「クラインガルテン」とはドイツを発祥の地とする滞在型の市民農園。
日本にも現在、全国各地にあり、多くの人が花や野菜づくりを楽しんでいます。
筆者は長野県松本市のクラインガルテンに通い続けること、22年──。
山里で土の匂いとともに過ごした日々の愉快な物語に、しばし耳を傾けてみましょう。

ポピーの迷宮

1996年、信州四賀坊主山クラインガルテンに入園した最初の年──。

私は、まだ何も植わっていない庭に、大量のポピーのタネを播いた。

印象派絵画の巨匠クロード・モネに、野生のポピーが咲いている野原を散策しているパラソルをさした婦人と子どもたちを描いた絵がある。私は長年、その絵の中の風景に憧れていたのだ。

一方、畑には野菜づくりの師匠である健ちゃんがくれた落花生のタネを播き、ジャガイモとネギを植え、ズッキーニのタネを播いた。

やがて夏──。

庭には真っ赤なポピーがこれでもかというほど咲き乱れ、まるでポピーの迷宮のようになった。通りすがりの人たちが「うわー」「きれいねえ」と感嘆の声をあげながら、しばし立ち止まって眺めていく。

私は得意だった。鼻高々だった。

ひと夏の夢

だが、まもなく全く予想していなかった恐怖の事態がやってきた。

ポピーは咲き終わって花が散ってしまうと、薄汚く枯れて、あちらへまたこちらへと倒れ伏、目もあてられぬほど無惨な有様になってしまう。モネの絵への憧れどころではなかった。それはただただ、呆然とするしかない光景だった。

7月初めのある日。私は汗だくになりながら枯れたポピーを抜き取り、せっせと畑の隅に運んだ。およそ3時間かけてその作業を終えると、庭はまた元通りの、がらんとした空き地になってしまった。

夢から突然さめたような気分だった。

美しかったけれど、でも短かった、ひと夏の夢──。

はかなく散った恋

その日──。

私は久しぶりに幸子ちゃんのことを思い出した。

こんなことを書くのもいささか気恥ずかしいが、遠い遠い昔、私には高校2年生のときから5年間つき合った幸子ちゃんという恋人がいたのだ。

けれども、忘れもしないある5月の夜、幸子ちゃんは真っ白な花を咲かせたマグノリアの木の下で「あんたみたいな子どもっぽい人は嫌い!」と言い、去って行ってしまった。

それっきりだった。

私は泣いた。

坊主山クラインガルテンのラウベ(休憩小屋)のデッキに腰かけ、ポピーが消えて空っぽになってしまった庭を眺めながら、私はその時のことを思い出していた。

ズッキーニ事件

だが、そんな感傷にひたっている場合ではなかった。実はその頃、畑でもやはり全く予想もしていなかった恐怖の事態が起きていたのだ。

スーパーで売っているキュウリぐらいの大きさのズッキーニ。あれをズッキーニだと思い込んでいる人には想像もつかないだろうけれど、メキシコ原産でウリ科カボチャ属のこの野菜は、放っておくと巨大さを求めて限りなく暴走してゆく。

もちろん、畑をこまめに見回って、早めに収穫すれば暴走は防げる。けれども、クラインガルテンでは3〜4日、あるいは5〜6日滞在して自宅に帰り、1週間後、ないしは2週間後にまた訪れるというのが通常の行動パターン。どうしても収穫の適期を逃してしまうことが多いのだ。

7月中旬。1週間ぶりだか10日ぶりだったかに坊主山を訪れた時のあの驚きを、私はいまも忘れない。

何たることか! 畑は見渡す限り、太り放題に太り、伸び放題に伸びた仰天サイズの暴走巨大ズッキーニで埋め尽くされていた。

これまた、ただただ呆然とするほかはない光景だった。

巨大ズーを食べる

Photo/Valentyn Volkov/Shutterstock.com

いったいあの年、私たち一家はどれほどたくさんのズッキーニを食べたことだろう。子どもたちは夕食の席につくと、「えーッ、またズーなのォ!」と叫ぶのだった。

毎日毎日、ズッキーニ料理ばかり出てくるので、いちいちズッキーニ、ズッキーニなんて言っちゃいられない。もうウンザリ! という気分と、ほんの少しの憎しみをこめて「ズー」と略称するようになったのだ。

私たちはそのズーを、炒め物にして食べたし、フライや天ぷらにもした。カレーにも入れてみたし、パスタにも使ってみた。そのうち万策尽き果てたので、味噌汁に投入してみたりもしたけれど、これは意外に美味しかった。

で、もし万が一、暴走巨大ズッキーニが手に入るようなことがあったらの話だけど、おススメしたいのはゴーヤーでもよくやるように軽く焙って一口大に切り、カツオブシと醤油をかけて食べるというやり方。これも意外に美味しくて、お酒のあてにはまことによろしい。

花の魔法

ところで、坊主山クラインガルテンの私の庭には、いまも毎年、真っ赤なポピーが咲く。22年前に大量にタネを播いたポピーが、こぼれ種でその後ずっと、咲き続けているのだ。

たぶん、蝶や蜜蜂が花粉を運ぶのだろう。いつのまにか自然交雑が起きて、時にはびっくりするほどロマンチックな色合いのピンクの花が咲くこともある。妖精の化身かと思われるような純白の花が咲くこともあるし、花びらが何枚も重なり合って濃い色のダリアみたいな花が咲いたりもする。

私たちはそれを「ポピーの魔法」と呼んで、毎年どんな花が咲くか、一家中で楽しみにしているのだけれど、さて読者諸氏諸嬢はご存知だろうか? ズッキーニ、ズーの花もまた、ポピーに負けず劣らず美しいのだ。

朝露に濡れて

いま思い出しても溜め息が出るけれど、ズーにはあの時、まったく苦労させられた。けれども、夏の朝早く、畑に行くと、黄色い大きなズーの花が朝露に濡れてキラキラと光りながら微笑んでいるのだった。

それを目にしたときの感激!

このズーの花の美しさを知らずに終わってしまう人生があるとしたら、それは何のための人生だろうとすら、私は思ったものだ。

雪国の人

そしてそして美しいといえば、何といっても思い出されるのは、ほんとうに美しくて可愛らしかった幸子ちゃん──。

私より2歳年下だった。いまではすっかりおばあちゃんになっているはずだ。

いつ頃、どんな人と結婚したのだろう? あの雪国で、いまはどんな暮らしをしているのだろう?

Credit


写真&文/岡崎英生(文筆家、園芸家)