オールドローズの中でも優雅な咲き姿とゆるくたわむ枝を持ち、紅茶を思わせる甘い独特の香りを放つバラの一群、ティーローズ。今も人々を魅了するティーローズの名花を作出したフランスの育種家、ジベール・ナボナンと品種について、ローズアドバイザーの田中敏夫さんに解説していただきます。今井秀治カメラマンによる美しい写真とともにお楽しみください。

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美しいティーローズの育種家

ティーローズ…淡いイエロー、ピンク、アプリコットの大輪花。ゆるやかにアーチングする枝ぶり。とても優雅です。

ティーローズを生んだバラについての記事はこちら

しかし、実はヨーロッパではポピュラーなクラスではありませんでした。冷涼な気候のもとでは生育がかんばしくなかったためです。しかし、そんな市場規模が小さいという負い目がありながら、地中海沿岸地方で農場を運営して数多くの美しいティーローズを生み出した育種家がありました。ジルベール・ナボナン(Gilbert Nabonnand)です。

 Gilbert Nabonnand
Gilbert Nabonnand [CC BY-NC-SA 4.0 via. Rose Biblio]
ジルベール・ナボナンは1828年、フランス中部、ロワーヌのグレゾール(Grézolles)に生まれました。少年期から園芸農家の下働きを始め、1848年(20歳頃)、リヨンのギヨー父(註:ギヨー息子が運営する農場も同時期に併存していました。今日まだ続くギヨー農場は息子が運営していたほうです)の農場へ入りました。やがて独立し故郷近くのソルグ(Sorgues)において果樹、庭植え樹木などの栽培を始めました。

1858年(30歳頃)、アヴィニオン(Avignon)へ。1864年にはさらに、地中海沿岸コート・ダジュール(Côte d’Azur)のゴルフ=ジュアン(Golfe-Juan)へ移動し、ティーローズ、チャイナなど温暖地域で繰り返し花を咲かせるバラの育種に取り組むようになりました。

ゴルフ=ジュアン
夏のゴルフ=ジュアン [Public Domain via. Wikipedia Commons]
フランスにおける庭植えバラの育種家は、パリ、リヨン、ロワーヌなどに集中する傾向があり、その傾向は今でもあまり変わっていません。紺碧海岸コート・ダジュールに位置するゴルフ=ジュアンは温暖な気候に恵まれ、ティーローズやチャイナはよく生育すると思われますが、育種農場の所在地としてはあまり例がありませんでした。

しかし、ゴルフ=ジュアンはもともとローズ・ウォーターや精油生産が盛んな地方であり、広大なバラ畑(ケンティフォリア)が広がっている地方でした。現在でも近くのグラース(Grasse)はガリマール(Galimard Perfumery:創業1747 – )やモリナール(Molinard:創業1849 – )など老舗の香水メーカーの本拠地となっています。

1903年のジルベールの卒去後は長男ポールと次男クレモンの2人が農場を共同運営するようになりました。1909年、弟のクレモンは独立して近在の別の農場を運営するようになりましたが現在は残っていません。兄ポールが継いだジルベール農場は現在でもゴルフ=ジュアンにあり、子孫であるナボナン一家によって運営されています。

ジルベール・ナボナンとポール、クレモンの息子たちが育種した品種をいくつかご紹介しましょう。まずは父ジルベールから。

 ‘ジェネラル・シャブリキン’(Général Schablikine)-1878年

‘ジェネラル・シャブリキン’
‘ジェネラル・シャブリキン’ Photo/今井秀治

丸弁咲き、熟成すると花弁が折れ返り、乱れ気味の花形となります。ぬくもりを感じさせるミディアム・サーモン・ピンクの花色は、色褪せが少なく、春から秋、花が絶えることがないとまでいわれるほど、返り咲く性質が強く、長い間高い評価を与えられてきました。

立ち性のブッシュとなります。寒さを嫌いがちなティーローズの中にあって、例外的に寒さに強い性質があります。

ティーローズの育種に大きな貢献をしたナボナンですが、彼が育種したといわれる200を超える品種のなかでも、とりわけの傑作として知られています。交配親は不明のままです。

シャブリキン将軍(1809-1888)はクリミア戦争において戦功のあったロシア軍将軍です。1865年から1874年の間、モスクワ副市長を務めました。夏の休暇を家族とともにリビエラで過ごすことが多かったとのこと。

‘マドマーゼル・フランチスカ・クルゲール’(Mlle. Franziska Krüger)-1879年

‘マドマーゼル・フランチスカ・クルゲール’
‘マドマーゼル・フランチスカ・クルゲール’ Photo/今井秀治

ポンポン咲き、または小さなダリアのような丸弁咲きとなります。ピンクをベースに花弁のあちらこちらにオレンジやアプリコットの色が出るといった繊細なもの。いかにもティーローズらしい優雅な花色が魅力の品種です。卵形の深い色合の半照り葉、柔らかな枝ぶりのブッシュとなります。

1873年、ジルベール・ナボナンが育種し、1879年に公表しました。前の年に公表された‘ジェネラウ・シャブリキン’は華やかなオレンジ・ピンクの花色となりますが、この‘フランチスカ・クルゲール’は淡い色合いとなります。

この品種の一番の利点は、頻繁な返り咲き性にあります。次々に花芽が上がってくる様子は、ティーローズというよりチャイナのようだと感じています。むしろ、オレンジ・ピンクに花咲くチャイナ、‘コンテス・デュ・カイラ’に近いのではないかと思ったりもします。

 ‘マリー・ドルレアン’(Marie d’Orléans)-1883年

‘マリー・ドルレアン’
‘マリー・ドルレアン’ Photo/田中敏夫

直径13cmを超える極大輪、25弁ほどのオープン・カップ形、花色はストロング・ピンク、淡い色合いのものも出回っているようですが、少し強めにピンクが出る株が本来のものではないかと思います。

幅広の照り葉、紅色の新芽、細めの枝がするすると伸びて200㎝ほどの高さに達することもあります。1883年に育種・公表されました。交配親はわかっていません。

ブルボン家系のオルレアン家には何人もマリーと名付けられたプリンセスがいるので特定が難しいですが、この品種は公表された時期から、フランス最後の王ルイ=フィリップの孫マリー・アメリー・フランソワーズ・エレーヌ・ドルレアン(Marie Amélie Françoise Hélène d’Orléans:1865-1909)に捧げられたと思われます。

Maria_de_Orléans
Marie Amélie Françoise Hélène d’Orléans [CC BY-NC-SA 4.0 via. Wikipedia Commons]
マリー・ドルレアンは両親がイギリスで亡命生活を送っていたためロンドン生まれました。当時のフランスは政権が安定していませんでした。

1871年、ナポレオン3世はプロイセンとの戦争(普仏戦争)に敗れて退位しイギリスへ亡命。王族につながるオルレアン一家は逆にフランスへの帰国することができました。

マリーはデンマーク王室のヴァルデマー王子(Prince Waldemar of Denmark:1858-1939)と1885年に結婚し、コペンハーゲンへ居を移しました。マリーは芸術を愛し、政治へも深く関わるなど積極的な女性として名を馳せました。

 ‘ジェ・ナボナン’(G. Nabonnand)-1888年

‘ジェ・ナボナン’
‘ジェ・ナボナン’ [CC BY-NC-SA 4.0 via. Rose Biblio]
30弁前後、丸弁咲き、時に花心に花弁が密集してロゼッタ咲きとなる花形、花色はミディアム・サーモン・ピンク、ピンクとオレンジが混じりきらずに班のような模様になって出ることもあります。

小さめの丸みを帯びた、深い色合の照り葉、たおやかな枝ぶり、樹高120〜180cmのブッシュとなります。

1888年に育種・公表されました。交配親の詳細はわかっていません。

育種者ジルベールの名を冠した品種です。育種したのはジルベール自身ですが、命名は彼が亡くなったのち、後を継いだ息子であるポールとクレモンによって父に贈られたと記録されています。

‘アルシデュク・ジョゼフ’(Archiduc Joseph)-1878年

‘アルシデュク・ジョゼフ’
‘アルシデュク・ジョゼフ’ Photo/今井秀治

35弁ほど、咲きたてはカップ形、ロゼッタ咲き、次第に花弁が折れ曲がった丸弁咲きの花形へと変化してゆきます。小さな花弁が密集しながら放射状に規則正しくならぶ様はスプレー咲きのダリアのような印象です。

ピンク・ブレンドとして登録されていますが、実際にはピンクにオレンジが加わった温かみのある花色となることが多いと思います。

幅狭のつや消し葉。樹高120〜180cm前後、針金のような細い枝ぶり、赤銅色の株肌が特徴的な、横張性の強いこんもりとしたブッシュとなります。

1878年に公表されました。ティーローズの‘マダム・ロンバール’(Mme. Lombart)の実生から生み出されたとのことです。‘ムッシュ・ティリエ’(Mons. Tillier)と類似が著しいことが盛んに論じられています。両品種は同じ、いや違うと、相反する説が研究者の間にあり、未だに確定的ではありません。

オーストリア、ハプスブルグ家と縁戚であるアルシデュク・ジョゼフ(Archduke Joseph Karl of Austria:ジョゼフ・カール大公、1833-1905)にちなんで命名されました。

アルシデュク・ジョゼフ
アルシデュク・ジョゼフポートレート [Public Domain via. Wikipedia Commons]
カール大公は1860年、オーストリア軍の少将になりましたが、歴史的な大事件に関わったことはありません。ヨーロッパのロイヤル・ファミリーの一人として優雅な一生を送ったものと思われます。ザクセン・コーブルク・ゴータ公国のプリンセス、クロチルドと結婚し、7人の子どもに恵まれました。

‘ジェネラル・ガリエニ’(Général Galliéni)-1899年

‘ジェネラル・ガリエニ’
‘ジェネラル・ガリエニ’ Photo/今井秀治

大輪、25弁ほどの丸弁咲き。花弁はアプリコットまたはイエロー、その花弁の縁に強い赤が出る華やかな色。イエローが勝ったり、逆に赤が勝ったりと変化のある色合いです。

幅広の深い緑葉、細くしなやかな枝ぶり、樹高90〜120cm、全体にこぢんまりまとまるブッシュです。

変化する花色、幅広で大きな葉、細い枝ぶりなどは典型的なティーローズのものです。鉢植えにして陽だまりに置くなど、”小さな”ティーローズをお望みの方には最適な品種の一つです。

ダーク・レッドのティーローズ、‘スヴェニール・ド・テレーズ・ロベ’(Souvenir de Thérèse Lovet)とミディアム・イエローのティーローズ、‘レーヌ・エマ・ペイ・バ’(Reine Emma des Pays Bas)との交配により育種され、1899年に公表されました。

フランスの将軍、ジョゼフ・シモン・ガリエニ(Joseph Simon Gallieni:1849-1916)に捧げられました。

ガリエニ将軍:Le général Joseph Galliéni, detail by Ferdinand Roybet
ガリエニ将軍:Le général Joseph Galliéni, detail by Ferdinand Roybet [Public Domain via. Wikipedia Commons]
ガリエニは、西インド諸島のマルニティーク、アフリカのスーダン、仏領インドシナ、マダガスカルなどフランスの植民地での軍歴を重ね、いわば対叛乱作戦のスペシャリストとなった人物です。この品種が公表された1899年には仏領インドシナ駐留軍の指揮をしていましたが、1914年には退役(准将)しました。

ところが同年、第一次大戦が勃発すると、ドイツ軍はすみやかにパリ侵攻をもくろんでベルギーから進軍してきました。フランス・英国連合軍は、これに対抗して防御線を引き、両軍はマルヌ河畔で対峙しました(マルヌの戦い)。

このときパリ防衛軍の司令官であったガリエニはドイツ軍に対処するためタクシーで兵員を輸送するという奇策に出て前線を強固なものにし、ドイツ軍の進軍を阻止しました。それまで破竹の勢いで侵攻してきたドイツ帝国軍はこのマルヌで進軍を阻まれ、やがて両軍はたがいに塹壕を築いて対峙するという状態となりました(西部戦線)。

こうして、ガリエニはパリ防衛の英雄となりました。世界各地のフランス植民地で反植民地主義者やゲリラ、テロリストとの戦闘に対処してきた長い経験が生きたものと思われます。

‘ノエラ・ナボナン’(Nöella Nabonnand)-1901年

‘ノエラ・ナボナン’
‘ノエラ・ナボナン’ Photo/田中敏夫

35弁前後の丸弁咲きとなる花形。房咲きになることは少ないものの、よく花芽をつけ、春の満開時には、株全体を覆いつくすかのような豪華さです。

ダーク・レッドとして登録されていますが、開花後、パープリッシュの色合いが深まりディープ・ピンクの色合へ変化します。花弁の縁も淡いピンクに色抜けし、輪郭が縁取りされたようになり、印象的です。

幅広で大きな照り葉、比較的細めの柔らかな枝ぶりですが、樹高350〜500cmのクライマーとなります。1901年に育種・公表されました。

ミディアム・レッドのクライミングHT、‘レーヌ・マリー・アンリエット’(Reine Marie Henriette)とダーク・レッドのブルボン、‘バルドー・ジョブ’(Bardou Job)との交配により育種されたと言われています。この品種は、ジルベールの息子、ポールにより育種されたものです。ポール作出の品種としては‘レディ・ウォーターロー’(Lady Waterloo)とともに傑作と評価されている品種です。

‘レディ・ウォータールー’(Lady Waterlow)-1902年

‘レディ・ウォータールー’
‘レディ・ウォータールー’ Photo/田中敏夫

大輪、丸弁咲きの花形となります。明るいサーモン・ピンクの花色は、爽やかな印象を残しますが、季節や地域によって濃淡が出やすいようです。フルーティーな強い香りがあります。

丸みを帯びた大きな照り葉、固くて強い枝ぶり、旺盛に枝を伸ばし、樹高350〜450cmの大型クライマーとなる樹形です。

1903年、赤のHT、‘ラ・フランス’(’89/La France de ’89 – 最初のHT、‘ラ・フランス’とは違う品種)と、ピンクのHT、‘マダム・マリー・ラヴァレィ’(Madame Marie Lavalley)との交配により育種されました。

鮮烈と表現してもよい、強い香りを放つ大輪花。緑深い枝ぶりのなかで、花弁が風にそよいでひらひらと揺れるさまは、華やかさと同時にどこか静謐さをも感じさせる奥深いものを感じます。育種後100年を越えた今日でもその輝きを失っていません。最も完成されたクライマーの一つとさえいえると思います。

この品種は、ロンドン市長を務めたこともあるサー・シドニー・ウォーターロー(Sir Sydney Waterlow)夫人に捧げられたものです。シドニー・ウォーターローは一族が運営する巨大印刷会社をバックボーンにして政界へ進出しました。ロンドン北部に11ヘクタールもの広大な私有地を寄付し、そこが公園となったことから、”庭のない人々への庭寄贈者”として後世に知られることになりました。

‘ロゼット・デリジ’(Rosette Delizy)-1922年

‘ロゼット・デリジ’
‘ロゼット・デリジ’ Photo/田中敏夫

25弁ほどの高芯咲きの花、典型的なティーローズの花形となります。中心部はバフまたはソフト・イエロー、外縁部は色濃くピンクに染まります。オレンジが入ることもあるにぎやかな色合いです。

先の尖った卵形の明るい照り葉、縁のノコ歯は目立たないため花のないときはバラに見えないことも。樹高90〜120cmのブッシュとなります。すらりと伸びた紅色の枝先に、典雅な花が開きます。

バラというと、豪華、華麗と表現したくなる華やかな品種が多いのですが、この‘ロゼット・デリジ’の花姿には、涼やかな印象があります。トゲが少なく扱いやすいのも魅力の一つでしょう。1922年、ジルベールの息子クレモンにより育種・公表されました。

交配はレッド・ブレンドティーローズ、‘ジェネラル・ガリエニ’(Général Galliéni) と、ピンク・ブレンドのティーローズ、‘コンテス・バルディ’(Comtesse Bardi)とによると記録されています。

Credit

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたい思いから、2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/田中敏夫、今井秀治

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