インド洋の島、ブルボン島で生まれたとされるブルボンローズ。このオールドローズもまた、来歴に不明な点が残る、謎の多いバラのグループです。数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りするこの連載。今回は、ブルボンローズの誕生と品種を解説します。今井秀治カメラマンによる美しいバラの写真と共にお楽しみください。

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ブルボンローズの誕生を巡る2つの説

オールドローズの一つであるブルボンローズ。このブルボンローズという名前は、インド洋西部、仏領ブルボン島(現レユニオン島)からフランス本土へやってきたと信じられていたことから命名されました。

レユニオン島-旧ブルボン島
Ile de La Reunion Colonie Francaise:レユニオン島-旧ブルボン島 [Public Domain via. Wikipedia Commons]
イングランドのバラ研究家、トーマス・リバース(Thomas Rivers)は、著作『ローズ・アマチュアズ・ガイド(Rose-Amateur’s Guide)』(1843年刊)の中で、ブルボンローズの由来について、フランスの園芸家、ブレオン氏(Mons. Breon)が伝えた話を紹介しています。

「ブルボン島では住民は一般的に自分の住居を二種のバラの生垣で囲うが、ひとつはコモン・チャイナ・ローズ(オールド・ブラッシュのこと)、もうひとつはレッド・フォー・シーズンズ(赤花のオータム・ダマスク)だった。

サン・ブノワ(St. Benoist)の領有者であるペリション氏は、そんな生垣のなかに樹形やシュートが他と著しく異なる小さな若苗が生えていることを見つけ、それを自分の庭に植えてみることにした。

その若苗は翌年花開いたが、それは上述の2品種とは明らかに違う、新しい品種と思われた。けれども、そのことはブルボン島の中でのみ知られていることだった

1817年、ブレオン氏は、フランス政府派遣の植物園管理者として島を訪れた。そして、この品種を多数育て、株と種を本国(フランス)、パリ近郊のヌーリィ館の庭園師であったジャック(Mons. Jaques)氏へ送った。ジャック氏はこれをフランス国内のバラ育成者へ出荷した

ブレオン氏はこの品種をブルボン島のバラ(Rose de L’Ile de Bourbon)と名付けた」

同書の中で、リバースがもう一つの説として記しているものがあります。

「あるフランスの海軍士官は、ブルボン島の住民であった故エドワールド氏夫人(Widow of Mons. Edouard)にインドへの航海の際、珍しいバラを持ち帰ってほしいと依頼された。

その帰途、海軍士官はこのバラを持ち帰り、夫人はそれを夫の墓前へ植えつけた。そして、このバラはロズ・エドワールド(Rose Edouard)と呼ばれ、(その結実が)フランス本国へブルボン島のバラ(Rose de L’Ile de Bourbon)として送られた…」

リバース自身は、後者の説は真実味が欠けると述べ、先に記述した自然交配説に重きを置いています。しかし、最近は、むしろ後述のほうが正しいのではないかとされています。すなわち、ジャック氏はロズ・エドワールドの実生から育った株に、ロズ・ド・リル・ド・ブルボンと命名して市場へ提供したというものです。

しかし、疑問は完全に解消されたとはいえません。

現在、ロズ・エドワールドの名で流通している品種は明るいピンク、しかし、ロズ・ド・リル・ド・ブルボンは販売している農場により、明るいピンクであったり、赤花と呼んでいいほど濃い色合いのものであったりと変化が大きく、果たしてそれらが本当に同じものなのかという疑問があります。

前者の説に従うと、ブルボンローズが‘赤花’である理由に説明がつきますし、ピンクのほうが本来のものであれば後者の説に説得力があります。

これからも、このバラの謎は解けることがないのかもしれません。

ブルボンローズとその交配種

ロサ・クロス・ボルボニアーナ(R. x Bourboniana)

このロズ・エドワールは、ロズ・ド・リル・ド・ブルボン、あるいは単にブルボンローズなど、古い品種にありがちなことですが、多くの名前で呼ばれています。私は、実生種であることからロサ・クロス・ボルボニアーナ(ボルボニア交雑種)という品種名で呼ぶのが分かりやすいと思っています。

ロサ・クロス・ボルボニアーナ
ロサ・クロス・ボルボニアーナ Photo/田中敏夫

花色は淡い色合いから濃色のピンクまたはパープリッシュな赤。花径は7~9cmで、丸弁咲きまたはオープン・カップ型となる花形。そしてよく返り咲きする中型の樹形となる、といったところが一般的なブルボンの特徴です。なお、初期の頃から、柔らかい枝ぶりのクライマーが生じています。

ロサ・クロス・ボルボニアーナが世に知られるようになったのは、上述のリバースの著書にもある通り、1817年頃のことです。それからさほど時を経ずして、1818年頃には、早くも交配種が出回るようになりました。

‘ブルボン・クィーン’(Bourbon Queen)

‘ブルボン・クィーン’
‘ブルボン・クィーン’ Photo/今井秀治

中輪、カップ型、蓮の花を小さめにしたような形よい花となります。花色はラベンダーがわずかに入った明るいピンク。花弁の縁が色抜けして、優雅な印象を与えます。春にのみ花を咲かせる一季咲きですが、春一斉に開花するさまは実に見事です。樹高2.5~3.5mの、柔らかな枝ぶりのシュラブとなります。花が大きめ、春一季咲きのブラッシュ・ノワゼットのようだという印象です。明るいながらもくすんだような柔らかな葉緑は、たおやかな枝ぶりと相まって、爽やかで落ち着いた印象を与えてくれます。

品種名は、ブルボン島からやってきた女王という意味だと思いますが、以前『アルバ~妖しい白バラ』で少し紹介した通り、‘スヴニール・ド・ラ・プランセス・ド・ランバール’(Souv. De la Princesse de Lamballe:ランバル公妃の思い出)という別名でも知られています。

この品種は、ブルボン・クラスの品種としてはごく初期のものですが、ラベンダー気味のピンクの中輪花と蒼みを帯びた葉色のコントラスは実に見事です。ブルボンのクライミングタイプの品種としては、もっとも美しい品種の一つだと思います。

‘スヴニール・ド・ラ・マルメゾン’(Souv. De la Malmaison)

‘スヴニール・ド・ラ・マルメゾン’
‘スヴニール・ド・ラ・マルメゾン’ Photo/今井秀治

大輪、カップ型の花で、60弁を超える花弁が密集する、ロゼッタ咲き、またはクォーター咲きの花。3~5輪ほどの房咲きとなります。シェル・ピンクの、暖かみを感じる淡い花色で、フルーティーなダマスク系の強い香りがします。くすんだ深い色合いの大きめの葉は幅広で、細い枝ぶりの小型のブッシュとなります。

1834年、フランスのジャン・ベルーズ(Jean Béluze)が育種・発表しました。鮮やかなピンクのブルボン、‘マダム・デスプレ’(Mme. Desprez)と、いずれかのティーローズとの交配により育種されたと見なされていますが、それ以上の詳細は分かっていません。

マルメゾン宮殿
Bild von Seite 133 der Zeitschrift Die Gartenlaube, 1871 by Ernst Keil [Public Domain via. Wikipedia Commons]
この‘スヴニール・ド・ラ・マルメゾン’は、「香りと美の女王」(Queen of Beauty and Fragrance)と呼ばれるなど、多くのバラ愛好家に賞賛を集めています。モダン・ローズに劣らないほど、強く返り咲きする性質をもっており、最も愛好されているオールドローズの一つといっていいでしょう。

スヴニール・ド・ラ・マルメゾンとは、「マルメゾン庭園の思い出」という意味。ナポレオン妃ジョゼフィーヌが、当時園芸界をリードする人物に命じてバラを収集し、丹精を込めてつくり上げたバラ庭園、マルメゾンの名を冠する美しいバラです。しかし、この品種は、マルメゾンの庭園に植えられていた品種ではありません。命名についてはいろいろな説がありますが、この品種を聖ペテルスブルグ王立公園に植栽するために入手したロシア大公に呼ばれた名が広く受け入れられたのではないか、という説に趣があると感じています(“The Graham Stuart Thomas Rose Book”, Rev.1994)。

さて、じつはマルメゾン宮殿は、ナポレオンがワーテルローで致命的な敗北を喫した後にひとときを過ごした場所でした。1815年、流刑地であるエルバ島からパリへ凱旋を果たしたナポレオンでしたが、ワーテルローにおいて決定的な敗北を被り、再び退位を余儀なくされました。この期間は、短期政権の例えともなった百日天下として知られています。

戦地より帰還したナポレオンは、親族やわずかな忠臣たちと、一時マルメゾン宮殿に滞在しました。しかし、妻マリー・ルイーズは、愛息ナポレオン2世を伴ってウィーンに滞在したまま駆け付けることもなく、ナポレオンは、今は亡きジョゼフィーヌが手塩にかけたバラ園を独り散策しながら、アメリカ、あるいはメキシコへの亡命と再起の可能性を探ったといわれています(エミール・ルートヴィヒ著『ナポレオン』)。

ナポレオンが散歩した当時のマルメゾン宮殿には、ジョゼフィーヌが情熱を込めたバラ園が残されていました。ナポレオンがマルメゾン宮殿に滞在したのは6月20日頃のこと。花咲くバラの盛りだったのではないでしょうか。

ナポレオンが去った後も、バラ園はジョゼフィーヌから宮殿を相続した息子のウジェーヌ・ド・ボアルネによって維持されていましたが、50年ほど後の1871年、普仏戦争の際、パリに向け侵攻していたプロイセン軍によるパリ攻撃の兵の駐屯地として徴用され、その際にバラ園は壊滅的なダメージを受け失われてしまったということです。

今日、復旧されたマルメゾン城でバラ園を見学することができますが、そのバラ園は当時のものとは造営も異なり、植栽されている品種も当時とは違うものです。

‘ウジェーヌ・ド・ボアルネ’(Eugène de Beauharnais)

‘ウジェーヌ・ド・ボアルネ’
‘ウジェーヌ・ド・ボアルネ’ Photo/今井秀治

多弁のバラで、ロゼッタ咲き、またはクォーター咲きとなります。モーヴ(藤色)と登録されていますが、実際にはクリムゾン、非常に深い赤にヴァイオレットが入ったような色濃い花色です。葉先がピンと尖り、縁に強くノコ目が入る、深い色合いの半照り葉に、細い枝ぶりの小さなシュラブです。

‘マダム・アルディ’の育種でも有名なジュリアン=アレクサンドル・アルディ(Julien-Alexandre Hardy)は、パリ、ルクサンブール宮殿の園丁でした。そのアルディが1838年に育種した品格ある品種が、この‘ウジェーヌ・ド・ボアルネ’です。

ウジェーヌ・ド・ボアルネ
Prince Eugène, vice-roi d’Italie by Andrea Appiani 1810 [Public Domain via. Wikipedia Commons]
先に‘スヴニール・ド・ラ・マルメゾン’の項で触れた通り、ウジェーヌ・ド・ボアルネはナポレオン妃となったジョゼフィーヌが前夫との間にもうけた息子です。よくナポレオンに仕え、ナポレオンが皇帝に即位して絶頂を迎えた時代、1805年から1814年の間、イタリアの副王の地位にありました。

‘オノリーヌ・ド・ブラバン’(Honorine de Brabant)

‘オノリーヌ・ド・ブラバン’
‘オノリーヌ・ド・ブラバン’ Photo/今井秀治

さて、比較的ブルボンローズ初期に生まれたものとされている美しい品種があります。それが、この‘オノリーヌ・ド・ブラバン’。

中輪、開花時はオープン・カップ型、次第にルーズな丸弁咲きの花形となります。淡いライラック・ピンクの花弁に、モーヴ(藤色)やクリムゾン・レッドの縞が入り、ストライプとなる花色。幅狭、葉先がピンとはねた、明るい色合のつや消し葉、こんもりとした中型のシュラブとなります。

この品種は、1840年頃から世に知られるようになった育種者不明の品種であるという解説が主流でした。また、ストライプ種であることから元となった品種があるはずですが、それも不明であるといわれてきました。しかし、近年になって、この解釈を訂正する動きが出ています。

この‘オノリーヌ・ド・ブラバン’はそれほど古い由来のものではなく、フランスのレミ・タン(Rémi Tanne)が、1916年に‘コマンダン・ボールペール’からの枝変わりとして発表したものではないか、というのが新たな解釈です。

‘コマンダン・ボールペール’
‘コマンダン・ボールペール’ Photo/田中敏夫

レミ・タンはいくつか非常に優れた品種を発表していますが、1921年には、やはりストライプとなるハイブリッド・パーペチュアルの‘フェルディナンド・ピシャール’を発表しています。このストライプ種は、ブルボンのストライプ種‘コマンダン・ボールペール’に似ていることから、本来はブルボンとするべきではないかという研究者(Graham S. Thomasなど)もあります。

レミ・タンが、‘コマンダン・ボールペール’からの枝変わりとして、この‘オノリーヌ・ド・ブラバン’を1916年に発表し、1921年に他品種との交配により、新たなストライプ種、‘フェルディナンド・ピシャール’を育種・発表したと考えるのは、筋道が立っているように思います。

長い間、1840年頃に生まれたブルボンとされてきた品種ですが、20世紀になってから世に出回るようになった、かなり新しいオールドローズなのではないでしょうか。ちなみに、オノリーヌ・ド・ブラバンとは、「ブラバンの栄誉」といった意味。ブラバン(Brabannt)は現在のベルギーの地域名です。

‘クープ・デーベ’(Coupe d’Hébé)

‘クープ・デーベ’
‘クープ・デーベ’ Photo/今井秀治

大輪、つぼ咲き、または、ロゼッタ咲きとなる美しい花形。花色はストロング・ピンクとなるのが一般的ですが、温暖な気候の場合には色が淡くなる傾向にあります。少し小さめの楕円形で、蒼みを帯びたつや消し葉は、‘ブルボン・クィーン’などと共通する性質です。細くしなやかな枝ぶりで、樹高1.8~2.5mの小さめのクライマー、または立ち性の大きめのシュラブとなると考えるのが適当です。

1840年、フランスのジャン・ラッフェイ(Jean Laffay)が育種・発表しました。詳細は不明ですが、ブルボンとチャイナローズとの交配から生み出されたのではないかとされています。品種名のCoupe d’Hebeとは「ヘーベの杯」という意味です。

ヘーベ
Goddess of Youth and Cupbearer Hebe and Eagle of Zeus by Louis Fischer [Public Domain via. Wikipedia Commons]
ヘーベはギリシャ神話に登場する女神。主神ゼウスと、その妻ヘラとの間に生まれた娘とされ、神々が住まうオリンパスの山で他の神々に神酒ネクターを注いで回っていました。

十二の偉業を成し遂げ、並ぶ者のない英雄となったヘラクレスは、偉業の後、半人半馬の怪物、ケンタウロスのネッソスの姦計にはまり、毒に犯されてしまいます。苦しみに耐えかねたヘラクレスは、積み上げた薪に自ら登って火を放ち、焼け死ぬという壮絶な最期を遂げます。彼の偉業を惜しんだ神々は、ヘラクレスを神々の一人として迎えることにしました。このとき、ヘーベは彼の妻となったと語り継がれています。

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Credit

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたい思いから、2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/今井秀治

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