かつてイヴ・サンローランから『オピウム』(阿片)という香水が発売され、世界中がそのネーミングに驚愕した。だが、この香水の衝撃はそれ以上だった。なぜなら、それは『プワゾン』──すなわち「毒」という名の香水だったからだ。女性たちを熱狂させ、50秒に1本売れた逸話を持つ名香の物語。

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「毒」という名の香水

1985年秋──。

調香師のエドゥアール・フレシエは、ある朝、何気なく新聞を開いて、大きな衝撃をうけた。

彼の目に飛び込んできたのは、クリスチャン・ディオール社の新作香水の発売を伝える広告だった。新聞の片面一面をすべて使ったその巨大な広告に、こんな文字が躍っていた。

『プワゾン』(毒)──。

エドゥアールは数週間前、自分の調香した作品が、ディオール社の新作香水として採用されたという連絡をうけていた。

だが、香水の名称については、何も知らされていなかった。

エドゥアールは、自分のつくった香水が、まさか「毒」という名前で売り出されることになるとは夢にも思っていなかったのだ。

紫水晶色のボトル

その朝、ガラス工芸作家のヴェロニク・モノーも大きな衝撃をうけていた。

彼女もまた、香水の名称も、それがどんな香りなのかも知らないまま、ボトルのデザインをした。そして、いくつかのアイデアの中から、ディオール社が最終的に採用したのはアメジスト(紫水晶)色のリンゴの形をしたボトルだった。

なぜリンゴの形だったのか?

その理由を、ヴェロニクは『プワゾン』の新聞広告を見て、ようやく理解した。

リンゴの秘密

エデンの園でアダムと幸福に暮らしていたイヴは、邪悪な蛇にそそのかされて、禁断の果実とされていたリンゴを食べてしまう。すると、羞恥と罪の意識が初めて芽生え、イヴは裸でいるのが急に恥ずかしくなる。

そして、白雪姫──。

この有名なメルヘンのヒロインは、継母に手渡された毒リンゴを食べて長い眠りにつく。その眠りは若く美しい王子さまが現れるまで覚めない。

このように、毒とリンゴはきわめて親密な関係にある。だから、香水『プワゾン』(毒)を入れるボトルは、リンゴの形をしていなければならなかったのだ。

入店お断りの高級レストラン

衝撃は世界中に広がり、「毒」という名の香水の発売は国際的な事件となった。だが、官能を刺激するその香りに関しては、支持派とアンチ派に大きく二分された。

『プワゾン』の濃厚な香りにとりわけ強い拒否反応を示したのは、米ニューヨークの高級レストランの経営者たちだった。彼らは「ノー・スモーキング」という掲示の隣に「ノー・プワゾン」という新たな掲示を出し、『プワゾン』をつけた女性客の入店を断るよう従業員に厳命した。

日本では大人気に

そんな中、日本では『プワゾン』は熱烈に歓迎された。

折しも、この香水が発売されてから数カ月後、日本は狂乱のバブル景気に突入。高額商品が飛ぶように売れるという異常な時代となり、『プワゾン』を買いに訪れた客はファンデーションや化粧水、口紅やコンパクトなどを、あれもこれもと買い漁った。そのため、『プワゾン』人気が日本の化粧品全体の売り上げを前年比で15%も押し上げるという結果になった。

50秒に1本のペースで

もちろん、『プワゾン』は本国フランスでも爆発的に売れた。

パリの有名百貨店「ギャルリー・ラファイエット」では、ほぼ50秒に1本のペースで売れ続けたし、何者かによって闇販売のルートまでがつくられた。

ディオール社は『プワゾン』の開発プロジェクトに2年半をかけ、約780種類に及ぶ香料の調達、ヨーロッパ中の優秀な調香師を総動員しての試作などに、日本円にして数十億円規模の投資を行ったが、『プワゾン』発売の6カ月後には、投資額をはるかに上回る巨額の利益が出るようになった。

伝説の名香をつくった調香師

『プワゾン』をつくった調香師、エドゥアール・フレシエは1949年、《香水の都》として名高い南仏プロヴァンス地方のグラースに生まれ、この町の名門調香学校ルール・ベルトラン・デュポン校で調香師になるための教育をうけた。

フランスには現在も調香学校が数校あり、毎年、何百人もの志願者が押し寄せるが、入学を許されるのは、一校あたり20人程度。しかも、その20人全員が調香師になれるわけではない。感性や想像力にいまひとつ難があり、調香師になれなかった者は、香水の製造現場の責任者、市場調査担当など、香水業界の他の職種に回されることになる。

エドゥアール・フレシエは、記録的な大ヒットとなった『プワゾン』をつくったことにより、80年代を代表する香りの魔術師として20世紀の香水史にその名を残すことになった。

事実、『プワゾン』は、その後の香水のトレンドに決定的な影響を与えた作品であり、今日もなお伝説の名香として記憶されている。

秘密主義の香水業界

エドゥアール・フレシエは香水の名前を知らされないまま調香を行い、ガラス工芸作家のヴェロニク・モノーは名前も香りも知らぬままボトルのデザインに取り組んだ。そのことを不思議に思う向きもあるかもしれないが、香水業界は極端な秘密主義。こうした例は決して珍しいものではない。

ディオール社は、新作香水の名称を『プワゾン』とすることを、1983年の春にはすでに決定していた。しかし、それからの2年半、このネーミングはごく一部の関係者以外には極秘にされたのだった。

チュベローズのセクシーな香り

香水『プワゾン』の香調を特徴づけているのは、花の香りの中でも最もセクシーとされる「チュベローズ」の香り。

かつてヨーロッパでは、良家の子女はバラやスミレの香りの香水を愛用していたが、高級娼婦はチュベローズの香りで男性を誘惑したといわれている。

チュベローズはメキシコ原産、リュウゼツラン亜科の多年草。家庭での栽培も容易で、庭植えも鉢栽培も可能。気温と地温が十分上がった4〜5月頃に植えつけると、8月には素晴らしい芳香のある一重や八重の白い花が咲く。香りは一重のほうが強い。また、夜になると香りが強くなるので「月下香」とも呼ばれた。

日当たりと水はけのよい場所、多肥を好むので、開花後も定期的に追肥をすると10月まで咲き続ける。秋には球根を掘り上げて保存し、翌年に備えることもできるが、期待したようには花が咲かないことも多い。専門家は翌年も栽培したい場合は、種苗店で新しい球根を買うようにと奨めている。

Credit

文/岡崎英生(文筆家、園芸家)

Photo/2) Lia Koltyrina/ 3)Grzegorz Czapski/ 4) Christian Bertrand/ 6)Francois BOIZOT/Shutterstock.com

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