バラの由来や品種をご紹介するこのシリーズで、今回取り上げるのは、ケンティフォリア系のモスローズ。ケンティフォリアから枝変わりで生まれたとされ、つぼみや萼がびっしりとトゲで覆われるのが特徴です。この特徴的なオールドローズについて、その起源や代表的な初期品種を、ローズアドバイザーの田中敏夫さんにご案内いただきます。

Print Friendly, PDF & Email

モスローズとは

つぼみを覆う萼片や茎に苔状の突起が多数生じるのがモスローズの特徴です。その姿が苔のように見えることから「モスローズ」と呼ばれるようになった、長い育種史のあるバラです。

この由来については、イギリスの学術誌『RHSジャーナル:”JOURNAL of the ROYAL HORTICULTURAL SOCIETY”』(1922)のなかでC.C. ハースト(C.C. Hurst)博士が詳細に記述しています。

記述は詳細にわたっていますが、モスローズの由来を解説する部分を以下に要約してみます。

「1908年から始められた原種と園芸種の遺伝子の関係を調べる試みは1919年になってようやくまとめることができた。
とりわけモスローズの遺伝子調査は興味深いものだった。

最初のモスローズであるロサ・ムスコーサ(1768 by Miller)は茎、枝等々に苔状突起が生じる違いがあるもののオールド・キャベッジローズ(ロサ・ケンティフォリア:1753 by Linnaeus)と同じ特徴を示すものとして出現した…

(しかし、ケンティフォリアとは液腺などに起因する違いがあることから)ミラー(Miller)は1768年、H. muscosaという新クラスを提唱し、デュロワら多くの賛同を得た。しかし、他方、リンネなどはこの品種はケンティフォリアから変異したものとみなしていた…

(今日では)オールド・モスローズとケンティフォリアは同系列に属するものとの理解されている…

最初にモスローズに言及したのはブールハーフェ(Boerhaave)で、1720年、ロサ・ルブラ・プレナ・スピノシシマ・ペデュンクロ・ムスコソ(Rosa rubra plena spinosissima, pedunculo muscoso)という名称で紹介したものだった。

1724年にはロンドンで植栽されていたと言われているし、(先に言及した)ミラーは同年、ロバート・フーバーがケンジントンで販売している植物カタログに記載されていると述べている…

モスローズの由来について深い関心をしめしていたダーウィンは1893年、『由来は不明だが、類似点が多いことからプロヴァンス・ローズ(ケンティフォリア)からの枝変わりであろう』と述べた。1868年に『多くの事実が枝変わりである可能性が強い』と予測してからさらに事実に照らし合わせての結論であった。

1696年、南フランスにおいてキャベッジローズ(ケンティフォリア)の中に(コモン・モスが)見出され、
1801年、イングランド西部でケンティフォリアであるロズ・ド・モー(Rose de Meaux)の枝変わりとしてモス・ド・モー(Moss de Meaux)が出現し、1843年、ケンティフォリア、ロズ・ユニーク(Rose Unique)の枝変わりとしてユニーク・モス(Unique Moss)が現れた。

ロズ・ド・モーとロズ・ユニークはともに、元々ケンティフォリアからの枝変わりであろうと見られていたことから、コモン・モスがケンティフォリアから枝変わりであろうという説は確実性が増していったといえるだろう。

他のモスローズは直接と間接を問わず、この3つの枝変わり種から生じたといってよいだろう。実際、イングランドとフランスにおいて、1788年から1832年の間に少なくとも17種の(ケンティフォリアからの)枝変わりによるモスローズが出現している。

そのなかにシングル咲きで結実するものが現れ(Shailer, 1852-註)、イングランドおおよびフランスにおいて育種された多くのモスローズの交配親となった。

モスローズの生い立ちをさらに確かなものにする興味深い事実は、1782年から1832年の間に生じたモスローズの12の枝変わり種が、1637年から1813年の間に生じたキャベッジローズの12の枝変わり種の出現に平行して現れたということにある。

それらの違いは単に”苔”があるかないかだけである」
(註:今日では1852年ではなく、1807年に発見されたとみなされている)

これが、モスローズの生い立ちだといわれています。

初期のモスローズ品種

この記事では、モスローズの初期の品種をご紹介していきましょう。

ケンティフォリア・ムスコーサ/コモン・モス(centifolia muscosa/Common Moss)- 1696年以前

コモン・モス
最初のモスローズ、ケンティフォリア・ムスコーサ。Photo/今井秀治
ロサ・ケンティフォリア
元品種であるロサ・ケンティフォリア(R. centifolia)。Photo/田中敏夫

大輪、深いカップ形、ロゼッタ咲きの花形。マジェンダの色合いが加わったミディアム・ピンクで、深みのある色合いです。

先にご紹介したハースト博士は同じ記述の中で、「…最初のモスローズは1696年ころ、南フランスのカルカソンヌ(Carcassonne)において、オールド・キャベージ・ローズ(ロサ・ケンティフォリア)の枝変わりとして見いだされた」と結論づけています。

モスローズの元品種であることから、一般的にはコモン・モスと呼ばれています。

「多くのモス品種がこの品種の後育種されたけれども、ひとつとして、このコモン・モスの美しさを超えたものはなかった…」とグラハム・トーマスは著書『ジ・オールド・シュラブ・ローズ(The Old Shrub Roses)』の中で語っています。

さらにはアメリカのリチャード・トムストン(Richard Thomston)も著作『オールド・ローゼズ・フォー・モダン・ガーデンズ(Old Roses for Modern Gardens)』のなかで、「この美しさを凌駕できるモスローズはない…」と記述しています。

最初のモスローズは、今もなお最高のモスローズであり続けています。今日でも、この至言はそのまま繰り返してよいのではないでしょうか。

‘シェイラーズ・ホワイト・モス’(Shailer’s White Moss)- 1843年以前?

シェイラーズ・ホワイト・モス
‘シェイラーズ・ホワイト・モス’。 Photo/今井秀治
ロズ・ユニーク
元品種の‘ロズ・ユニーク’(Rose Unique)。Photo/田中敏夫

ハースト博士がケンティフォリアの‘ロズ・ユニーク’からの枝変わりで生じたとしているユニーク・モスですが、現在、モスにはいくつか美しい白花品種があるので、ここでは‘シェイラーズ・ホワイト・モス’という名称としました。

カップ形、ロゼッタ咲きの花形、花心に緑芽ができることも多い品種です。花色はホワイト、わずかに刷いたようにピンクが入ることもあります。幅広、明るい葉緑の小葉、細めながら硬い枝ぶり、120~180cm高さのシュラブ。花の大きさ、葉色、樹形など、全体によく調和がとれた庭植えバラとして完成度の高い品種です。

ハースト博士は1843年頃発見されたという説をとっていますが、”バラの画家”ルドゥーテがケンティフォリア・ムスコーサ・アルバというタイトルで描いたバラは、この品種ではないかという説もあります。

その際の解説として、1788年頃、イングランドのシャイラー(Henry Shailer Sr.)が、ケンテフィフォリア・ムスコーサの枝変わりとして公表したと述べられています。

さらに、バラ文献を精力的に読破しているディカーソン氏(C.D. Dickerson)は、著作『ジ・オールド・ローズ・アドヴェンチャラー(The Old Rose Adventurer)』のなかで、1819年、息子のほうのヘンリー・シェイラー(親子同名)が1819年6月15日に開催されたロンドンの園芸協会展示会において9種のモスローズを展示し、そのなかに彼が発見したと思われる白花モスが含まれていたと述べています。

じつは、このヘンリー・シェイラー・Jr.自身が残した記事があります。

「1735年ころオールド・レッド・モスがはじめて(英国に)紹介されたのだが、フラム(Fulham、ロンドン南西部郊外)のブルーム・ハウスで庭師と苗生産をしていたレンチ氏宛てにイタリアから送られてきたオレンジ苗木に混じってのものだった…

1788年、最初のホワイト・モスはこの株のサッカー・シュートから生じたものだった。
わたしの父ヘンリー・シェイラーはリトル・チェルシー(ロンドン西部)の苗生産者でモスローズを手広く扱っていたが、この”奇形種”すなわちレッド・モスからのサッカーを剪定し、ホワイト・プロバンスかロサ・ラ・ブランシェ・ユニークに接ぎ木した。

接ぎ芽は翌シーズンに淡いピンクの花をつけた。父はさらに翌年、芽接ぎを行ったところさらに白い花が開花した。それはシェイラーズ・ホワイトと命名されて世に出ることとなった…」
(Origin of Several Varieties of Moss Roses, “The Floricultural Cabinet and Florist’s Magazine”, 1851)

したがって、この白花モスは1790年頃に世に出されたものの、希少種としてわずかに流通していたものようです。

‘ムスコーサ・シンプレックス’(Muscosa Simplex)- 1807年頃

‘ムスコーサ・シンプレックス
‘ムスコーサ・シンプレックス’Ulf Eliasson – Own work, CC BY 2.5 via Wikipedia Commons

ハースト博士の記述では、1853年頃に結実するモスローズ(コモン・モスの枝変わり)として世に紹介され、その後のモスローズの交配親となった、育種史上とても重要な品種です。

一般的にはロサ・ケンティフォリア‘アンドルウシー’(R. centifolia ‘Andrewsii’)と呼ばれることのほうが多いようです。英国の自然科学者ウィリアム・アンドリュース(William Andrews:1802-1880)により紹介されたことによります。

モスローズは先に述べた通り、ケンティフォリアの枝変わりとして生じたものでした。

ケンティフォリアはしべがほとんど花弁化してしまっていることから、ほとんど不稔と考えてよいものでした。したがって、その枝変わり種であるモスローズも不稔だと考えるのが自然ですが、上記の‘ムスコーサ・シンプレックス’の登場や、販売業者や育種家の努力によって、新しいモスローズが市場へ出回るようになってきました。

‘オールド・レッド・モス’(Old Red Moss)- 1835年

‘オールド・レッド・モス
‘オールド・レッド・モス’ Photo/今井秀治

「オールド・レッド・モス」という名前からはいかにも古い由来の品種という印象を受けますが、現在この名前で出回っている品種が果たして古来のものなのかどうか疑問視するむきがあります。
現在見ることができる‘オールド・レッド・モス’の特徴は以下のようなものです。

中輪または大輪、20弁前後、オープン・カップ形となる花形。カーマイン・レッド(バーガンディ)とは言い切れませんが、西洋サクランボ色(深いピンク)をさらに深くした花色です。変わった表現かもしれませんが、”薄色バーガンディ”とでも呼びたい気になります。香りは強くないものの、どちらかというとダマスク系列の香りがあり、萼、株肌に苔というより小さなトゲといったほうがよい突起が密生します。高さ3mを超えていたという記述もありますが、中型のシュラブとするのが適切かと思います。

ロサ・ケンティフォリア・ムスコーサ・ルブラ(R. centifolia muscosa rubra)という別名でも呼ばれているため、ケンティフォリア系のモスローズとされることが多いようですが、現在あるものは、花形、香り、また、”苔”の形状からダマスク系列に属するモスローズとするのがよいと感じます。さらに特出した特徴はよく結実するという点です。これもケンティフォリア系らしくない…。

‘シェイラーズ・ホワイト・モス’を世に紹介したことで知られるヘンリー・シェイラー・Sr.の息子、同名のヘンリー・シェイラー・Jr.がこの品種へ言及した記事があります。

「オールド・レッド・モスがはじめて紹介されたのは1735年頃のことだった。それはイタリアからのオレンジ苗木と一緒にフルハム、ブルームハウスの育苗家/庭師であったレンチ氏へ送られてきた…」(”The Floricultural Cabinet & Florist’s Magazine”, 1851)

これに従えば、1853年に紹介されたのではなく、1735年にイタリアから英国へもたらされたということになります。

この記事からはオールド・レッド・モスの花形、モスの付き具合などの詳細は分かりませんが、かつてケンティフォリア系の”古い”赤モスがあったもののすでに消滅してしまい、よく似た赤モスがこの名前を継いだのかもしれません。

‘ニュイ・ド・ユン’(Nuits de Young)- 1845年

‘ニュイ・ド・ユン’
‘ニュイ・ド・ユン’ Photo/今井秀治

前々回の記事『ハイブリッド・パーペチュアル~最後のオールドローズ』でご紹介した育種家ジャン・ラッフェイによってもたらされたモスローズです。

小輪または中輪、小さなダリアといった印象の丸弁咲きの花。花色は深く、暗いパープル。ユニークな色合いです。モス品種のなかで、もっとも暗い色といわれています。細いけれど硬めの枝ぶり、中型の立ち性のシュラブとなります。非常に深い色、それにピッタリの名前からか、古くから愛され今日まで伝えられました。

「ニュイ・ド・ユン」(”ヤングの夜”)という名前は、18世紀のイングランドの詩人エドワード・ヤング(Edward Young:1683-1765)の詩『不満または人生、死と永遠に関する夜想/The Complaint: or Night Thoughts on Life, Death, and Immortality』(単に『夜の瞑想/Night Thoughts』と呼ばれることが多い)にちなんだ命名といわれています。

若き日のゲーテはヤングとミルトンに英語を学んだと述懐しています。夜の闇と墓場ばかりを題材にした彼の詩は理性にとらわれず、情念に重きを置いたものでした。この手法は当時のドイツ文芸界に強い影響を与え、ゲーテ、シラーなどが押し進めた「シュトルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)運動」の先駆けとしても評価されています。機知に富んだ格言は今日でも新鮮で、よく引用されます。

  • すべての人は自分以外の者が死ぬと思っている/All men think all men mortal but themselves.

  • 遅延は時間泥棒である/Procrastination is the thief of time.

‘ウィリアム・ロブ’(William Lobb)- 1855年

ウィリアム・ロブ
‘ウィリアム・ロブ’ Photo/今井秀治

小輪または中輪、浅いカップ形の花形。非常に濃いバイオレットの花色。花心の黄色のしべがアクセントとなります。花弁の裏はシルバーが入り、明るいライラック・ピンクの色合いとなります。とがり気味の深い色合いのつや消し葉、モスが萼筒や若枝に密生する枝ぶり、180~250cmの直立性のシュラブ樹形となります。

このモスローズも、フランスのラッフェイが育種・公表しました。交配親は不明です。

ウィリアム・ロブ(William Lobb:1809-1863)は、この品種が公表された当時、イギリスのヴェイチ商会のもとで活躍していたプラント・ハンターです。初期は中南米、のちに北米を探索しました。チリから持ち帰ったナンヨウスギ、アラウカリア・アラウカナ(Araucaria araucana)は、こんがらがった小枝が特徴的で、別名ザ・モンキー・パズル・ツリー(the monkey-puzzle tree)と呼ばれています。猿も登るときどうやったらいいだろうと悩むに違いないというジョークからきているとのこと。

‘アンリ・マルタン’(Henri Martin)- 1863年

アンリ・マルタン
‘アンリ・マルタン’ Photo/今井秀治

前回の記事『フランソワ・ラシャルム~ため息誘う美しいバラの生みの親』でもご紹介した、ラシャルム作出の品種です。単にレッド・モスと呼ばれることもあります。そのため、ずっと古いとされている前出の‘オールド・レッド・モス’と混同されてしまうことがあり、赤花モスの識別に混乱が生じてしまいました。

中輪または大輪、丸弁咲きの花が房咲きとなります。鮮やかな深い赤の花色は、時が経つと黒バラのようにさらに深みが増します。表皮が少し縮み気味にザラついた、楕円形の明るい色合のつや消し葉。中型・立ち性のシュラブになります。

品種名のアンリ・マルタン(Henri Martin:1810-1883)は、フランスの歴史学者。膨大な作業を要した『フランス史』は多くの歴史学者達が執筆しましたが、この歴史書をある期間書き継いだ学者の一人です。フランス地域に住んでいたケルト系のゴール人の物語などにも精通した文化人でした。学究にいそしんだというよりは政治的な野心もあって、故郷エーヌ県選出の議員やパリ16区の区長を務めるなど、いくぶんか生臭さをもった学者であったようです。

‘スペール・エ・ノッタン’(Soupert et Notting)- 1874年

スペール・エ・ノッタン
‘スペール・エ・ノッタン’ Photo/今井秀治

中輪、カップ形、ロゼッタ咲きの花形となります。花色はディープ・ピンクとして登録されていますが、実際には鮮やかなストロング・ピンク。花心は色濃く染まり、縁は色抜けして淡いピンクとなることが多い花色です。楕円形の明るい色調のつや消し葉に、細く固い小突起(モス)が密生する枝ぶり。小型、横広がりするブッシュとなります。

一つひとつの花もさることながら、株が充実すると、春の開花時に株を覆い尽くすかのように咲き誇る様子がこの品種の魅力だと思います。その光景に出合った経験は忘れがたいものです。

フランスのジャン・ペルネ(Jean Pernet:ペルネ=ドゥシェの父)により育種・公表された品種です。19世紀後半、主にポリアンサなど小さめの樹形の品種を数多く生み出したルクセンブルグのナーセリー、スペール・エ・ノッタン(Soupert et Notting)に捧げられました。

1876年にウィリアム・ポールが残した記事や1881年の年報などに“ケンティフォリアのような大輪”、“ポール・ネイロンのような巨大輪”という記述があるのですが、現在見ることができる‘スペール・エ・ノッタン’は中輪花です。また、返り咲きするという記述が多いのですが、現在出回っている株が秋に咲いている例に出会ったことがありません。

現在ある‘スペール・エ・ノッタン’の美しさを減ずることにはなりませんが、育種当初は大輪で返り咲きする性質があったものの、別の品種と入れ替わってしまい、中輪、返り咲きしない性質のものになってしまったのかもしれません。

Credit

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたい思いから、2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/田中敏夫、今井秀治

Print Friendly, PDF & Email