京都で開催されている「トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」。イスタンブルのトプカプ宮殿が所有する16〜19世紀の貴重な宝飾品、美術工芸品を通して花々、とりわけチューリップを愛でた宮殿の生活、オスマン帝国の美意識や文化、芸術観が紹介されています。先に開催された東京では、17万人以上が訪れ、大盛況。本展示の監修者、ヤマンラール水野美奈子さんにお話をうかがいました。

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オスマン帝国の栄華を伝える宝物の数々から
チューリップ文化の繁栄をうかがい知る

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美《宝飾手鏡》
《宝飾手鏡》16世紀末

今回、「トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」が京都で開催されるにあたって、本展示監修者のヤマンラール水野美奈子さんにお話をうかがう機会を得ました。「チューリップの宮殿」と呼ばれるほど、トプカプ宮殿がチューリップに彩られ、チューリップをモチーフにした服飾や工芸美術品が流行した文化について解説していただきます。

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
ヤマンラール水野美奈子さん
専門分野はトルコ・イスラーム美術史および文化史。元龍谷大学教授。NPO日本トルコ
交流協会代表。『チューリップ・ブック』(共著、八坂書房、2002)『イスラーム書物の歴史』(共著、名古屋大学出版会、2014)。

1478年に築かれたトプカプ宮殿は
チューリップで豊かに彩られていた

トルコのイスタンブルに今も残るトプカプ宮殿は、1478年にオスマン帝国(1299年頃〜1922年)によって築かれました。スルタン・メフメト2世(在位1444〜1446年、1451〜1481年)は1453年に東ローマ帝国の首都コンスタンティープルを征服後、その地をオスマン帝国の新しい首都、イスタンブルとすると宣言。トプカプ宮殿は国力を顕示する象徴的存在として栄えました。

トプカプ宮殿
Faraways/Shutterstock.com

この時代、トプカプ宮殿の近郊にはチューリップが自生していました。鮮やかな赤が目を引き、花姿も愛らしいことから、人の手による栽培が始まっていたことがうかがえます。なぜなら、トプカプ宮殿が建てられた頃、敷地に花を植えるために、チューリップやヒヤシンスの球根をアナトリアから大量に注文した記録が残されているからです。

観賞用の花を大量に栽培できるということは、経済的にも国が豊かであることの表れともいえます。国の内外から重要人物が出入りするトプカプ宮殿では、政治力や軍事力を誇示するばかりでなく、文化力も示すことによって盤石な国力を見せつけていたのかもしれません。

スレイマン1世がこよなく愛したチューリップ
美術工芸品のモチーフとして好まれた

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《スルタン・スレイマン1世のものとされる儀式用カフタン》16世紀中期

少し時代が下ってオスマン帝国の最盛期を築いたスレイマン1世(1520〜1566年)も、チューリップを好みました。トプカプ宮殿内には、樹木や草花を植えるための坪庭風の狭い空間が数カ所に設けられ、春にはチューリップが爛漫と咲いていたようです。それは今にも残されている細密画から紐解くことができます。

絵には書斎にて演奏家が楽器を奏でたり、道化師が踊ったりする様子が描かれているのですが、そこにはチューリップが大きな花瓶に活け込まれ、丸テーブルに左右対象に飾られています。さらに書斎の外には坪庭があり、そこにもチューリップが。宮殿内ばかりか、敷地外の小道にもチューリップが咲いていたこともわかっています。

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《タイル》16世紀後半 赤いチューリップが目を引きます。

また、トプカプ宮殿には「宮廷工房」があり、絵師たちは美術工芸品のモチーフとしてチューリップを盛んに取り入れていました。ほかにバラ、ヒヤシンス、カーネーションなども意匠に取り入れてオスマン帝国独自の文様が大成。建築、写本、織物、タイル、陶器などあらゆる美術工芸品が、それらの文様で飾られました。

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《タイル》16世紀後半 この頃には斑入り種があったと推測されます。

チューリップは、統治者や宮殿内に出入りできる人物のように、身分の高い人だけが身につけられるモチーフというわけでもありませんでした。春の開花時期には一般の男女ともに生花を頭に飾ってオシャレを競っていたとか。ではなぜ、オスマン帝国ではこれほどチューリップが愛されていたのでしょうか?

チューリップは春の喜びを告げる花であり
神の存在を意識できる花

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《クッション・カバー》17世紀 随所にチューリップが見られます。

日本人が桜を愛するのと同じように、オスマン帝国では春の訪れを告げる花として、チューリップが愛されてきました。それが、チューリップがモチーフとして好まれる理由の一つ。もう一つは、宗教的・神秘主義的象徴性としての理由からです。

オスマン帝国では、チューリップを「ラーレ」と呼んでいました。この言葉に使われるアラビア語の綴りの文字配列を変えると、「アッラー」(神)になり、また綴りを逆さから読むと「ヒラール」(新月)という言葉になります。新月はオスマン人の祖先であるオグズ族カユ部族の象徴を表します。

イスラーム教では偶像崇拝が禁じられていますが、よりどころとなる具象が欲しくなるのも、また人の心ではないでしょうか。チューリップは神を感知する具象の対象として、人々に大切にされるようになったのです。

実際、武人たちが遠征に行く際には、チューリップの文様や文字をあしらった武具を身につけていました。身の危険が迫った時に「アッラーの加護」を受けたいという思いからでしょう。戦に赴く男を送り出す女たちも、「これを身につけて」と武具などにチューリップをあしらったであろうことも、たやすく想像できます。

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《兜》18世紀 黄金の兜に、チューリップがシンボリックにあしらわれています。
トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《柳装飾の盾》16世紀後半 「アッラーの加護」を感じられそう!

チューリップの品種改良が進み
文化が急速に成熟していく

チューリップを愛したスレイマン1世が統治した頃、当時のイスラム長官エブスウウド・エフェンディ自らが、チューリップの品種改良に努めていました。それほど重要な国家事業だったのかもしれません。自生していたチューリップは赤い花がほとんどでしたが、15〜16世紀には品種改良によって白、白に斑が入るもの、黄色など、さまざまな色や形が生まれました。

18世紀になると多様な品種が生まれたことにより、チューリップの値段が上がったため、品種が登録されるようになりました。すべての品種に名前がつけられ、花色、花形、葉の形を記録。値段も公定価格がつけられたのです。

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《礼拝用敷物(セッジャーデ)》 18世紀末

18世紀頃に登場した権力者アフメト3世(1703-1730)と大宰相のダーマート・イブラヒム・パシャは大変にチューリップを好み、イスタンブルの街中をチューリップで飾り立てたといわれています。この時代を後世の歴史家は「チューリップ時代(1718〜1730)」と名づけ、トプカプ宮殿はあらゆる装飾品にチューリップがモチーフとしてあしらわれました。時の権力者が愛好したということもあり、オスマン帝国ではチューリップ文化が絢爛豪華に花開き、急速に成熟していったことが伺えます。

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《バラ色の燕尾型チューリップ》デルヴィーシュ(神秘主義者)・スレイマン・エル-メヴレヴィー著 18世紀末‐19世紀初頭

写真を見てください! 「チューリップ時代」には花弁が長く、巻きが強くて先が細くなる咲き姿が流行していたことが、当時のチューリップ専門書に残されています。これは18世紀頃に流行した花姿で、16世紀にはふっくらとした花姿が好まれたことから、時代によって流行があったようです。

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《ピンク色の燕尾型チューリップ》アブドゥッラ・ブハーリー画 18世紀中期

チューリップの大ムーブメントは
オスマン帝国からヨーロッパ他へ波及

チューリップ文化が栄えたオスマン帝国のスレイマン1世を、ハンガリーの大使ビュスベックが訪ねた際、イスタンブル郊外で野生の赤いチューリップが群生する美しい姿に衝撃を受けました。その時に球根を持ち帰ったのが、ヨーロッパにチューリップが伝わった最初とされています。その後、ヨーロッパでも品種改良が進み、現在に伝わるふっくらとした姿のゲスネリアナ種が誕生しました。

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《皿》19世紀 ゲスネリアナ種が描かれています。

ヨーロッパでもチューリップが大人気になり、「手元で咲かせてみたい」と所有欲をそそる存在に。球根の値段がうなぎのぼりに上がっていき、オランダでは投機の対象になって、経済が混乱した「チューリップ・バブル」を引き起こしました。ヨーロッパで生まれたゲスネリアナ種が17世紀にオスマン帝国に里帰りすると、また大評判に。チューリップ文化は寄せては返す波のように、世界中にムーブメントを起こしました。

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《染付カラック(芙蓉手)様式皿》1690‐1710年 チューリップらしき文様が見られます。

一方、東洋の中国では、チューリップは誰も見たことのない存在。でも、ヨーロッパに輸出していた染付の皿には、チューリップと見られる文様があしらわれています。これは輸出先のニーズに合わせて取り入れられたものと推測でき、ユーラシア大陸の東端にまでチューリップ文化が影響を及ぼしていたことがわかる痕跡です。

オスマン帝国の四季
自然を愛する人々

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《七宝製バラ水入れ》19世紀

オスマン帝国のチューリップ文化について、スポットを当ててきましたが、彼らはチューリップばかりを偏向的に愛したわけではありません。春はスイセン、ヒヤシンスから始まり、チューリップ、バラ、カーネーションへ。これらはオスマン帝国の代表的な花です。果物が実る春の木として、リンゴ、アーモンド、モモ、ナシを愛で、夏はダリア、ユリ、スイカズラ、タチアオイ、ムクゲなどを愛しました。

春と秋が短いながらも四季があり、オスマン帝国で暮らした人々は、日本人が植物を通して四季を愛でるのと同じような感覚を持っていたようです。カタバミやタンポポ、スミレ、シクラメンなどの野草にも楚々とした魅力を見いだし、美術工芸品に描かれています。

ヤマンラール水野美奈子さんはこう語ります。「植物のモチーフを観点に美術工芸品を見ると、オスマン帝国に暮らした人々と日本人の感覚は、とても近いように感じます。日本でお茶の席では茶花を一輪挿してもてなすように、自然界から切り取った美しいものを、生活に取り入れて愛でるという感覚。自然界から何を美として見出すか、そういう肌感覚がとても似ているように思いますね」。

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
《チューリップ用花器(ラーレ・ダーン)》18‐19世紀 チューリップの花茎を支えるために口が長くなっています。一輪挿しとして使っていました。

いかがでしたか? 「トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」監修者のヤマンラール水野美奈子さんから、オスマン帝国におけるチューリップ文化について詳しく解説していただきました。このお話を踏まえて展示会に足を運ぶと、一層楽しめそうです。会期は7月28日まで、ぜひ訪れてみてください!

Information

トルコ文化年 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美

トルコ文化年2019 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美
https://turkey2019.exhn.jp

会場:京都国立近代美術館(岡崎公園内)
住所:京都府京都市左京区岡崎円勝寺
TEL:075-761-4111
http://www.momak.go.jp/

アクセス:公共交通機関/JR・近鉄京都駅前’A1乗り場)から市バス5番銀閣寺・岩倉行き「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車すぐ

会期:6月14日(金)〜7月28日(日)

休館日:月曜、7月16日(火) ※但し7月15日(月・祝)は開館

開館時間:9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
※ 6月は金・土曜20:00まで、7月は金・土曜21:00まで開館

料金:一般1,500(1,300)円、大学生1,100(900)円、高校生700(400)円
※( )内は団体料金
※中学生以下、心身に障がいのある方と付添者1名は無料(入館の際に証明できるものの提示が必要)
※本料金でコレクション展の鑑賞も可能。

駐車場:なし

※掲載作品はすべてトプカプ宮殿博物館蔵

Credit


取材&文/長田節子
ガーデニング、インテリア、ハウジングを中心に、ライフスタイル分野を得意とするライター、エディター。1994年より約10年の編集プロダクション勤務を経て、独立しフリーランスで活動。特にガーデニング分野が好きで、自身でも小さなベランダでバラ6姉妹と季節の草花を育てています。草花や木の名前を覚えると、道端で咲いている姿を見て、お友達にばったり会って親しく挨拶するような気分になれるのが醍醐味ですね。
https://twitter.com/passion_oranges/
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