花の女王と称されるバラは、世界中で愛されている植物の一大グループです。数多くの魅力的な品種にはそれぞれ、誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。「バラをもっと深く知り、多くの人に伝えたい」と数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りします。今井秀治カメラマンの美しいバラの写真とともにお楽しみください。

「アルバ」という名の背景を探る

アルバ(Alba)とはラテン語のalbus(白い)からきた言葉です。カソリックの聖職者の白衣のこともさすようですが、何と言ってもスコットランド王国の母体となった、ピクト人のアルバ王国へと想いが導かれます。

ピクト人はスコットランドの原住民ではないかといわれることもある古い民族です。英国の長い歴史の中で、サクソンなど他の民族と同化して、独自の文化も失われてしまいました。民族名はラテン語のpiktus(刺青部族)からきています。

若いピクト人の娘。(“A Young Daughter of the Picts”, attributed to Jacques Le Moyne de Morgues [Public Domain via. Wikipedia Commons])
英国の児童文学者ローズマリー・サトクリフは、古代・中世の人々を題材にした格調高い物語を残してくれました。『第9軍団の鷲』の中でピクト人は、主人公を追跡する異形の蛮族として描かれ、2012年、同名のタイトルで映画も公開されました。

映画の中では、北へ旅するローマの退役軍人である主人公が、ピクト人の支配領域であるハイランドへ入るとき、死をも覚悟する場面がありました。

寒冷な気候ゆえに作物は育たず、放牧する家畜ばかりを頼りに生活し、しかし、時には家族の命をつなぐためには他人の穀物や家畜を盗まなければならない、それほどの過酷な自然環境である土地柄、それがハイランドでした。

英国の北方地域に生まれた白バラをアルバと呼ぶことには、そんな歴史と文化が背景にあるように思います。

ロサ・アルバ(R. x alba)- 1592年以前

アルバはロサ・カニナ(R. canina L.)とダマスク(R. damascena Mill.)あるいはガリカ(R. gallica)との自然交配により生じたというのが一般的な理解です。

1592年にはこの品種への言及があり、それ以前に存在していたとみなされています。しかし、古い由来の品種にはありがちなことですが、現在、ロサ・アルバの名で流通している実株がはたして本来のアルバであるかどうかは確定されていません。

1613年、薬草学者であるバシリウス・ベスラー(Basilius Besler:1561–1629)の著作『Hortus Eystettentis )』にロサ・アルバ・フロール・シンプルキ(Rosa alba flore simplici)と題して掲載されているバラはこの品種だと思われます。

左下がロサ・アルバ・フロール・シンプルキ。Basilius Besler, “Hortus Eystettentis”、1613, [Public Domain via. Real Academia de Ciencias]
しかし、解き明かされていない疑問があります。

交配親とみなされるカニナは5倍体、ダマスクは4倍体。しかし、本品種ロサ・アルバは6倍体であることが確認されています。したがって系統的には交配親と断定できません。

この白バラはどこからやって来たのでしょうか。謎はいまだに謎のままです。

アルバ・マキシマ(Alba Maxima)- 1500年以前

‘アルバ・マキシマ’ Photo/今井秀治

15世紀にはその存在が知られていた、非常に古い由来のバラです。

イングランドで王位を争って勃発したバラ戦争(1455-1485)で一方の旗頭、ヨーク家の”白バラ”の象徴として用いられたと伝えられていることからホワイト・ローズ・オブ・ヨーク(White Rose of York)と呼ばれることもあることを、『赤バラか白バラか、王位をめぐる薔薇戦争』で触れました。

グレート・メイドンズ・ブラッシュ(Great Maiden’s Blush)

‘グレート・メイドンズ・ブラッシュ’ Photo/今井秀治

1738年以前、一説では1400年以前にさかのぼることができる非常に古い由来の品種です。この古いアルバも『赤バラか白バラか、王位をめぐる薔薇戦争』で解説しています。

セレスティアル(Celestial)- 1738年頃

‘セレスティアル’ Photo/今井秀治

グラハム・トーマスはこの品種の起源はオランダにあるとしていますが、育成者など不明のままです。”Celestial”とは”晴れた空のように輝かしい”といった意味でしょうか。セレスト(Céleste:仏語)と呼ばれることもあります。

1756年から1763年の間、プロイセン・イギリス連合軍とオーストリア・ロシア・フランス連合軍との間で植民地支配権などをめぐって世界各地で起きた戦闘は一括して七年戦争と呼ばれています。

1759年、現在のドイツ、ミンデンで起きたイギリス軍とフランス軍の戦闘のあと、勝利したイギリス軍は敗走するフランス軍を追走しながら、この品種を自軍の徴しとしたという言い伝えがあります。

この戦争に敗れたフランスは北米の植民地のほとんどを失うことになりました。もし勝利していたら、現在の米国民は英語ではなくフランス語をしゃべっていたのかもしれません。

(“the Battle of Minden 1759”, [Public Domain via. Wikipedia Commons])
バラの画家、ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテは、ロサ・ダマスケナ・オーロラ、ロジエ・オーロール・ポニアトヴスカ(Rosa damascena aurora, Rosier Aurore Poniatowska)というタイトルのもとに美しい絵を残しています。ルドゥーテはダマスクとしていますが、セレスティアルのことであろうというのが一般的な理解です。オーロール・ポニアトヴスカはルドゥーテの愛弟子として知られている女性です。

アルミーダ(Armide)- 1818年

密かに「妖しのアルミーダ」と呼んでいる白バラです。

カップ型・ロゼッタ咲き、花芯近くの花弁は芯を包み込むように内折れし、また緑芽ができることが多い、美しい花形です。淡いピンクに色づいていたつぼみは、開花すると白となります。わずかにピンクが刷いたように残ることもあります。

1818年、ジャン・ヴィベール(Jean Pierre Vibert)により育種・公表されました。交配親は不明ですが、秋に返り咲きすることがあることから、交配にはチャイナ・ローズが関わっていたと見なされています。なお、古い記述では花色に淡いピンクが出るとあり、現在出回っている純白のアルミーダは、オリジナルのものではないかもしれないという説もあるようです。

アルミーダは、イタリアの叙事詩人、トルクァート・タッソ(Torquato Tasso:1544-1595)が著した長編叙事詩『解放されたエルサレム』に登場する魔女です。

この話は、エルサレム奪還を目指して遠征し、エルサレム近郊に布陣した第一次十字軍の陣営が舞台です。

アルミーダは見る者を蠱惑(こわく)せずにはおかない美貌の女。イスラム教徒に迫害されているといつわり、十字軍の陣営へ逃げ込んできますが、実はイスラムの王から遣わされた魔女でした。騎士たちはアルミーダに魅了され、魔法をかけられ、次々と動物の姿に変えられてしまいます。しかし、そんなアルミーダは高潔な騎士リナールドを愛するようになってしまいます…。

アルミーダとリナールドの物語は、ヨーロッパでこよなく愛され、絵画の主題として多く描かれ、また、オペラの脚本として何度も取り上げられました。

(“A Rose from Armida’s Garden” by Marie Spartali Stillman [Public Domain via. Wikipedia Commons])
前ラファエル派、美貌の画家として知られた女性画家、マリー・スパータリ・スティルマンは花をこよなく愛した女性でした。物語とそれにちなむこの白バラを、共に知っていたのでしょう。自らに似せて、アルミーダを白バラと共に描いています。

ヘンデル作のオペラ『リナールド』第2幕で歌われるアリア『ラッシャ・キオ・ピアンガ(Lascia ch’io pianga:”私を泣かせて下さい”)』はこのうえなく美しい旋律で有名です。

囚われの身となってしまったリナールドの恋人アルミレーナは、執拗に言い寄るイスラム王を拒絶し、リナルドへの思いのたけをうったえます。

私を泣かせて下さい Lascia ch’io pianga

むごい運命に苛まれています mia cruda sorte,

自由になりたいのかって? E che sospiri la libert?

そう、自由になりたいのです E che sospiri,

プランセス・ド・ランバール(Princesse de Lamballe)- 1830年以前

中輪、35弁ほどの浅いカップ型の白花、強い香りも魅力です。立ち性の中型のシュラブとなります。フランスのオーグスト・ミエレ(Auguste Miellez)が育種しました。交配親は分かっていません。

マリー・アントワネットの心許す女友達であった、ランバル公妃、マリー・テレーズ・ルイーズ(Marie Therese Louise:1749-1792)にささげられました。

(“Mme. la princesse de Lamballe”by Antoine-François Callet [Public Domain via. Wikipedia Commons])
マリー・テレーズ・ルイーズは結婚してランバル公妃となったものの、すぐに夫と死別してしまいました。

夫の死後、宮廷の女官となった彼女は、マリー・アントワネットの寵愛をうけ、やがて女官長に取り立てられます。しかし、アントワネットの寵愛は次第にポリニャック伯夫人へ移ろってしまい、女官長の地位からも退くこととなりました。

1789年にフランス革命が勃発すると、多くの貴族は亡命し、ポリニャック夫人もいち早く宮廷から逃げ出してしまいました。しかし、マリー・テレーズ・ルイーズは、宮廷へ変わることなく忠誠を尽くし、革命の渦中にあっても常に王党派として盛んに活動を行いました。

1792年、革命派がいよいよルイ16世一家をティレリー宮からタンブル塔へ幽閉したとき、マリー・アントワネットに仕えていた彼女も同じように捉えられ幽閉されました。

多くの貴族をギロチンへ架した民衆の憎悪は、いよいよその矛先をルイ16世一家へ向けはじめ、マリー・テレーズ・ルイーズの牢屋を襲い、彼女を殺害してしまいました。暴徒のマリー・アントワネットへの憎しみを象徴するかのように、遺体は陵辱され、首は当時牢囚されていたアントワネットの獄舎の窓に置かれたと伝えられています。歴史の潮流に押し流された、悲劇的な人物です。

‘ブルボン・クィーン’ Photo/今井秀治

美しい一季咲きのクライミング・ブルボン、ブルボン・クィーン(Bourbon Queen)はスヴェニール・ド・ラ・プランセス・ド・ランバール(Souv. de la Princesse de Lamballe)という別名で呼ばれることもあります。まぎらわしいですね。

Credit

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズアドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づりに役立ちたい思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春からは「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズアドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。