私たちが、いま目にしている美しいバラの多くは、これまでに数多の育種家の手によって作り出されてきた品種です。今回は、その中でも特に優美で美しいバラを多く生んだ育種家、フランソワ・ラシャルムにスポットを当て、その生涯や生み出したバラについて、ローズアドバイザーの田中敏夫さんにご案内いただきます。

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繊細なオールドローズを生んだフランソワ・ラシャルム

前回の『花の女王バラを紐解く「ハイブリッド・パーペチュアル」』の記事で、ハイブリッド・パーペチュアル(HP)の生みの親はジャン・ラッフェイだったとご紹介しました。このラッフェイの思想を継承し、洗練された品種を数多く世に出した育種家がいました。それが、今回ご案内するフランソワ・ラシャルム(François Lacharme)です。

ラシャルムの活動時期は、オールドローズの終わりからモダンローズの始まりの時代にかけてでした。しかし、ラシャルム自身はモダンローズの新たな地平を切り開いていった人物ではなく、オールドローズの美しいたそがれと運命を共にした育種家だったといったほうがよいのではないでしょうか。

フランソワ・ラシャルムの生涯

フランソワ・ラシャルムは、1817年、フランス、リヨン近郊のサン・ディディエ・スル・シャラローヌ(St-Didier-sur-Chalaronne)の農家に生まれ、幼いときから花、特にバラに魅せられていました。ちなみに、最初のハイブリッド・ティー(HT)、‘ラ・フランス’の生みの親であるジャン=バプティスト・ギヨーは1827年生まれ、ラシャルムと同じリヨン出身です。

フランソワ・ラシャルムの肖像
晩年のフランソワ・ラシャルムの肖像。“The American Florist : a weekly journal for the trade.”, v.3 1887 -88[Public Domain via. HATHI TRUST]
1836年、ラシャルムが18歳の時、園芸家でバラ育種も行っていたリヨンのポンセ氏(Mons. Poncet)の許で修業に励むことになりました。ポンセ氏の農場で働いている時代に、リヨンに本拠を置いたバラ育種家である、プランティエ氏(Mons. Plantier:1792-1872)と知り合いになったと思われます。プランティエ氏は、夫人へ捧げた美しいノワゼット、‘マダム・プランティエ’の育種で、今日もその名を知られています。

先日、次のような興味深い記事を見つけました。2013年にネット上にアップロードされたものです(自動英訳からの重訳)。

「1836年、プランティエは園芸誌『ル・ボン・ジャルディニエ(Le Bon Jardinier:”すぐれた園芸家”)』を発行していたパリのピロール氏(Mons. Pirolle)宛に紹介状を書いた。紹介状をたずさえて訪れたパリに滞在中、ラシャルムはヴィクトール・ヴェルディエ(Victor Verdier-註:著名な育種家)に会い、リュクサンブール宮殿の園丁であったアルディ氏(Mons. Julien Alexandre Hardy-註:やはり著名な園芸家)を紹介された。

若きラシャルムはしばしばアルディ氏を訪ね、話に熱心に耳を傾け、ノートをとり、そして長い間立ち尽くして、静かに思索にふけりながら、膨大な、当時もっとも完璧といわれていた、バラのコレクションを楽しんでいたと、ウジェンヌ・ヴェルディエ(Eugene Verdier-註:V. Verdierの息子)は伝えている」

(”François Lacharme“ Article of “FranMoje róże – moja pasja”, 2013)

1840年、師であるプランティエ氏は引退し、農場はラシャルムに引き継がれました。ラシャルム、22歳の頃のことでした。ラシャルムは、その時から死去する1887年(70歳)まで、たゆまず美しいバラを生み続けました。育種したクラスはHP、モス、ブルボン、ノワゼット、ティー、初期のHTなど広範囲にわたっており、その数は100を超えるといわれています。

「バラの育種は科学ではない。芸術だ…」と言った人がいます。ラシャルムはその言葉が最もあてはまる育種家の一人ではないでしょうか。

ラシャルムの生んだ美しいバラの数々

ラシャルムが育種した数多くの品種は、花、香り、フォルム(樹形)のバランスが整っているばかりでなく、花弁の色づき具合、若葉の縁に出る茶褐色などの色合い、株肌のトゲにさえ、彼の美意識が反映されているのではないかと思えるほど繊細さに満ちています。

冬の間、細いながらも硬めの枝ぶりで庭のフォルムとなっていたバラは、春を迎えると若緑の粒を突き出すように芽を吹き始めます。ダマスクなど古いタイプのオールドローズによく見られる芽吹きです。やがて、萼片で飾りつけられたような大きなつぼみがゆっくりと花開きます。咲き始めは少ない弁数ですが、開くにつれてその数を増やしてゆく様は、温かい日の光にせかされ、せっせと花弁を作り続けているのではと思えるほどです。

馥郁たる芳香。花と緑、よく整った立ち姿。美しく着飾った女性が華々しい衣装を誇らしげに披露しているかのようです。

ラシャルムこそは、バラ200年の育種史の中で最も美しいバラを作った人だと僕は思っています。

そんなラシャルムの生んだ、代表的な品種をいくつかご紹介しましょう。

‘コルネ’(Cornet)- 1845年

バラ‘コルネ’
‘コルネ’ Photo/田中敏夫

大輪、40弁を超えるカップ形のバラで、花弁が撚れて乱れがちになります。花色はモーヴ(藤色)あるいはミディアム・ピンク。どちらかというとピンクになる傾向が強いようです。楕円の端がピンと尖ったつや消し葉、柔らかな枝ぶり、中型のシュラブとなるHPです。

このバラは、同業者であったブノワ・コルネ(Benoit Cornet)へ捧げられたものです。農園主となったとはいえ、まだ若年(27歳頃)のラシャルムは、プランティエ氏の指導を受けていたといわれています。この品種の育種にもプランティエ氏は力を貸していたのかもしれません。完成された見事な品種です。

‘サレ’(Salet)- 1854年

バラ‘サレ’
‘サレ’ Photo/今井秀治

中輪から大輪のカップ形の花で、ロゼッタ咲き。数輪の房咲きとなります。花色は鮮やかなストロング・ピンク。外輪は淡く色抜けして、全体としてはグラデーションとなり、非常に印象的です。整った卵形の明るいつや消し葉、モス・ローズにクラス分けされており、細く鋭いトゲがつぼみや枝に密生しています。柔らかで横広がりする枝ぶりで、150㎝ほどの高さのシュラブとなります。あまり頻繁ではありませんが、秋に返り咲きする性質を有する、”パーペチュアル(返り咲き)・モス”の一つです。

このバラは、メルシオル・サレ(Melchior Salet)という人物に捧げられたという記事も見かけますが、詳しいことは分かっていません。

‘アンナ・フォン・ディーズバッハ’(Anna von Diesbach)- 1858年

バラ ‘アンナ・フォン・ディーズバッハ’
‘アンナ・フォン・ディーズバッハ’ Photo/田中敏夫

花径13㎝を超える極大輪になることもある、ロゼッタ咲きのバラ。鮮やかな、しかし、同時に深みを感じさせる不思議な印象を残すディープ・ピンクの花色です。花弁の縁が淡く色抜けして、あまりの美しさに驚嘆することもあります。丸みを帯びたつや消し葉、硬い枝ぶりの立ち性の大型のシュラブとなります。

スイスのバラ愛好家であった、ディーズバッハ伯爵夫人の娘、アンナ・ド・ディーズバッハ(Anne Marie Lucie Hedwige de Diesbach Belleroche 、命名当時14、15歳)に捧げられたHPです。ディーズバッハ家にはバラ園があり、ラシャルムはその管理を任されていました。

彼女のファースト・ネームは、育種名となっている”Anna”ではなく、”Anne”と表記するのが正しいようですが、ここでは流通名”Anna”のままとしました(Brend C. Dickerson, “The Old Rose Advisor”、Stefanie Beyer、”Die Namen der Rosen”)。

‘マダム・アルフレッド・ド・ルジュモン’(Mme. Alfred de Rougemont)- 1862年

バラ ‘マダム・アルフレッド・ド・ルジュモン’
‘マダム・アルフレッド・ド・ルジュモン’ Photo/今井秀治

中輪で、ロゼッタ咲き、またはクォーター咲きとなる花形。鮮やかなピンクに色づいていた丸いつぼみは、開花するとホワイトにわずかにピンクのしずくを垂らしたような淡いピンクの花色となります。‘スヴェニール・ド・ラ・マルメゾン’を小さめにしたような花形、花色です。卵形で明るい色合いのつや消し葉で、早春に吹く黄緑の新芽は本当に美しいものです。細めの枝ぶり、250~350㎝の高さに達するランブラーです。

ライト・ピンクのブルボン、‘マドマーゼル・ブランシェ・ラフィット’(Mlle. Blanche Laffitte)と、ホワイトのダマスク、‘サフォー’(Sappho)との交配により育種されたといわれています。ちなみに、この組み合わせによる交配は白花のノワゼット、‘ブール・ド・ネージュ’(Boule de Neige)と同じです。花色、花形はよく似ていますが、‘ブール・ド・ネージュ’に比べ、花径はより小さく、樹高はより高くなる傾向があります。

一般的にはノワゼットへクラス分けされていますが、小型のブッシュだとする解説も多数見られます。そのためか、ノワゼットではなくHPとされたり、また、返り咲きすることからダマスク・パーペチュアル(ポートランド)とされたりすることもあるようです。

‘スヴニール・ド・ドクトゥール・ジャメ’(Souv. du Docteur Jamain)- 1865年

バラ ‘スヴニール・ド・ドクトゥール・ジャメ’
‘スヴニール・ド・ドクトゥール・ジャメ’ Photo/田中敏夫

中輪または大輪のカップ形、ロゼッタ咲きの花が、伸びた枝先に開花します。パープルをどっぷりと含んだクリムゾンの花色は、類稀な深さです。丸みのある、蒼みを帯びた葉色。まっすぐ伸びる枝ぶり、120〜180cm高のシュラブとなります。

数々の優れた品種の交配親となった、レッド・ブレンドのHP、‘ジェネラル・ジャックミノ’(Général Jacqueminot)とダーク・レッドのHP、‘シャルル・ルフェブブル’(Charles Lefebvre)との交配により育種されたと記録されています。すでに失われたと思われていた品種ですが、シシングハースト・カースルの庭園をつくりあげたヴィタ・サックヴィル=ウェストが、あるナーサリーで再発見して再び流通するようになりました。

強い日照下では花弁が焼けて褐色になってしまうことがあり、半日陰で気長に栽培するなど、注意深い育成が求められる品種です。しかし、パープル、あるいは栗色を混ぜたとも表現される深いクリムゾンの花弁に、花心の赤がまるで燠火(おきび)が妖しく燃えるように見える花に出合った時、育て上げた苦労は、格別の喜びに変わるでしょう。

なお、この品種は‘スヴェニール・ダルフォンス・ラヴァレ’(Souv. d’Alphonse Lavallée)との著しい類似が盛んに論じられています。市中に出回っている株は、実際には同品種である可能性が高いと思われます。

‘アルフレッド・コロム’(Alfred Colomb)-1865年

バラ ‘アルフレッド・コロム’
‘アルフレッド・コロム’ Photo/田中敏夫

花径9~11cmで、少し乱れ気味のカップ形。ロゼッタ咲きで強く香ります。ディープ・ピンク(ARS)として登録されていますが、深めのクリムゾンから、咲き進むとさらに深みを増してパープルがかることもあります。少し蒼みを帯びた、幅広のつや消し葉を持ち、硬めの枝ぶりの120~180cmの高さで、どちらかといえばこんもりとした、とげの少ないブッシュとなることが多く、大きめのポット植えでも楽しむことが可能です。

数多くの赤品種の交配親となった‘ジェネラル・ジャックミノ’の実生から生じたという説が有力です。ラシャルムが本拠としていたリヨンのバラ愛好家にちなんで命名されたといわれています。

1852年にドウシェが公表したとされる品種に同名のものがあり、やはりダーク・レッドのHPです。これが同一のものなのかどうかは、現時点では、まだ確かめられていません。また、‘マダム・ブロス’(Mme. Brosse)あるいは‘マーシャル・P・ワイルダー’(Marshall P. Wilder)という名称で流通している品種は、実際にはこの‘アルフレッド・コロム’と同一品種であるというのが一般的な理解となっています。

‘ブール・ド・ネージュ’(Boule de Neige)- 1867年

バラ ‘ブール・ド・ネージュ’
‘ブール・ド・ネージュ’ Photo/田中敏夫

ブール・ド・ネージュ、つまり”雪の玉”という名前の通り、7~9cm径ほどで、花弁がいっぱいに詰まった小ぶりな丸弁咲き、少し大きめのポンポン咲きといった花形となります。数多いオールドローズの中にあっても、コロリところがりそうな花形は、それほど例がありません。花形こそが、この品種を一番特徴づけているのではないでしょうか。

紅色の玉のようなつぼみは、開くと純白となりますが、花弁の縁に紅色の覆輪が残ることもあります。ほとんど一季咲きといっていいほどですが、株の生育が順調だと秋に返り咲きすることがあります。そのことから、ブルボンへクラス分けされています。大きめで幅広の、くすんだ深い色の葉で、立性の120~180cmほどのシュラブとなります。しなやかな枝がアーチ状になり、花咲く季節には風に揺れて、爽やかな印象を与えてくれます。

このバラは1867年に公表されました。ホワイトのブルボン、‘マドマーゼル・ブランシェ・ラフィット’と、ダマスクの‘サフォー’という、すでに失われたとされている品種の交配により生み出されたこと、その交配は‘マダム・アルフレッド・ド・ルジュモン’と同じであることは、すでに述べた通りです。

‘コケット・デ・ブランシェ’(Coquette des Blanches)- 1871年

バラ ‘コケット・デ・ブランシェ’
‘コケット・デ・ブランシェ’ Photo/田中敏夫

花径7~9cm、ロゼッタ咲きまたは丸弁咲きとなる花形で、強く香ります。花色は白。しかし、つぼみは紅色に染まり、開花後も花弁の縁にそれが残ることがあります。比較的大きめの楕円形で、葉先がピンと尖った深い色合いのつや消し葉。細いけれど硬めの枝ぶりで、立ち性の180~250cmほどのシュラブとなります。

この品種もまた、‘ブール・ド・ネージュ’と同じく‘マドマーゼル・ブランシェ・ラフィット’と‘サフォー’の交配により生み出されたといわれています。ブルボンにクラス分けされることが多いのですが、枝ぶりなどブルボンらしからぬ性質もあるため、HPにクラス分けされたり、また、中輪花の様子からか、ノワゼットにクラス分けされることがあるなど、所在の定まらない品種の一つです。コケット・デ・ブランシェとは、”瀟洒な白花”といった意味合いでしょうか。

‘キャプテン・クリスティ’(Captain Christy)- 1873年

バラ ‘キャプテン・クリスティ’
‘キャプテン・クリスティ’。写真では白っぽく見えるが、本来はもっとピンクの強い花色。`Photo/田中敏夫

40弁前後の大輪で、折れ返りする花弁のボリュームのある丸弁咲き。単輪または、数輪程度が寄り集まって開花します。丸く大きなピンクのつぼみは、開花すると、明るいピンクで花心が色濃く染まり、清々しい印象の花色に。丸みのある、幅広の大きな半照り葉。硬め、直立性の強い枝ぶりで、120~180cmほどの高さのブッシュとなります。

ディープ・ピンクのHP、‘ヴィクトール・ヴェルディエ’(Victor Verdier)と、古くから日本へ紹介され、‘西王母’の和名でも知られるアプリコットのティーローズ、‘サフラノ’(Safrano)との交配により育種されました。そのことから、この品種はHTへクラス分けされています。もっとも早い時代に登場したHTの一つです。

育種当時、アマチュアではあるものの名の知れたバラ愛好家・研究家であった、ロンドン在住のキャプテン・クリスティにちなんで命名されました。

1881年には、リヨンのクロード・ドウシェ(Jean-Claude Ducher)が250~350cmの小さめのクライマーとなる枝変わりを見出しました。今日ではこのクライマータイプのほうが多く流通しているようです。

‘マダム・ロンバール’(Mme. Lombard)- 1878年

バラ ‘マダム・ロンバール’
‘マダム・ロンバール’ Photo/田中敏夫

花径7~9cm、25弁前後の剣弁高芯咲きの花形となります。オレンジ・ピンク(ARS)の花色として登録されていますが、実際にはミディアム・サーモン・ピンクとなることが多いようです。軽く、ティーローズの香りがします。葉先がピンととがった中型の楕円形で、縁に銅色が出ることが多い半照り葉。紅色の新枝が美しく、60~90cmほどと比較的こぢんまりとしたブッシュになります。

ライト・ピンクのティーローズ、‘マダム・ド・タルタ’(Mme. De Tartas)の実生から生じたとも、また枝変わりによるともいわれています。

イギリスに生まれ、後にアメリカへ移住したオールドローズのコレクター、バラ研究者であるフランシス・E・レスターは、その著作『よき友、それはバラ(My Friend, the Rose)』(1942年刊)の中で、「…私は、多くのマダム・ロンバールの前を過ぎるとき、帽子を上げて挨拶する。いくつかの由緒ある庭を飾ってくれているにもかかわらず(今日では)まったく省みられなくなってしまったこの品種ではあるが…」と語っています。

‘エクレール’(Éclair)- 1883年

バラ‘エクレール’
‘エクレール’ Photo/田中敏夫

花径11~13cmほどで、花弁が密集し、ボリューム感たっぷりの丸弁咲きとなります。中程度の香り。クリムゾンの花色は、染め上げたように均一な色合いとなることが多く、見事です。幅広で大きめ、深い色の照り葉で、180~250cm高の比較的高性のシュラブとなります。レッド・ブレンドのHP、‘ジェネラル・ジャックミノ’と無名種を交配させて育種し、1883年に公表しました。品種名の「エクレール」とは”きらめき”という意味です。

この品種について、じつは一つ、未解決の難問がありました。

ラシャルムが育種した品種の一つに、‘ヴィクトール・ヴェルディエ’というHPがあります。1859年に、HPの‘ジュール・マルゴッタン’(Jules Margottin)と、ティーローズの‘サフラノ’とを交配して生み出されたと記録されています。

この交配は、モダンローズのHTと同じものです。最初のモダンローズ(HT)、‘ラ・フランス’(La France)は1867年に育種されていますので、この‘ヴィクトール・ヴェルディエ’は、それに8年ほど先行していることになります。そのため、この‘ヴィクトール・ヴェルディエ’こそ“最初の”HT、すなわちモダンローズだと主張する研究家も少なくありません。

ところが、困ったことがあります。

1863年、ヴィクトール・ヴェルディエの息子であるウジェンヌ・ヴェルディエ(Eugène Verdier fils aîne)が、‘マダム・ヴィクトール・ヴェルディエ’(Mme. Victor Verdier)というHPを育種・公表しているのです。こちらは‘セネトゥール・ヴァイッス’(Sénateur Vaïsse)という赤花のHPの実生種で母へ捧げたものでしたが、やはり赤花の品種でした。

‘マダム・ヴィクトール・ヴェルディエ’
‘マダム・ヴィクトール・ヴェルディエ’ Photo/田中敏夫

育種年は近い、名前もよく似ている、同じクラス(HP)のため花の大きさもほぼ同じ、ということで著しく混乱してしまいました。

今日、‘ヴィクトール・ヴェルディエ’も‘マダム・ヴィクトール・ヴェルディエ’もそれぞれ流通していますが、実際のところ2品種の区別ははっきりしておらず、両品種とも、もっぱら赤花のものが出回っています。

このようなことがあって、本当はどうなのだろうという疑問を抱え、悩んでいたのです。今回、ラシャルムが育種した品種を見直す機会がありましたので、時間をかけて調べ直しました。その中で、ある資料に辿りつき、ようやく謎が解けた思いがしています。

その資料とは、『ネスレ・バラ庭園(Nestel’s Rosengarten)』という、ドイツ語で書かれた年誌です。その1866年版に‘マダム・ヴィクトール・ヴェルディエ’の、1867年版に‘ヴィクトール・ヴェルディエ’のボタニカル・アートがあったのです。

‘マダム・ヴィクトール・ヴェルディエ’のボタニカル・アート
‘マダム・ヴィクトール・ヴェルディエ’のボタニカル・アート(Rosa hybrida remontante – Madame Victor Verdier in: Nestel’s Rosengarten | 1866 [DigiZeitschriften e.V. archive])
‘ヴィクトール・ヴェルディエ’のボタニカル・アート
‘ヴィクトール・ヴェルディエ’のボタニカル・アート(Rosa hybrida remontante Victor Verdier in: Nestel’s Rosengarten | 1867 [DigiZeitschriften e.V. archive])
上に示した絵が、そのボタニカル・アートです。この資料によれば、‘ヴィクトール・ヴェルディエ’の花色はカーマインまたはミディアム・ピンク、‘マダム・ヴィクトール・ヴェルディエ’は深紅ということになります。

現在流通している2品種は、どちらも深紅のものが多いようです。マダムのほうが主流になっているといっていいのではないでしょうか。

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Credit

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたい思いから、2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/田中敏夫、今井秀治

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