「香水は思い出が書いた一編の詩」。花の香りに包まれて育った学校嫌いの少年は、やがて20世紀を代表する調香師となり、そんな美しい言葉を残している。エルメスの専属調香師として活躍し、『地中海の庭』『ナイルの庭』『モンスーンの後の庭』など、名香庭シリーズを誕生させたジャン・クロード・エレナの物語。

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天才調香師の少年時代

ミモザ祭り

ミモザ
Photo/Marina VN/Shutterstock.com

2月中旬──。

南仏プロヴァンス地方のグラースではミモザが咲き、黄色い長い花穂が風に揺れ始める。

花が満開の3月には「ミモザ祭」が開かれ、消防車がミモザの香りのする水を放水しながらグラースの待中を走り回る。いかにも「香水の都」として名高いこの街らしい春のお祭りだ。

香水の都の「花暦」

バラ
Photo/Hirundo/Shutterstock.com

ミモザが散った4月には、ローズマリー、ヒヤシンス、黄水仙が咲き、5月になるとローズ・ド・メ(5月のバラ)が、6月には周囲の山や丘に多い野生のエニシダが金色に色づいて咲き薫る。

そして、7月のラベンダー、ジャスミンへと香水の都の花暦は咲き継いでゆく。

香りへの目覚め

ジャスミン
ジャスミンの花。Photo/Tymonko Galyna/Shutterstock.com

ジャン・クロード・エレナは1947年、グラースに生まれ、幼い頃はバラやジャスミンの栽培農家に花摘みの手伝いに行く祖母によくくっついて行って、花畑のなかで遊んだ。

働く女の人たちの汗の匂い、それと混じり合うバラやジャスミンの甘い香り──。

それがエレナの、香りへの最初の目覚めだった。

学校も先生も嫌い

エレナは本を読むのが好きだった。新しいことを学ぶのも好きだった。だが、学校の先生と学校という制度は嫌いだった。

彼は中学を卒業すると、リセ(高校)には進学せず、グラースで最も歴史の古い香料会社アントワーヌ・シリス社で蒸留所の夜間作業員として働き始めた。

香料植物は放置しておくと、香り成分が揮発してしまう。だから収穫期には夜通し蒸留作業が行われるのだ。

香料植物のベッド

精油
Photo/NIKITA TV/Shutterstock.com

1回の蒸留に要する時間は、およそ1時間。抽出したエッセンシャルオイル(花精油)を所定の場所に運んだら、蒸留装置から茶色く変色した香料植物の残滓を取り出し、畑から運ばれてきて間もない新鮮な植物を、ぎっしりと隙間なく詰め直す。そして装置に再び点火する。

明け方まで何度もその繰り返しで、なかなかの重労働だった。だが、エレナは辛いとは少しも思わなかった。蒸留所はいつも心をふるわせる甘い香りでいっぱいだったし、朝、交代要員が来ると、心地よい残り香がまだほんのりと香っているふかふかの香料植物のベッドで眠ることができるのだった。

寡黙な父のプレゼント

エレナの父親は調香師だったが、家では仕事の話はほとんどしない人だった。

だが、1966年、エレナが19歳になり、軍隊に入隊する日が近づいてきた時、いつもは寡黙な父親が素敵なプレゼントをしてくれた。それはある香料会社が制作したパンフレットで、当時、「香水界のモーツァルト」と謳われ、名声をほしいままにていた調香師エドモン・ルドニツカを特集したものだった。

心の師との出会い

ルドニツカはそのパンフレットのなかで、後進の若者たち、「香りと匂いの若き作曲家たち」に数々の貴重なアドバイスをしていた。それを読んで、エレナは大きな感銘をうけた。

「ようやく、本当に尊敬できる先生に出会った」と彼は思った。

そこで早速、グラース近郊の小さな村に調香工房を構えていたルドニツカを訪問。偉大な巨匠に直接会い、話を聞いたという感激を胸に、兵役に就くために故郷グラースの街をあとにした。

調香師としての修業

オー・ソヴァージュ

香りの研究に没頭

1968年、軍隊を除隊となり、兵役義務から解放されたエレナは、スイスの大手香料会社ジヴォーダン社の調香学校に入学。天然香料と合成香料計約8,000種の香りを、ひとつひとつ鼻に記憶させていくという調香師になるための最初の修業を始めた。

後に彼は、心の師と仰ぐエドモン・ルドニツカが創作した名香『ファム』『ディオリッシモ』『オー・ソヴァージュ』などの香りを徹底的に研究。彼独自の調香法をつくり上げていくことになる。

最初の成功

カブリ村
エレナが調香工房を開いたカブリ村。Photo/Stephen Beaumont/Shutterstock.com

1976年、28歳となったエレナは、パリの宝飾店ヴァン・クリーフ&アーペルのために創作した香水『ファースト』で大きな成功を収めた。

その後、いくつかの香料会社で調香師として働き、パリやニューヨークでも生活。やがて故郷の南仏プロヴァンス地方に戻ったエレナは、グラースの西隣のカブリという村に調香工房を開いた。

このカブリこそ、あのエドモン・ルドニツカが工房を構えていた村であり、老巨匠は今も健在だった。

偉大な香りの魔術師のもとで

カブリは地中海を望む素晴らしい景観で知られた村で、多くの著名な作家や芸術家がしばしば滞在。『星の王子さま』の作者、サン・テグジュペリの母親も長くこの美しい村で暮らしていた。

カブリに調香工房を開いたエレナは、暇を見つけてはルドニツカのもとを訪れ、20世紀最高の香りの魔術師である巨匠から直接の薫陶をうけるようになる。

後年、当代一流の調香師となってからも、調香に迷いや不安を感じたときは、ルドニツカの著書を手に取り、繰り返し読むようにしていたとエレナは語っている。

エルメス専属の調香師として活躍

『ナイルの庭』

エルメスの庭シリーズ

2003年、エレナはエルメスのために『地中海の庭』という香水を創作。翌年、エルメスの専属調香師となり、『ナイルの庭』『モンスーンの後の庭』など庭シリーズの香水を相次いで発表。いずれもモダンな香りで評判を呼び、エルメス製品の売り上げの急拡大に大きな貢献をした。

女王クレオパトラが愛した香り

庭シリーズの香水のなかで今も人気が高いのは『ナイルの庭』。そのパッケージは睡蓮の絵で装飾されている。というのも、女王クレオパトラが栄華をきわめた古代エジプトの時代には、ナイル川には睡蓮がたくさん繁茂していたからだ。

ナイルの河畔には、ユリ、アイリスなど香りのいい植物も野生の状態で群落をつくっていた。そして神官たちが、そうした植物から葬礼用やミイラをつくるときのために「キフィ」という香料を調合していた。

クレオパトラはキフィの香りを愛し、ナイル川を航行する舟で国内の行事に出かけるときは、帆布にキフィでたっぷりと香りづけをさせるのが常だった。だから、ナイルの流域に暮らす人々は、風に乗って漂ってくるキフィの芳香で、女王がまもなく臨幸あらせられるということを知ることができたのだった。

日本文化を熱愛

燕子花図屏風
国宝《燕子花図屏風》(右隻)尾形光琳筆 6曲1双 紙本金地着色 日本・江戸時代 18世紀 根津美術館蔵。

学校は嫌いだったが、学ぶことは大好きだったエレナは、文学や美術、音楽や哲学を愛する大の教養人であり、日本文化への造詣も深い。

とりわけ、尾形光琳の芸術の熱烈な賛美者として知られ、光琳の『燕子花図屏風』(かきつばたずびょうぶ)を見て感動して以来、自宅の庭にさまざまな種類のカキツバタ(アヤメ)を植えて、その鼻を楽しんでいるという。

エレナはまた、浮世絵の熱心なコレクターでもある。

衰えぬ情熱

20世紀を代表する調香師の一人という地位を確立したエレナは、齢70に近づいた2015年にもエルメスから新作香水を発表。カブリの調香工房で旺盛な創作活動をつづけ、その傍ら、『香水』(2007)『調香師日記』(2011)などの著書を執筆。そのなかで、香水に関して、こんな美しい言葉を残している。

「香水は香りが書いた物語。そして時には思い出が書いた一編の詩なのだ」

併せて読みたい

20世紀最高の調香師の傑作香水 『オー・ソヴァージュ』(野生の水)
香水の物語・香りの魔術師の最高傑作 『シャネル5番』
香水の物語・娘への溺愛から生まれたランバンの名香『アルページュ』

Credit

文/岡崎英生(文筆家、園芸家)

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