『睡蓮』の連作で知られる画家のクロード・モネは、庭を生きたキャンバスとして色とりどりの花々で彩り、制作の傍に庭づくりに熱中したことでも知られます。晩年、目を患い次第に視力が失われていく中で、庭は色彩の鮮やかさを極めていきました。世界中から観光客が集まるその庭には、今もモネが愛した花々が季節を咲き継いでいます。モネがとりわけ愛情を注ぎ、寝室の窓辺まで誘引した芳しく可憐なバラをご紹介します。

オールドローズの名花

ジヴェルニーはパリから電車とバスを乗り継いで1時間あまり。人口500人ほどの小さな村だが、かつて印象派の画家クロード・モネが暮らしていた家と、彼が愛した美しい庭があることで知られている。

昔のままに保存されているモネの家は、淡いピンクの壁と緑色の日除け窓の鮮やかなコントラストが印象的な建物。そのピンクの壁に這いのぼり、毎年6月の下旬頃から花径10㎝ほどの見事な花を咲かせるオールドローズがある。

黄色い一重のつるバラ‘マーメイド’だ。

フランス・ジヴェルニーのモネの庭と家。一般公開されており、世界中から観光客が集まる。Photo/EQRoy/Shutterstock.com

花に慰めを求めて

モネが画家として認められ、経済的に安定したのは50歳に近くなってから。

それまでの彼は、三度の食事にも事欠くほどの貧困に苦しみ、夜になっても部屋に明かりを灯すことすらままならぬ有様だった。そんな貧しさの中、1879年には13年間連れ添った妻のカミーユが、長い闘病の末、32歳の若さで他界する。

貧窮と不運に喘ぐモネのわずかな慰め、絵を描くこと以外の唯一の楽しみは、花を育て、庭をつくることだった。

1883年、彼は後に結婚するアリスや子どもたちとセーヌ河畔の小さな村ジヴェルニーに移り住む。自ら土を耕し、花や野菜のタネを播き、草むしりにいそしむ日々。やがて彼は本格的な庭づくりに情熱を傾けるようになっていった。

睡蓮の池の前に佇むモネ。

バラの回廊

Photo/Del Boy/Shutterstock.com

ジヴェルニーの家は、南側にはトウヒやイトスギが生い茂る小さな林があり、暗い木陰をつくっていた。光を愛する画家は、その陰気な木陰を好まなかった。

1890年、それまで借りていた家と土地を買い取ると、モネは木々を伐採して取り払い、そこに花の庭をつくった。広さ1万2,000㎡に及ぶこの花の庭の主役は、南に向かってまっすぐ50m続くバラの回廊。その両側にはスタンダード仕立てのバラとアイリスを配し、アーチに絡ませたつるバラの足元には夏から秋遅くまで黄色やオレンジの一重の花を咲かせ続けるナスタチウムを列植した。

このナスタチウムの列植は、今も毎年、モネ在世当時と同じように再現されている。

ナスタチウムが咲くジヴェルニーの夏の庭。Photo/trang trinh/Shutterstock.com

傑作は水の庭で生まれた

『Water Lilies and Japanese Bridge』 (1897-1899) Claude Monet

バラの回廊は小径を隔てて、広さ約8,000㎡の水の庭へと続いている。モネはそこにセーヌ川の支流エプト川の水を引いて池をつくり、日本風の太鼓橋をかけ、池のほとりにはシュラブローズやシャクヤクを植えた。さらに、ここにもバラのアーチをつくった。

この池の岸辺がモネにとっての屋外のアトリエとなり、彼の代表作として有名な『睡蓮』の連作が描かれてゆくことになる。

一重の花を愛したモネ

モネは一重の花の可憐で、はかなげな風情を愛していた。バラも一重の品種が見つかるとすぐに買い求め、コレクションに加えていった。

花径は4㎝ほどと小さいが、ピンク色の5弁の一重咲きで、若葉をこするとリンゴの匂いがする野生種のロサ・エグランテリア、同じく野生種で白い一重の花びらが妖精の羽根を思わせるロサ・スピノシッシマ。モネが収集した一重のバラは、今もジヴェルニーの庭で咲き続けている。

1918年、英国で黄色い一重のつるバラ‘マーメイド’が作出されたことを知ると、モネはやはりすぐに苗を取り寄せ、2階の寝室の窓の下に這いのぼるように植えた。

翌年の夏の朝、モネは寝室の窓を開け、霧にかすむ花の庭と水の庭を見渡していた。すると、甘い香りがそよ風とともに室内に流れ込んできた。それは‘マーメイド’の香りだった。

多彩な庭友だち

モネには、彼と同じように花を愛し、土いじりを愛するたくさんの「庭友だち」がいた。画家、批評家、ガーデニング雑誌の編集者。彼らはジヴェルニーのモネのもとに集まっては庭談義に興じ、花の苗や樹木の苗をお互いに交換し合った。

第一次世界大戦当時、フランスの首相だったジョルジュ・クレマンソーも大の花好きで、モネの庭友だちの一人だった。クレマンソーは戦局の激化が報じられているさなかにもしばしばジヴェルニーを訪れ、ひとしきりモネと花の話、庭の話をしては、あわただしくパリの首相官邸に戻っていったと伝えられている。

人気の観光地へ

モネは1926年12月5日、窓の下まで‘マーメイド’が這いのぼっている2階の寝室で、庭友だちのクレマンソーらに看取られながら86年の生涯を閉じた。

その後、ジヴェルニーの家と庭は再婚した妻アリスの娘で画家のブランシュによって維持されていたが、ブランシュは1946年に死去。そのあとを引き継いだモネの次男ミシェルも亡くなると、家も庭も次第に荒れ果て、1960年代にはほとんど廃墟同然になってしまった。

それを惜しみ、修復と保存の動きが始まったのは1970年代の末。庭の植栽は古い写真をもとにほぼ忠実に復元され、1980年にはようやく一般への公開が可能になった。

ジヴェルニーへ行こう

Photo/Magnus Manske(CC-BY 2.0)

現在、ジヴェルニーのモネの家と庭は、世界中から年間50万人以上が訪れる人気の観光スポット。ベストシーズンは、さまざまなバラが次々に開花する5〜6月から7月上旬にかけてだ。

まずは花の庭をひと巡り。それからエプト川の流れに沿って水の庭の方へと歩を進めれば、まるで夢の世界に迷い込んだような時間を過ごすことができる。

楽しいお土産品がいっぱいのショップにもぜひ立ち寄りたい。帰りにはパリのオランジュリー美術館やマルモッタン美術館でモネの絵をゆっくり鑑賞するとよいだろう。

つるバラ‘マーメイド’ 四季咲き性、花には芳香も

つるバラ‘マーメイド’は1918年、英国の育種家ウィリアム・ポール父子による作出。四季咲き性で、クリームイエローの一重の花には芳香がある。

生育は旺盛。つるは約5mの高さまで伸びるが、鋭い大きなトゲがあるので、植える場所には注意が必要。

Credit

文/岡崎英生(文筆家、園芸家)