンセ、ゲラニウムなど、日本でも馴染みのある植物が上手に使われていて、親しみが湧きました。 驚きの緑の構造物 さて、ハーブガーデンの南側に出てみると、またまた新たな展開! 現代アートのようなシンプルな空間が広がっています。空に浮かぶ雲までもが景色の一部なんだなぁ、と気づかせてくれる眺めです。 天に向かってまっすぐ伸びるのは、‘スカイロケット’という名のジュニパー。そして、その背後にあるシデで作られた緑の壁は、この写真ではよく分からないかもしれませんが、じつはロマネスク様式の教会を模しています。右手の手前に飛び出したところは、教会に付属する「回廊」部分。ご主人のアンソニーさんは、架空の、しかも廃墟となった教会をイメージして、それを生け垣で作り上げてしまったという訳なのです。その情熱と行動力には脱帽しかありません。 続いて、敷地の南側に行ってみると、生け垣に区切られたポタジェがありました。 スイートピーのアーチや葉物野菜の畑、アスパラガスやアーティチョークが自由に葉を広げている場所など、野菜や切り花を育てている所までも、見た目にこだわってデザインされているのが伝わってきます。先ほどの緑の構造物に加え、トピアリーとポタジェもご主人の担当。ご夫婦揃って、素晴らしい美的センスをお持ちのようです。 スイートピーとサヤインゲンのアーチ。 アーティチョークとアスパラガスの緑を背景にしたベンチコーナー。2つの植物だけで、こんなにスタイリッシュな空間が演出できるなんて。 ポタジェの隣は、真ん丸の緑のボールが宙に浮かんでいるような、緑一色のエリア。瞑想するのによさそうな空間ですね。真ん丸なボールは、シデを刈り込んだトピアリーで、背後の生け垣はヨーロッパブナで作られています。 花壇や複雑な植栽は奥様、トピアリーやハーブガーデン、ポタジェはご主人と、2人で分担しながらも、アイデアを分け合って、デザインや手入れを行ってきたそうです。所々に、ちょっとユニークなエリアもあったりして、庭が本当に好きなんだなぁ、と感じるポイントがいくつもありました。 プライベートガーデンとは思えない広さと、手入れがよく行き届いた、気持ちのよいガーデンで、とても贅沢な時間を過ごしました。 そうそう。シークレットガーデンはどこにあったでしょう? 私も無事見つけることができました! が…、扉の向こうは、訪れた人だけが見られる特別な場所。ここでは秘密にしておきますね。
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イギリス
イングリッシュガーデン旅案内【英国】ウィリアム・モリスが愛したケルムスコット・マナー
「モダンデザインの父」ウィリアム・モリス ツグミがイチゴをついばむ「イチゴ泥棒(Strawberry Thief)」や、2匹のウサギが描かれた「ブラザーラビット(Brother Rabbit)」。壁紙やテキスタイルに描かれるモリスのデザインは、それらが生まれてから100年以上経った今も、人々を、とりわけ、植物好きやガーデニング好きの人々を惹きつけます。 ウィリアム・モリス(1834-1896)は、アートデザインを手掛けたほか、詩や小説を書いたり、思想家としても活動したりと、多岐にわたる活躍を見せた人でした。彼の生きたヴィクトリア朝のイギリスは、産業革命によって経済が発展し、人々の暮らしが大きく変化した時代でした。工場での大量生産が主流となっていく中で、モリスは、画家のエドワード・バーン=ジョーンズや建築家のフィリップ・ウェッブらと共に、中世の美しい手仕事に再度光を当てる、アーツ・アンド・クラフツ運動を推進しました。モリスのパターンデザインや思想は後世にも大きく影響を与え、それゆえ、モリスは「モダンデザインの父」と称されています。 モリスの「地上の楽園」 ケルムスコット・マナーは、忙しく活動するモリスがロンドンの喧騒を離れて過ごした、田舎の別荘でした。1871年、モリスはオックスフォードに程近い、コッツウォルズ地方のケルムスコット村を初めて訪れ、マナーハウスとガーデンを見て喜びます。特に、高い塀に囲まれ、生け垣で仕切られた庭は、モリスが理想としていた「囲われて外界から隔てられた」庭、そのものでした。 モリスはケルムスコットを「地上の楽園」と呼んで、すぐに、ビジネスパートナーだったダンテ・ガブリエル・ロセッティと共に地所の賃貸借契約を結びます。そして、その後の四半世紀を、ロンドンに行き来しながら、この別荘で過ごしました。コッツウォルズ地方の美しい田園風景や、古くから建つ石造りの建物、近くを流れるテムズ川上流での釣り遊び、緑の木々や、庭に咲く素朴な花々。モリスはこの地の暮らしから、創作のインスピレーションをたくさん得たのでした。 さて、モリスのデザインが大好きな私にとって、彼が過ごしたこの場所を訪れることは、聖地巡礼のような期待感がありました。優れた作品が生み出された、モリスが愛したという環境はどんなものだったのか。彼は何を見て、どんな風に季節を感じていたのか。そのエッセンスを追体験できたら……。そんな想いを胸に、まずは屋敷を囲む庭を見ていくことにしました。 昔の姿を保つフロントガーデン 屋敷の東側には、フロントガーデンが広がります。建物の入り口に向かう小道の両脇には、スタンダード仕立てのバラが左右対称、等間隔に植えられ、小道を優雅に彩っています。訪れた6月中旬は、ちょうど‘エグランティーヌ’や‘コテージローズ’、‘ガートルード・ジーキル’といった、パウダーピンクやローズピンクのバラが咲き始めていました。花に近づいてみると、素晴らしい香り! 1892年にモリスがケルムスコット・プレスから出版した、自身の小説『ユートピアだより(原題:“News from Nowhere”)』の口絵には、このフロントガーデンの庭景色が描かれています。現在の庭は、こういった資料をもとに修復されたもので、バラなどは植え替えられているそうですが、口絵に描かれた100年前と変わらない庭景色が目の前に広がっていることに、驚きを感じます。 屋敷の前に立って、小道の反対側から庭の全景を見ると、奥の隅のほうにガゼボが見えます。その左手、大きなセイヨウイチイの生け垣の上には、なにやら大蛇のようなフォルムの刈り込みが。これは、ファフナーと呼ばれる、北欧神話に出てくるドラゴンを表したもので、モリスがアイスランドへの旅の中で詠んだ詩に登場する、空想上の生き物です。モリスはこのドラゴンを自ら刈り込んでいたというので、きっと、お気に入りのトピアリーだったのでしょう。トピアリーは一度、崩れてしまいましたが、ナショナル・トラストの専門家の力を借りて、再構築されました。 ガゼボの古びた屋根の様子に、長い時の流れを感じます。ちょっと歪んだラティスにも、ささやかながらバラが絡み、ガゼボ右手の茂みの地際には、紫花のゲラニウムが咲いています。植物の数を絞った、シンプルで広々とした庭は、一人の時間を心静かに楽しめる場所でした。 一度、庭の外へ出て、左手のティールーム前の芝生エリアを素通りし、その先の、モリスの時代の屋外トイレ(Three-Seater Earth Closet)に向かいます。芝生エリアの奥に見えるグッズショップに、後で必ず立ち寄らなくては! と誓いつつ、庭の見学を続けます。 カーブを描く小道の先には、三角屋根の小さな建物が。なぜか、3つの便座が横1列に並んでいる、かつての屋外トイレです。 トイレの建物の中には入れませんが、便座に座ったと仮定する位置から正面を見ると、目の前の緑が、向こうの景色を隠してくれるようになっています。なるほど、と思う、トイレ前の植栽。野イチゴが、小道を縁取るように低く茂っていて、その上に、緑や赤のスグリが実っていました。 モリス好みの草花が咲くマルベリーガーデン 屋敷の西側、旧屋外トイレの隣のエリアには、マルベリーガーデンがあります。中央に立つのは、印象的なマルベリーの古木。ごつごつとした幹は苔むしていて、風格が感じられます。マルベリーを挟んで左右に小道が2本、屋敷に向かって平行に伸びていて、歩きながら花壇の草花を眺められるようになっています。この庭も、手入れの行き届いた芝生の緑が清々しい、シンプルさの際立つデザインです。 小道の脇、低いツゲの縁取りに沿って続く花壇では、カンパニュラやゲラニウム、ポピーが、ちらほらと咲いています。モリスが好んだという、コテージガーデン風の植栽です。 モリスの娘メイ(メイは呼び名で、本名はメアリー)は、「父がペルシャのチューリップと呼んで、デザインのモチーフに何度も用いた美しい野生種のチューリップが、花壇いっぱいに咲き乱れている」と書き残しています。今も花壇にはたくさんのチューリップが植えられていて、春になると、モリスの時代さながらに咲き乱れるそうです。4月には、スネークヘッド・フリチラリアも花を咲かせ、目を引く特別な存在となります。 左側の小道では、自然なフォルムを生かして作られた木柵が、向こう側のメドウと庭とを区切っていました。これは、1921年に撮影された写真にあった木柵を再現したもの。地元で採れたセイヨウトネリコやハシバミの木が使われています。モリスは1896年に「中世の庭のように見えるよう、ジャイルズがラズベリーの枝をうまく誘引してくれた」と書き残しているため、その頃には既にこのような木柵があったと考えられています。今、ラズベリーの代わりに絡まっているのはピンクのバラ。少しいびつな木柵が、とても自然な、リラックスできる景色を生み出しています。 モリスの手紙には、バラ、タチアオイ、スカビオサ、ポピーといった、コテージガーデンでおなじみの草花や、クロッカスやスノードロップ、ビオラ、プリムローズ、チューリップといった春の花々が登場し、当時の庭にたくさんの花々があったことがうかがえます。 また、モリスの壁紙やテキスタイルのパターンデザインでは、じつに多くの植物がモチーフに使われています。バラ、チューリップ、ハニーサックル、ヒエンソウ、ラッパズイセン、アネモネ、ムギセンノウ、ギンバイカ、アイリス、ジャスミン、ポピー、オークツリー、ヤナギ、アカンサス、フリチラリア、マリゴールド、リンゴ、ブドウ、ザクロ、レモン、キク、デイジー、クロイチゴ。描かれたそれらの植物の多くは、きっとこの庭で見られるものだったのでしょう。 現在の花壇には、これらの、モリスがデザインモチーフとして用いた植物を選んで、植えてあります。また、その植栽は、深い切れ込みの入った葉の植物を使ったり、大きな花々の間を小さな花々で埋めたり、柵に灌木の枝を絡ませたりと、モリスデザインの特徴を感じさせるものになっています。 パーゴラのあるローンガーデン 屋敷の北東側にあるローンガーデン(芝生の庭)は、もともとはキッチンガーデンでしたが、今はシダやグラス類、アーティチョークの仲間やハーブ類が植えられています。素朴な印象のパーゴラは、クリの間伐材で作られたもの。パーゴラは、ブドウの木を支える伝統的な手法の一つでした。 パーゴラを覆うブドウの葉が涼しい木陰をつくり、ここにもバラが絡んでいます。あら、あんな所、こんな所にもバラが……と、いろんな場所でその姿を見つけました。モリスはバラのデザインパターンを何種類も描いていますが、彼もきっとバラを好んでいたのでしょうね。 その隣のエリアに行くと、葉を茂らせた、どっしりとした大木の周りを、ナチュラルな花々が優しく彩っています。 暮らしに寄り添う、優しい色合いの花々。100年前にも、このような花々が静かに季節を告げる、穏やかな暮らしがあったのだろうと、想像が膨らみます。 「庭を大いに楽しんでいる。ぶらぶらと、どれだけ歩いても、目障りな物は何ひとつない。すべてが美しいのだ」 モリスは、このような言葉を残しています。 屋敷内の全フロアを見学 さて、今度は屋敷の中を見ていきましょう。 この屋敷には、モリスの友人で建築家のフィリップ・ウェッブによって、特別にデザインされたしつらえがあります。また、モリスのロンドンの家にあったものも移されて、コレクションされているそうです。 屋敷はすべてのフロアを隅々まで見学することができて、そのことに感動しました。どの部屋にもモリス柄のテキスタイルが使われていて、上品なデザインの調度品が並んでいます。暮らしと芸術を一致させる、アーツ・アンド・クラフツ運動を実践するような、丁寧な暮らしをしていたのだろうなと思いました。 シノワズリの雰囲気があるノース・ホールでは、セトルと呼ばれる、背部が高く立ち上がった長椅子が目を引きます。これは、かつてモリスが暮らしたレッド・ハウス用に作られたものでしたが、ここに移されました。脇の扉には、モリスが愛用したコートが掛かっています。 長椅子の右手には、手刺繍と思われるカーテンが。この柄は、モリスの作品の中でも最も愛されている「デイジー(Daisy)」ではないかしら! モリスの妻ジェーンと娘のメイは刺繍の名手で、屋敷には彼らの手による美しい刺繍や布小物の数々が残されています。このカーテンの刺繍も彼らが施したものなのかもしれません。 こちらは、1883年作の「ケネット(Kennet)」という柄のテキスタイル。2種類の花がデザインされています。傍には、おそらく実際に使われたと思われる版木が飾ってあります。 「ケネット」のテキスタイルが美しいグリーンルーム。ケネットとは、テムズ川の支流の名前だそう。モリスはしばしば、テムズ川で釣りをして遊びましたが、その際にもきっと創作のインスピレーションを得たのでしょう。他にも、テムズ川の支流の名前を冠したデザインがあるそうです。 グリーンルームは一家の居間として使われていました。暖炉を囲んで、ゆったりと座れるパーソナルチェアが並びます。家族でくつろぐ時間には、どんな会話が交わされたのでしょうね。 脇の小部屋には、ブルー&ホワイトの絵皿コレクションがずらりと並びます。 ここに飾られているのは、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの描いた、モリスの妻、ジェーンの絵。彼女はロセッティやラファエル前派のモデルを務めた人物で、モリスと、その仲間たちのミューズでした。 屋敷内には、モリスの友人、サー・エドワード・バーン=ジョーンズの絵画も飾られています。また、アルブレヒト・デューラーやブリューゲルといった、価値の高い美術品のコレクションも見られます。 ジェーンの寝室だったという部屋。壁紙には1887年作の「ウィロー・バウ(Willow Bough、柳の枝)」が選ばれていて、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。 重厚なタペストリーが飾られている、タペストリールームです。この部屋は数年の間、ロセッティが寝起きし、創作を行うアトリエとして使われていました。じつは、ロセッティとジェーンは一時、特別な関係を持ち、モリスを交えた複雑な三角関係があったといわれています。ミューズを巡る、芸術家ならではの人間模様があったのでしょうか。 屋根裏部屋を探検 最上階へ続く階段は、右左の足の置き場が段違いになった、見慣れないつくりになっていました。 広々とした屋根裏部屋です。古い梁が、古風な趣を醸し出す場所だと、モリスも気に入っていました。ここは、モリスの2人の娘が過ごすための空間でしたが、その昔は、屋敷で働く農夫や羊飼いが寝起きしていたそうです。 さらに小さな階段を上がってみると… 絵に描いたような三角屋根の真下には、シンプルさを極めた部屋がありました。娘たちの寝室です。細長い空間には、幅が極端に狭いベッドが2台並べられて、モリス柄のベッドカバーがかかっています。質素で清潔感のある、ミニマリズムの暮らしのお手本のような部屋ですね。 最上階からは、敷地の外に広がるメドウや森を眺めることができます。モリスの娘たちは、朝、目覚めたら、まずこの窓から外を眺めて、野鳥の声を聴きながら、新しい一日をスタートしたのかしら、と想像しました。 ショップはモリスグッズも充実 ショップには、モリス柄を使ったオリジナルグッズがたくさん! 日本ではお目にかかれないような、可愛いデザインばかりです。中央は、モリス柄のテラコッタタイル、上は「イチゴ泥棒」をモチーフにした布製オーナメントで、ちょっとユーモラスなツグミがイチゴをくわえています。 左は、モリス柄をテラコッタにプリントしたミニバッジ。右に並ぶ、モリスやアーツ・アンド・クラフツ関連の書籍も充実しています。 モリスの死後、ケルムスコット・マナーの地所は妻ジェーンによって買い取られ、娘のメイは1939年に亡くなるまでここで暮らしました。メイは地所をオックスフォード大学に遺贈しますが、1962年、地所は大学からロンドン古物研究協会(ソサエティ・オブ・アンティクワリーズ・オブ・ロンドン)に譲られることになります。その後、協会はケルムスコット・マナーの修復作業に着手し、地所は徐々に一般公開されるようになりました。 モリスの眠る教会へ 少し足を伸ばして、モリスやジェーンが眠るセント・ジョージ教会も訪ねました。ケルムスコット・マナーから歩いて10分ほどの場所にあります。入り口に立つ樹木が、12世紀に建てられた古い教会を隠すほどに大きく育っています。 モリスとジェーンの墓は、教会を正面に見て右奥にひっそりとありました。友人のフィリップ・ウェッブがデザインしたという墓碑に、その名が刻まれています。時の流れの中で彫文字はかすれ、かろうじて読めるものになっていました。 教会の祭壇付近には、モリスのデザインした、「バード(Bird)」の柄のテキスタイルがありました。モリスが今もこの土地を守ってくれているのだろうと感じながら、祈りを捧げてきました。